804.灰姫はここにいる8
「動いた……! 鬼胎属性の首……!」
「エルミラお気を付けを!!」
サンベリーナとフラフィネ、エルミラの三人は大蛇から離れる。
今まで動きの無かった捌の首。そしてミスティ達が最も警戒している首。
魔法生命の本質は呪詛……恐らくはあの首が大蛇の本体であろう。
大嶽丸という特殊な能力で核を守られていた魔法生命のケースから、他の首を破壊し終わるまではあの首への攻撃が無駄になる可能性があると判断して他の首を優先していたが……動くのであれば対処しなければいけない。
【甘く見ていたな。この時代の魔法生命を屠ってきただけある。我等の首を二本、いや"自立した魔法"に蝕まれた漆の首も合わせれば三本か。これだけ持っていかれるとは思わなかった。それも警戒に値しないと判断した人間にだ】
(こいつだけ明らかに雰囲気が違う……やっぱりこいつが本体……!)
存在だけで肌を刺すようなプレッシャー。身の毛もよだつような魔力。
冷たい井戸の底に沈められたかのような息苦しさがエルミラを襲う。
二つ目の核の破壊で上がった士気はどこへやら……好機にも思える今、討伐部隊は恐怖を押し殺して呼吸を整えるので精一杯。
逃げ出さないのは大蛇の瞳がエルミラに狙いを定めていたからだった。
【貴様が一番厄介だもどき女――いやエルミラ・ロードピス】
「私が知り合いに似てるのがずいぶん気に食わないらしいわね……? エルミラちゃんみたいな絶世の美女が他にいるとは思わないけど?」
エルミラはてきとうな受け答えをしながら討伐部隊の体勢を整えるよう魔石に小声で話しかける。
精神状態によってはパニックが伝播して陣形が崩壊寸前の小隊すらあるだろう。
大蛇の強固な鱗を剥がすのにも一苦労している今、効率的に核を破壊するためにも討伐部隊を失うわけにはいかない。最悪、恐怖で逃げ出すのはいいが無理にとどまって食われでもしたら大蛇の"現実への影響力"が上がってしまう。
今のうちに方針を決めてほしい、とエルミラは采配を他に託す。
相手は鬼胎属性……次の瞬間、呪詛をかけられてもおかしくない。周りを気遣う余裕は流石に無い。
【話している隙に他の人間が落ち着く時間を作るのか? それともあの白い鳥に乗っているアオイの血筋に我等の核を狙わせるのか? それとも背後にいる女二人と……それはないか。片方が限界そうだ】
「え……!?」
エルミラは肩越しに背後を見る。
「ぇ……! っ……!」
「フラフィネさんしっかり……!」
そこにはサンベリーナに支えられているフラフィネ。
度重なる血統魔法の使用による魔力の低下とエルミラの近くにいた事で大蛇の魔力をまともに浴びてしまったのが影響したのか様子がおかしい。極寒の雪山に捨てられたかのように唇が青く震えている。
【貴様と同じ立ち位置で戦うには精神力が限界だったようだな。発狂しないだけそこらの羽虫よりはましだが】
「……二人共下がって。こいつは私をご指名みたいだから」
「っ……。ご武運を……!」
サンベリーナだけなら引き下がったかもしれないがフラフィネの異変が顕著なせいか、サンベリーナはフラフィネを抱えて下がった。
【そうだ。我等の狙いは貴様……エルミラ・ロードピス。我等を焼けるもの……貴様が厄介だ】
「!!」
大蛇の黄金の瞳に魔力光が宿る。
エルミラはすでに唱えている血統魔法によって自分を炎に変えた。
エルミラの体は血統魔法によって呪詛を焼く炎に変化している。生半可な呪詛ならば燃やして灰にし、反撃の爆炎を叩きこむ事が可能。
今まで動かなかった捌の首の力をミスティとルクスに見せるためにもエルミラは自分に向けられた力を返り討ちにする気で構える。
【ゆえに、貴様以外の者を狙うとしよう】
そんな覚悟を大蛇は悪辣に踏み躙る。
自分に立ち向かってくる"魔法使い"という存在がどんな生命かをよく知っているがゆえに。
【――【八雲暗澹・呪血糜爛】】
捌の首以外の残った首が耳に残る不愉快な声を上げて、魔力が大蛇全体を纏う。
何かの名前を唱えると共に、大蛇から魔力が溶けだした。
大蛇という源流から流れる汚泥のようにゆっくり、ゆっくりと魔力は赤黒い靄のようなものへと変わっていく。
大蛇本体から徐々に広がっていくが、オウグスの残した"自立した魔法"が機能しないという事はベラルタをどうこうするものではない。
変化はすぐに訪れた。
大蛇の一番近くに陣取っていたっ討伐部隊の小隊――先程エルミラと一緒に伍の首を攻撃した第五小隊の悲鳴があがる。
「ひっ……! な、なんだこれ……なんだごれえ!!」
大蛇から逃げるように大通りに出てきた隊員の一人が腕を押さえている。
見れば、押さえている部分がただれていて赤い斑点が徐々に広がっているようだった。
「あああああああああ!!」
「逃げろ! 逃げろぉ!!」
