幕間 -深き淵から覗く-
『可愛い弟子が苦しんでいるなぁ?』
闇を落とした黒い穴があった。
暗闇の中にあるさらに暗い底のない穴。
その穴の周りには、そこに落ちた経験がある者がいた。
かつてはもう少し穴の周りにいたが、今はもう二人しかいない。
毒虫と本の上の悪魔だけ。
悪魔のほうは苦しそうに唇を噛み、握った自分の手の平に爪を立てる。
『まぁどうにもできんよなぁ? お前はアルムの夢の象徴……余計に苦しませるだけじゃろう。それに、お前の言葉で立ち上がらせた所で意味はない。
自傷と静観を褒めて遣わす。おだてられて振舞っていただけの愚者ではないらしい』
『……』
『口を開けば出て行きそうか? よいぞ、耐える者の顔は悪くない』
毒虫は笑う。
愉快に。痛快に。
苦しむ悪魔の姿など余興以外の何だというのかと言うかのように。
『ただの幻想でいれば生命の苦など感じなかったろうに。だがお前が選び歩んだ道だ。誇りながらも苦しみ続けろ。そうでなければお前は間違いだ。この大百足の前でお前の道が間違っていなかったのだと証明し続けるがいい』
毒虫――大百足の言葉には蔑みと威厳があった。
ただ不幸を愉しんでいるわけではなく。
ただ絶望を嘲笑っているわけではなく。
大百足は怪物らしからぬ価値観で生命を見つめている。
『こんな事に苦しまねばならんとは人間とは本当に弱い……群として生きてきたゆえに個としてはあまりに脆すぎる。本当に度し難い生命よ。遠い未来には自滅していそうなか弱さよなぁ』
見つめる先は苦しむ一人の人間。
歩んでいた道の先に希望が無かったと知った迷う子供。
かつて自分と相対した人間の心が折れた姿を見て呆れはするも卑下はしない。
ただ見守るその視線には抱擁に似た慈愛が微かに垣間見えた。
『悩み苦しめアルム。死に怯え、自身が忘却される結末に恐怖せよ。
自身の芯、人生の支柱を奪われた貴様に出来るのはただの人間として茨をただ歩む事のみ。在り方が見えなくなったまま歩け。たとえ血塗れになろうとも』
見届けるは二つの視線。手助けをする気は当然無い。
悪魔は自分の魂が傷つくのを耐えながら、助けを求める弟子を見守る。
大百足はその絶望を捕食しながらうずくまるアルムを見つめる。
『天には遠い短命の生命よ。星の表層でしか生きられぬ弱き者よ。これは宙まで歩くよりも苦難の道だが……貴様は"答え"を出さなければいけない。"分岐点に立つ者"だからではなく貴様がアルムという一人の人間ゆえに。
貴様は儂を殺した男……貴様がどのような答えを出そうとも儂は高らかに笑ってやろう。地獄の奥底から貴様の耳に届くほど大きく。無にまで届く笑い声をな』
かちかちかちかち。
大百足が顎を鳴らす音が暗闇に響き渡った。
残滓となった二つの魂は一人の人間が答えを出すのを待っている。
いつも読んでくださってありがとうございます。
一区切り恒例の閑話となります。今回の一区切りまでが長かったのもあって短め。




