758.花の町パルダムで
帰郷期間は上級貴族にとっては領地運営を学んだり、視察などを行う期間である。
休暇という名目なので休日らしい一日も過ごすが、やはり観光地に長期旅行というのは難しい。
しかし下級貴族にとってはそうでもない。領地が狭かったり、そもそも領地を持っていないなどの理由から、上級貴族とは違って二か月の休暇の予定が仕事でいっぱいになるなんてことはないのである。
生徒にとっては文字通りの休暇となるわけであり……一年生であれば魔法学院に入学してから初の長期休暇でもあるため、大体の生徒が羽を伸ばすためにこの期間を使うのだ。
「はぁあ……」
そんな羽を伸ばしてリフレッシュするには絶好の帰郷期間だというのに……ベラルタ魔法学院一年生フィン・ランジェロスタはベンチに座って行き交う人々をぼーっと眺めながらため息をついていた。
フィンがいるのはマットラト領のパルダムという町だった。自然の丘陵を活かした花畑が有名な観光地であり、春から夏にかけては特に盛況となる。今がまさにその時期であり、町は地元の人々含めて賑わっていた。
町の三分の一が花畑の広がる公園となっている町であり、フィンが座る町の広場の中心にも巨大な花壇に色とりどりの花々が咲き誇っている。公園のほうに行けばもっと人がいる事だろう。
そんな華やかな町で花を眺めるわけでもなく、背中を丸めて哀愁を漂わせながら座る十六の少年フィンはまた一つため息をついた。観光地にそぐわないなんとも寂しい光景である。
「フィンくーん! ほら見て見て!」
「何で私が……」
そんな哀愁漂うフィンの前に、ベラルタ魔法学院の同級生であるセムーラと同じく一年生であるフィンの幼馴染のリコミットがアイスクリームを差し出しながら現れた。
フィンはアイスクリームを受け取るも呆けたままであり、受け取ったアイスクリームを舐めようとするわけでもない。それぞれこの町に咲く花の色で作られた珍しいソフトクリームだというのに、特に驚く事も無かった。
「もうフィンくん……ずっとそんなんじゃぼーっとしたまま帰郷期間が終わっちゃうよ?」
「きゃっ!」
セムーラはリコミットに横から抱き着かれたのに驚いたのか、普段の強気な態度とはかけ離れた声を漏らす。
友人との近い距離感に慣れていないのか、リコミットが腕に抱き着いたままになっていると照れ隠しのようにソフトクリームを舐め始めた。
「さ、食べ歩かんきゃ損損! いこ!」
「……おう」
リコミットは片方の腕はセムーラの腕に絡み、もう片方の手でフィンを引っ張って立たせる。セムーラに絡めている腕のほうにはソフトクリームまで持っているのだから相当な我が儘セットだ。
そんなリコミットに引っ張られながら、一行はせっかくの旅行だと町を散策する事にした。
パルダムの町は観光地だけあって誘惑が多い。
アイスクリーム片手に食べ歩く途中でも屋台から、花の香りも好きだがこれも好きだろう? と言わんばかりの香ばしい風味は鼻をくすぐり、土産屋もカラフルで小物一つとっても部屋に一つ飾っておきたい購買意欲を煽る。
散策するだけでも財布にあっさり手が伸びそうな誘惑が襲ってくる。観光地は伊達ではない。
「フィンくんはもっと感謝すべきだよ。こんな可愛い女の子二人と一緒に旅行に来れてるんだからさ」
「可愛い女の子って……腐れ縁のガキとミーハー女じゃな……」
「ガキって同い年じゃん!」
「だ、誰がミーハーよ誰が!」
リコミットとセムーラは同年代の異性に対する発言とは思えないフィンの言葉に不平不満をぶつけるが、当のぶつけられてるフィンには大して響いてないようだ。
「リコミットは精神がガキなんだよ。そんでお前はミーハーだろ……さらっとあの平民を帰郷期間に誘ってたんだからよ……」
「うぐ……い、いいじゃない別に! アルム先輩誘う事の何が悪いのよ……!」
「いや、帰郷期間の帰郷はどうしたんだよお前……断られた瞬間、リコミットに誘われて帰るのやめたじゃねえかよ……。男を誘うのに故郷をだしに使うなよ……」
「う……!」
帰郷期間にアルムを誘っていたのを見られていたのが運の尽き。
