80.兆候
「この国の学生ってあんなレベル高いのばっかなのかよ……あー、やりづれえ」
マキビはこれからの事を考えながらため息をつく。
実際にマキビが相手していたのは学院でも一握りの生徒達だという事は知る由も無い。
同じ制服を着ていても能力は千差万別。
才能だけにかまけてる貴族などいくらでもいる。そういうものを振るい落とすのがベラルタ魔法学院の役割でもある。
「それにしてもあの得体の知れないガキは何だったんだ……?」
他とは違って、制服に着られているような素朴な少年。
何故頑なに無属性魔法を使い続けていたのかはマキビにはわからない。
最初の脆さは何だったのかと思うほどに、最後は自分の魔法を難なく捌いていた。どっちつかずの不安定さと異質さがマキビの頭に引っ掛かっている。
マキビの国でも呼び名は違えど、平民は魔法を使えない。
アルムが魔法使いに育てられた平民などとは想像もつかないのだ。
そしてもう一つ……マキビは平民に行われたとある実験を知っている。
結果を言えば、それは大失敗に終わっている事も。
その失敗の結果、自分達がここにいる事も――
「ま、わかるわけねえわな……」
考えても仕方ないとマキビは考えるのをやめる。
自分は雇われてるだけだ。こういうことを考えるのは自分の仕事ではない。
谷を水が静かに駆ける。
なだらかに、そして素早く、魔法で森を駆けるマキビの姿は川を悠々と泳ぐ魚のようだった。
「……?」
――その魚を追う影が、爆ぜる火花のように迸る。
「……!」
突如感じた背筋の寒気。
間違いなく、先程の冷気のせいではない。
額の冷や汗は何かを訴えている。
何かが――何かが追ってきているのだと――。
「そのまま、ま、ま、真っ直ぐ!」
「ああ、見えた」
「まじ、かよ――!」
マキビは振り返ってその影の正体を確認する。
そこには先程まで戦っていた制服と白い爪が迫っていた。
しかもその影は一人ではない。
得体の知れない魔法使いが人を背に乗せて追ってきている――!
「流石はベネッタ」
「い、いいから早くー!」
追っている影の正体はアルム、そして背に乗っているのはベネッタだった。
背中のベネッタはアルムの速度に耐えようと必死にしがみついている。
その一歩一歩はすでに跳躍。
マキビが川を泳ぐ魚なら、アルムは野を駆ける猛獣。
獲物を逃すまいと追う捕食者だった。
「人一人背負ってそれか……!」
わざわざ背負っているのは何か追うための魔法を使えるからだろう。
この谷の森は幹の太い種類が多く、そして暗い。その気になれば身を隠しながら逃亡できる。
森に入った自分を闇雲に追っても追いつけないと考えるのは自然な事だ。
だが……だからといって本当に追いつけるほうがどうかしている。
はったりを口にし、完全に虚を突いた。
速度だけならただの強化よりも速い逃げる為の魔法を唱え、追いかけられる前にトップスピードに乗せた完璧な逃走だった。
あの人数を相手にマキビは自分のできる最善手を打っていたはずだった。
「何なんだお前は!!」
後ろに見えるアルムに向かってマキビは思わず先程と同じ質問を投げかける。
違和感は明確な疑問へと。
アルムの使う魔法はマキビの知る獣化の範疇を超えている――!
