751.君の前でなら
クオルカ・オルリックはルクスの父親であり他国にまでその名を轟かせるマナリルの魔法使いである。
四大貴族オルリック家の名に相応しく子供の頃から頭角を現し、学院卒業後は領主としても魔法使いとしても優秀な人物として知れ渡る。
路面の舗装や下水の管理などのインフラ整備、さらに最近では首都アムピトに魔石の街灯まで建てたりなど民の生活を豊かにし続ける有能な領主でもあり……戦争時に駆り出されればマナリルのために戦うまさに理想の貴族と言える人物だ。
だがその評判と同じ以上にクオルカ・オルリックは変わり者として知られていた。
どんな女性でも選べる立場でありながら見合いもせず、パーティに出席すれば女性に靡くこともなく……下級貴族ですら二十五までには相手がいるのが当たり前というのにクオルカは四十手前になっても結婚をしなかった。
誰もがクオルカ殿は男色なのではと噂し始めたと思えば、いつの間にかどこの家ともわからぬ女性と結婚したのがクオルカが変わり者と呼ばれるきっかけだった。
何せクオルカが結婚したその女性は出自があまりに怪しく……聞けば聞くほど怪しさが増していく。家柄は不確かだが魔法だけは使える。マナリルに来た理由は口を閉ざす。
そんな怪しい女性を隣国との小競り合いが日常茶飯事だった当時、誰が歓迎するだろうか。ついにはクオルカは他国のスパイを迎えてしまったのではと噂され、その女性は貴族社会から弾かれるようになった。
クオルカ・オルリックは歓迎してもその妻は歓迎できない。だが四大貴族オルリック家当主が決めた事を表立って揶揄するわけにもいかない。なので妻となったその女性をいないものとして扱うのが貴族達の落としどころだったのである。
それを機にクオルカに深く関わる者はいなくなる。
どの家も深く踏み込んでスパイの嫌疑をかけられたくはない。
次第にある事ない事を吹聴され始め、そして誰も深く踏み込まないので真実かどうかもわからない。
そのような状況にも関わらずクオルカ本人が幸せそうにしているのも相まって、クオルカは四大貴族でありながら変わり者と評される事となった。
恐らくは四大貴族でなければ侮蔑に近い評をうけていただろう。
誰もが羨む家柄と実績を持ちながら自分の評判には無頓着という珍しい二面性を持つ貴族である。
そんなクオルカ・オルリックだが彼の一日は特段変わった事はない。
彼の一日は朝は早くも遅くもない時間に起き、部屋の壁にかかった妻の肖像画に愛を語るところから始まる。
寝室にしては広いのだが肖像画はベッドを起きた先の壁の半分を占めている。
「おはようアオイ」
普段であれば使用人が起こしに来るまで続けるが、今は使用人がいないのである程度で切り上げて食堂へと向かう。朝食をとらねば一日を始めるパワーが出ない。
すでに食堂で食事をとっていたルクスとファニアに朝の挨拶を交わす。使用人を避難させているので今日はファニアが作ったトーストと簡単なサラダだ。
「そうだルクス。お前の一番の友人であるアルムくんは帰郷期間はどうしているんだ? うちに招待してもよかったんだぞ。私も久々に会って話してみたいのだが……」
「アルムはミスティ殿とスノラにいるので……邪魔はできません」
「ほう? ほほう? いやいや、それはめでたい事だ。ふむ、婚姻の際には何か祝いの品を……そうだな、ルクスの親友とあらば鉱山の一つくらいは贈ってやらねばな」
「流石オルリック家……スケールがすごいですね……」
朝食が終われば執務室で仕事をする。
今は新しい仕事が入ってこないのもあってすぐに終わる。
未処理の事案に目を通して進めていいものは判を押し、思う所があれば検討に回す。
側近にあたる使用人がいればこんな時くらい仕事をするのはやめたらどうかと進言されるかもしれないが、何もしないというのも今のクオルカには難しかった。
仕事がひと段落するとこれから公的な場に出るのかと思うほどきっちりと紳士服を着込み、昼前には庭に出る。庭に出るとクオルカは花壇を眺めながら今日はどの花がいいかと呟き、悩み始めた。
少し悩みながら花を摘むと、リボンを巻いて花束にするとそのまま外出の時間である。
屋敷から出て町から少し離れた丘の上目指して散歩をする。
