755.晴れろ夜
『言葉で何を言おうとも、実際に生き残れないのなら戯言だろう?』
「言われるまでもない。僕は理想を現実にしようとする男を誰よりも知っている!」
『ああ、面倒な人間だ。希望を知っている人間というのは度し難い!』
黒煙がルクスの両側から飛び掛かる。両前足にあたる部分になるか。
煙であるがゆえに音は無く、それでいて鋭く地面を抉る。
当然ルクスは強化をかけた肉体によって黒煙をかいくぐるが、一度でも当たれば強化の上から体が引き裂かれるのは間違いない。
ルクスはクオルカのいる所まで退いて鵺の出方を見る。
「父上! 血統魔法の数は……って何で泣いているんですか?」
「いやなに……歳をとると涙脆くなるものだ。血統魔法は使えて後一回……正直、あの怪物の言葉通り生き残るほうが難しいぞ。夜属性とやらを攻略しないことにはどうもな」
「ええ、だから攻略します」
風に乗るように向かってくる鵺を前にルクスは断言する。
「父上、僕のような若輩の指示を信じられますか?」
本来ならば出過ぎた言葉。
ルクスはオルリック家とはいえまだベラルタ魔法学院を卒業してもいないただの一生徒。一方クオルカは一時期変わり者と評されていたとしても魔法使いとしては間違いなくマナリルの英雄。周辺国との戦争を何度も経験し、幾多の戦場を真正面から参戦して生き延びてきた熟練の魔法使い。
人が人なら魔法使いとしてのプライドを逆撫でするような提案だ。お前が従えと叱責されてもおかしくない。
だが、クオルカはその辺のプライドだけが高い貴族と違う事はルクスが一番よくわかっている。
「お前を疑った事など一度もない」
魔法使いとしての判断と一緒に尊敬する父からこれ以上無い言葉が返ってくる。
父と息子の初めての共闘で、クオルカは迷いなく息子が主導すべきと判断してこの場を託した。
「タイミングを見逃さないでください!」
「任せよ!」
『人間の親子の愛というものか』
鵺は二人を見てせせら笑う。
くだらないと吐き捨てながら黒煙を散らした。
『爪轢・空舞死』
黒煙は鋭利な刃となって二人を襲う。
ルクスとクオルカは互いに目を合わせ、ルクスが前に出た。
「『鳴神ノ爪』!」
『鳴神……? 常世ノ国の魔法か?』
ルクスの右手に巨大な五本の爪が現れ、刃となった黒煙全てを受け止める。
しかし、ルクスの魔法は受け止めた場所から崩れ落ち、次の瞬間には魔法としての形を失い霧散していった。
「くっ……! 駄目か……!」
『にゃららら! 時間稼ぎにもならんなぁ!?』
飛来してきた黒煙は防げたものの、消費した魔力はあまりに大きい。
何せルクスもクオルカもすでに血統魔法を使っているのだ。クオルカに至っては二度の顕現でもう無駄な魔力は一切使えない。纏っている強化を維持するだけでも最善の注意を払っているくらいだった。
『【死唄・虎ノ奏】!』
「――!?」
雷鳴。否。吠える声。
同時に全身を弾くような衝撃がルクスを貫く。
「が……はっ……!」
「ルクス!!」
体は無傷。だが痛覚だけが体を走る。
皮膚がただれるような激痛、切り裂かれたような熱さ。
ルクスはすぐさまこれが鬼胎属性による幻痛だと気付く。
鵺は夜属性と鬼胎属性の二つを併せ持つ。攻撃が必ずしも夜属性だとは限らない。
ルクスは下唇を噛み切って幻痛を振り払った。
しかし鵺はルクスが崩れたその一瞬を見逃さない。すぐさま幻痛を振り払ったのは流石の判断ではあったが、それでも一瞬だけ張り詰めていた意識が緩んだ。
その隙を突いて鵺は音も無く黒煙の体でルクスと取り囲む。
夜属性による魔法の封殺。鬼胎属性による精神への攻撃。
二つを併せ持つ鵺に囲まれてはルクスの逃げ場はなく、夜属性を持つ鵺相手では魔法での突破も難しい。
「!!」
黒煙でルクスと分断される直前、ルクスから送られた視線にクオルカは気付く。
その目は言うまでもなく死んでいない。そして視線を送った場所は鵺の後方。
本人達でなければわからないであろうアイコンタクトをクオルカは受け取る。咄嗟にルクスを助けようとした意思を抑え、その目を信じてルクスの望む通りに鵺の光る目が届かぬ死角へと走った。
『あのファニアという女が俺様の宿主を倒すまで待つか? その前に八つ裂きになるだろうな! まずはルクス・オルリック貴様からだ! この状態からは一分も持つまい!?』
「いいや。一分も無い。終わりだ怪物」
『お前が死んでか?』
「哀れだね。自分の力じゃなく、属性の相性で勝利を確信するなんて」
鵺の黒煙がルクスに迫る。
迫る黒煙の正体は爪かそれとも牙か。
たとえそれがなんだろうとも、ルクスの目には"空"しか見えていなかった。
「【雷光の巨人】!」
『なに――!?』
ルクスは空目掛けて魔力の雫を放る。
現れるは【雷光の巨人】。ただの巨人の姿ではなくルクスが覚醒させた雷そのものが巨人の形を成している形態。
【雷光の巨人】は現れた瞬間、使い手であるルクスと共に飛び上がった。
自身の魔法の"現実への影響力"で身を焼かれながら、ルクスは空を目指す――!
