800.翡翠色のエフティヒア10
「ヴァン先生! 万が一攻撃来たら防御お願いします!」
「はっ……何する気だ?」
「無茶します!!」
「お前ら無茶しなかったことあるのか?」
「あはは! 確かにー!」
上空で待機しているヴァンに声をかけ、ベネッタは杖を握る力を強めて双眸を開く。
隣でベネッタの様子を見ていたログラはその瞳にぎょっとする。普段治癒魔導士らしい落ち着きと柔らかさを兼ね備える表情が少し強張った。
(これが噂に聞く……!)
開かれたベネッタの眼は銀色の輝きを宿す魔の瞳。
自分の眼を媒体に魔眼に変化させるのではなく、魔眼そのものを自身の眼にしてしまうという異質。
かつて数えきれないほどの人体実験の末に禁止された魔法による人体部位の生成……その到達点の一端に隣の少女が辿り着いている事にログラは驚愕を隠せない。
ログラは昔いたであろう魔法使い達を否定することはしなかった。人体の欠損を魔法で補うというのは誰しも夢見る発展だ。治癒魔導士ならばなおのこと。
しかしその発展を叶えるにはあまりに犠牲が多すぎた。怪我人や病人に対する無理な魔法の行使、果てには実験台が足りないと健康な人間をわざと欠損させるという手段に出始めたその研究は結果は出せずに禁忌とされた。
今では魔法による人体部位の生成は狂気の実験として語られる。
――ならば隣の少女は?
ログラは初めて見るベネッタの瞳に恐怖を抱く。
恐らくはその実験が求めた夢。
眼球という繊細な部位を作り上げ、視界としての機能まで果たす完成された魔眼。
しかも、自分で潰した眼球をもう一度作ればいいという発想で生まれている。
これが狂気と言わずして何だというのか。
隣に立つベネッタという少女に比べれば、当時の研究者は狂っていたのではなくただ倫理感が薄かっただけではないかとうすら寒くすら思う。
「ログラ先生!」
「は、はい!」
生唾を飲み込みながら観察する中、突然名前を呼ばれてログラの体が跳ねる。
ベネッタに目を向けられると心の内まで見透かされる気がするが、ベネッタの眼にそんな力はない。
「多分ボクここで倒れちゃうので治癒お願いします! 流石に死にたくはないので!」
「え? な、なにを?」
「あー! ログラ先生ったら話聞いてませんでしたねー?」
「も、申し訳ありません……して何を?」
「言ったじゃないですかー、無茶するって」
ベネッタは明るく笑って後を託す。
自分がこれから何をやるか誰よりも自覚しているからこそ。
自分の魔法では大蛇の核を破壊などできない。
でも、手助けだけは出来る。
「今回は別世界に向けて干渉とかしなくていいから……ちょっとは楽かなー」
これから自分に降りかかるであろう惨劇を想像して強張る。
楽かな、という呟きは強がりだったのかもしれない。
「ルクスくん! エルミラ! いくよ!! 無駄にしないでよねー!」
『ああ!』
『いつでもいけるわ!!』
大蛇の周囲は大蛇がばら撒いた魔力の雨で乱雑としている。
討伐部隊は降り注ぐ魔力の雨の対処に追われ……エルミラは自分の魔法で大蛇に出来るだけ近付き、ルクルもヴァルフトの白い鳥に乗ってタイミングを計っている。
狙いは決めている。
出来るだけ長く、それでいて自分達の障害になるであろう首。
全てを捉えられればそれに越したことはないが、流石にリスクが大きすぎる。
求められているのは確実な状況の打破。
であれば、無茶は確実な無茶に押さえなければとベネッタを大蛇を見据える。
「その首が……一番邪魔だー!」
狙いは水属性の肆の首。
先程の洪水のような大規模攻撃を見てもエルミラの火属性を考えても干渉できるであろう首でもっとも邪魔な首。なによりまだ無傷。
なら、この一手で刈り取ろうと――死神の鎌のごとき視線をベネッタは向けた。
「命を掴め――【魔握の銀瞳】ぁ!!」
"変換"によってその眼の"現実への影響力"が命を捉える。
重苦しい哄笑を響かせ、人間の必死の抵抗を蔑むように見ていた大蛇はその異変に気付き……肆の首の笑い声はぴたりと止まった。
【な……に――?】
初めて、本物の戸惑いが大蛇の顔に現れた。
完全に停止する行動。
生命の根幹を握られているような感覚。
肆の首は黄金の瞳で周りの首を見るが、周りの首は変わらず人間を嘲笑っている。
大蛇が持つ八つの首はすぐさま情報を共有できる。
だが大蛇にとっても初めてである有り得ない事態が肆の首に認識を遅らせた。
大気の固定? 空間内の時間停止?
