779.アルム5
「あら? アルム?」
「え? アルムくんー?」
アルムが地下牢獄から戻り、王城に用意されたアルム用の客室に戻ろうとすると丁度廊下でミスティ達とばったり出会う。
アルムの部屋をノックしようとしていたようで四人共アルムの部屋の前で集まっていた。
「どこ行ってたんだい?」
「ああ、ちょっと散歩をな。王城は何度か来たことあるが、ゆっくり滞在できるのは初めてだから見て回ってみようかと」
ルクスに聞かれてアルムの口から出てきたのは嘘だった。
今まで誤魔化そうものならばればれで、そもミスティ達に嘘などほとんど吐いてこなかったが……アルムは自然に滑らかに嘘を言葉にする。
「ああ、確かにアルムが呼ばれる時って大体ドタバタしてるからね」
「だったら私達も誘いなさいよね、柄にもなく大人しくしちゃってたじゃない」
「すまん、本当に目的が無かったから」
ルクスもエルミラも、アルムのその嘘に違和感を持つことはなかった。
たった一度騙し通した嘘と胸に抱える秘密が、純粋な田舎者だったアルムに悪意の無い嘘のつき方を覚えさせる。
カヤに教えて貰った真実をミスティ達が知ればどうなるかアルムには容易に想像できてしまう。自分が望む世界そのもののように、ずっと一緒にいてくれた優しい人達だから。
自分がどんな選択をしようとも四人にだけはばれないようにとアルムは必死に自分を装った。
「アルム、今日の予定はどうされますか?」
「え?」
「今日は特に予定もないし、今日のお昼ぐらいに王都に着くルクスくんのお父さんを迎えに行くついでにみんなで町のほうに行こうって話してたのー!」
「ついで言うなついでって」
「いや、実際ついでで大丈夫だよ。それでもみんなに会ったら父上は喜ぶから」
いつも通り、当たり前のように自分を誘ってくれる四人。
向けられる友愛と笑顔がいつもなら嬉しいはずなのに、胸の奥で締め付けられるように辛かった。
慣れていない嘘をついた後ろめたさだけではない。
一緒に行きたいと見つめてくるミスティ。顔を覗き込むようにして行こう行こうとアピールするベネッタ。どうせ行くでしょ? と腰に手を当てているエルミラ。急かす事も無く返事を待っているルクス。
この四人の隣にいられなくなるんだと想像してアルムは顔面蒼白となった。
「悪い、少し体調がよくなくてな……今日は大事をとって休もうと思ってたんだ」
「えー!?」
嘘を吐く。背筋が本当に凍っているのではと思うほど寒かった。
ルクスとエルミラは意外そうに少し驚き、ベネッタとミスティは目に見えて落胆していた。
「散歩してたら少し疲れちゃってな」
「疲れるってどんだけ散歩してきたのあんた」
「まぁ、仕方ないさ。ここ数日忙しかったからね」
「お医者さん呼ぶー?」
心配そうな視線が突き刺さる。
――駄目だ。
早く一人にならないと、全てばれてしまうのではという疑念に駆られてしまう。
「いや、とりあえず一日様子を見てからにする。それに王城のベッドは寝心地もいいからな。疲れをとるには最適だ」
「アルム……大丈夫なのですか?」
ミスティの眉が下がった心配と落胆の入り混じった表情でアルムの服の裾を掴む。
「ああ、一緒に行けなくて悪い。そうだな……何かお土産でも買ってきてくれたら嬉しいかもしれないな」
「わかりました。何十個欲しいですか?」
「あ、いや、一つでいいから……」
アルムは四人の間をすり抜けて扉を開く。
自然に、急がずに。
「辛かったら使用人を呼んでもいいんだよ。僕らは一応招待されてる客だから遠慮せずにね」
「あんた体調悪いとか言って図書館とか行ったら殴るわよ」
「ちゃんと寝なよー!」
「アルム、お大事に」
四人からの声に、
「ああ、おやすみ」
精一杯の演技をしながらアルムは手を小さく振りながら扉を閉じた。
演劇をやってよかったな、とグレースに少し感謝しながらベッドのほうに歩く。
一人になって、嘘で装った自分が剥がれる。
一人になって、耐えていた心が決壊する。
ベッドの上でアルムは自分を守るように、うずくまって座った。
「ふう……でき、た……」
ミスティ達に悟られずに一人になれたことに安堵する。
声は小さく震えていた。
閉じたカーテンを開ける気になどならない。照明用の魔石を点ける気にもならない。
――死ぬ。
一人になって嘘を吐く必要もなくなったことでカヤと共有した真実が嫌でも脳裏によぎる。
