797.星生のトロイメライ5
「ファニア様及び部隊員三名は無事戦線を離脱致しました!」
「三十の部隊がファニア殿含めて残り四名……壮絶だったのは間違いない。よくぞ耐え切ったものだ。おかげでミスティ殿の血統魔法一回分を温存できた」
離脱したファニアに賞賛を送りながら、討伐部隊の指揮を務めるクオルカは杖を振るう。
「総員散開! 魔法生命との接触を避けて応戦せよ!!」
「了解!!」
クオルカの命令を受けて隊列を組んでいた討伐部隊は各小隊ごとに散る。
見上げれば大蛇の巨体。そして眼下の生命を品定めするような八本の首。
魔法生命と相対したことの無い人間は戦意喪失してもおかしくないが……ミスティの血統魔法による先制攻撃の影響が大きいのか全員が騎乗型の人造人形と馬を駆って大蛇の周りに陣形を維持しながら展開した。
【がががが! 我等と離れるのはいい判断だが、それで我等をどう止める? 人間の指揮官?】
「その為に彼等がいるわけだ」
クオルカは信頼から笑い飛ばす。
散開する部隊の上空。空を舞う白い鳥が舞った。
「いくぜぇええ!」
「【雷光の巨人】!!」
白い鳥を駆るのはベラルタ魔法学院の制服を着た二人。
ヴァルフト・ランドレイトの血統魔法【千夜翔ける猛禽】に乗ったルクスが血統魔法を唱え、雷の巨人を大蛇の首向けて唱えた。
『ルクスくん! 核が八個ある! 首に一個ずつ!』
耳に装着した通信用魔石から聞こえるベネッタの声。
血統魔法によって大蛇の核の数を見抜いたのだろう。
つまりは、八回殺さなければ大蛇は止まらない。
「想像したくなかったけどやっぱりか!」
「大嶽丸ってやつみたいに壊す順番があるなんて言わねえよな!」
「そうじゃない事を願うさ!」
大蛇の壱の首が口を開き、飛び交うヴァルフトに狙いを定める。
口内に魔力が凝縮され、雲を焼くような火炎が放たれた。
「ヴァルフト!!」
「あたるわけねえだろ!!」
ヴァルフトは二人を乗せる白い鳥を操り、火炎の渦を躱す。
"飛行"の特性を持ち、周囲を飛び交う白い鳥はいかに大蛇といえどもわずらわしいのか真っ先に狙ってきた。
「引き裂け! 【雷光の巨人】!!」
"オオオオオオオオオオ!!"
一早く大蛇に取りついた雷の巨人が剣を大蛇に突き立てる。
巨大過ぎる大蛇の体に大してルクスが操る雷の巨人は十メートル程度……それでも【雷光の巨人】の"現実への影響力"は大蛇を攻撃できる力を持っており、雷属性がこれでもかと込められた剣は大蛇の鎧のような鱗を引き裂き、黒い血を噴き出させた。
ただ取りついた場所で暴れるのではなく、ルクスの指示によって魔力の余波を躱しながら雷の巨人は剣を振るう。自分の鱗を切り裂く斬撃は流石に無視できないのか、地属性の力を持つ伍の首が雷の巨人のほうをぎょろっと見た。
「第二! 第三! 撃てぇ!」
クオルカの号令で眼下の討伐部隊から目を離した伍の首に向けてすかさず二つの小隊が血統魔法が唱える。
その全てが火属性と光属性。"変換"された魔法の形は様々だが、大蛇への殺意だけは一つとなって伍の首へと放たれた。
【ぬううううう!? 我等の鱗を?】
放たれた複数の魔力光は瞬くように伍の首の側面に命中した。
速度のある光属性が黒い鱗を先に引き裂き、火力の高い火属性が引き裂いた鱗の先にある肉を焼く。
大蛇もその結果に驚いたのか、少なくとも伍の首は動揺を含む絶叫を上げた。
一つの血統魔法では恐らくその黒い鱗に弾かれて終わりに違いない。だが複数を同時に放つ事によって、属性による速度差を活かした時間差攻撃が大蛇に明確な傷を与えた。それがたとえ致命になり得ぬとしても、自分達の血統魔法が怪物に通じたという事実は士気を上げるには十分すぎる。
大蛇の他の首が伍の首に傷を負わせた部隊のほうに視線をやる。
だが……見るべき方向がそちらではない事に、大蛇はすぐ気付いた。
「【暴走舞踏灰姫】」
灰を纏い、爆炎で空中を無理矢理移動するその姿は魔法名に相応しく暴走のごとき火力を想起させた。
十人で構成される小隊一つよりも優先すべき敵。この戦場に置いて単独で大蛇を攻撃できる戦力その一つ……エルミラ・ロードピスの飛来。狙いは今まさに怯んだ伍の首。
隣に生える肆の首……水属性の魔力を持つ首がエルミラに向けて口を開けた。
「遅いわよ」
口内に魔力が集中するその瞬間、エルミラは纏った灰を凝縮した魔力向けて放つ。
凝縮した魔力に触れた灰は轟音を立て、口内を焼くように爆発した。
肆の首が怯んだ姿を見て地上の部隊から軽い歓声が上がる。
「ああああああああああああ!!!」
だがエルミラはそれだけを戦果とはしない。
怯む肆の首の頭に取りつき、ぎょろりと生命を見下す黄金の瞳向けて拳を作る。
「眼球ごと焼けろ! 糞蛇!!」
【ぐ……がああああああああ!?】
エルミラは炎を纏った拳を容赦なく肆の首の瞳にぶち込む。
拳に纏った炎が眼球の中を焼き、じゅうう、という音を立てながら大蛇に苦悶の声を上げさせる。
普通の火属性魔法ならここまで簡単にはいかない。エルミラの血統魔法は呪詛を焼く事に特化するように覚醒した血統魔法……呪詛そのものである大蛇は保有する属性が何であれ絶大な"現実への影響力"を見せる。
【いかれ女もどきが――!!】
「ぐっ――!!」
肆の首が青く輝き、魔力の余波でエルミラは吹き飛ばされる。
爆炎の勢いに任せて空中で姿勢を安定させるが、エルミラはヴァルフトと違って飛んでいるわけではなく……乱暴な言い方をすれば自分を細めに吹っ飛ばしているだけのため自由自在とはいかない。
「頭一つ丸焼きにするまで取りついてたかったってのに……! 流石にやらせてくれないか!!」
【『水魔・氷丘』】
「!!」
肆の首が空中で姿勢を安定させるエルミラに向けて口を開き、氷塊の混じった鉄砲水を吐き出す。
同時に光属性の陸の首と闇属性の漆の首もエルミラへと意識を向けた。
【『光焼・斑瞳』】
【『暗閃・都闇』】
「――」
陸の首と漆の首の瞳が妖しく輝く。
体が巨大なら頭も巨大、瞳だけでも人間以上の大きさだ。嫌でも視界に入ってしまう。
合わせて四つの目を見たエルミラの視界がぐらっと暗転した。
(精神……干渉……! こんな、あっさり――!!)