「だずけ……! だずげて……!」
遅れて逃げてきた隊員の面々にも同じような跡がある。
最後に逃げてきた一人は他の隊員とはもう足並みも揃っておらず、ゆっくりと一人で大通りに出てきた。
「あ……。み、んな……逃げ……ろ……」
「――!!」
その隊員の右腕が腐り落ちたようにぼどっと石畳に落ちる。
よく見ればすでに右目があるべき場所も空洞になっているようだった。
右半身全体が赤くただれている所を見ると、大蛇の赤黒い霧をまともに浴びてしまったのだろう。もしくは仲間を守るために盾になったのか。
まさか、あの気味の悪い魔力の靄に触れるとああなるのかとエルミラは戦慄する。
【我等が本来司る水害は大地を蝕むもの。だが我等の呪詛は人間に対するもの。土地も建物も侵さない。人間だけ溶け爛れよ。肉塊だけが転がる無人の都市へと変えてくれよう】
「あんたっ――!」
【さあ……どうする? エルミラ・ロードピス?】
捌の首はエルミラを見て憫笑する。
赤黒い靄から逃げている小隊ではなく、エルミラを見て。
大蛇が自分に何をさせたいかがどうしようもなくわかってしまい、エルミラはぎりっと歯を鳴らす。
どれだけ不愉快な意図であれ……これから大蛇の思い通りになってしまう事に苛立ちを感じながらもエルミラはその不愉快な意図通りに動くしかなかった。
「――ッ!! あああああああああ!!」
血統魔法による火炎を目一杯広げるエルミラ。
この赤黒い靄が呪いだというのならエルミラの血統魔法で焼くことが出来る。
しかしその全てを焼き尽くすにはどれだけの魔力がいるのか。城壁付近から満遍なく広がっていく赤黒い靄全てにエルミラは炎を飛ばした。
「駄目だエルミラ! 罠だ!!」
上空で難を逃れているルクスがエルミラの無謀な行動を見て叫ぶ。
「言われなくてもわかってるっつうの!!」
罠だとわかっていても、エルミラは決して止めることはなかった。
小隊に迫る赤黒い靄を燃やして、すでに呪いに侵された人々にも炎を飛ばして呪いを消し去る。
赤黒い靄から支配圏を奪うように、呪いだけを焼く炎は燃え盛り……呪詛の代わりに灰が舞う。
ベラルタを赤く染め上げるのは呪いではなくエルミラの炎。
捌の首から放たれる呪いをエルミラは全て燃やし切る。
その頃には小隊も大蛇から離れ、クオルカの指揮によって新たに陣形を立て直し始めていた。
【がががが。あまりに予想通りで助かるよエルミラ・ロードピス。かえしうすの世界改変では呪詛を消滅しない……であれば貴様がやるしかないな?】
自分の呪詛が全て灰に変えられて、捌の首は満足そうに笑う。
エルミラは防ぎ切った。放置すればベラルタ全体を包み込むかもしれなかった捌の首による呪いの展開……地上で陣取っている百人以上の討伐部隊の全滅を救った。
その道が大蛇に誘導されていた道だとわかっていたとしても。
「かっ……! はぁ……! はぁ……!」
エルミラは顔を歪めながら立っていた屋根の上で膝をつく。
呼吸は荒く、視界は揺らいで焦点があっていない。ぶるぶると体が震えるのは疲労によるもの。
理由は誰に問うまでもない。捌の首の呪詛を燃やし尽くすために無理に自分の炎をベラルタに広げた代償……そんな無茶をすれば当然、魔力は一気に枯渇する。
あのまま放っておけばたとえ逃げ出せても恐怖が伝播し、討伐部隊の精神状態は戦うどころではなかっただろう。
あのまま放っておけば小隊全員の皮膚が赤く爛れ、腐り落ちて死んでいたかもしれない。
もしかすれば"飛行"ができないサンベリーナやフラフィネにまで危険が及んだ可能性もある。
エルミラになにもしないなどという選択肢は無かった。
そして、それを大蛇もわかっていた。
【創始者達が残した"魔法使い"という在り方……貴様は絶対にそうすると思っていた】
「この……くそ、へび……!」
大蛇の笑みを口汚く罵ってエルミラはその場に倒れる。
エルミラが倒れたのを確認して、捌の首以外の首が赤黒い口腔を見せた。
【千五百年前と同じで愚かだな。"魔法使い"を倒す効率的なやり方は――何かを守らせる事だ】
「はっ……守らせる……? 勘違い、すんじゃねえわよ……」
エルミラは腕をゆっくりと動かして……大蛇向けて中指を立てる。
「あんたに、どんな意図があろうとも……何度……あんたが糞みたいな呪いを撒き散らそうとも私は……同じことをする……! 私が、私の意思で!」
【それが貴様らの欠陥だ。愚かな生命体よ】
ベラルタを照らしていた炎は消えて、舞っていた灰は地に。
対魔法生命の主力の一角――エルミラ・ロードピスはここに落ちた。
動かぬエルミラ向かって裂けた口を広げた首が襲い掛かる。
それを目の当たりにしてなおエルミラは恐怖も後悔も抱く事は無い。
いつも読んでくださってありがとうございます。
後十話以内には決着となります。




