753.不吉を運ぶ怪物
「……出し惜しみもさせてくれぬとはな」
クオルカは呟きながら雷の巨人を操作して鵺が吹っ飛んだほうへと走る。
思ったよりも早く血統魔法を使ってしまったのは計算外。
クオルカの算段では汎用の魔法で立ち回り、ルクスかファニアと合流してから一気に畳み掛ける予定だったが……魔法生命相手にはそうもいかない事を実感する。
予定通りとはいかなかったが血統魔法をすぐに使わなければいたずらに魔力を消費し、ただ劣勢になるだけだっただろう。
魔法生命との戦闘が初見であるクオルカが今攻勢に出れているのは敵の力の一端を見るなりすぐさま切り替えられる判断力によるものが大きい。
「この声は消えぬか……」
髭を撫でながら忌々しそうに呟く。
見た目上は普段と何ら変わりないように見えるクオルカだが……先程から脳内には小さく声が響いている。
助けを望む涙声。痛みに耐える悲鳴。
もっと生きたかった、と消え行くような声もあれば死なせてくれと解放を望む声もある。
病。災害。呪詛。
鵺の見せる理不尽に命を奪われていく人々の声を混ぜ合わせたような記録がクオルカの精神を蝕んでいく。
血統魔法を早く使ったのは思ったよりも汎用の魔法の"現実への影響力"が振るわなかった点も大きな理由の一つだった。
初めて鬼胎属性の魔力を受けたクオルカには嫌でも精神に負荷がかかる。魔法のイメージに集中するために精神を常に平静にするべき魔法使いにとって、鬼胎属性の呪詛はあまりに影響が大きい。
(こんなものを聞きながらルクスや友人達は戦っていたというのか……)
魔法生命はこの呪詛に加えて人を食して力を増す生命体でもある。
そんな怪物達と今まで戦ってきたアルム達に、クオルカは心の中で敬意を表しながら吹っ飛んだ鵺に追い付いた。
魔法生命がどれだけ危険かを実感し、妻であるアオイの墓を荒らされた怒りも重ねてクオルカは鵺に止めを刺すべく雷の巨人を操る。
ここは町の郊外だ。丘の上の墓地から引き離せさせすれば重要な施設も無い。
夏の青草と花畑の上で、黒煙を纏う怪物と雷の巨人がぶつかり合う。
『四大貴族とやらがこれほどとは……トヨヒメがダンロードを制圧できたのは不意を突いたからか?』
「悪いがオルリックは元来武闘派でね。領地運営ばかりで魔法使いとしての鍛えが甘いダンロードと一緒にしてもらっては困る」
鵺の爪を腕で弾き、剣の一撃を振り下ろす。
先の一撃を受けたせいか鵺は飛び退いてかわす。
振り下ろされた剣は大地を砕き、走る雷は野を焼いた。
(魔法生命と同じ宿主との一体化に近い……"現実への影響力"が跳ね上がるのも納得だ)
鵺の中からクオルカの血統魔法を見ていたノブツナはそんな感想を抱いた。
常世ノ国でも魔法と一体化する血統魔法は珍しいがないわけではない。
魔法と魔法生命……その在り方は違うものだが、洗練されれば同じ道を辿るような事もあるのかとのんきに納得していた。
それもこれもクオルカの血統魔法の完成度ゆえ。
魔法使いとしての自分に興味が無いノブツナですら、クオルカの【雷光の巨人】がどれだけ完成されているのかがわかる。
これでマナリルの二番手というのだから恐ろしい。これより上のカエシウス家の人間とは一体どれほどの者なのか。
さぞ美しい首をしているのだろうな、とノブツナは想像しながら笑みを浮かべた。
『余裕だな宿主……追い詰められるぞ。予想よりも強力だ』
「吾輩は君についていくだけだからね……本気で倒すなら奥の手を使おう」
『リスクはあるが……霊脈を大して喰らってもいない私達では限界はあろうか』
「魔力切れまで粘る、なんて悠長なことはできないだろう?」
『ふむ……』
鵺とノブツナが繋がりを利用して会話する間も、クオルカの猛攻は続く。
魔法生命である鵺が防戦一方にならざるを得ず、鵺は一定の距離を保つ。
当然、クオルカの魔力も無限ではなく、こうして時間稼ぎをすれば魔力切れを起こすだろうが……時間を稼いでいるのはクオルカも同じ。
どれだけ時間がかかっても先にルクスとファニアが到着するだろう。
「む……」
『……もう来たか』
鵺がそんな事を考えていると、遠くで流星が光った。
いや曇天で流星が見えるはずがない。
その光の正体は魔法を纏った魔法使いだった。
空気を焼くけたたましい音を立てながらクオルカと鵺のほうへと高速で向かってくる。
「着地する。舌を噛むぞ」
「――!!」
バチバチバチィ! とクオルカの近くにその光が滑るように落ちた。
地面を抉りながら停止したその光の正体はファニアとファニアに抱きかかえられるように掴まっているルクス。
二人はクオルカと魔法生命の魔力が膨れ上がったのを感知した後、ファニアの血統魔法【夜空駆る光華】による高速移動によって無理矢理クオルカの下に駆け付けた。