視界は途絶え音は消えた。
二重でかけられた精神干渉の"現実への影響力"のせいで自分が今どうなってるかもわからない。
地面に向かって落ちている? それとも向かってくる鉄砲水の前で固まってる?
自分の血統魔法の難易度は理解している。こんな状態で操れるようなやわな魔法じゃない。
どちらにしても自分は死ぬと確信した瞬間――
「んふふふふ! 【道化師の遊技場】!!」
無音の奥から笑い声混じりの魔法名が聞こえてくる。
盲目と無音を破る馬鹿騒ぎ。
気付けば視界は元の戦場を映し出し、大蛇向けて放たれる討伐部隊の血統魔法の轟音が届いた。
自分に向かってきた氷塊混じりの鉄砲水はエルミラの目の前で時間が止まったかのように停止していた。
「おやおやおやおや! まだまだだねエルミラくぅん!?」
不可思議な光景に疑問を抱く前に、小うるさい声がエルミラを苛立たせる。
声の主はベラルタ魔法学院の学院長オウグス。今回の迎撃戦においてミスティや教師陣と共に防御の要を担っている。
オウグスは風船に乗ったように空中をふわふわと体の上下を反転させながらエルミラの隣で浮いていた。
「いや、元から防御は教師陣任せって手筈だったでしょ……予定通りよ予定通り」
「ほう? そんなに私を信頼してくれていたとは驚いた! 学院長冥利に尽きるねぇ?」
「一年生の時から思ってたこと初めて言うけど、学院長うざい」
「んふふふ! 正直な生徒は好きさ!」
光属性と闇属性の精神干渉、そして水属性の鉄砲水……その三つ全てから完璧に守ってもらったというのに礼を言う気が失せるような態度にエルミラは血統魔法のコントロールを確認しながらげんなりする。
魔法使いとして尊敬すべきなのかもしれないが、どうにも尊敬しきれない。
後どうやって浮いてるのあんた、とツッコミたくなったが自分の緊張感がどこかへ行きそうだったのでやめておいた。
【世界改変か……かえしうす以外にここまで我等に干渉できる者がいるとは……】
鬼胎属性を宿す大蛇の捌の首がオウグスに狙いを定める。
有象無象の人間の一人から、ましな人間の個体として。
呪詛を宿した視線にオウグスはしめたとばかりにその口角を思い切り上げて応えた。それこそおどける道化師のように。
「ずいぶん急ぐじゃないか大蛇くん? 始まったばかりで主要人物を退場させようだなんて……エンターテイメントがわかっていないようだねぇ!?」
【がががが! なら道化師は退場させても構わんな?】
ごぽぽ。ごぽぽ。
不吉な音を立てて大蛇の首達が魔力を貯める。
討伐部隊が血統魔法を連続して放ち、鱗を破壊するが……その動きは止まらない。
「【雷光の巨人】が――!?」
壱の首を攻撃していた【雷光の巨人】が大蛇の体の表面に展開された魔力に呑み込まれていく。
まるで、大蛇自身が河にでもなったかのように。
大蛇を包む魔力光は……虹のように色を変え、やがて青へと変わった。
「クオルカさん!! 部隊を離してください!!」
「っむ――!? 総員後退!!」
血統魔法によって変化し、戦場を俯瞰するように浮遊していたミスティは大蛇の変化にいち早く気付く。
ミスティの必死さにクオルカはすぐさま討伐部隊を大蛇から引き離すように号令をかけた。
「力を貸して……!」
【――【斐伊氾濫・奇稲田】】
次の瞬間、大蛇に纏っていた魔力が波となって討伐部隊に襲い掛かる。
荒れ狂う濁った水。野を飲み込む勢いで迫りくる流れ。
自然災害などお手の物だと言わんばかりに、大蛇はその場で洪水を引き起こした。
始まったばかり。確かにそうだな、と大蛇は洪水を目の前にした人間達の絶望の表情を見て頷くように笑みを浮かべた。
大蛇の力の全貌は未だ見えることはない。
わかったのは人間側に吹いていた追い風など簡単に止ませることができるということだけだった。