セムーラの心にフィンの正論の矢が刺さる。実際アルムに予定があるとわかった瞬間、実家に帰るのをとっととやめ、こうして友人との旅行に乗り出しているのだから言い返す事もできなかった。
「やめてあげてよ! セムーラちゃんは一見規律とか風紀とか守るしっかり者に見えるけど中身は常にワンチャンス狙ってる貪欲系女子なんだから!」
「り、リコミット……? それはフォローしてくれているの……?」
「こいつこれで悪気がないんだ。すげえだろ?」
三人は帰郷期間だが、故郷の家に帰ることもなく観光地に旅行に来ていた。
理由は三者三様……と言いたいところだが、全員家に帰りたくなかっただけである。
フィンは家族に対して微妙な感情しか持っておらず、リコミットはフィンが帰らないなら自分も帰りたくなく、セムーラは家族が嫌いと見事に全員帰りたくないだけだった。
ベラルタは寮制であり、旅行が終わればベラルタに帰ればいいだけというのも三人には都合がいい。
「もう……せっかくのお出掛けなんだから楽しもうよー……」
「そうよ、せっかくリコミットが私達に気を遣ってくれたんだから……」
「ああ、そうだな……」
「あなたがあの日の事を気に病むのはわかるけど、辛気臭いだけじゃ始まらないでしょ」
「別に気に病んでねえ」
セムーラに諭されるもそっぽを向くフィン。
同年代の女子二人を前にするには幼稚な態度に、セムーラは金色の髪をかきあげながらリコミットに問う。
「この人昔から嘘は下手なの? それともかまってちゃん?」
「どっちも」
リコミットがさらっと答えるとフィンの眉間がぴくっと反応した。
並んで歩いているにしては和やかさが足りない表情だ。
「こらリコミット……てきとうこいてんじゃねえ……」
「てきとうじゃないよ。子供の頃からかまってちゃんだったよフィンくんは」
リコミットがそう言うとフィンは無言でリコミットの手にあるソフトクリームに大口でかぶりついた。そしてそのまま悪びれる様子も無く口の中いっぱいのソフトクリームを味わうわけでもなくただ飲み込む。
リコミットは何が起きたのかしばらく理解できなかったのか目をぱちぱちとさせて……目からは静かに一筋の涙が落ちた。
「私の……ソフトクリームがこんな姿に……」
「ちょっとフィン! まったくガキはあなたのほうじゃない……ほらリコミット、私のをあげるわ」
「うう……セムーラさん……! 貪欲系女子とか言ってごめんね……!」
「うん、それは謝って然るべきなんだけどね」
セムーラがリコミットに自分のソフトクリームをあげると、リコミットはリスのようにソフトクリームのコーンを両手で持ってぺろぺろと大切そうに舐め始めた。食べ歩き用に買ったとは思えないほどそれはもう大切そうに。
「フィン、あなたの気持ちはわかるわよ。あのチヅルって侵入者相手に何もできないって無様を晒した仲間として自信を失うのもわかるわ……でもそうしていたって何も変わらないでしょう」
「……気にしてねえって」
「リコミットの言う通り嘘が下手ね……気持ちはわかるって言ったでしょう? 才能が認められたと思いながら自信満々の即戦力って思いで入学したつもりがいざ実戦になったら動けない、なんて不甲斐無さすぎるもの……」
「……」
「しかも、私達を助けてくれたのが才能の無いアルム先輩だもの。アルム先輩をあまりよく思っていないあなたからしたら最低の出来事かもね」
アルムの名前を出されてフィンは勢いよくセムーラを睨みつける。
しかし同学年に睨みつけられた程度でセムーラは怯まない。むしろそれ以上の目付きで睨み返している。
「だから今度こそああいう事態でも動けるように前向きになるべきだと私は思うわ。今回私がリコミットのお誘いに乗ったのも一度リフレッシュして改めて練習に臨むためよ……決してアルム先輩に断られたからでは……いや一割……いや二割くらいは理由としてあるか……」
「おい」
「と、とにかく! この旅行が終わったらまた頑張るって決めているの! だから思いっきり羽を伸ばすわ! そして帰ったらまた練習! アルム先輩に教えて貰ったメニューは基礎を伸ばせるから反復すればするほど成果がでるもの!」
