814.ハグアンドロスト
「ん……んぁ……ここ、は……?」
アルムが目を覚ますと真っ白な天井があった。
目だけを動かしながら朧げな視界で周囲を確認すると、自分はベッドに寝かされているらしい。
やけに広く豪華な部屋で、それでいて鼻につかない居心地のよさがある。
体のあちこちに走る激痛が意識を覚醒させると、清潔感溢れる空気と薬品の香りが鼻孔をくすぐり、一つ小さなくしゃみが出た。
そのくしゃみの音に誰かが気付いたのか扉が勢いよく開く音が届き、そのまま部屋の中に誰かが入ってくる。
「あ、あ……あ……」
「その、声……」
「アルム……ぐん……!」
動かすのが難しいながら首を少し傾けると、部屋に入ってきたのはベネッタだった。
声を聞いてアルムが目覚めたとわかったからか有事でもないのに血統魔法である目を見開いており、本当にアルムが起きたかを目に焼き付けようとしているようだった。
アルムがか細い声を出すとベネッタは顔をぐしゃぐしゃにして両目からボロボロと涙を零し始め、鼻からは鼻水まで出ている。可愛らしい顔立ちが台無しという感じだが、その豊かさがベネッタのいいところでもある。
「わ、わがる……? ボクの、ごと……わがる……!?」
「ああ……ベネッタ……。無事で……よかった……」
「アルムぐうううううううううん!!」
アルムが名前を呼んだ瞬間、決壊したようにベネッタの泣き顔がさらに崩れ……両手を広げてアルムへと飛び込む。
起きたばかりでほとんど体を動かせないアルムは仕方ないな、と呆れながらベネッタを受け入れるが、それが問題だった。
アルムは自分の体がどんな状況にあるのか全くわかっていなかったのである。
「いっ――!?」
霊脈接続によって普段の膨大な魔力のさらに上の魔力を使って痛みつけた自らの体は眠りから目覚めてはい完治……などとなるはずがない。
寝ているアルムにベネッタが抱き着くと、その衝撃が全身の傷に思い切り響いた。
「あがああああ!! ベネッタ! ベネッダああああ!!」
「よがっだ! よがっだよおおお!! アルムぐん! アルムぐううん!!」
「だだだ! ベネッタ! 頼む! 頼むから離れてくれ!!」
「いやだあああ! どんだげ心配じだと……うええええええん!」
「わがった! わかったから!!」
友人から心配されるのは嬉しいが、それどころではない。
病衣を濡らす温かい涙も髪についた鼻水も今はどうでもいい。
目覚めた瞬間第二ラウンドが始まったのかと思わせる激痛がアルムの全身に走る。
流石のアルムも悲鳴を耐えることができず、痛みのまま叫ぶ。
ベネッタはよほど心配だったのか抱き着く力は万力のようで満身創痍のアルムがどうこうできるわけもない。
そんなアルムの悲鳴を聞きつけたのか、外からこちらに向かって走ってくる音が聞こえてくる。
またしても勢いよく扉が開き、二つの人影が部屋に飛び込んできた。
よほど急いできたのか肩で息をしているルクスとその後ろから険しい表情をして入ってきたエルミラだった。
「敵襲か!? 手負いのアルムを狙うなんて卑怯な真似を!!」
「警備の張ってる感知をすり抜けるってことは手練れの使い手ね! アルム無事!?」
「無事じゃない! ベネッタに殺される!! いぎゃあああ!!」
「うええええええん! よがっだよおおおおお!!」
なんだなんだと集まってくる扉の外もにわかに騒がしくなっていく。
静かにしてください、と看護師の人達に怒られるまでこの騒ぎは続いた。
ベネッタのハグから解放されて、アルムはようやくここが病院だという事に気付いた。
「無事に目を覚まして……無事なんだよな?」
「ごべんねぇ……アルムぐん……!」
「だ、大丈夫……」
アルムはぐったりとした表情で寝ているにもかかわらず息を切らしている。
駆け付けたヴァンもその様子に若干心配そうな視線を向けるも、受け答えには問題はないようだ。