今日の陽気は出掛けるのに丁度いい。自分で作った花束を抱えて、クオルカは丘の上に着いた。
オルリック領の首都アムピトが一望できるその丘の上に建つのは墓地である。
「今日は暖かいなアオイ」
クオルカは墓地に到着するとアオイ・オルリックの名が刻まれた墓の前に抱えていた花束を置いた。
昨日置いた花束を回収すると、白い墓をハンカチで軽く拭いて蝋燭に火を点ける。
「昨日ルクスが帰ってきたぞ。一段と逞しくなって……来年には卒業して成人だ。いつ当主の座を渡すか悩むところだ。私はまだまだ現役のつもりなのだが……いかんせん長く居座り続けるとそれはそれでな。引き際というのは中々に難しい」
墓地に来た理由は当然、妻への墓参りだった。
昨日起きた出来事、今日の朝の気分や体調を報告する。
亡くなった妻が寂しくないように、向こうにいる妻に報告するように……または自分のために。
「引退したらそうだな……何をするか。しばらくはルクスに領主とは何たるかを教える事になるだろうが……ルクスはすぐに心配いらなくなりそうだ。エルミラくんという素晴らしい恋人もいることだし、情けなくも領地運営に泣き言を吐くこともないだろう」
数十分かけて墓地まで歩き、数分だけ語らって帰る。
それが妻を亡くしてから行っているクオルカ・オルリックの日課だった。
仕事や王都に召集された時を除けば、一日も欠かした事はない短くも大切な時間だった。
「アルムくんの事になると誇らしげになるのは変わらないな。私にとっての"魔法使い"はお前だったが、彼にとってはアルムくんがそうらしい。彼に触発されてか魔法の腕もかなりのものになった。学院に入る前の伸び方とは比べ物にならんぞ。あれはいずれ私以上になる……いや、まだ私のほうが上だぞ? まだまだ若い者には負けられん」
しかし今日は何故かいつもより墓に話しかける時間が長かった。
温かい風を受け、髭を撫でながらクオルカはずっと墓の前に立つ。
ルクスの事、ルクスの恋人や友人の事、ファニアは美しい女性だが決して浮気ではないという事、今日の天気に静かな町並みよりもやはり人が行き交う町が好きな事、鉱山をプレゼントしようと思っている事などずっとずっと話し続けていた。
……まるで、何かを待っているかのように。
「ふむ……一番強い者を狙いに来た、というわけでもなさそうだな」
そしてついにその言葉は妻の墓に向けてではなくなった。
左のほうから誰かが歩いてくる。その誰かに向けてクオルカは敵意を放つ。
「……ここにいるという事は……吾輩達が来るのがわかっていたのか?」
歩いてきたのは風呂敷を背負い、腰に刀を背負った男であり鵺の宿主――ノブツナ・ヤマグチだった。
クオルカがその出で立ちからすぐにノブツナが常世ノ国の出身であることを見抜く。
「無論だ。あれだけわかりやすくてはな」
「感知範囲に入った時から魔力は閉じていたつもりなのだが……いかに?」
「感知したのではない。あれだけ毎晩五月蠅かった雷鳴が昨日は鳴らなかった……あまりにわかりやすいものだから罠かと疑ったぞ。だが……ここに来る理由があったようだな?」
昨日クオルカが遅くまで起きていたのは日々近付いてきていた雷鳴を聞く為だった。
しかし昨日はルクスと話した後も雷鳴は聞こえてこなかった。簡単すぎるほどわかりやすい話だ。それで身を潜めたつもりだったのだろう。
「ああ、君……詰めが甘いぞ」
「……? 誰に話している?」
「ああ、そうか、吾輩以外には聞こえないのか……気にしなくていい」
魔法生命というやつか、とクオルカは身構えた。
宿主と魔法生命の関係についてはクオルカも聞いている。
「ん? ああ……やはり気にしてくれ。挨拶したいそうなんだ」
「挨拶? この私と?」
「どうしてもと……言うんで聞いてやってくれ」
瞬間、雷鳴のような音が辺りに響き始める。
ゴロゴロ。ゴロゴロ。
落雷のように空を裂くような音ではなく雲の中で瞬くような鈍さを持った音。
或いは忌避を感じさせる獣の唸り声。毎晩、クオルカが聞いていた音であり目の前で聞かされるにはあまりに不快な音だった。
辺りに散るのは音だけでなく鬼胎属性の魔力。
音に乗り、普通の人間ならば精神を蝕まれる魔力が霧散する。
