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【書籍化】白の平民魔法使い【完結】   作者: らむなべ
第十部後編:白光のルトロヴァイユ
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757.食らい続けるもの

「み、みの……みの、見逃してください……」


 その男は地面に膝をついてとある存在に懇願していた。

 農作業で鍛えられたがっちりとした肉体は恐怖で縮こまっていて、まるで捨てられた子犬のよう。

 男の前には赤い服を着た女性がいた。

 滑らかな肌に赤茶色の長髪、整った顔立ちをした女性は懇願する男を見下ろしている。

 女性の体格は男より一回り小さく、筋肉のついた男が恐がる理由はないように見える。

 男が女性を恐がる理由はあまりにも単純だ。

 一つ。この女性の着ている服は村に来た時は白かった。

 二つ。この女性に村は滅ぼされた。

 先程まで村だった場所は瓦礫と木片、そして血に塗れた地獄へと変わっていた。

 どこからか引火した炎がそんな村の名残さえも呑み込んでいく。

 その光景に男の心は完全に折れていた。

 村を、生活を、家族を奪った張本人を前にして一発殴ろうという気すら起きない。

 なにより……目の前で人間の腕を骨付き肉のように食らっている女性を前に吐き気こそこみ上げても、怒りなど湧く勇気は無かった。


「見逃す……?」

「助けて、ください……どうか、どうか……、なんでも、します……」


 かちかちと歯が鳴る音と燃え盛る炎の音。

 そして目の前の女性が肉を食べる音。

 聞こえてくる恐怖の中、男はただ懇願し続けた。


「何でもしてくださるんですか?」

「はい……なんでも、します……」

「まぁ、それは嬉しいですね。それでは少し頼まれて欲しい事があるのですが、よろしいですか?」

「はい……はい……!」


 女は誰のものかもわからない腕の肉を食いつくして骨を足元に置く。

 男はその骨を見てびくっと肩を震わせたが、女性は何かに祈っているだけだった。

 祈り終わったかと思うと、女性は男ににこっと笑い掛ける。


「……それでは今からあなたを味見しますので私の歯形を数えてくれますか?」

「……はい?」

「お恥ずかしながら私、どれだけ食べてもお腹は空き続けていて……せっかく主から賜ったあなた方を食べても味がわからないのです……。ですから、食べる前に色々と試してみようかと思っていた所なんです」

「え? あ、あえ……?」


 男には女性の言葉の意味が理解できなかった。

 極限まで追い詰められた精神はどうにかして機嫌を損なわないようにと精一杯の作り笑顔を浮かばせるのが限界で、何も考えることができない。


「お料理は苦手ですのでせめて下拵えでもと……なので、少し付き合ってくださいませんか? こんな事で主の試練を超えられるとは思っていませんが、何事も試さなくては。そうは思いませんか?」

