807.ずっと君を
「ミスティ殿頼む!」
「『"凍れ"』!!」
ミスティの声が世界を変え、大蛇が再び凍る。
何度かの大蛇だけを対象とした世界改変。消費する魔力は尋常ではなく、ミスティの表情にも疲労が浮かび始めるが大蛇を拘束できるのはもうミスティしかいない。
氷の中で笑う大蛇もそれはわかっている。
「とりあえずこの隙に接近するがどうすんだ!?」
「そのまま行けヴァルフト! やる事は変わらない! 再生した首を無視して他の首の核を狙う! いくら他の魔法生命より格上だとしても魔法生命の核がすぐに再生するわけがない! あれは膨大な魔力を使って僕達を折る為のハリボテ……力を振るうだけの首の可能性が高い。相手をすれば僕達が疲弊するだけだ!」
「確かに……すぐに核まで再生するのなら千五百年も眠っていた理由が説明つかないですわね」
大蛇がそんなに早く核まで再生し万全の状態になれるなら創始者全員がいなくなった後に復活すればいいだけのこと。
霊脈に接続すればそれでこの星の神になれる魔法生命がこの時代まで復活を遅れさせる理由はない。ルクスの言う通り、復活した首が万全である可能性は低い。
「元から大蛇は本体が現れる前も各地に首だけを出現させてる! あの魔力だ。本体から首を生やすくらいおかしくない! 僕達の攻撃は間違いなく効いてるんだ!」
「だけど討伐部隊も万全じゃないし、エルっちがいないから火力が足りない! 言っとくけどうちとサンベリっちの血統魔法じゃ大蛇の鱗を破壊するので精一杯だし!」
『そこは私に任せて貰おう』
「父上!?」
通信用魔石から届くクオルカの声にルクスは地上に目を向ける。
人造人形を駆ってベラルタを走るクオルカがそこにいた。
「父上! 部隊の指揮は!?」
『ヴァン殿に預けた。私はエルミラくんの代わりというほど魔法生命に対する経験はないが、攻撃力だけなら不足はないはずだ。ミスティ殿の氷が溶けると同時に討伐部隊による血統魔法の一斉攻撃が始まる! その攻撃に乗じて私が大蛇に取りつき引き付ける!』
「しかし……!」
『ルクス達に比べて討伐部隊の消耗が激しいのだ。援護できるタイミングはもう限られている! 少ないチャンスを活かせルクス! 狙いは光属性の首と風属性の首だ! 鬼胎属性の首から離れている分、呪詛による対応も遅くなろう!』
「……っ! 了解!」
大蛇の氷がひび割れる。
同時に、ベラルタに散る討伐部隊達の魔力が膨れ上がった。
数少ない魔力を血統魔法という自分の切り札に乗せる。
『総員! 放てえぇ!!』
魔石から聞こえてくるヴァンの号令と共に氷が砕け散る。
四十近い血統魔法が一斉に、氷が解かれた瞬間の大蛇目掛けて放たれる。
【ぬううう……! 悪あがきを……】
ベラルタの所々から聞こえる歴史が重なる声。
大蛇が意にも介さぬ人間達の血統魔法が同時に大蛇に襲い掛かる。
荒れ狂う炎の波、大地を揺らす岩石の獅子、降り注ぐ氷の羽根、光り輝く剣閃、脆く変える黒い霧、雷で形作られた狼の群れ、そして全ての衝撃を大蛇に向けさせる信仰の盾とヴァンによる突風の障壁。
大蛇から耳を壊すかのような轟音が響き渡る。
――俺達も"魔法使い"だ。
一時恐怖に屈した意思が最後の誇りを魔法に乗せて大蛇に届く。
「【雷光の巨人】!!」
「【雷光の巨人】!!」
大蛇が魔力を防御に回したその瞬間、同じ名の血統魔法が重なる。
一つは空から、一つは地上から。
同じ名であってもその形は違う。
空を裂く巨大な雷そのものと化した巨人と、使い手が乗り込む巨大な騎士。
討伐部隊の放った血統魔法による衝撃に乗じて、二つの血統魔法は大蛇に取りつく。
「はっはっは! はーはっはっはー!!」
大蛇の視線は高らかな笑い声の主へ。
鱗が剥がれて、再生が始まっている大蛇の巨体にクオルカを乗せた十メートルを超える雷の巨人がとりつき剣を振るう。
「見るがいい! 一騎当千! 万夫不当! マナリルが誇る四大貴族オルリック家が最強の魔法! 【雷光の巨人】の輝きを!!」
大蛇が垂れ流す魔力をものともせずに核に向かって突き進む。
進みながら雷の剣を大蛇に突き立てており、軌跡のように黒い血が噴き出していく。
