801.星生のトロイメライ8
大蛇は魔力となって霧散していく肆の首を凝視する。
たとえ首が一つ消えようとも絶命などしない。魔法生命【八岐大蛇】の核は八つある内の一つが残っていればいい。最後の一つさえ残っていれば残り七つは後々再生することができ、魔法生命のルールから外れるほどの生命力がある。
だからといって破壊されていいわけでも、破壊された事に納得できるわけでもない。
相手は人間。
相手は有象無象。
そんな存在に、自分の首が一つ――!
【がががががががががが!!】
肆の首が消えるのを見て喜ぶ討伐部隊の歓声をかき消すような笑い声が響き渡った。
今までのような愉悦で零していたような笑い声ではなく、肌を切り裂くように鋭い殺意が込められている。
その笑い声を聞いているだけで全身に鳥肌が立つような悪寒が走り、喜んでいたはずの討伐部隊の面々は一瞬で恐怖に染められる。
首を一つ破壊して希望が見えたはずだ。
見えた、はずなのに……残りの七つが笑いながら蠢く様を見て、一瞬だけ見えた希望が閉ざされていくような気すらした。
「そ、空が……!」
誰かが気付いて空を見上げる。
降り注ぐ朝日が、どこからか訪れた分厚い雲に閉ざされていく。
「こ、これは鵺の……? いや……!」
【あのような紛い物と一緒にするな】
大蛇の瞳がぎょろりと肆の首の血に塗れたルクスに視線を向けた。
ルクスを運んでるヴァルフトは視線に気付き、すぐに大蛇から離れる。
【安心するがいい。これは我等の力ではない。あやつのように夜を呼んだわけでもないとも……ただ我等の感情が揺れ動いた影響で天候が変わっただけのことだ】
「感情……だって……?」
【ああ、怒りを覚えたのは千五百年ぶりだ……がががが……!】
上空を閉ざすのは灰色の雲。
確かに鵺の時のような夜の再現とは程遠い。
だが、ルクスの驚愕はすでにそこから離れている。
感情が動いただけで天候が変わる。そのスケールに驚愕していた。
【我等とした事が遊び過ぎた。じゃれつかれているだけならば余興かとも思ったが……どうやらそうもいかぬらしい】
「!!」
大蛇の視線がベラルタへと向いた事にルクスは気付く。
いや、正確には城壁にいるベネッタに。
すでに満身創痍の友人に対する明確な殺意を感じ取る。
「ベネッタだ! ベネッタを狙ってる!!」
「【雷厭・下界】」
壱の首が雲に魔力を送り、今度はそこら中に雷が降り注ぐ。
正確には大蛇の引き起こす雷に似た術だ。
遠くの空に雷は見えない。ここら一帯だけに降り注ぐ大蛇の怒りそのもの。
怒りを帯びた笑い声で鼓膜を突きながら、有り余る魔力を術に変えて撒き散らしている。
【あの女だ!】
【アポピスを殺した女……そして我等の首を奪った女!】
【軽々しく我等に触れた代償を払うがいい!!】
中でも城壁に向かって降り注ぐ雷の数は特に多く、そこに自然現象には無い殺意が宿っている。
十、二十、いやもっとか。
灰色の雲はいつのまにか黒雲へと変わり、雷は獣のような形に変わりながら城壁で治癒を受けているベネッタ向かって降り注ぐ。
「『させない!!』」
降り注ぐ二十の雷はミスティの一声で現れた氷壁に阻まれる。
戦場にはごろごろと後を引く雷鳴と破裂するような氷壁を削る音が鳴り響いた。
【がががが!! そうすると思っていたよ】
【がががががが!! 人間の特性だな】
「なに――!?」
ミスティがベネッタの守りを固めるのを見て大蛇が動く。
巨体に相応しい鈍重な動きだがそもそものサイズが巨大。少し動くだけでベラルタへの距離は縮まっていく。
お遊びは終わりだと言わんばかりに、大蛇はベラルタへ向かって侵攻を再開した。
「ミスティが守っている間に進む気――!?」
「違う! ミスティ殿に魔力を使わせるためだ!!」
【わかっているようで結構! それで? わかった所で我等の狙いを止められるのかな?】
