808.絶望の終点
「勢いが増していく……」
戦線の後方で怪我人を治癒魔法で癒すログラは最前線の勢いが激しさを増すのを眺めて呟く。
モートラ家の血統魔法は精神を落ち着かせるだけというあまりに戦いに向いていない血統魔法ゆえに、ログラが前線に出る事はない。
それでも大蛇がここまで来れば覚悟を決める必要がある。怪我人を守れるのは自分だけだ。
「ログラ……先生……」
「エルミラくん? あまり動かないほうがいいですよ。魔力の枯渇は体に負担が……」
「ベネッタが……何か、言ってる……」
エルミラは魔力の枯渇で苦しそうなままゆっくりと起き上がると、隣で寝かされているベネッタのほうに目をやる。
確かにベネッタは寝ながら口を動かしているようだった。治癒は終わっているため起きてもおかしくないが、まだ意識が朦朧としているのか起き上がる様子はない。
ログラは駆け寄って、何か欲しいものがあるのかと耳を傾ける。
「だ……め……。……ちゃ……め……だよ……」
「ベネッタくん? 大丈夫ですか?」
「……くん……。……め……よ……」
途切れ途切れで耳をすませてもベネッタが何を言いたいのかはわからなかった。
瞼は閉じたまま、それでも誰かに何かを伝えたいのか……その口はずっと動いていた。
「畳み掛けろ! ここしかない!!」
怒号に近いヴァンの号令がベラルタに響く。
指揮権をクオルカから渡され、一歩引いて戦場を俯瞰していたヴァンはそんな号令を魔石に向かって叫びながら自分も前に出る。
「学院長がやつを縛ってクオルカ殿がこじ開けた!! 首の再生をされる前に最大火力を叩き込め! これ以上の好機はもう来ない! 一気に畳み掛けろ!!」
「『はあああああああああ』!!」
その号令にミスティが先陣を切る。
大蛇の頭より巨大な氷塊を頭上に作り上げ、そのまま振り下ろす。
【『火裁・灼炉』!!】
壱の首から放たれる火炎が落ちてくる氷塊を溶かす。
オウグスの残した"自立した魔法"はあくまでベラルタに向けた攻撃を封じるもの、空から降る氷塊は対象にはならない。
「【雷光の巨人】!!」
涙を流しながらルクスは今日最も"現実への影響力"の高い血統魔法を作り上げる。
雷そのものと化した雷の巨人が陸の首の核向かって雷鳴を轟かせた。
陸の首と漆の首が合わせてその雷を止めている。
「【風声響く理想郷】!!」
「【天鳴の雷女神】!!」
立て続けに唱えられる歴史の声。
白い鳥の背に乗るサンベリーナは横から陸の首向けて女型の巨人で攻撃を始め、ヴァンの血統魔法による嵐のような斬撃が残る弐の首を襲う。壱の首を相手するミスティと合わせて……捌の首以外の核を一人一殺できれば状況は一変する。
後を続くように討伐部隊が魔力を絞りだして放つ血統魔法が大蛇を襲う。
討伐部隊の各小隊から放たれる四十近い血統魔法に加えて、主力であるミスティ達による渾身の血統魔法。
その全てが大蛇に放たれ続け、ベラルタに大気を揺るがすような轟音が響き渡る。
「いけ……!」
これで決めるとヴァンは魔力を注ぎ込む。
マナリルが誇る魔法使いの犠牲を無駄にできぬと。
「いって……! お願い……!」
サンベリーナが祈る。
力不足なのはわかってる。それでもここを守りたい思いは変わらない。役に立てと握る拳に力がこもる。
「『い、け……! いきなさい!!』」
ミスティも声を荒げる。
彼を守るために魔力も意思も全て込めて。
「いけええええええええええええ!!」
涙を流しながらルクスが吠える。
父の死を悲しむ前に父の思いを受け取り全てを守れと。
大蛇と戦った全員の奮闘が今この好機を作っている――!