クオルカは高らかに笑いながら髭を撫でる。
「やはり再生した首に意思はないようだな! ルクス! 当たりだ! そちらは光属性の首を狙え!」
『了解!』
参の首に向かう途中、再生した肆の首を切り裂く。
大蛇は再生した首を他の首の盾にしていたのか、討伐部隊によってダメージを与えていた肆の首は流した雷と斬撃によって首が半分斬られ、消滅していく。
破壊の余波かクオルカに氷塊の雨が降り注ぐものの、クオルカの乗る雷の巨人を傷付けるような威力は当然無い。
ルクスに指示を出しながら、クオルカは予定通り風属性を司る参の首を破壊するべく大蛇の巨体を進んでいく。
「む……ぐ……」
心臓が早まる音がする。
突如ぐらつく視界。何らかの干渉をされている事にクオルカは気付く。
首元を裂くような視線が、捌の首からクオルカに注がれた。
【我等は呪詛そのもの……我等に直接触れて、ただですむと思ったのか?】
「ぬ……お……」
鵺よりも遥かに巨大な殺意の重圧。
全身に刃物を突き立てられているかのような。
それでもクオルカは止まらない。
「こんな老体も殺せぬ呪いなどたかが知れている! 行け【雷光の巨人】!」
"オオオオオオオオオオオ!!"
【貴様……】
視界が歪んでいても関係ない。血統魔法は使い手の意思に呼応する。
使い手の意思に呼応し、雷の巨人は参の首を目指す。
陸の首に迫るルクス、そして上空からタイミングを計るミスティ。
大蛇が見なければいけないのはこの三人。注意すべきはルクスとミスティだが……自身の体にとりつく羽虫を大蛇は優先する。
【後悔するがいい――【山陰落陽・八谷深淵】】
大蛇から間欠泉のように突如噴き出す黒い魔力。
鬼胎属性ではなく闇属性。噴き出した魔力は雨のように大蛇に降り注ぐ。
「ヴァルフト! 離れろ!!」
「ちっ! もう少しで首だってのに――!」
「いや! ここから狙う!」
降り注ぐ魔力一つ一つが浴びれば体を蝕まれる闇属性の呪詛。
ベラルタではなく人の精神だけを蝕む呪いの雨が大蛇を包んでいく。
……当然、大蛇にとりついている人間が無事で済むはずもない。
「【雷光の巨人】――!?」
降り注ぐ呪いの雨に蝕まれるクオルカの乗る雷の巨人。
紙に落ちた水滴のように、大蛇の魔力が雷の巨人の魔力を蝕んでいく。
クオルカを乗せた雷の巨人はやがて向かっていた参の首の前でその動きを止める。
【まずは邪魔な貴様だ。我等の神聖な体を這う蛆虫ごときが】
「お……おお……おおおおおおおおおおお!!」
大蛇の魔力に"浸食"され、魔法として満足に動かすことができなくなった雷の巨人に向かってくる大蛇の口。
大きく開かれた口腔が雷の巨人ごとクオルカを噛み砕く。ばちばち、と雷属性の魔力が音を立てるが……そんな抵抗は虚しく雷の巨人は参の首に噛み砕かれていった。
「父……上……」
「そんな……!」
【がががが! 惜しかったな……我等の能力は全てが使えぬわけではない】
その光景は当然、ミスティやルクスの目にも入る。
討伐部隊による一斉攻撃に乗じた核の破壊……先陣を切ったクオルカの末路に一瞬、絶望が顔を覗かせる。
大蛇はミスティやルクスの表情を見て満足そうに笑うが……大蛇の様子を見ていたヴァルフトが参の首を指を差す。
「おい! あの首の光は!?」
「あれは……!」
大蛇の首から放たれる黄色の魔力光。
さっきまではなかったその光の正体は――
「はーはっはっは! このクオルカをその程度で殺せたと思うたかあ!!」
光の正体は【雷光の巨人】が破壊される瞬間、大蛇の口内へと自分から飛び込んだクオルカ・オルリック。
その輝きは大蛇の口から喉を超えて、首をなぞるようにどんどんと奥へと進んでいく。
【我等の体内にだと!? 馬鹿な人間が! 呪詛の塊たる我等の体内に入って正気を保てるわけが――!】
「愛の前では呪いなど無力! 我が役目は未来ある若者の道を切り開く事と見たり! マナリルの未来を切り開くその役目――このクオルカ・オルリックも果たして見せよう!!」
吠える。呪詛の波に精神を侵されながらクオルカは吠える。
触覚は無く痛覚だけが何倍にも膨れ上がり、鼓膜は破れ怨嗟の声が脳内で囁いた。
"クオルカ様"
"父上!"
