788.自分は何者か
牢獄の中で過ごして数日経った頃。
アルムはどこか遠くで大蛇の首が一つ消えた事を感じ取った。
感知魔法を使っての"現実への影響力"とはまた違う……春風に変わったのを感じた時にようなぼんやりとした感覚。
牢獄に入ってからというものの、何故かわかるようになっている。
一つの場所に閉じ込められて、感覚が研ぎ澄まされたのだろうか。
……それとも、無意識に自分の最後そのものの存在を感じ取っているのか。
「…………」
食事は出るし体を清める時間もある。
面会を希望すれば誰かと喋る事だって出来ると頻繁に様子を見に来るファニアに教えられているが、アルムはそのどの権利も使っていない。
ただここで静かにいるだけ。
アルムにとって夢を目指さず、ただ生きるという事はこういう事だ。
ここに居続ければ恐怖も無く飢えも無く、苦しみもなく静かに生きられる。
夢を目指す自由。たったそれだけを捨てるだけで、生命として困る事は無い。
……もしかしたら、大蛇の支配する世界と似ているのかもしれない。
アルムはそう思った。
時間だけは有り余っているからか、色々な事を考える時間は多くあった。
自分が何をすべきかの"答え"は出ない。
代わりに、会えていない友人達がどうしているかをよく考える。
ルクスが思い詰めて変な事を考えていないか。考えすぎるのが良くも悪くもあいつの癖だ。
エルミラが責任を感じていないか。自分で抱え込もうとする所がある。
ベネッタは気落ちしていないか。周りを大切にし過ぎている奴だ。
……ミスティはどうしているだろう。強くてでも弱い人だから心配だ。
他のみんなも自分の事を知ってしまったかもしれない。ミスティ達ほど仲がいいわけではないが、魔法使いになろうなんて奴等だからきっと心配くらいはしているだろう。
(そんな事……しなくていいのに)
そう伝えた所できっと全員変わらないんだろうなとアルムは久しぶりに口枷の中で微笑んだ。
静寂がすぐにその穏やかさすら消し去って、アルムはベッドに横たわる。
「眠る所か」
「!!」
アルムは目を閉じようとすると近くの声を聞いて目を見開いて飛び起きた。
アルムが入っている牢の外に、人影があった。
それだけなら驚くことはない。だが牢の向こうにいたのは、この国の王カルセシスだった。周りにはお付きの人間すら見当たらない。
一人で来たのだろうか。そんな疑問を頭に浮かばせながらアルムは固まっていた。
「邪魔して悪かったな。固くなる必要はない。ラモーナが誤魔化してくれている間だけ……お前と少し話したくて来た」
カルセシスはそう言ってその場にあぐらをかいて座る。
アルムもベッドから起きるとカルセシスの前で座った。
「こんな所に入れてすまないな。だが許してくれ。ルクスはお前をどうあっても生かしたいらしい」
アルムは頷く。
元々ルクスを恨む気は全くない。
「アルム、俺の血統魔法を知っているな?」
アルムは頷く。
カルセシスの血統魔法は人の心情を察知する魔眼の血統魔法だ。
カルセシスの瞳は金や赤、そして黒とその瞳の色を変えている。
「これはな、王とは人の心を知るものであれという願いから生まれた魔法だ。そう伝えられている。長く続くこの血筋だが……俺には他の貴族のような他を圧倒するような"現実への影響力"を持つ血統魔法はない。それがマナリルの王族だ」
何の事かとアルムは目をぱちぱちとさせる。
「何の話をしているかよくわからないだろう? それも許せ。時間が無くてな。ここにきてこの話をする事そのものがお前の友から恨まれるような事かもしれぬし……なにより今からするのは王として相応しい含蓄ある話なのではなく、ただ俺が情けない人間であるという話をするだけだ。こんな事を誰かに話しているとばれれば王家としての威厳がどうこうと説教されること請け合いだ」
カルセシスは屈託なく笑う。
まるで昔に怒られた事を笑い話にするかのような表情だった。
「私には四大のように他国を圧する力はない。平民のように国の基盤になる力も無い」
アルムとカルセシスの目が合う。
カルセシスの視線に羨望が含まれているような気がした。
