幕間 -敗北-
我等は山だった。我等は谷だった。
我等は川だった。我等は神だった。
八つの首と尾、そして命を持つ龍だった。
一度目の死は明白だった。
我等を殺した神がいた。人の世を助ける神が人間を使って我等を滅ぼした。
我等は我等を殺した神よりも人間を憎んだ。
自らで手を下そうともせず、ただ毒の混じった酒だけを用意して安全圏から朗報を待つだけの脆弱な生命を蔑んだ。
自らの手で反旗を翻すわけでもなく、導かれるわけでもなく……ただ言われるがまま供物に毒を混ぜたその卑劣さに。
二度目の生で我等は毒の効かぬ存在になっていた。
魔法であり生命であり、呪詛の塊でもある存在になった我等は以前のような神威は消えたが……同時に毒など効かない肉体となっていた。
この世界の理……"存在証明"やら"現実への影響力"やら……とにかく強い生命であればあるほどそういったものに対する耐性があるらしい。
それでも念のために酒を飲む事をしなくなった。毒の入った酒を飲んで目覚めたら死んでいたのだから当然の警戒だろう。
我等の他にもこの世界を人の世から神の世にしようとしていた同類がいた。
信仰を糧にする神にとってこの世界はいわば手付かずの土地、自らの完全な復活を遂げるためにも絶好の場所だった。
復活した神によってこの世界は神代に突入する……そう思っていた。
意外にも人間の味方をする者達がいた。
人間側につく魔法生命と人間側で唯一我等に対抗できる八人……創始者達が我等を阻んだのは忘れようと思っても忘れまい。
だが、その創始者も終ぞ我等を殺す事は適わなかった。
我等を殺しに来た創始者は二人いたが、そのどちらも退けた。
……だというのに何故だ?
何故我等は二度目の死を迎えている?
有り得ない。有り得るはずがない。
何故我等のような神獣がこんな場所に……この穴に入らねばならない!?
ああ、人間は間違っている。
ああ、あの男は狂っている。
何が"分岐点に立つ者"……何が"九人目"!
あのような欠陥だらけの知性体が繁栄する理など間違っている!!
我等のような個で強大な力を持つ生命体こそが上に立ち、管理すべきだというのに!!
『あっはっはっはっは! 日の本最古の神獣もこうなっては憐れじゃなぁ?』
【き、さま――! 大百足――!!】
黒い穴に沈みゆく我等を穴の縁から見ている悪趣味な女がいた。
かちかちかち、と不愉快な音を立てている毒虫がこれ以上無い余興だと我等を嘲笑っている。
『貴様のは生き汚いのではなく、往生際が悪いというのじゃ……人間を呪うのはいい、恨むのはいい、憎むのはいい……じゃがその生存を否定するのはあまりに神らしからぬ無知といえようて』
【否定して当然だ。自らの命を平気で投げ出す危うい生命だぞ……星に君臨する生命はあんな欠陥だらけの知性体でいいはずがない!】
『君臨、か。儂らのような怪物らしい考え方じゃな』
大百足はそう言って小さく笑った。
何故だが我等は先程の高笑いよりもこちらのほうが苛立ちを覚える。
『人間は君臨する気など無い。短き命で次代に、また次代に繋ぎ繁栄を続けるだけじゃ。
互いを助け合い、時には殺し合い、愚かな間違いを何度も何度も繰り返しながらいくつもの生と死を積み上げて理想に向けて歩み続ける……そういう生命体じゃよ』
【ああ、あまりに醜い生態だ……!】
『じゃがその醜さが奴等の強さじゃよ。自らの死を受け入れられる文化の土壌があり、弱いからこそより弱い他者や大切に思う他者のために命を捧げられる生態……その在り方が一歩一歩愚鈍な歩みを続けながら理想に繋げていくのじゃ。儂を殺した男が貴様を滅ぼしたようにな』
毒を含んだようなやけに熱のある声。
自らも人間に殺されたはずなのに何だこの百足の声は。
忌々しい。ただ忌々しい。
穴の中で消滅していく我等との違いは何だ?
【間違っている……! 間違っているというのに……!】
『ああ、そうじゃ。間違っている。だから正しさを求めて進む』
【狂っている! 狂っている!! 死はこんなにも苦しいというのに!】
『ああ、そうかもしれんな。じゃが肉体の死よりも精神の在り方を奴等は選ぶ』
そんな生命に我等が負ける?
そんな生命に我等が殺される?
そんな生命に滅ぼされる?
滅ぶ!? 死ぬ!? 我等が!?
我等【八岐大蛇】が!?
『貴様の前に立つと決めるのにどれだけアルムが苦しみ抜いたと思う? 幼少からの夢に焦がれながら、その夢を捨てて貴様に立ち向かう決意が本当に脆弱なものか?』
【有り得ない……死と忘却どちらも突き付けらてなお何故――!】
『貴様などにはわかるまい? 牢獄の中で時が刻むごとに迫る恐怖に心が折れ、それでも立ち上がったその強さが。アルムは自らの意思で貴様に立ち向かう事を選んだ……奇跡など起きないとわかっていても』
【きさまは、いったい、なにがしたい……? なぜあのおとこにかたいれする――!?】
我等の精神が消えていく。
暗い穴の中で魂が溶けていく。
最後に、どうしてもわからなかった問いを大百足に投げかける。
『はぁ……あほうが。そういえば貴様は女を生贄に選んで喰らっていたな……。女心もわからぬか』
大百足はそこで初めて嘲るような目ではなく、呆れたような表情を浮かべた。
『惚れた男に肩入れしない女がどこにおる? あの男は人間を害する儂らと敵対し、生存こそ許さなかったが……ただの一度も儂らを否定しなかったぞ。貴様と違ってな』
だから……我等は負けたのか?
他者の欲望を認めた上で排する覚悟が無かったから。
理解できぬ生き方を肯定できる器が無かったから。
だから、怪物たる魔法生命と対等な殺し合いをしようとするあの男に勝てなかったのか?
ああ、わからない。理解できない。
我等の魂が溶けていく。我等の存在が消えていく。
限りある生命だからこそ、醜くも輝ける在り方があるというのか。
我等の在り方は。我等の欲望は。
――そんな在り方に負けたのか。
【他者の欲望を肯定しながら自らの欲望で破壊するか……なるほど、確かに欲深い……】
……死にたくない。
一度ならず二度までも死にたくない。
死にたくない。死にたくない。
だが不思議なことに一度目よりも憎しみは湧かぬ。一度目とは違い、馬鹿みたいに正面から向かってきた人間に敗北したからか。
ああ、やっと我等は……納得のいく死に方が、できた、のか。
『さらばじゃ大蛇。人間を呪うなら人間の疵も知っておくべきだったな……そうであれば、違う結末になっていたかもしれないというのに』
最後の最期、大蛇の魂が虚無に溶けきるその瞬間……人間に二度堕とされた大百足は手向けのように呟いた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
一区切り恒例の閑話となります。