大蛇に止めを刺したアルムが目覚めたという事で一度会いたいと希望している討伐部隊の魔法使い達が集まって騒ぎになりもしたが、今は関係者以外をシャットアウトしたのである程度騒ぎも落ち着いている。今病室にいるのはルクスとエルミラ、そしてベネッタとヴァンだけだった。
「アルムの髪の毛べちょべちょなんだけど……どんだけ鼻水こすりつけたのあんた……?」
「恥ずかしい! やめてよー!」
「まぁまぁ、それだけ嬉しかったって事……うわ……」
「ひかないでよルクスくん! ちゃんと拭くってばー!」
椅子を持ってきてアルムのベッドの周りに腰を落ち着けたエルミラとルクスを押しのけ、ベネッタは恥ずかしそうにアルムの髪に付いた鼻水をタオルで丁寧にふき取っていく。
まだべそべそと泣いたままであり、ベネッタの眼と鼻の下は真っ赤になっていた。
「それで? アルム……どこまで覚えてる?」
少し落ち着いたタイミングを見計らってヴァンが問う。
「そんな事聞くって事は……知ってるんですね」
「ああ、大蛇がぽろっと言ったからな」
「なるほど……」
ヴァンの確認は必然だ。
霊脈接続による影響が果たしてどうなっているかはアルム本人にしかわからない。ルクス達がアルムを覚えていたとしても、アルムの記憶がどうなるか確かめる方法などあるはずがないのだから。
「覚えてますよ。師匠のこともシスターのことも……みんなの事も。今日まで自分がどんな人生を送ってきたのかもね」
「よし……一先ずは安心だな。これだけは確認しなきゃいけなかった。こいつらなんてお前に忘れられてるかもとお前が起きるまで気が気じゃなかったからな」
「はあ!? 別にだったけど?」
「嘘つけエルミラ。お前もベネッタほどじゃないが、見舞いの時に泣いてただろ」
さらっと暴露される見舞いの様子にエルミラは少し顔が赤くなる。
「はぁ!? 泣いてないけど!?」
「ごめん、僕は泣いてた」
「ルクス! 黙ってればばれないじゃん!」
「あて」
頭を叩かれるルクスを見てアルムが小さく笑う。
こんな風に過ごせるのは本当に久しぶりな気がした。笑う時の振動でも体が痛みが走るが、それでもこの喜びには代えがたい。
「ミスティは……?」
「そのミスティが一番お前に忘れられるのを怖がってたからな……ちゃんとお前が起きた事は連絡した。心の整理がつけば来るさ」
「そうですか……よかった……。悪いことしちゃったな……」
少なくともここにいないミスティもちゃんと無事なようでアルムは安堵する。
早く会いたい気持ちもあるがこの体ではミスティを待つしかない。
「アルム、本当に大丈夫なんだよね? 忘れてる事がわからない、なんて事があったら流石にショックだよ?」
「安心してくれルクス。記憶は多分大丈夫だ……師匠が守ってくれたから」
「……記憶は?」
引っ掛かる言い方にルクスが眉を顰める。
アルムは何てことないような口ぶりで続けた。
「大蛇を倒した魔法の魔法式が完全に頭から消えてる。自分で作った魔法だってのにもう名前すらわからない」
「魔法、が……?」
「魔法式ごと霊脈と魔力を直結させてたからか、大蛇を倒した魔法になったからかはわからないが……俺の手から離れて星のものになったみたいだな。魔法一つですんでよかったよ」
アルムは後悔などないかのように微笑むが病室の空気が少し落ち込む。
二年前に【原初の巨神】を阻み、そして大蛇を倒した魔法……他の誰かであれば血統魔法が使えなくなったようなものだろうか。
アルムが消えるという最悪の結末にはならなかったが、やはりそれなりの代償はあったらしい。
「それより……今マナリルや他の国がどうなっているかのほうが大事だ。それに……あれからどれくらい経ったんだ……?」
少し沈んだ空気はそれでも前を向いているアルムによって切り替わる。
自分がどれだけ眠っていたのか。事の顛末は。他のみんなはどうなったのか。
アルムにとっては自分の魔法よりもそちらのほうが気がかりだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
四月中に終わらせる予定でしたが普通に無理でした……。




