811.白の平民魔法使い7
【狂っている! 狂っている!! 何故受け入れる!? 何故手放す!?】
ベラルタの街に散開する討伐部隊の血統魔法をその身に受けているのも気にせず、大蛇は一心不乱にアルムのいる霊脈を目指す。
大蛇の鱗に血統魔法が直撃する轟音の中、大蛇は激昂する。
【遺すためならわかる! 自己の保存が目的というのならわかる! だが貴様はそれを手放すのだぞ!? 命とは自らを取り巻く世界に接続する権利! 自らの生で最初に勝ち取った自己の証! どれだけ時代を重ねても変わらないもののはずだ!】
「あるんだ……! それを捨ててでも、守りたいものが……!」
【そんなものはありはしない!!】
「あるからここにいるんだ!!」
互いの視線は交わっても、その"答え"は決して交わらない。
頂点の怪物ゆえに自己を投げ捨てる事を理解できない大蛇。
弱い生き物だからこそ自己を投げ捨てる覚悟を決めた人間。
――"自己犠牲"という最も悲しく最も尊い人間らしさ。
怪物なりの理屈で理解しようとした大蛇ですら、アルムの行動は理解が出来ない。
死と忘却。自分の存在が血筋にも記憶にも残らない生命として残酷な結末。
自分の生を無意味にしていいはずがない。無駄にしていいはずはない。無価値なものに書き換えるなど常軌を逸している。
大蛇の混乱を加速させるように、アルムの魔力は加速する。
右腕から伸びていた白い魔力の線は両腕に。そして胸に。やがて足まで。
本来ならば脳内で描かれる幻想のカタチ。現実を構成する輝きが魔法生命に変わったアルムの体に刻まれていく。
「っ、っぶ……!」
せり上がってくる赤い液体がアルムの口から零れる。
いくら肉体を魔法生命に変えたところで無理をしている事に変わりはない。
膨大な魔力はアルムの体で暴れ、壊しながら駆け巡っていく。
"星の魔力運用"――師から教わった唯一の道がアルムの眼前に開いている。
それでも――
「足り……ない……!」
迫る大蛇の存在が自分の魔力をもってしても届かないのを理解する。
唯一の自分の美点、幼い頃から霊脈に浸っていた生き方が生んだ膨大な魔力量。
大蛇はその美点すら遥かに凌駕する本物の怪物だと。今の今までミスティ達と戦い、核をいくつか失った今の状態ですらアルム一人では完全に届かない。
「すげえよ……ほんとに……!」
血と一緒に口から零れるのは手放しの賞賛だった。
他の生命を凌駕する"存在証明"。人間が生み出す魔法を遥かに凌駕する"現実への影響力"。
大蛇もまた自分の夢に生きた生命……大蛇の吐く言葉の節々から感じられる生命としての誇りがその壮絶さを思わせる。
千五百年前に創始者と戦い、生き延び、現代で復活するまで眠り続ける。
人間を矮小と断じている大蛇がその選択をするのがどれだけ自身の誇りを傷付けるものだったか。それでもこの星の神になるという理想のために、大蛇は現代まで眠り続ける道を選んだ。
だからこそアルムに対する大蛇の怒り……いや失意だろうか。
「きっと、お前は正しいよ」
大蛇の言葉はあまりにも真っ当で、アルムは否定だけはしようとしなかった。
「けど――俺も、正しいと思う事をしているんだよ大蛇」
自分も正しいのだとアルムが譲ることはない。互いの出した答えは常に正しく、常に間違っているものだから。
両者は共に生命。両者は違う存在。
同じ星に在り、同じ場所に立たぬ者。
どちらもは有り得ない――アルムは大蛇の理想を許さない。
「"霊脈接続"開始」
「『やめてええええ!!』」
轟音とミスティの悲鳴がこだます中、アルムは魔法生命に変生した事で生やした尾を大地に突き刺す。
自分で絞りだした魔力だけでは足りない。大蛇には届かない。
一度、大嶽丸を倒した際に行った愚行。
アルムの体と霊脈が繋がる。膨大な魔力量を持つアルムをして膨大と感じる魔力が尾を通じてアルムに流れ込み始めた。
【ああ、度し難い……本当に貴様らは馬鹿な生き物だ。貴様は人間だ! 貴様らは人間なのだ!
卑劣さを隠すこともなく、無惨な死を積み重ねてきただけの知性体だ! 繁栄で勘違いしたか!? 貴様らはただ生き汚かっただけに過ぎない! それが強さだと勘違いしたつもりか!? 星を担う未来は貴様らには来ないというのに!】
「俺は今を守るためにこの道を選ぶ。俺を生かしてくれた……俺を幸せにしてくれたこの優しい世界を未来に運ぶために今を救う! 愚かでいい! 無惨でいい!! 俺はこの欲望を持たせてくれたこの世界があってほしい!!」
【後悔しろ"分岐点に立つ者"……生きながら地獄を味わい、そして消えるがいい】
アルムを見る大蛇の黄金の瞳には怒りではなく憐憫を湛えていた。
自分が見てきた中で最も愚かな生き物の選択。
やはり人間は間違っているという結論を改めて自分の中に出した。
自己よりも他を優先してしまう在り方の歪さと……悲惨さを直視しながら。
「――――」
アルムの体から魔力の線が伸び、床に魔法式が描かれていく。
霊脈から受け取った膨大な魔力によって次に放たれる魔法の"現実への影響力"はかつてない規模になるだろう。
床に描かれた魔法式はそのまま中空へと伸びて魔法式そのものを巨大な砲身にすべくその形を描いていく。
――異変はすぐに訪れた。
「か……っぁ……」
自己を世界に繋ぎとめる楔。
個を確立させる伝承。
星の超常を受け止めきる生命の器。
群としての繁栄を選んだ人間にはそのどれもが存在しない。
魔力と共に流れ込む星の記憶が、アルムという人間を塗り潰し始める。
「みん……な……!」
失意の底から立ち上がるために牢獄の中で思いを馳せた思い出。
アルムという人間を作り上げたみんなと繋がる記憶が……無惨に黒く上書きされていく。
あの風を使う大人はヴァン先生だ/ヴァン先生って誰だっけ?