「アルム」
返ってくる答えもまた同じ。
答える間にアルムはマキビの横へと並ぶ。
今のアルムの能力は、魔法を唱えた直後とは比べ物にならない。
つぎ込まれ続けた魔力は平均的な魔法使い一人分を優に超える。
本物の獣を超える速力で山を駆け、先行したマキビに難なく追いついた。
「お、前――!」
「悪いな、逃がすわけにはいかないんだ」
マキビに追いついたアルムは白い爪を振るう。
マキビは咄嗟に両手で顔を守ったが、アルムが最初に狙ったのはマキビではない。
マキビの足下で地を滑っている水属性の魔法だ。
白い爪は足下のマキビの魔法を破壊し、マキビの移動手段を潰す。
破壊の衝撃で宙に浮いたマキビの腹部にアルムは容赦なく、膝蹴りを入れた。
「が、は……!」
顔を守ろうとしたマキビは何が起こったかもわからず肺の空気を吐き出す。
スピードに乗っていたマキビは横からの衝撃で地面に叩きつけられ、そのまま気を失った。
「生け捕り……できたか?」
「はひー……はひー……ど、どうだろー……?」
地面に倒れたマキビを遠目に眺めるアルム。
その物騒な疑問に、ベネッタは魔力で光る銀色の瞳を涙目にしながら答えた。
「ほら、目的は何なの?」
「言えねえ」
マキビを止め、森から出たアルムとベネッタはミスティと一緒に森を抜けてきたルクス達と合流した。
ミスティがナナを水の中に閉じ込めている魔法に今度はマキビを入れ、今はここ来た理由をマキビから問い質しているところだ。
水の塊から顔だけ出してるマキビを数人で取り囲んでる少しおかしな構図である。
「言わないなら生かしておく意味もありませんよね」
アルムの背中で振り回され、ボサボサになったベネッタの髪を整えながらミスティが言う。
「おいおいおいおい、顔に似合わず物騒なお嬢さんだな! 言えねえんだよ、わかるだろ!?」
「言え……ね……? 申し訳ありません、浅学ゆえどういう意味かわかりませんの……」
「嘘つけ! 可愛らしい顔してる割に強かだなあんた!」
ナナは魔法を唱えさせないように口を封じている。
一応情報源としてミスティが生け捕りにしたものの、以前ベラルタでダブラマの刺客がとった行動を考えると喋るとは思えない。
ヴァンに引き渡せば何か手はあるかもと、武器を全て取り上げ、手足と口をぎちぎちに固めて身柄を拘束している形になっている。
「喋らせて大丈夫かな? この人数相手に逃げられないのはわかってるだろうけど、変な魔法を唱える可能性もある」
「大丈夫だろう。あれだけ立ち回れる人がそんな馬鹿なことするとは思えない」
「お前いつまでその状態なんだよ……こええよ……」
未だ魔法が解けないアルムはマキビの横で辺りを壊さないように棒立ちだ。
ぷらんぷらんと揺れる腕と一緒に爪が動き、マキビをぞっとさせる。
「あー……まじな話するぞ。俺は雇われで目的は知らん。霊脈を見てこいって言われただけだ」
「見るだけですか?」
「庇う訳じゃねえが、そこに転がってるナナも一緒だ。こいつの国から別の命令は受けてたかもしれないが、霊脈に関してはまじで見てこいって言われただけだ」
「なるほど……それで、あなたはどこの国の魔法使いなんです?」
「そ、それは……」
「"常世ノ国"だろう?」
言い淀むマキビの後ろで、ルクスが答える。
マキビよりも、アルム達のほうが何故ルクスが答えるのかと驚いていた。
「わ、わかるの?」
エルミラが聞くと、ルクスは頷く。
「僕の母がそこの出身で、この人はその国の魔法を使ってた。まず間違いないと思う」
「ルクスさんのお母様が……オルリック家は別の国の貴族と結婚されていたんですね……」
「めっずらしい……」
「僕の事はいいよ。常世ノ国はガザスの東の海の先にある国で、こっちからは自立した魔法に阻まれて向こうからは来れる手段があると聞いた。祖国に帰らない覚悟でこっちに来たって事はただ事じゃないんだろう?」
「あんだよ……マナリルは常世ノ国の魔法なんて全く知らないって聞いたのに嘘じゃねえかよ……」
ぶつぶつ文句を言いながらマキビは不意にシラツユのほうに視線を向ける。
「そういえばあんたもうちの国っぽい顔立ちだな……知り合いに似てる」
「そう、ですか……? 私は国から出たことが無いもので……」
「はーん……」
「で、霊脈見て何する気なの?」