それがどうした?
自分にだけ聞こえる家族の声が怨嗟をそよ風に変える。
膝を屈する必要などない。諦める必要はもっとない。
私の背中を見ろと大蛇の体内でクオルカは自然に笑みを浮かべる。
どれだけ惨めな末路を迎えたとしても、たった二人だけに誇られればそれだけでよかった。
この声を思い出せる限り、クオルカという人間は決して折れることはない。
【無意味に死に行け! 愚かな者よ!! 核に辿り着けるわけがない!!】
「できぬ相談だ! 我が命にはすでに意味がある!! 私という"魔法使い"の在り方を!」
【我等の恐怖は生命の根源に届くもの! 生きながら死に絶えよ! 怯えながら無様を晒せ!】
大蛇の魔力がクオルカのいる参の首に集中する。
浴びた呪詛の雨をたった一人を殺す為に注いで、黒い雷のようなものがほとばしる。
「死への恐怖!? ははははは! 生きればルクスに! 死せば妻に会いにいける! だというのに何を恐れる必要があろうか!」
激流のように魔力が流れる首を進みながら、黒い魔力がクオルカの体を這う。
全身の骨にノコギリを入れるような激痛が走り、目はもう見えない。自慢の髭は吐血した血で真っ赤に染まっている。
それでも……その在り方だけはどれだけの呪いであっても損なわせることはできなかった。
「たかだか千五百年の呪いごときが!! この私を殺せても……止めることなどできるものかあああああああ!!」
突き進んだ先にクオルカは辿り着く。
視界はなくても感じる魔力の塊。伝わってくる歪な生命の鼓動。
黒い魔力で全身が染まる中、クオルカはその鼓動に向かって全霊をかけた。
「――『鳴雷ノ爪』ぇ!!」
【か――ぁ】
核に突き刺さる雷獣の爪。同時にクオルカを蝕んでいた呪詛が体内で炸裂する。
大蛇の首一つ分の呪詛を全身に受けた状態で攻撃すれば体が無事でいられるはずもなく……参の首の消滅と同時に、クオルカの体もぼろぼろと崩れ落ちていく。
自分の死を確信して、それでも最後までクオルカは笑みを浮かべていた。
"クオルカ様"
ようやく君が笑って逝った理由が分かった。
最愛の妻、最愛の息子……何も悲しむ理由がない。
私の人生は幸せだったと、胸を張れるからこそ笑顔になれたのだ。
"クオルカ様"
君の声がこんなにも近い。
幻聴でも嬉しかった。思い出のなかにいる君がこんなに。
……何だ? 手が温かいような気がする。
さっきまで何の感覚も無かったというのに。
"クオルカ様、また……アオイにお供させてくださいませ"
……ああ、何だ。待っていてくれたのか。
君はずっと美しいままなのに、私はすっかり老けてしまったよ。
君に話したい事がある。
君に聞いてもらいたい事がある。
君がいなくなってから色々あったんだ。
君がいなくなってからずっと、ずっと……ずっと――!
――ずっと……君を愛していた。
涙を流す私を見ながら彼女は相変わらず太陽のように笑ってくれた。
――私も君のように、ルクスに何かを遺せただろうか。
それを知る術はもうなくなってしまったがそれでも……妻と息子が誇れる男で在り続けるように、私はこの人生を生きたのだ。