学院長がいない/学院長の名前は?
フ■リアは無事か。ネロ■ラが人を運んでる。
ヴァ■■トは片腕がなくなるまで頑張ったのか。■ン■リーナとフ■フィ■はどこに。
記憶と記憶が繋がらない。覚えているはずの友人の顔は思い出せても名前が思い出せない。
代わりに、全く知らない記憶が再生されていく。途切れた記憶と記憶の境界を埋めているかのように静かな森や荒れる海……アルムという人間に全く関係ない光景が。
「はっ……! ぁ……! ぁあ……。あ……。」
アルムの瞳から涙が零れ、かちかちと歯を鳴る。
肉体の死ではなく精神の死がひたひたと近付いてくる感覚。
今から自分はこうやって一つずつ自分を形作る記憶を消していくのかと思うと内臓が締め付けられるようだった。
手足の末端まで鋭く繰り返す激痛も、荒れ狂う魔力による体の軋みもこの苦しみに比べればさざ波のよう。
拾い上げた宝物を一枚一枚引きちぎって捨てるようにアルムは進む。
忘れられるという事は、自分も忘れるという事。
それが消えるという事なのだと思い知りながら。
「これだけは、やり遂げる……から……!」
嫌だ。嫌だ。嫌だ! 嫌だ!!
駄々をこねる子供のように本能が拒絶し、自死しろと叫ぶ。
今ここでやめれば自分はきっと人間らしく死ねる。アルムという人間として死ぬ事ができる。幸福を胸に抱いて、よくやったと称賛されながら旅立てる。
こんなに苦しむ必要はない。こんな思いをする必要なんかない。だって普通はこんな事する必要ないんだから。
今すぐに頷けばまだ間に合う。そんな誘惑がアルムを襲う。
「"変換……式、固定"――!!」
それじゃ駄目なのだとアルムは震える声で誘惑を振り切った。
自分の魔力と流れ込む魔力を完璧に操り、魔法式を完成させる。
その魔力操作は長年の努力がなせる技術。夢を目指して歩んだ結晶。
大蛇の眼前で魔法式が花開く。中心には根付いた記憶が形作る花の砲身。
アルムの象徴たる魔法式が大蛇の眼前に現れる――!
【なんだ……この馬鹿でかい魔法式は――!】
現れた巨大な魔法の前兆に大蛇は狼狽を隠せない。
よぎるのは千五百年前の記憶。あるいは幻影。
自分に立ち向かってきた人間の面影をその魔法に見る。
過去という彼方に消えたはずの天敵。今代まで残り続ける歪と断じた在り方。
再び立ちはだかる人間の結晶を前に大蛇もまた退くことはない。
【いいや、我等は今その在り方を否定する!! これで終わりだ"魔法使い"! 九人目! 分岐点は我等のもの!! その理想を抱えながら……人間の時代を終えるがいい!!】
「ぁ……あああああああ!!!」
自身の理想に向けて突き進んでいく大蛇。
辿り着けば当然人間は敗北する。
大蛇の霊脈の接続は人間に対する決定打。
大蛇はこの星の神へと至り、人間の時代は終わって神の時代へと。この瞬間はまさに星の分岐点。
互いの未来が決まる数分に大蛇も吠える――!
「はぁ……! っ……!」
……生きたい。
心の中で欲望が零れる。
――誰か助けて。
あまりの恐怖に口から願いが零れそうになる。
そんな誰もが口にしていいはずの言葉すらも噛み殺さなければいけないほどに自分の決意が紙一重だと知っていた。
弱音以上の理想を糧に突き進んで――!
「"放出用意"っ!!」
引き返せる最後のタイミングが過ぎ去っていく。
記憶が消えていく恐怖を味わってなお少年は理想に向かって走ると決めた。
今日もできなかったと肩を落としながら見上げる夜空。
成果の出ない日々の不安を照らすのは天に咲く星々。
花畑で続ける何年もの練習の日々の中――幼少のアルムに明日を思わせたのはそんな星からの光景。
ただ一代。たった一度だけ。この瞬間だけ。才無き身で放たれる血統魔法。
奇跡無き星の上で、一人の平民は確かに辿り着く。
次の瞬間その偉業が彼方に消えるのだとしても、少年は魔法を唱える。
「世界を救え――【天星魔砲】」
次代を切り開く"魔法使い"として――!




