812.■■■■■■■■8
幻想と現実の狭間で魔力がうねりをあげる。
砲身は天高く咲く魔法式。
迸る魔力は雷のように体内を奔り、使い手の体内を焼きながらさらに速度を上げていく。
霊脈から流れ込む魔力によって繰り返される脈動、追い付くはずのない損傷を放り投げてアルムは唱える。
「世界を救え――【天星魔砲】」
揺らがぬ意思と理想への気勢を込めて放出される最大火力。
"充填"と"変換"を繰り返し、常識外の"現実への影響力"を手に入れた無の魔法が使い手の魔力を奪いながら放たれる。
三百メートルを超える大蛇と同等以上の魔力の砲撃。あまりに巨大なその砲撃はベラルタの家屋を巻き込みながら一直線に突き進む。
魔法生命と化したアルムの体すらもその反動に耐え切れず、魔力の輝きを放ちながら鮮血が荒れ狂った。
【【伝承降臨・大国霊威天昇八龍】!!】
対する大蛇も全ての魔力を懸けて自身の伝承を身に宿す。
伝承を基に構成された魔法としての肉体ではなく、かつての神獣としての肉体を一時的に別世界から借り受ける自身の疑似召喚。
大蛇の肉体の"現実への影響力"は先程の比ではない。
大蛇の肉体はより鋭く、より強靭に、そしてより巨大に。
肉体を守護する障壁が展開され、黒い鱗は黒曜よりも輝き硬く、肉体は真の龍に変生し、瞳は太陽の如く。
日の本におわす八百万全てを霞ませる神秘。
霊脈に接続した際に使う予定だった魔法生命としての真の切り札を展開する。
「あああああああああああああああああ!!」
【じゃあああああああああああああああ!!】
ぶつかりあう"人が為の物語"と"神が為の神話"。
天を裂き、大地を割るかのような常識外の魔力の衝突。
魔力の光が街を照らし、衝撃だけで家屋が崩れていく。
目の前で見なければ誰も信じないような人間と怪物の衝突はまるで物語の幻想。しかし目を逸らしてはいけない現実として目の前で繰り広げられる。
(ば、かな……! 馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な!!)
数秒の拮抗に大蛇が呪詛を吐く。
何故拮抗している!? 何故押し殺せない!?
こちらはかつての姿、自身を依り代に完成された神獣の時代の躯体を再現した人間の心を完璧までに折る威光。
確かにあの人間は霊脈に接続した。だが流れ込む膨大な魔力を人間が完璧に扱えるはずがない。
だというのに……何故この姿になった自分と拮抗するのかと――!
【何故……暴走しない――!?】
アルムの砲撃は容赦なく大蛇を守る障壁を破壊し、鱗を焼き砕いていく。
再生と膨大な魔力で対抗するもアルムの放つ砲撃はさらにその上をいった。
何故霊脈から流れ込む魔力を使いこなせるのか。
彼は無属性魔法という道しか選べなかったがゆえに、幼い頃から"星の魔力運用"によって魔法の三工程を繰り返し続けた基礎の結晶。どれだけ魔力が膨大であろうとどれだけ無茶であろうとも関係無い。
彼の魔力を操る技術はこの場の誰よりも神懸っている――!
「かっ……はっ……! あ……あ……!」
人間との拮抗という屈辱に耐える大蛇と同じようにアルムの表情もまた苦悶に染まっていた。
自分の夢よりも大切な他者の幸福を心の底から願った少年でさえ今を襲う苦しみには後悔がよぎる。
魔力の氾濫によって肉が裂けた痛み? 感覚の無い手足? どちらも違う。
異変はアルムという人間を構成する記憶という情報の波の中。
記憶が浮かび上がっては消え、また浮かび上がっては消えていく。
それを自らの手で行っているという現実が耐え難かった。
シスターと教会で過ごした日々、師匠と花畑で交わした言葉。
ミスティへの思い、ルクスからの友情、エルミラとの時間、ベネッタの信頼。
まだ残ってる。まだ残ってると自分の記憶を抱きかかえる。
次の瞬間に何が手の中から零れていくかわからない恐怖に耐えながら最大の魔力をアルムは魔法に叩きこむ。
「アルム!!」
エルミラの声がする。自分を安否を案ずる声。
その声がアルムの力に。
…………エルミラって、どんな顔だっけ。
記憶が黒く塗り潰される。
第二寮でなんてことない会話をした時間が、流れ込んでくる別の記憶にすり替わる。
エルミラの顔を思い出そうとして、思い浮かぶのは知るわけもない戦争の記憶。
アルムの脳内で起こる記憶の再生のエラー。塗り潰した別の記憶がアルムという人間を壊していく。
胸の奥でずきりと痛む音がした。
「あ……! ぁ……! ああ……!」
アルムの瞳から冷たい涙が流れ続ける。
必死に抱きかかえているはずの記憶が、大切に思っているはずの記憶が魔力と一緒に流れ込む星の記憶に塗り潰されていく。
寮長はなんて名前だっけ?
コーヒーが好きなあいつの名前は?
ミスティの家にもう一人住んでいたのは誰?
後輩達の好きな魔法は?
ラーディスって男だっけ? シラツユの顔は?