「この冠に恥じぬ人間として規範になり、この国をよりよい方向に導く事……俺に出来るのは政だけに過ぎない。平時には国を悪しき方向に向かわせる企みや私利私欲で動く者、そして嘘を吐くものを暴き、よりよい選択を考えることができる。
だがどうだ? 今のように国が敵に脅かされるような時……俺はあまりにも無力だ。魔法大国マナリルの王がどうする事もできない。相手が魔法生命のような怪物であればなおさらだ」
カルセシスは自分の頭の上にある王冠を外した。
ただでさえ薄暗さのあるこの場所だからか、その輝きは煌びやかで豪華な装飾は王家の権威を示すに相応しい。
けれど、アルムには魅力的に映らなかった。
「俺もだ。こういう時いつも思う。これは何だ? 俺は誰なんだ? とな」
アルムの心を読んだのだろう。
カルセシスはアルムが感じたことに頷く。
「……死ぬだけじゃないのか」
「!!」
王冠に落ちていたアルムの視線が再びカルセシスへと上がる。
カルセシスは悲痛さを浮かべてアルムを見つめていた。
「お前を見てからずっと……俺に伝わってくるこの恐怖は何だ。お前はずっとこんなものと戦っていたのか……?」
アルムが何に恐怖しているのかをカルセシスには見抜かれている。
カルセシスの目は人の心に映る真実を掬い取ってしまう。
忘れられる事への恐怖と自分の夢が叶わぬ悲しみ全てを、カルセシスの目は映し出していた。
「ああ……そういう事だったのか……」
アルムが憔悴していた理由を理解して、カルセシスは目を伏せる。
そしてその頭を惜しげもなく下げた。
「俺は無力だ。そして王だ。お前が抱えるものを知ってなお……王として言わねばならない。いざという時は死んでくれと」
アルムはその言葉にショックを受けることはなかった。
カルセシスの言葉は当然だ。国の王が国を犠牲に一人を活かすなどという判断をしていいはずがない。
「だがお前に逃げてもいいと言いたい俺がいる。王として相応しくない情があることを隠せない。お前はこんなことを背負わなくてもいいのだ。お前は貴族ではない。国を守るために命を懸ける必要など決してない。お前は本来守られるべき立場の者なのだ。お前がこんな残酷なことを抱える必要など……本当はなかった。お前は――」
平民なんだから。
そう言いかけて、カルセシスの声が止まる。
王冠を頭に乗せず、抱えたままカルセシスは立ち上がった。
「許せアルム。逃げろとも戦えとも命じられない半端な暗君を許してくれ。お前の心を見た今の俺には……死んでくれとも逃げてくれとも口にする事ができない。
俺はお前に選択を委ねることしかできない卑怯者だ。そして、出来れば助かりたい弱い人間でもある」
「……!」
「ここまで情けない姿を見せる気は無かったのだがな……。冠を脱げば王とて一人の弱い人間という事だ。本当はお前に今までの行いを感謝しに来たというのに、俺ではお前の心を直視できそうにない。変な話をしにきてすまなかったな」
カルセシスはマントを翻してアルムの牢の前から立ち去ろうとする。
アルムはゆっくりと立ち去るカルセシスを目で追った。
その背中はあまりに小さく後悔に塗れていて、着飾っているはずの輝きはなく……一国の王としてではなくカルセシスという一人の人間の姿が見えた気がした。
「卑怯な大人ですまない。一人の民を相手に心を揺らがせ、慰めの言葉すらも満足にかけてやれない……俺はそんな半端な人間だ」
自分を卑下するカルセシス。
口枷をつけられた口はそんな事無いと励ます事すらできない。
「だが信じてくれ。お前と初めて出会った時に"魔法使いの才能がある"と言った言葉……あれは、嘘偽りの無い本音だった」
去り際にそう言って、カルセシスはアルムの牢の前から去っていった。
カルセシスが王冠を脱ぎ、自分に問う姿がアルムの目に強く残る。
――俺は誰なんだ?
それが見つかるのは体を裂く茨の迷路? 或いは泥水で濁ったぬかるみ?
自分は一体何者なのか?
歩んできた道を振り返って一つ一つ拾い上げるように……アルムはその"答え"を探し始めた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
前回一区切りまで後二話と書きましたが申し訳ありません……ここから後二話です。




