追憶 クオルカ・オルリック
最後の友が死んだ。
同じ学院に通っていた気のいい奴だった。
戦争でのストレスからか気を病み……歳を取る度に死ぬのを恐がっていた。
文にはいつも不安が綴られていた。
歳を取る度に戦場が思い浮かぶ、と。味方の死体と敵の死体が思い浮かんで、そいつらが何故お前は生きているのかを問うのだと。
そんな風に気を病んでいながらも私の体を常に心配するようなやつだった。
「今日は……暑いのか? 暑いのだろうな……」
執事に言われて馬に乗って散歩に出ると、驚いた事に何も感じなかった。
照りつける太陽の日差しを浴びても暑いのかもわからない。
そういえば……食事をとったのはいつが最後だったか。
……覚えていない。
浮かび上がるのは後悔ばかりだ。
私が何か気の利いた事を言えれば我が友は今も生きていたのだろうか。
多忙だった職務の合間を縫って会いに行けたらやつは死なずにすんだのか。
葬式の場で、墓に埋められるやつなど見たくなかった。
友を全員失って気付く。死に別れるという事がどれだけの喪失感を私に与えていたのかを。
戦場を生き抜いた喜びなどよりも……遥かに大きいではないか。
「これがマナリルの英雄クオルカ・オルリックの姿とは……全く、民には見せられぬな」
四大貴族オルリック家史上最強の男。
たった一人でガザスの魔法部隊を退けた一騎当千。
冷酷にして寡黙、完全無欠の魔法使い。
家名ではなく個人の功績によって名誉も財も手中に収めた理想の貴族。
私を褒め称える全ての言葉があまりに虚しい。実際は友の死をまともに受け止められないただの人間だというのに。
馬を走らせる。
無気力となった自分を何とかしようとせっかく執事が気を利かせてくれたのだ。
しかし……風を感じるはずが何も感じない。この陽気で馬に乗るなどさぞ気持ちのいい事だろうに。
丘を駆け、平野を駆け、森に入る。
何も感じないままだ。私を乗せてくれている馬にも申し訳が無い。
速度を落としてゆっくりと歩くことにした。
森とはいうもののあらかた整備はされている。
貴族の嗜みとして狩りに興じる事もあって森を管理するのは珍しくない。
だが、こうして呆然と訪れるのは初めてだった。
森に入って涼しくなったのか?
それとも暑いままなのか?
結局どれだけ馬を走らせても何かが変わることはなかった。
「……む?」
これ以上は無意味。そう思った瞬間、遠くに人影が見えた。
ここはオルリック家の領地の森。確認しないわけにはいかない。
「ふぅ……」
ゆっくりと馬を歩かせて近付くと、その人影は泉で水浴びをしていた女だった。
その女は珍しい黒髪をしていて、近くの木にかかる服は見たことの無い民族衣装のようだった。
日差しを浴びて水浴びをするその姿は一枚の絵画になっていてもおかしくない。
女は歩み寄ってきた私に気付くも、裸体を見られているというのに焦る様子も無く頭を下げてきた。
「お目汚しして申し訳ございません。ここの森の御方でしょうか?」
「いかにも。ここは我がオルリック家の領地。無断で入った者は罰則……というほど厳しくはないが、森で何をしていたかは領主として問わねばならん。我が名はクオルカ・オルリック……そなたの名は?」
私が問うと、その女はそこで自分が水浴びをしている途中だと気付いたのか体を泉の中に沈めた。
羞恥よりも礼儀が先に出てしまっているところを見ると元貴族か何かだろうか。
「生まれ育ちはここより遠き国常世ノ国。名をアオイと申します」
「アオイ? ふむ……」
その黒髪の女はアオイと名乗った。
自然と珍しい響きだと思った。マナリルではあまり聞かない名前だ。
だが不思議と、その名の響きは悪くない。
「不思議な響きがする名だな」
「マナリルの御方にとっては珍しいかもしれません」
「勘違いするな。奇妙というわけではない。むしろ今のそなたのような……美しい名だ」