当然、魔力を通じて死者の悲鳴と恐怖が直接クオルカの精神に塗りたくられた。
「なるほど……これは人間にはきついな。一瞬よぎるのは病に蝕まれる者達の悲鳴か? それとも死に伏した者達の未練か? どちらにせよ生者が聞いていい音ではない」
「……!?」
ノブツナは驚愕を隠し切れない。
驚いた事にクオルカは遠くから聞こえるだけで人々を震え上がらせ、恐怖に陥れる鵺の鳴き声を……平然とした表情で分析している。
これがアルムやルクスであればノブツナも驚かなかったあろう。対魔法生命に慣れた者ならば鬼胎属性の魔力にも多少なりとも強くなる。
だが、クオルカは一度も対魔法生命を経験していない魔法使い……鬼胎属性の魔力を初めて流し込まれるはずだというのに、髭を撫でている姿からは余裕すら感じられる。
「どうなっている……? 恐怖が、無いのか……?」
ノブツナは問いながら刀に手をかける。
注意深く観察しても、その体に震えは無い。震えを隠している様子も無い。
クオルカはただ自然とそこにいる。恐怖の記憶など欠片も堪えていないかのように立っている。
その自然さが逆にノブツナの警戒度を上げた。鵺の魔力を知っている宿主だからこそ。
「ふむ……確かにこの場所でなければ、確かに脅威だったろうな」
「場所……?」
ここは墓地だ。
むしろ鬼胎属性の影響は底上げされる環境に近いと言ってもいいだろう。
ノブツナにはクオルカの言っている意味がわからない。後ろに結んだ青神を揺らしながら辺りを見渡した。やはりなにか変わったことはない。
クオルカはそんなノブツナの様子を見て驚いたように目を剥く。
「む? わからぬか? 本当にわからぬのか?」
「墓地が……何を?」
「墓地だからではない。ここが愛する妻の墓の前だからだ」
自然とクオルカの前にある白い墓にノブツナは目が行く。
そこはノブツナの目的でもあるアオイの遺体が眠る墓だ。墓の下に首がある事を想像してノブツナの口内によだれがたまる。
「――わからぬか? 妻の前だぞ?」
しかしご馳走を前にしたような気分はその声で風の中へと消えた。
先程受けたものとは別格の戦意。いや殺意。
鬼胎属性の魔法生命を宿してなお、命に届きうる意志がそこにある。
「私はいくつになろうともアオイの前では世界一の男でいると決めている。ましてや恐怖で怯える姿など見せるわけがなかろう。男というのはどれだけ歳を重ねても、惚れた女の前では格好をつけたくなるものだ。違うかね?」
辺りに充満する鬼胎属性の魔力は健在。クオルカの頭の中には依然として死者の悲鳴が流れこんでいる。
――それでもなおその意思を蝕む事も心を折る事もできない。
普通の人間が嘔吐し、涙を浮かべて助けを乞う濃度の魔力の渦を……クオルカはたった一人に捧げた愛で踏み殺した。
鬼胎属性の魔力の中で泰然と立ち続けるクオルカを見て、宿主越しにクオルカを見ていた鵺も表に出る。
『今まで私達が殺してきた人間とは違う。宿主、最初から死を出せ』
「言われなくとも……化け物相手に出し惜しみはしてもな」
快晴の下で殺意と殺意がぶつかる。
墓地という場所でさらに死の香りが濃くなっていく。
怪物と怪物を宿す者、そして怪物がもたらす恐怖を踏み殺す獣の姿がそこにはあった。
「これだけ派手に魔力を垂れ流したのだ。ルクスとファニア殿も直にここに来る……貴様らにとっては私よりもルクスが辛かろう。さあそれまでに私を殺せるかな?
マナリル四大貴族の一角……このクオルカ・オルリックを――!」
クオルカは閉じていた魔力を解放する。
それは一瞬で感知できるような濃度。
突然解放された魔力に呼応して金糸のような髪と髭が逆立ち、獅子の如く牙を剥く――その圧力に対抗するようにノブツナは唱えた。
「――【異界伝承】」
異界の伝承とこの世界を繋ぐ楔の言葉を。
「【夜帳雷鳴観音開】」
夏の風とは思えない背筋が凍るような風に乗ってその声は空へと届く。
雲一つないはずの空模様。それでも、太陽は不吉に触れたように陰り始めた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
異界伝承するの久しぶりですね。