「ふははは! 何とも格好の悪い登場だなルクス!」
「助けに来た息子に対して第一声が格好悪いですか父上……いや、間抜けな格好だったのは認めますが……」
ルクスは恥ずかしそうにファニアから手を離して頭を下げる。
どうかルクスを責めないでやってほしい。ファニアの血統魔法は使い手以外を保護する力はないのでルクスは高速移動の間、ファニアに必死に掴まっている事しかできないのだ。
「冗談だ。助かったぞ。どうもあの怪物、私と互角くらいの力はあるようでな……ルクスとファニア殿が加われば勝利できるであろう」
「微力ながら援護させて頂きます」
【雷光の巨人】に乗るクオルカの横でファニアは険しい表情で剣を抜く。
相手は魔法生命。ファニアはその残滓を持つトヨヒメ相手にボロ負けした経験があるゆえに油断は欠片もできない。
同じようにルクスも呼吸を整えて前に出た。
クオルカだけでも互角に近かった所に現れた戦力……これがただの魔法使いならばともかく、どちらも魔法生命相手の経験がある二人。
完全な劣勢である事を認めるように、鵺は息を吐いた。
『流石にルクス・オルリックまで来てはな……九尾復活のために出来るだけ魔力は温存したかったが仕方ない。宿主の言う通り奥の手を使わねばならぬ状況か』
ルクス達三人が身構える中、鵺は喉を鳴らす。
鵺と三人の距離は少しある。この距離で果たして何が来るか。吐息か? 呪詛か?
だが……攻撃にしては何か様子がおかしかった。
鵺は何か攻撃を仕掛けてくるかと思えば、吐くような動作をしゃっくりのように繰り返している。
一体何をしようとしているのか魔法生命との戦闘経験があるルクスも見当がつかない。
『うぼえ……』
「いい気分はしないが仕方ないな」
『ああ、宿主』
「……!? 一体化を解いた!?」
鵺の口の中から出てきたのは宿主のノブツナだった。
魔法生命は宿主と一体化する事によって"現実への影響力"の最大値を出せるようになる。宿主との適合率にもよるが、それでも魔法生命がそのまま戦うよりも遥かに強くなるのは今までの相手から明らかだ。
魔法生命の知識があるがゆえにルクスには今逃げるように宿主のノブツナが鵺の後方に走っていく意味が理解できない。
案の定、目の前にいる鵺は少し小さくなり……黒煙がその大きさをカバーするように体に纏わりついていく。
『そこのファニア……だったかな? 確か貴様は特異体質だったな、カンパトーレの危険指定リストに火と雷の二属性持ちとあった』
「……それがどうした?」
にやり、と鵺は笑う。
辺りに漂う黒煙が鵺を包んでその笑みを最後に表情はわからなくなった。
クオルカもファニアも、そしてルクスすらその変化の意味がわからない。
『にゃららら……時に、特異体質を持つのが人間だけかと思うかね?』
鵺の問いに一瞬思考が固まる。
完全な有利を得ており、精神に余裕があるはずのルクスの背筋を凍らせる。
「ま……さか……!」
『曰く……鵺は夜になると黒煙と共に現れる。誰も見えず、誰も知らず、誰もわからぬ。正体の掴めない鳴き声だけが聞こえる不吉の使い。
俺の伝承はこの世界で顕現する時……私に特異をもたらした』
黒煙の中でさらにどす黒く光る二つの眼。
先程までの動物を掛け合わせたような姿ではなく黒煙そのものが鵺へと変わる。
実体から流体へ。
生命よりも魔法に。
鬼胎と夜の二属性の黒い魔力光が黒煙の中で最悪の形で混ざりあう。
『鵺は鬼胎属性、そして夜属性の二つを持つ特異体質の魔法生命。
曖昧で、不確定で、目に見えない……実体のない不吉は夜に訪れ恐怖を生む。
私こそはその具現……鵺は不吉とともに夜を連れて、高らかに鳴いて世を駆ける』
黒煙は四足の獣のカタチをしていた。
頭も体も、足も尻尾の先に至るまで実体の無い生命へと鵺は変貌を遂げる。
朝まで快晴だった空は分厚い雲に阻まれて、夜のように暗くなっていた。
「ま、まずいぞクオルカ殿! ルクス殿! ここにいる全員の属性は――!」
「くっ……! 誘い……込まれたのか……!」
ファニアとルクスの狼狽を誰が責める事ができよう。
――夜属性は"光"の特性を呑み込む特性を持つ。そして属性の特性を失った魔法はその形を保てなくなり、現実に存在するに値しない現象と変えられた魔法はそのまま自壊してしまう。
鵺の目の前にいるルクスとクオルカ、ファニアの操る雷属性は勿論、ファニアのもう一つの火属性もほとんどの魔法は光の特性を有している。
『夜に恐怖し、不吉に怯えよ。鵺の鳴き声を聞きながら……念仏でも唱えて布団の中で縮こまるがいい。生憎、この星には神も仏もいないがね』
つまるところ、たった今形勢は逆転した。
――ここからは怪物の時間となる。