【我等は貴様らを殺せば勝利ではない……霊脈に接続できれば勝利なのだ。かえしうす以外は所詮は人間の範疇だろうに!!】
ぐばぁ、と壱の首と弐の首が口を開ける。
血のような色をした口腔が一生不気味に感じる。
それぞれ赤と黄の魔力が集中しており、視線は再びベネッタを狙っていた。
「おいやべえぞ!」
「ヴァン先生! お願い!!」
「【風声響く理想郷】!」
懇願のようなエルミラの叫びと同時に、城壁にいたベネッタとログラを風で拾いあげる。
二本の首から放たれる熱線と閃光、そして黒雲から降り注ぐ獣の形をした雷を弾き、すぐに飛び上がってその場を離脱した。
「ぐっ――!」
熱線と閃光は城壁に命中し、城壁はがらがら、と音を立てて崩れ落ちる。
城壁だった瓦礫は熱で溶け、そして焦げながら転げ落ちていく。
敵の侵攻を阻む城壁もあくまで対人間を想定した設備に過ぎない。
三百メートルを超える怪物とその能力には当然耐えられない。むしろ、被害が城壁だけですんでいるだけ城壁は優秀だったのかもしれない。
「くそっ……! こんなペースで血統魔法を使ったら――!」
「ヴァン殿! ベネッタくんの治療ができないのでもっと近くに!」
「贅沢言うなログラ!!」
想像以上のペースにヴァンは舌打ちしながら風をコントロールして体勢を整える。
大蛇の魔力は未知数。対してこちらは人間の範疇。
こちらで人間離れしている魔力を持っているのはミスティくらいなもの。ヴァン自身も魔力量は多いほうだが、血統魔法を連発して問題無しと言える余裕などあるいはずがない。
「ぎゃあああああああ!?」
「ごぶ……!」
「があ、ざ……!」
「お、おい! おいいいいい!!」
そんな一瞬の思考の間にも戦況は変わっていく。
時間が経てば経つほど人間側は不利になる……それは魔力量の問題だけではなく、精神のほうも。
ここまで奮闘してきた討伐部隊の面々の中から、大蛇の魔力に耐え切れなくなった者が出始める。
呪詛の塊である大蛇が怒りの感情と共に発した魔力は想像以上に討伐部隊の魔法使い達の精神にダメージを与え、首を破壊して上がった士気は一瞬にして急降下していく。
「怯むなぁ! 陣形を立て直す! 第五は第七の援護に回れ! 第三、第四は左翼に展開! 眼球を負傷している地属性の首への集中攻撃を仕掛ける!」
前線で指揮し続けるクオルカの声が通信用魔石から響く。
感情で天候をも変えてしまう怪物に恐れを抱くが、魔石から聞こえる声となけなしの気力を振り絞って討伐部隊もまた戦場に展開する。
「クオルカ様! 正面を空けることになってしまいます! 敵の侵攻を止めなければ……!」
「君、この状況であれの正面に行けと命令されてどうだね?」
「……」
第三小隊と合流しようと人造人形を走らせる中、クオルカの静かな答えに連絡員は無言で生唾を飲み込む。
ただでさえ恐怖に呑み込まれそうなこの状況でその命令は確かに受け入れがたい。魔法を使える精神状態でいれるかどうかも怪しかった。
「どちらにせよ、正面にいたところであんなのは止められん」
クオルカは大蛇がベラルタに向かって進むのを見ながら魔石を起動する。
「オウグス殿。手筈通り、城壁前までは侵攻を許していいんですな?」
『ええ、我が学院の生徒が最高の仕事をしてくれました……あのままあの場所に留まられて遊ばれてるだけで魔力を浪費させられるだけでしたからねぇ』
被害や攻撃の苛烈さはともかく、大蛇がベラルタを目指す状況は想定通り。
むしろ想定より状況はいいと言える。八本ある首が七本になったのだから確実に弱っていると考えれば少しは気も楽になるというもの。
「では手筈通りに」
『了解です。クオルカ様もご武運を』
クオルカはオウグスとの通信を終えると、すぐさま討伐部隊全員に通達する。
「総員、対象大蛇のベラルタ侵入後、馬を捨てて人造人形に乗り換えろ。市街戦だ。先陣はベラルタ魔法学院学院長オウグス殿が切る」




