791.微睡みの観測
暗い闇の中で瞬きがあった。
光だ。虚無だった黄金の瞳に光が灯っていた。
生命としての鼓動を示すように、或いは自らの復活を示すように。
黄金の瞳はぎょろりと動く。
二つ。四つ。六つ。もっと多い。
闇の中に灯る光は全部で十六。八の首に二つずつ。その瞳全てに黒の光が灯っている。
【ようやく目覚められたか。ふむ……微睡みの中浮かぶこの記憶は何だ? まだ夢の中にいるみたいだな】
【いいではないか。久しい起床だ。夢うつつな微睡みも楽しもうではないか】
壱の首に呼応するように弐の首が口を開く。
彼……いや彼等はこの瞬間まで霊脈に寄り添うように眠っていた。
今まで地上で暴れた首の数々はただ無意識下の戯れ。
眠りの暇を潰す夢の中の出来事に等しく、大蛇という存在の余波に過ぎない。
大蛇からすれば起床の際の欠伸のようなものだった。
【どうやら寝ぼけながら遊んでいたらしい。眠りが浅くなればそうなろう】
【千五百年も眠れば目覚めも鈍重になる。解除の感覚も長い長い】
【宿主のクダラノ一族はどうした?】
【離反したか。千五百年も経てば恐怖も消え失せるか】
参の首が、肆の首が……伍の首が陸の首が起き始める。
全ての首が徐々に起き始めて、互いの声に反応しながら得ていく情報を得ていく。
彼等は八本の首纏めて一柱。一柱でありながら八の生命。
八つの生命でありながら一の個を持つ神獣だった。
【創始者は?】
【全員死んだようだな。不老だったはずのネレイアまでいない。だが……忌々しいな。魔法生命の完全体を阻害するために厄介な理が敷かれている。魔法による"生命の不死"も"時間の干渉"も否定されているぞ。がががが! "天体の観測"まで否定されている……よほど恨みがあったらしいな!】
【"時間の干渉"の否定なぞクロノス以外に意味もないだろうに念入りな事だ。涙ぐましい無駄な努力をして死んでいったわけだ。お? ゼウスもアポピスもいないな……? ……ふむ、なるほど大体は読み取れたか】
【喜べ我等よ! 【原初の巨神】がおらんわ!】
【がががが! 一番邪魔なデカブツが消えたのは運がいい! 我等の復活を運命も祝福しておるわ!】
ずるずる。ずるずるずる。
巨体が蠢く。闇の中が揺れる。
完全に眠りから覚めるまで幾ばくか。
千五百年前、創始者と人間に味方した魔法生命との戦いにおいて……ただ一柱、未来を夢見て眠りについた神獣が目覚める。
アポピスのように魔力残滓ではなく、本体を持つ古代の魔法生命。
宿主はいらぬ。千五百年の時を経て星に根付いた生命となったがゆえに。
仲間はいらぬ。自身という個が全てを持ち合わせているがゆえに。
この世界に神はいない。ならば我等が立とうと八本の尾を揺らめかせる。
【最後の障害は"分岐点に立つ者"か】
【がががが! だが、気にする必要もない。我等に立ち向かえるのは一人のみ】
【そして、その一人も分岐点には辿り着けない】
【そうとも。人間という矮小な種……その習性が理性を恐怖で埋め尽くすだろう。ああ、愚かだ。本当に愚かだ。どれだけ自身を奮い立たせても、人間はこの恐怖には勝てない。
弱き生命ながら人間が形成した社会の在り方、原初から伝わる生命の保存……二つの恐怖に逆らう在り方は、人間の精神では耐えられない。加えて、都合のいい事にこの男は人間の中でも特に脆い。届かぬ理想や夢を拠り所にしていた弱者の中の弱者だ。死と忘却が訪れるなら必然、理想もまた虚無へと溶ける】
彼等は笑う。
最大の障害が消えた事に愉悦を抱いて。
彼等は勝ち誇る。
創始者未満の人間しかいないこの世界の弱さを見て。
彼等は呪う。
支配されるために繁栄し、自らの餌となるために今まで生きてきた人間達の無駄な生を乗せて。
【魔力の怪物。魔法生命の天敵。分岐点に立つ者。大層な肩書きを並べられて結構結構……もう充分いい夢を見れただろうアルムとやら? 九人目になれなかった出来損ないよ】
彼等はアルムを嘲笑う。
夢の中で最後の敵と定めた人間が、起きてみればなんてことのない有象無象だった事に。