ミレルにいた魔法生命ってどんなやつだった?
ミスティの姉の名前は? 紅葉はどんな姿だった?
ガザスの女王はラーニャで合ってる? マルティナとどこで出会った?
大嶽丸の武器は? 何で戦った?
トヨヒメって人は一体どこから来た? クエンティって誰?
ダブラマで……何が起きた? マリツィアは何ができるんだっけ。
スピンクスと何の話をしたっけ。
グレースの演劇はきっと……楽しかった、ような。
グライオスって……人がいた気がする。
次々と消えていく記憶に歯を震わせながら、流れ込む魔力をアルムは受け入れ続ける。
そうしなければ勝てないのがわかる。拮抗では大蛇は倒せない。
核無しでも首を蘇らせる異常な再生能力。千五百年の眠りで得た魔力量。
魔法から伝わる感覚がアルムを虚無に向かって走らせる。
「負げ、るがあああああああああ!!」
流れ込む魔力を最大最速で魔法式に叩きこむ。
神経を焼く雷のように荒れ狂う魔力と流れ込む記憶がアルムを蝕んでいくのを感じながら。
近付いてくる誰の心にも残らない疵の無い死。
心が凍り付いていくような寂しさが抱きかかえた記憶の代わりに押し寄せる。
思い出そうとした誰かが全て黒に。思い出そうとした出来事が知らない風景にすり替わっていく。
名前が思い出せなくなる人。姿だけしかわからない誰か。
出会う喜び。別れの悲しみ。怒りの対立。何でもない時間の心地よさ。
心の中に大勢いた人達が。敵も仲間も、覚えておきたい人達の顔が、名前が……消えていく。消えていく。消えていく。
個が星に塗り潰されていく恐怖を押し殺し、今日まで夢と一緒に歩んだ記憶を薪にして。
心に灯った光を無に落としながらアルムは進む。
大蛇の言うように、歩みの度に自分が死にいく生き地獄。
忘れる恐怖と忘れられる恐怖を味わいながらも、それでも止まる事はできない。
【む……がが……ががががが!!】
そのアルムの異変に魔法を通じて大蛇も気付く。
ぶるぶると震える血塗れの体、今にも恐怖で押しつぶされそうな精神。
盤石なのは魔力だけ。だが人間の体は魔力だけで支えられるほど強くはない。
【ががががが!! やはり人間に霊脈を受け止める事など不可能! 我等は貴様を直接下すまでもない! 貴様が死ぬまで耐えればいいだけの事! 言ったはずだ! 何も成せずに野垂れ死ねとな!!】
「あ……ぎ……っ――! ぁ……ああああ!!」
悪意も敵意もなく、ただ霊脈の機能がアルムをアルムたらしめる欠片を塗り潰していく。
誰も憎めない。どこにも敵がいない。
戦意すら抱かせてくれない理にアルムはゆっくりと殺され続ける。
大蛇はそれを待てばいいと拮抗する魔法の衝突を歓迎した。
アルムという人格を星の記憶が塗り潰すのを待てばいいだけだと。
「アルム……くん……!」
ベ■ッタの声が聞こえる。
あれ? どんな名前だっけ。
元気で……えっと。
「アルム! アルム!!」
ルクスの声……ルクスって?
金髪で……そうだ、友達だ。友達のはずの人だよ。
「『アルム!!』」
ミスティ、何でそんな心配そうな声をするんだ。
大丈夫。大丈夫だよ。
最後まで立ってられる。俺は教えて貰ったから。
俺はここにいていいんだってみんなに教えて貰ったから。
「今ならわかるよ……師匠……」
消えていく記憶の中で、それでも誰かの幸福を祈れた自分がいた。
誰にも気付かれるはずがなかった無価値。
誰にも望まれずに生まれた無意味。
誰のためでもなく死ぬはずだった無駄。
そんな命で終わるはずだった自分がこんなに苦しい思いをしても止めようとしないのはきっと忘れてしまったみんなの事が大切だったから。
あの花畑にしか居場所がなかった自分の夢はもうとっくにここにある。
「『――っ! 頑張って!! アルムっ!!』」
慟哭のようなミスティの叫びが遠く聞こえる。
震える声には背中を押したくない本音を隠す優しさと愛が込められていて。
……ミスティ?
ミスティって……?
「あ、れ……?」
その声に何故そんな温かい思いが込められているのかもわからなくなった。
シスターって、えっと。
カレッラってなに。
師匠……? 師匠って何の話?
■■ッタ、ルク■、エ■■ラ。
誰の名前? どんな人?
ミスティ。
ミ■ティって?
「アルムくん!!」
「アルム!!」
「アルムっ!!」
「『アルムっ!!』」
声が聞こえてくる。誰の声だろう。
そうだ。俺は戦っている。
これだけはやり遂げる。
俺はアルム。この世界を守る魔法使いになると決めた。
俺はアルム。
俺は……アルム。
■ルム。
……ア■ム?
……ア■■って。
――■■■って、誰だっけ。
最後に残るほんの僅かな自我。
星と一体化し、生命から外れたただの機構。
理にすらなりきれない曖昧な存在へと変わりいく中、少年だったものは知る。
無とは白ではなく真っ黒な色をしているのだと。
 