【いやはや……確かに思った以上の抵抗だった。そんなに首の再生が気に入らないか?】
血統魔法による轟音が響き渡る中、人間の必死を嘲るように……捌の首は憎たらしいほどの余裕をもって声をあげた。
【絶望せよ――【天照再生・蛇心神々】】
次の瞬間ルクスの【雷光の巨人】の雷を浴びながら陸の首が唱えた。
陸の首から放たれる白い魔力光が大蛇に収束して――魔力は失った首の再生と変わって放たれる。
クオルカが命と引き換えに破壊した参の首、そして二度破壊した肆の首が再び大蛇の本体からぼごぼご、と不快な音を立てて生えた。
「っそ……! くそ……! くそ……! くそおお!!」
【ががががが! 我等は龍であり蛇! 死と再生を司る者! この程度の切り札はあって当然だと思わなかったか!?】
首の再生はすなわち手数そのもの。
再生した首は全霊の魔力を込めて放たれたルクスやヴァンの血統魔法の軌道に割り込み、まだ核のある首の代わりに魔法を受け切る。
やがて血統魔法に魔力を注ぎ込め続けられるわけもなく……全員の血統魔法の勢いは首にダメージを与えはするものの核に届くことなく受け切られ、そのまま消えていった。
「『そん……な……!』」
「もう、魔力が……! それ、でも……!」
「ぜっ……! っ……!」
「サンベリっちももう魔力が……!」
「なんとかしろおお!」
「ちく、しょう……!」
大蛇が解放した膨大な魔力の余波が突風と変わって巻き起こる。
接近していたルクス達も討伐部隊の小隊も吹き飛ばされ、大蛇はもう障害は無いと進みだす。
ずるずる。ずるずるずる。
再生した首も合わせて、ベラルタの街を我が物顔で大蛇は進みだす。
馬車の待合所もパン屋も雑貨屋も大蛇の巨体に轢き潰されていく。
霊脈までの道はさながら勝利のウィンニングランのよう。
「終わりだ……」
「勝てるわけ……なかったんだ……」
誰かが呟いた絶望が部隊に伝播していく。
今以上の好機がこれから先訪れるとは思えない。なにより、討伐部隊全体の魔力ももう限界で大蛇の首の度重なる再生で心も折れている。
後出来る事といえばこのまま逃げ出すか、勝てるはずなかった怪物相手によく戦ったと残り少ない命で健闘をたたえ合う事くらいしかないのだと。
「まだだ……! まだ、負けてない……!」
【がががが……死に急ぐ必要はない。我等が霊脈に辿り着くまでは生きられるのだ】
ヴァルフトの血統魔法も消え、移動手段も失ったルクスはふらふらと屋根の上に立つ。
血統魔法の連続使用による魔力の消耗……血統魔法はもう使えず、その手には雷獣の爪が形作られていた。
「う……あ……」
「サンベリ……っち……。ヴァル……フト……」
「……」
サンベリーナは魔力切れで倒れ、ヴァルフトは気絶していて動かない。
フラフィネはルクスの後ろで最後の力を振り絞り、サンベリーナに覆いかぶさる盾になるように動く。
それしか出来ない自分を呪いながら、ふらふらと大蛇に向かっていくルクスの背中を見る。
去年自分が変わるきっかけになったエルミラの背中と同じ。諦めないその背中を。
だがその先には絶望しかない。
千五百年前に現れた魔法生命。創始者ですら倒しきれなかった怪物。
動かすのもやっとの体で、その重圧を浴びて意識が飛びそうになる。
【まともに動けるのはかえしうすとずっと後方で我等を睨んでいたそこの……そよ風しか出せぬ男くらいだろう。もう諦めろ。かえしうすの魔力が尽きればそれで終わりだ】
「っ……!」
「『"凍れ"』!!」
ミスティの声で大蛇が氷漬けになる。
大蛇の言う通り、まだ戦える魔力が残っているのはミスティとヴァン、そして後方にいるログラくらい。
ヴァンの血統魔法は大蛇の言う通り大蛇の巨体には意味が無く、ログラに戦闘能力は皆無……実質ミスティしか残っていない。
ルクスも戦意こそあるがその戦意に応える魔力がない。
【それで? 次の手はあるか?】
「く、そ……!」
氷を砕き大蛇は進む。
止められるのはミスティだけ。ヴァンは自分が操る突風をぶつけるがやはりびくともしない。
【あるのか?】
何度凍らせても大蛇を倒せるわけではなく、止まるわけでもない。
氷漬けにしても巨大な氷壁で進路を塞いでも大蛇は止まらない。
八つの頭でベラルタの至る所で膝を屈している人間を眺めて大蛇は嗤った。
【無いのなら諦めよ。失うなど貴様らにとっては珍しい事ではなかろう。今ここが貴様らにとっての"分岐点"……人間の繁栄は違う形を遂げるだけだ。我等という星の神の下にな。ががが……がががが! ががががががが!!】
勝利を確信した哄笑。
もう邪魔をする者はおらず、霊脈に接続すればそれでこの星の運命は決まる。
――ようやく辿り着いた。
喜悦に満ちた大蛇の笑い声で満ちる中――
"ワオオオオオオオオ!!"