「夜属性は……! "光"の特性を消すことは出来ても、魔法によらない光はかき消せない……!」
『まさか――!?』
「だから貴様は夜に来なかったんだろ……!? オルリック領は街灯が多いから!」
オルリック領は領主であるクオルカ・オルリックが民の生活を豊かにしようと尽力し続けてきた結果、マナリルでも珍しい町全体に街灯が建てられている地。
そして魔石の光は無属性によるものであり夜属性ではかき消せない。
だから、鵺は仕掛けるタイミングにあえて昼を選んだ。当たり前の話だが昼に街灯は光らない。
そしてルクスの狙いは――!
「晴れろおおおおおおおおおおお!!」
『しまっ――!』
【雷光の巨人】の閃光が曇天を裂き、剣の一閃が雲を払った。
鵺の出現によって遮られていた日差しが今オルリック領に再び降り注ぐ。
『この……!』
黒煙となっていた鵺の姿が変化していく。
流体から実体へ。
魔法から生命に。
最初に見せた動物を掛け合わせたような姿が黒煙の中から現れる。
「そして、夜属性は光のある場所では十分な力を発揮できない。雲で空を覆ったのは……弱点を隠す為だ」
『ルクス……オルリックぅう!!』
鵺の出現によって日は遮られた。
しかし日を遮っている曇天は当然自然に現れたものでもなければ、本物の雲と同じ高度にあるわけでもない。空を覆う雲は鵺の力によるものであり、であれば"現実への影響力"を上回れば排除できるのは必然だった。
鵺が黒煙形態になるには直接光が差し込まず、実体のある宿主が一体化していないのが条件。
昼であればオルリック領自慢の街灯は消えていて、鵺を照らせるような光も無い。
ならばその能力によって天を閉じれば鵺に弱点はない……はずだった。
この男がいなければと鵺は空から落ちてくるルクスに牙を向ける。
「やめておくといい。君はもう負けている」
『八つ裂きにしてくれよう!』
「もう一撃貰っているんだろう? 一体化を解除した君に二撃目が防げるとは思えない。僕を殺そうとしている時点で終わりだよ」
二撃目? と一瞬、鵺の思考が。
そして背後の殺気が鵺に彼の存在を気付かせた。
ルクスの指示によって鵺の背後に回っていた男の存在を。
「【雷光の巨人】」
『――』
背後から聞こえる鵺にとっての死神の声。
振り返った瞬間、自身と同じ……いやそれ以上に巨大な雷の巨人が剣を振りかぶっているのを鵺はその目に見た。そして雷の巨人にクオルカ・オルリックが載っているのも。
その光景に鵺は一撃目に受けた部分がずきりと痛むのを感じる。生命としての感覚が次の瞬間を予兆させていた。
一撃目は防御の術を展開して耐え切った。
では二撃目は? 一体化を解いて"現実への影響力"は下がり、そして防御の術も展開していない今の自分に耐え切れるか?
「言ったはずだ。君はもう負けている」
『鵺は――』
否。耐え切れるはずがない。
鵺の体に振り下ろされる巨大な雷の剣。
クオルカの残り魔力全てをつぎ込んだ最大の一撃。
夜の力を使えなくなった鵺にその一撃を防ぐ術はない。
クオルカの渾身の一撃は鵺の肉体ごと大地を砕き、周囲一帯に地響きを轟かせた。
『ば……かな……。ぬえ、が……人間たった二人……に……』
「侮り過ぎたな夜の怪物。知らなかったか? 人間はいつの時代も、夜を超えてきた生き物だという事を」
地に崩れ落ちる鵺を見下ろしながら、クオルカは髭を撫でる。
空から着地したルクスもクオルカと同じように横に並ぶ。
鵺は核こそ破壊できていないが、もう動く様子はない。
「……」
「……」
二人は顔を見合わせると無言でその拳を重ね合う。
ここはオルリック領。マナリルで二番目に強い貴族が守る土地。
この地には晴れた空がよく似合う。
いつも読んでくださってありがとうございます。
明日の行進で一区切りとなります。
 