エルミラは再度質問する。
「だから知らねえんだよ。金払いはよかったし、ダブラマと組んでたらから確かに大掛かりな事をしようとしてるのかもしれねえけど……雇い主が何したいかは知らねえ」
「その雇い主は誰?」
「"コノエ"って名乗ったけど多分本名じゃねえな」
「魔法は?」
「それは言えねえ」
「知らないから?」
「知ってるけど、言えねえ」
「燃やすわよ?」
「だから言えねえんだよ! 知ってるのが一番やばいやつなんだ! 言った瞬間俺がやばい!」
「何てきとうな事言ってんのよ! いいから吐きなさい!」
「無理なんだ! これだけは無理なんだ! 許してくれ! それに知ってるのは名前だけだ! どんなのかは知らない! ほら名前だけ知っても意味無いだろ!? 頼むから諦めてくれ!」
訳の分からない事を言い始めるマキビ。
エルミラに詰め寄られながらも、必死に頼み込むその姿は嘘を言っているようには思えない。
そんな彼に助け舟を出したのは唯一マキビの国の知識があるルクスだった。
「エルミラ、常世ノ国には"呪法"っていう名前を口にさせるだけで効力を発揮する魔法がある。
多分、彼はその縛りを受けてるから名前を知っていても話せないんだ」
「……そなの?」
「"言霊"っていう魔法系統で、魔法名にすら現実への影響力があるんだ。イメージとしてはアルムが充填や変換まで唱えるあれに近いかもしれない」
急に名前を出されてアルムは驚く。
アルムは魔法の現実への影響力を上げる為に、充填、変換、放出の魔法を構築する三段階の工程すらも唱える時がある。
どうやら常世ノ国にも同じような考え方があるようだ。
「ほら見たかクソガキ! 誰が嘘吐きだブス女! ルクスくんもそう言ってる――」
ルクスからの助け舟に調子に乗るマキビ。
そんなマキビが言い終わる前にエルミラの拳がマキビの鼻に突き刺さった。
「言うことは?」
「ふいまへんでひた」
「よし、私は心が広いから許したげる!」
「おご……!」
そう言いながら、エルミラはマキビの口に石を突っ込み、布で口元をぐるぐる巻きにした。
例外もあるが、魔法名を唱えるのは放出で最も大事なプロセスだ。
マキビが例えどれだけの魔法使いだとしても唱えられなければ普通の人である。
「何人かでベラルタに引き返してヴァン先生に引き渡しましょう」
マキビとナナから少し離れ、エルミラは提案する。
ここから一番近くて大きい街はベラルタだ。
次の観光地は大きいが、ここから飛ばした所で二日はかかる。実際は途中で休憩を挟む必要があるので着くのは三日後というところだろう。
事態を知らせるのならばベラルタに引き返すのが一番早い。
全員賛成のようで、異論は出ない。
護衛の依頼で敵の魔法使いと一緒に移動するなんておかしな話は無いので当然だ。
「二人、は必要ですわね。誰が戻るかですが……」
「そりゃ私でしょ。こん中じゃ一番価値が低いもの」
当然でしょ、と言うようにエルミラが小さく手を挙げる。
自虐めいた言い方にミスティはむっと眉を顰めた。
そんなミスティを見てエルミラは慌てて理由を話し出す。
「違うからね? ミスティやルクスと違って名前を武器に出来ないし、ベネッタみたいに治癒ができるわけでもないからって話。一番抜けて問題無いのが私って話よ?」
「それなら俺な気がするが……」
アルムがおずおずと名乗り出ると、エルミラは首を振る。
「アルムはなんだかんだ器用だからいたほうがいいわ。戦うにしてもシラツユ抱えて逃げるにしても一番スピード出るのはアルムだし」
「俺じゃなければ……二人目はルクスが適任だろう。常世ノ国について唯一知識があるからこの中で一番マキビが動いた時に対処しやすそうだ」
「うん、僕もそう思う。家の名前ならミスティ殿で充分だし、僕の血統魔法は護衛にあまり向いてない。引き渡す時に説明するのも僕がいたほうが円滑に進むと思う」
「そうですね……それでいきましょう。シラツユさんはそれで大丈夫ですか?」
ミスティがシラツユに問うと、シラツユはじっとマキビのほうを見ていた。
「シラツユさん?」
「は、はい!?」
二度目の声掛けでシラツユはようやく気付く。
そわそわとどこか落ち着きが無い様子だ。
「……エルミラとルクスさんが護衛から抜けてしまうのですが、よろしいですか?