大蛇は笑う。嗤う。わらう。
天上の座。この星唯一の神への道に、何の障害も無い事に腹を抱えながら。
同時刻。マナリル国王城アンブロシア。
客室の多い居館からも隔離された塔の一室が黒い光を放っていた。
照明用魔石より明るく、それでいておぞましい輝き。
光でありながら冷たく、吐き気を催すような悪意の渦。
人がほとんど立ち入らない部屋で黒い光を放っているのはカヤ・クダラノだった。
協力者としてマナリルに迎え入れられるも全面的な信用は不可能として一室に隔離されていたが、その黒い光は泥のように窓の外にまで溢れ出る。
「……」
簡素な部屋の中、呪詛を浴びてもカヤは微動だにせず椅子に座っている。
この時代での宿主としての耐性が溢れる呪詛を弾いていた。
扉の外ではすでに見張りの兵士が三人、巡回に来た兵士が階段の途中で一人倒れている。
「"放出領域固定"――【永久への星扉】」
大蛇の核から放たれる黒い光をかき分けて、言の葉が溶けていく。
カヤの声は床や大地を超えて霊脈へと届き、ほんの一時……霊脈の閲覧を可能にする。
追うのは黒い光と共にカヤの首から霊脈へと放たれた大蛇の核。
この時代に現れた魔法生命の核を見つけたように、自分から本体へと帰る核の所在を確認すべく霊脈の記憶を追う。
カヤの周りにどこからか現れた白い光が粒へと変わる。
王城の塔に隔離された一室が、幻想の世界へ足を踏み入れた。
「っ……う、ぐ……!」
カヤの額に脂汗が浮かぶ。宿主で呪いを受けないとはいえ……大蛇の魔力に触れているのは変わらない。霊脈を閲覧している間、それとは別に大蛇から記憶が流れてくる。
四肢をもがれる者、丸呑みされて生きながら溶けていく者、酒の中を溺れさせられ、息絶え絶えになりながら食われていく者。大蛇への生贄として食われていく自分と同じ年頃の女性の記憶が。
自分ではない誰かの絶望と恐怖を拒絶できず、呪いを受けない体が発狂を許さない。
ぶるぶると手を震わせながら、カヤは待った。自分の血統魔法が大蛇の本体の場所を突き止めるまで。
「これがクダラノ家に生まれたわらわへの罰ならば……受け止めねば、なりませんね……」
次第に、大蛇の鼓動が聞こえてくる。
げらげらと笑う不愉快な声も。
人間は自分にとってただの生贄という価値観が生み出す純粋な欲求。
カヤの周りを飛び交う白い粒が、大蛇を辿る事で黒く染まっていく。
黒く染まった粒がカヤの手に触れて、大蛇の本体の場所を映し出した。
「はぁ……はぁ……」
カヤから放たれていた黒い光が落ち着き、血統魔法による白い光も消える。
同時に、カヤのいる塔を駆け上がってくる足音が聞こえてきた。
「動くな。カヤ・クダラノ! 何を――」
扉を勢いよく開き、鋭い目付きで剣を構えたファニアが入ってくる。
部屋の中にいる人物を即座に殺すくらいの勢いだったが、椅子の上でぐったりしているカヤを見てその表情は少しだけ緩んだ。
美しい黒髪は汗で濡れて額に張り付き、どこか扇情的に見えるが……カヤの表情は青白く生気が消えている。
「どうした? 何をしていた!?」
「丁度よかった……少し休んだら伝えに行こう、かと……」
「伝える? 何をだ?」
表情は柔らかくなったが警戒は解いていない。
ファニアはカヤに剣を向けながら問う。
この部屋から漏れていた黒い光は鬼胎属性の魔力光。万が一を考えれば油断するわけにはいかない。
そのままの体勢でファニアはカヤに問う。
「大蛇の本体の場所が……狙っている霊脈が、わかりました……」
「本体に核が行ったという事か!? どこだ!?」
カヤは呼吸を少し落ち着かせて、剣を向けているファニアに告げた。
「本体の位置は王都から馬車で三日ほど先にある町ドラーナ。そして大蛇の狙いは……王都ではなくベラルタ。研鑽街ベラルタの霊脈です」
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここからは対大蛇編となります。