「……」
――忘れられる。
理解が出来なかった。理解が出来なかったからか、アルムには死よりも恐ろしく感じた。
死はわかる。受け入れたくはないが何とか理解だけはできる。カレッラでの狩猟を通じて魔獣や野生の獣達とずっとやり取りをしていたから。
でも、忘れられるとは何だろう。
今までの時間が消える。何も残らない。何も残せない。
漂白。空。無。
死よりも遠い見えない果て。生命の最後として想像するには異質すぎる。
「っ……! ぁ……!」
無い。いない。いなくなる。
誰の記憶からもいなくなる。自分が大切に思ってる人の中から自分が消える。
誰も覚えていない。最初からいないのと同じ。
無駄。無意味。無価値。
それはきっと自分の在り方すら消えるということ。
「師匠……どんな、どんな覚悟で……やろうとしたんだ……」
かつてアルムのために自身の存在を忘却しようとした師に問いかける。
想像するだけで辛く、死の間際に実行しようとしていた師匠の心情が理解できなかった。自分の存在を無に投じるなどまともな精神で出来ることではない。
「……やだ…………」
――自分の夢は叶わない。
死と忘却だけでも十分だというのに、自分を支え続けた憧れまで蝕まれてアルムは自分の本音を口にした。
今まで何度も死にそうになった。けれどそれは、苦難の先に自分の夢があったから耐えられた。
だが今回は違う。
死んだら夢を叶えられない。でも守るためには死ぬしかない。
忘れられたら何も残らない。自分が夢見たことさえ無に消える。
どれだけ辛く苦しい荊棘の道を歩んでも、待っているのは報われた報酬などではなく……もっと苦しい結末だけ。
「死にたくない……」
一度口にしてしまったら止まらなかった。
耐え続けてきた心が決壊する。
「死にたくない……誰にも忘れられたくない……! みんなに、覚えて、いてほしい……! こんなのやだ……!」
恐怖で震える体に口から零れる当たり前の弱音。
広い客室にぽつんとうずくまるあまりに小さい人間一人の姿。
「俺は……なりたかった、だけなのに……!」
……彼は決して、生来の英雄などではない。
才能無き身で夢を掲げて田舎から飛び出してきたただの少年。
輝かしい実績その全てが魔法使いという夢のために歩んできた道であり、苦難の先にある希望を見ていたからこそ彼の心は強く在り続け、その足は前へと踏み出していた。
ゆえに、彼は知らない。
命も夢も、思い出も、どれほど耐えても必ず訪れる絶命と忘却の道を歩む恐怖など。
「ただ……魔法使いに……」
彼は決して死地に飛び込むのを躊躇わなかったわけではない。
全ては魔法使いになるという夢が他の何よりも上回っていたからに過ぎない。
輝かしい実績が彼の本質を眩ませる。
他者のためにと映る献身が認識を歪ませる。
自分の夢のために走り続けていた彼の姿が、彼を凡人に映さなかった。
「たすけて……!」
生きて夢を叶えることはできない。死んでも忘れられて叶えられない。
何も残らない。何も遺せない。
ボロボロになりながら今まで歩いてきた道の先にようやく見えたのが夢などではなく、ただの無だったことにアルムは絶望する。
「たすけて……! ししょう……!」
涙を落としながら震えた声であの日来てくれた人の事を呼ぶ。
あの花園で泣いていた時のように魔法使いは現れない。
恐怖ですすり泣く子供の声はただ孤独に消えていく。
こんな思いをするくらいなら産みの親に捨てられたあの日、誰にも見つけられず野犬の餌になったほうが幸せだった。
死と忘却を受け入れるにはあまりにも……幸せな時間を過ごしすぎてしまった。
「たすけて……! だれか、たすけて……! たすけてよ……!」
自分の夢という心の支えを失ってアルムは誰にも届かない助けを求める。
うずくまるその姿は国や世界を担うにはあまりにも小さくて。
……彼は決して時代に現れた英雄などではない。
彼は年相応の少年で、幼い頃の夢を支えに自分を奮い立たせていただけの泣き虫なのだと――誰かが気付くべきだったのに。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。どうか彼を見届けてやってください。
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