「え? え? あ、あの……見逃して……貰えるんですよね……?」

「ええ、私が食べて生き残れたらいいですよ?」

「や、やったぁ……」


 恐怖で磨り減った男の精神は致命的な矛盾を捉える事すら諦めていた。

 女性は赤く染まった服をはためかせながら、男の背後に回る。


「それじゃあ行きますよ? 一緒に数えてくださいね? いーち」


 女性はそう言って男の肩に歯を立てる。

 歯は鋭利ではないはずなのにぶぢぶぢと肩の肉を裂き、肌色を赤く染める。


「い、い……いぢいいいいい!」

「そうです。その調子ですよ。生き残れたら逃がしてあげますから頑張りましょうね?」

「ひっ! ひっ! ひっ!」


 恐怖と噛まれた痛みに耐えながら男は背後からの声に必死に頷く。


「にーい」

「に! に! にぃいいい!」


 次に噛まれた……いや食い千切られたのは左耳だった。

 背後から聞こえてくる咀嚼音が傷に響く。


「さーん」

「あぎ!? ひっぐ……ぎいいいいいい!?」


 今度は指が一本食い千切られる。

 数える度に来る激痛が無意識に男に数を数えさせるのをやめさせていた。

 男は一本指が無くなった自分の左手を見ながら涙を溢れさせる。

 一本無くなった指が食われたという事実を強く認識させたのだろうか。

 そんな男の精神は休まることなく……女性から残酷な言葉が聞こえてくる。


「ああ、駄目ですよしっかり数えませんと。これは実験なのですから……三からやり直しですね?」

「ふっ! ふっ! ふっ! え? ぃえ!? や、やり直じ……?」

「はい、さーん」

「ざ、ざん! ざん! ざんんん!!」


 数を数えればいつかは終わると自分で自分に言い聞かせて男は数を何とか叫ぶ。

 どれだけ数えても未来が変わらないという現実から目を逸らして……食い千切られた腕を見ないよう呼吸を荒げながら空を見上げる。

 目に飛び込んできた快晴の空が、止まらぬ涙で滲んでいた。


「よーん」

「よん! んん!! よんん!! ぎっ……ぁやあああああ! うっ……! も、もう……もうやだあああああああ!! 誰か……誰かぁああああ!!」

「ごーお」

「ごおおおお! ごおおおおおおおお!!」


 自分がどんどん食われていく現実を数と一緒に認識させられながら、見逃してくれるかもしれないという有り得るはずのない未来を心の支えにして男は食われ続ける。

 女性は男の色々な場所の肉を食べながら、


「うーん、やっぱり味がしませんね……やはり意味はないのでしょうか?」


 などと、まるで料理の味見をするかのように悩んでいた。

 肩も耳も、指も腕も頬の肉も味はしない。

 そして飢えをしのげる様子も無い。

 女性は肉を飲み込むと残念そうにため息をついた。


「ろーく」

「あぎゅ……が……ひゅ……」

「……?」


 女性が六回目に食らった所は男の首だった。

 真っ赤に染まった口をもぐもぐとさせながら、首から噴き出す血と男が力無く倒れるのを見届ける。


「んぐ……あら、もう数えなくていいんですね? それでは遠慮なく……主よ感謝致します」


 女性は血に濡れた両手で祈りを捧げると数分の時間をかけて男を全て平らげた。

 マットラト領の平和な村だったこの場所は完全に壊滅し、そしてそこにいた住民はこれで全て消えた。


「どの糧もやはり味がしませんでした……私は……あれ? 私は何が欲しかったのでしょう?」


 女性は首を傾げる。

 口から滴る血がぽたりと落ちた。

 

「私は主の試練を……? あれ……? 私は、何か欲しいのでしょうか……? こうして()を倒せばよかったのでしょうか? それとも……?」


 悩む女性の腹が鳴った。

 村一つ分を食べ終わっても、女性の空腹は紛れることはない。

 ただ"現実への影響力"だけが底上げされて、魔力だけが体に(みなぎ)って……魔法生命としての能力が膨れ上がっていく。

 女性はわけもわからず自身の性能を上げ、欲望(エゴ)が思い出せないまま世界を徘徊し続ける。


「ああ主よ。これだけ食べても私のお腹が空いているという事は……私はもっと食べなければいけないのですね。ご安心ください。私は必ずや試練を乗り越え、この天命を全うするのです」


 女性は口を拭って立ち上がる。

 輝くようなその眼には黒い魔力光が灯っていて……次の獲物を探していた。


「ああ、次はあちらに行きましょう。小さな村ばかりで糧を探していたのがいけなかったのです。次は大きな町に行きましょう。今度こそお腹をいっぱいにする事ができれば神の御声が聞こえるはずです。

そう……人間が行動すれば神もまた動いてくださるのですから」


 女性が進むは狂気に満ちた破壊と死の行軍。

 自身を人間と呼ぶ女性は町へと向かう。

 魔法生命である自覚すら無い怪物は次の餌場へと向かう。

 どちらも正しく矛盾もしない歩みであり、ただ一つ言えるのはこの怪物が向かう目的地が不運だという事だけ。

 生きるためではなく空腹を満たすために女性は真っ赤に染まったまま青空の下を闊歩する。

 女性の頭上の空には、何も飛んでいなかった。

いつも読んでくださってありがとうございます。

感想、誤字報告などいつも助かっています。改めてありがとうございます。

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