握りこぶしを作りながら決意を表明するセムーラに隣のリコミットが小さく拍手する。
拍手のせいか周りの人々の視線が集まったのが少し恥ずかしいらしく、セムーラは頬を赤らめる。誤魔化すような咳払いもセットだ。
「ご立派なことで……」
「馬鹿にしているの?」
「してねえよ」
「あなたね……」
セムーラは文句を言おうとしたが、フィンの表情はさっきとは違っていた。
睨みつけるような不機嫌顔でもなければ投げやりな不貞腐れた雰囲気でもない。
「馬鹿にするわけねえだろ。言葉のままだ……そう言えるお前は立派だよ」
「そ、そう……」
その態度に調子が崩れたのかセムーラも言葉に詰まる。
フィンがずかずかと先に行く中、リコミットがセムーラに耳打ちする。
「フィンくん今のは本音だよ」
「そう、みたいね……」
「ああいうとこは素直だから嫌いにならないであげてね」
幼馴染らしい言葉にセムーラはくすっと笑う。
リコミットが色々言いながらもフィンと仲良くやっている理由が何となくわかったように。
そんなリコミットに今度はセムーラが耳打ちする。
「あの……本当に私一緒に来てよかったの? 二人のデートだったんじゃ?」
「ああ、いいのいいの。フィンくんとはこれからまた何度でも出来るから」
リコミットの柔らかい雰囲気とは裏腹な発言にセムーラは驚愕する。
にこっと笑っているのも牽制のように見えてきたかと思うと、リコミットは先を行くフィンのほうへと走り出した。
「待ってよフィンくーん! 何か見つけたの?」
「何も見つけてねえよ……」
二人の背中を見ながら、セムーラはリコミットの柔らかい雰囲気の中に垣間見た強かな一面に感心する。
(あれくらいの余裕が私も欲しいものね……)
と内心でリコミットを羨んでいると……セムーラは辺りが急に暗がりになった事に気付く。
「あら、雲が出てきたのかし――」
見上げて、セムーラは声が出なくなった。
夢や幻視を疑う光景が空にある。
剣。剣。剣。
羊雲のように並ぶ白い剣。
突如現れた白い剣の剣先は町……つまり自分達に向けられていた。
気付いている者も出てきたのだろう。周りが少し慌ただしくなったかと思った瞬間――
「――っ」
空に浮かんでいた白い剣はかたかたと震えて動きを見せた。
セムーラは前を歩くフィンとリコミットの背中向けて叫ぶ。二人はまだ気付いていない。
「敵の攻撃よ!! 逃げてぇ!!」
「は?」
「――っ!? フィンくんこっち!!」
空に浮かぶ剣が何なのかセムーラに知る術などあるはずがない。
端的に最優先事項だけを二人に伝えるとリコミットがフィンを引っ張り、大通りから建物の壁のほうへと走り始める。
壁際にいればあの数の剣が降ってきても壁で軌道がずれる。助かる確率が上がるという考えだろう。
セムーラが大声をあげておかげもあってか他の住民も危機に気付いて逃げ始める。誰が見ても危険な異常事態。空に剣が浮いているのだから一般人でもそりゃ逃げる。
セムーラも二人に危機を伝えると、同じように建物のほうへと向かって走る。
――その目の端に見てしまった。
「うわぁ……! すっごーい……!」
珍しいものが浮かんでいる事に喜び無邪気に空を見上げる女の子がいた。
周りには親らしき人もおらず、ただ珍しい光景を見て嬉しそうにしている。
出で立ちからして平民の女の子。上級貴族の自分の命と天秤にかけるまでもない。
助かるわけがない。見捨てるべきだ。
理性がそう判断する中――セムーラの頭に浮かんでいたのはあの日動けなかった自分の姿と、チヅルという侵入者相手に体を盾にして守ってくれたアルムの姿だった。
「――危ない!!」
前ならぴくりとも動けなかった体が理性も思考も捨てて動いていた。
セムーラは女の子の所まで走り、抱き上げると壁のほうへと跳ぶ。
――同時に、快晴だった空から絶望が降り注いだ。
町と生き物に突き刺さる鈍い音。
斬撃で散っていく花と床に咲く血染めの花。
平和だった光景は無惨にも、一つの生命の気まぐれによって破かれた。