――どこかから、狼の遠吠えが聞こえた気がした。
笑いながら、大蛇はその遠吠えの方向を見る。
ベラルタの西にある城壁の上。
そこにはここにいるはずのない男がいて――。
【馬鹿な――!】
大蛇はすぐにありったけの魔力を壱の首に集中する。
白い狼に乗っている黒い髪に黒い瞳の少年。
自分の敵になるはずで、ここに来れるはずがない者がそこにいるのを見るや否や自分の切り札の一つを切った。
【――【裁火這食・八日炎丘】!!】
壱の首に集中していた魔力が解放される。
空と雲を焼き、夕暮れのように赤く変える天変の災火。
生命を生きたまま火葬する炎がたった一人に向けて放たれた。
「カーラちゃん! お願い!」
【女の声――!?】
白い狼は大蛇が敵視する少年を乗せて走る。
迫りくる城のような炎の渦は城壁の上だけを焼いて、白い狼はその白い毛が燃え焦げる前にベララルタの街のほうへと飛び降りた。
――違う。
自分があの姿を見間違えるはずがない。そう思いながらも明らかにその声が違っていたと断言も出来る。
大蛇はその真相を確かめるべく、ベラルタ向かって飛び降りた少年をそのまま凝視した。
「あ……! づああ!! 眼が……! け、ど……予想通り、本気で力を使ってくれたわね……!」
男の姿が少女のものへと一変する。
変身ではない。これは――
「私の血統魔法【誇り無き敵】……まんまと騙されてくれたかしら?」
【幻影だと――!?】
白い狼――魔獣エリュテマを駆る少女はフロリア・マーマシー。
魔力の余波で焼かれた片目を押さえながら、フロリアは自分の血統魔法を誇る。
その血統魔法は相手の敵意を通じて視覚を誤認させるだけの魔法。
たったそれだけ。たった数秒。星をも騙すショータイム。
「主役と脇役を見分けられないなんて……よっぽど焦ってたのかしら? それともこんな魔法は初めてだった?」
【我等に通じる幻影などあるはずが――】
「退場するのは脇役ってね。一回分の力は使わせたわよ……しっかり決めてよね」
【主役……? まさか……】
呪詛で焼かれた目を抑えながら、フロリアはエリュテマにしがみ付いて大蛇の視界から離脱する。
その隙にベラルタで動く白い影があった。
「ネロエラと……エリュテマ……!」
「乗せろ! は、早く!」
動けなくなったサンベリーナ達の下に走ってくるエリュテマ達。
ネロエラはサンベリーナ達を慣れた様子で背中に乗せ、ふらふらと大蛇に向かっていくルクスも攫うようにエリュテマに乗せる。
体力も魔力も限界だったルクスはほとんど抵抗できぬままエリュテマに乗せられてその場を離れた。
「なんで……なんできた!!」
助けに来たエリュテマに対する声――ではなかった。
ルクスの声は震えている。たった一人に向けて。
「あの……馬鹿……!」
後方で起き上がるエルミラも気付く。
ここにいるべきでない誰かがいる事を。
「きちゃ……駄目だよ……」
その隣で倒れているベネッタも存在を感じ取る。
「『なんで……何であなたという人は……!!』」
そしてミスティは初めて大蛇から視線を外して、後ろを振り返った。
後ろにあるのはベラルタ魔法学院。自分達が守ろうとした場所。
そこには――!
「何でって?」
いてはいけない……自分達が来させようとしなかった少年の声。
黒い髪を揺らして、黒い瞳は揺るがず。白を基調とした制服を纏って、最も相応しい場所に彼は現れる。
「助けにきたに決まってる」
ベラルタ魔法学院の校門前で門番のように立つのは学院唯一の平民アルム。
少年は死と忘却の恐怖に震えながら――自分が歩んできた人生の終点にこの場所を選んだ。
いつも読んでくださってありがとうございます。
お待たせしました。