思い浮かぶ神の御業は冷静さを欠いた証。
人間はまだそんな地点に至っていないという事さえ刹那の中忘れた焦りか。
【我等の命に……触れるだと――!?】
肆の首は自身を襲う異端の正体を憎々しく叫ぶ。
人間如きが自分という神獣の本質に触れた怒り。
高次の生命たる自分達への冒涜を魔法から感じ取った大蛇はその魔法を通じ全魔力を使い手へと注ぎ込む。
【アポピスをやった女か――!!】
「あ……ぐぎ……ぁあああああああああああ!!」
血統魔法を通じて使い手であるベネッタに大蛇の魔力が届く。
眼球の中を掻き毟られるような不快感と神経を焼くような激痛。
ぶちぶちとちぎれるような音が耳元でつんざくように走る。
眼球から流れる赤い液体は明らかに異常の信号だった。
「ベネッタさん!?」
突如起きた異変に隣のログラも狼狽する。
ベネッタは痛みを抑えるように頭を両手で抱えるが、その視線の先にいる大蛇からは目を離さない。
流れる魔力は大蛇の呪詛。
眼から通じて走る激痛を悲鳴で紛らわせて何とか耐える。
痛い。痛い。痛い。
痛みを可視化するならば眼孔の中を刃物でえぐられているような。
目を閉じてこの痛みが消えるのなら喜んで目を閉じたいとすら思う。
「なんだ……大した、事……ないなあ!!」
【この……余計な加護が、邪魔をして……!】
強がりを声にして笑みを浮かべる。
ベネッタの体を黒い魔力が渦巻く。
並の人間ならばとっくに死んでいてもおかしくない呪詛の量だが絶命は遠い。
ベネッタ自身の精神力ともう一つ。それはベネッタを守護する加護。とある契約を結んで紡いだ縁が大蛇の呪詛を阻み続ける。
"耐えなさい小娘! あんな醜い蛇の呪いくらい!!"
魔法生命メドゥーサの魔力残滓がベネッタに語りかける。
ベネッタの体はアポピスとの地下遺跡での戦いの後、メドゥーサの血によって復活したもの。
魔力残滓は霊脈ではなくベネッタの体に刻まれ、呪詛を弾く加護となって残っている。
ベネッタと大蛇……どちらに味方するなどメドゥーサにとっては言うまでもない。
"私が味方になってあげてるのよ? 耐えられないほうがおかしいでしょうに!"
「えへへ……百人力だぜー……!」
大蛇の核に触れた反動でベネッタの瞳がひび割れ始める。
その瞬間、どれだけの激痛が走ったのかは想像できない。どれだけの惨劇がベネッタの頭の中に流れ込んできているだろうか。
だがそれでもベネッタは笑った。かすかに見えた友人達の姿が肆の首に向かっていくのを見て。
大蛇の他の首はようやく、肆の首に起きた異変に気付いた。
【何だこれは!?】
【気色が悪い……この視線は……】
【我等を止めているだと!?】
――だがもう遅い。
誰かを手助けするなどという発想が大蛇にはない。ましてや自分ともあれば。
生命として強大すぎるゆえの致命的な意識の差がそこにはある。
魔力の雨をかいくぐり、肆の首の根っこ……ベネッタの血統魔法によって無防備となった核の部分まですでに到達している人間が二人いる――!
「【雷光の巨人】!」
「【暴走舞踏灰姫】!」
空気を焼く雷と爆炎。
大蛇の鱗をルクスの雷の巨人が粉々に砕き、爆炎が呪詛ごと肉を焼く。
肆の首はすかさず魔力を展開して防御するが、この勢いが止まることはない。
「焼け焦げろおおおおおおおおおお!!」
「ぶった……ぎれええええええええ!!」
【馬鹿な――! あれだけの時間をかけて復活させた我等の首を――!!】
肆の首は最後の光景を遠い城壁にいる少女に選んだ。
大蛇からすれば有り得ぬ伏兵。ルクスやエルミラからすれば当然の信頼。
ベネッタ・ニードロスは向けられた大蛇の視線を笑い飛ばすように、
「どんな……もんだい……!」
【あんな小娘に――】
首の根本で【雷光の巨人】の雷が肆の首の核を切り裂く。
想定すらしていない不意打ち。自分を完全に止められる存在がいたなど想像もしていなかった甘さが八つの内の一つを砕く。
【馬鹿な!?】
【我等の……首が……!】
【創始者でも……"分岐点に立つ者"でもない奴等に破壊されるだと!?】
大蛇の核は残り七つ。
核を失った肆の首はただの魔力となって霧散していき、戦場に降り注いでいた魔力の雨が勢いを少し失う。
同時に――
「ベネッタくん!!」
ベネッタは眼孔から血を流しながらその場に倒れる。
大蛇の首一つと引き換えに、血統魔法で作り上げた魔眼は粉々に砕かれ……ベネッタはこの場における戦力としての価値を失った。
ログラはベネッタの体を支えてすぐさま治癒を施し始める
「ボク一人と……首一つ……へへ……お釣りがくるよ……」
「あなたは……なんという……!」
眼は砕かれ自分の血に塗れようともその在り方に一切の陰り無し。
ベネッタ・ニードロスは宣言通り、状況を打破する一手となった。
「まだ、みんなで……卒業してないもん……」
普通の未来を夢見ながら、ベネッタは友人達に後を託す。
あまりにもありふれたその願いを聞いていたのは友人だけでは無かったが……誰もその願いを馬鹿にする事は無い。
少女の幸福は今も変わらず、ありふれた日々を過ごす事だった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
頑張った。