そこまで言って、自分が何を言っているのか気付いた。
これではまるで口説いているようではないか。
アオイという女のほうを見ると不思議そうに目をぱちぱちとさせている。
それはそうだ。不審者として疑われたかと思えばこんな事を言われているのだから。
「うふふ、クオルカ様はとても面白い御方なのですね」
「面白い、か。初めて言われる」
「まぁ……落ち込んでいた私をこんなにも笑顔にしてくださったのに?」
笑いながらアオイはそう言った。
落ち込んでいたとは気付かなかったが、本人の言葉をそのまま受け取るのであれば……私の言葉で何かが変わったのだろうか。
「クオルカ様のお名前は、とても優しい響きをなされていますね」
「優しい……?」
「はい、こんな状況だというのにおかしな話ですが……アオイはどこか落ち着いております。変でしょう? 知らない男性に水浴びを見られているというのに……自分でも不思議なのです」
そんな事を言われたのは初めてだった。
威厳や頼もしさ、外見を褒められる事こそあれど……落ち着くとは一体どういう事か。
私が考えていると、アオイは再び頭を下げてきた。
「改めて謝罪致しますクオルカ様。旅の疲れを癒すべく偶然見つけたこの泉で水浴びをしておりました……すぐに立ち去りますのでどうか私の無知と無礼をお許しください」
アオイは泉から出ると服のほうへと小走りで走っていった。
タオルかどうかもわからない布で体を急いで拭いている。言葉のまま、すぐに立ち去る気なのだろう。
「……そなたは常世ノ国から来たと言ったな?」
「え?」
何故こんな事を口走ったのかはわからない。
だが、私は間違いなく別れを惜しんだ。
友と死に別れたからか、異国の貴族らしき女がこんなとこにいる謎に興味を持ったのか。
それとも……この女に惹かれたのか。
私の口は止まる事は無かった。
「私は常世ノ国という国を知らぬ。異国の文化……興味が湧いた」
「ええと……?」
「屋敷に来るがいいアオイ。客人としてそなたをもてなそう」
「ですが、このようなみずぼらしい女を屋敷に入れるなどいけません。あなたが高名な貴族であるのならばなおさらでございます」
その通りだ。どこの国かもわからない女を客人としてなど……オルリック家として四大貴族として相応しくないのかもしれない。
だが、私の意思は固かった。
「周りが何を言おうと見極め、決めるのは私だ。オルリック家はそなた一人を客人として招いて落ちるような家ではない」
アオイは私の目をしばらく見て、諦めたような笑みを見せた。
私の意思が固いのを見抜いたのだろう。
「それでは……お言葉に甘えさせて頂きます。寛大なクオルカ様に心から感謝を」
「よい。なにせ、私は優しい名前を持っているらしいからな」
「まぁ……うふふ、クオルカ様ったらやっぱり面白い御方ですのね?」
私はアオイを馬に乗せると屋敷まで走った。
その瞬間、私はようやくその日が暑い事を知れた。
陽気の中受ける風が気持ちがいい事を実感した。
森の中が涼やかである事に気付いた。
まるで自分の奥底から、この世界に戻ってきたかのように。
「く、クオルカ様! もう少し速度を落としてくださいませんか!?」
「何を言う。こんなにも陽気が素晴らしい日だというのに」
「で、ですが……わ、わわ……! は、速いです……!」
帰ったら外を走ってみては、と提案してくれた執事に礼を言おう。
そう決めて私は屋敷まで馬を走らせる。後ろから必死にしがみ付く確かな温もりを感じながら。
それが最愛の妻アオイとの出会いであり、クオルカ・オルリックという人間が家族バカになる第一歩だったのだろう。
いつも読んでくださってありがとうございます。
一区切り恒例の閑話となっています。クオルカさんのお話でした。もうちょっと出番あります。
次の本編更新から本格的な最終章に入ります。
アルムの行く末をどうぞ見守ってやってください。