安全を考慮すれば護衛を減らすべきでは無いのですが、敵国の魔法使いを放置するわけにはいきませんので……」
「はい、お任せします!」
「そういえば、結局霊脈の観測なんて全然できてないな……俺達は滝のとこに戻ったほうがいいよな?」
思い出したようにアルムが言うと、シラツユは首と手をぶんぶんと振る。
「い、いえ! 滞在日数も限られてますし、本命はもう一つの霊脈ですから今回は諦めます!
もしもう一つの場所で時間が余れば帰りにまた寄れるかもしれませんし!」
「そ、そういうものなのか……?」
「はい! こんな事がありましたし、予定が狂うのはフィールドワークにはつきものですから!」
「そうか、まぁ、シラツユがそれでいいなら……」
そういうものなのか、と納得するアルム。
滝の前ではあんなに気合が入っていたのにあっさりと諦めるのは少しもったいないように感じた。
好奇心を諦めるのがいかに難しいかはアルムも知っている。
シラツユの言葉はお預けされた時のそわそわする感じをアルムに思い出させた。
とはいえ、自分は護衛でしかない。
シラツユ本人がそれでいいというならいいのだろうと、これ以上の言葉は喉奥で押しとどめた。
ベラルタ魔法学院の学院長室。
普段はオウグスがいる部屋だが、今は王都へ出向したオウグスの代理を務めるヴァンがもっぱら居座っている。
アルム達がマナリルを出発してから三日後に、ベラルタにはとある書状が届いた。
書状の差出人マナリルとガザスの国境があるマナリルの"マットラト家"。
アルムは知らないが、アルムの故郷であるカレッラの土地の領主でもある貴族からだった。
「どういう、事だ……!」
学院長室で代理で仕事をしていたヴァンに届いた一通の書状を読んだ瞬間、ヴァンは驚愕で立ち上がった。
書状はここベラルタ魔法学院と王都どちらにも送られているようだった。
書状の文字は書いた人間が急いでいた事を感じさせ、お世辞にも綺麗ではない殴り書きに近い。
だが、そんな事は重要な事ではない。
問題は内容だ。
読んだヴァンはその顔色の焦燥を隠せない。
「そんな事あってたまるか!」
棚に保管していた資料をヴァンは急いで取り出し、改めて中身を確認する。
シラツユから受け取った、シラツユのプロフィール、功績なども含めた情報が書かれたガザスからの資料。
ガザスの国証もあるどう見ても正式な資料だ。
そんなシラツユが来た際に穴が空くほど見た資料の名前の欄を注視する。
全ての資料に書かれたシラツユの名を。
「ふざけんな……なら、ありゃあ一体誰なんだ!!」
ぶつける場所の無い苛立ちからか、ヴァンは机にその拳を叩きつけた。
その衝撃で机から書状がひらりと落ちる。
マナリル国マットラト家よりマナリル王都及びベラルタ魔法学院へ緊急伝令。
霊脈調査の為ガザス国より派遣された霊脈研究者"アーレント・パクロカ"と護衛二人の遺体をガザス国魔法騎兵隊ハミリアがガザス国国境近くで発見。
三体の遺体のどれもが半身を欠損していた状況から魔法使いとの戦闘によって殺害されたと予想される。
アーレント・パクロカの死亡につき、ガザス国魔法騎兵隊ハミリアよりマナリルへの研究者派遣の中止が通達。
ガザス国からの正式な書状は後日となる。
ここまでが第二部兆候編となります。
今日はもう一本、短い幕間を上げようと思っています。
続きはその幕間の次の更新となりますので、これからも是非お付き合いくださいませ。