749.慌てた帰郷
「ここまでありがとうございます! すぐに逃げてください!!」
「はい! どうかお気をつけて!」
ルクスはオルリック領の首都アムピトに到着した瞬間、馬車から飛び出した。
馬車の御者も危険はわかっているのかすぐさま離れ始める。未曾有の危険がある可能性がある中、ここまでルクスを乗せてきただけでも仕事熱心な御者だったと言えよう。
名前だけでも聞いておけばよかったと思う暇もなく、ルクスは自分の屋敷へと走る。
ファニアからの連絡を貰ってすでに四日。もう魔法生命との戦いが始まっていてもおかしくない。
「町に被害はない……当然か」
連絡を貰ったファニアから避難はすでに始めているとは聞いていた。
人がいなければ当然魔法生命が町で暴れる理由もない。
見慣れた雑貨屋にカフェ、レストランに経営できているのかわからないアンティークショップまで町がそのままの姿であることにルクスは安堵する。
問題は霊脈のあるオルリック家の屋敷のほうだ。
強化を使って速度を上げる。
町が無事でも自分の家が無事とは限らない。
それに屋敷には自分の父親もいるだろう。
冷静に努めようとしても自分がどこか逸っている事を自覚する。
こんな慌ただしい帰郷になるとは夢にも思わなかった。
本当なら今頃エルミラと少し町をデートしながら家に戻る予定だったというのに。
「父上!!」
屋敷について門を開けながらルクスは叫ぶ。
こんな場所で呼んだところで返事が返ってくるはずもないが、それでも叫ばざるを得なかった。
ルクスの父親クオリカ・オルリックはマナリルでも高名な魔法使いではあるが……当然魔法生命との戦闘経験などあるはずがない。幾度も死闘を繰り広げたことのあるルクスにとって父親を心配するには十分な理由だった。
自分の家に帰ってきたとは思えないほどの勢いで玄関の扉を開く。
迎えの声はない。当然だ。屋敷の使用人も避難している事だろう。
私室に向かうも人の気配はない。まだ帰っていないのかと思った矢先、食堂のほうから声が聞こえてきた。
「父上!!」
聞こえてきたその声に飛びつくように、ルクスは食堂に飛び込んだ。
「はっはっは! 流石はファニア殿ですな!」
「マナリルの英雄にそのようなお言葉をかけて頂けるとは……光栄ですクオルカ殿」
「……ちち、うえ?」
食堂に飛び込んで目に入ってきた光景は心配とは裏腹なものだった。
食事をしながら談笑しているクオルカとファニアがいるだけで、危険とはあまりに程遠い。どちらかといえば祖父と孫娘の会食といったところだろうか。
ルクスが入ってきた事に気付いたクオルカはスプーンを置いて立ち上がった。
「ルクス! おかえり! よく帰ってきたな!」
髭を撫で、手を大きく広げながらルクスに駆け寄るクオルカ。
ルクスはよくわからないままそのハグを受け入れる。オルリック家では珍しくない光景だ。
クオルカが家族を溺愛しているのは貴族界隈では常識と言っていいくらい有名であり、テーブルについているファニアも別段その光景を驚いたりはしない。
「腹は減っていないか? 使用人を避難させてしまっていて凝ったものは作れないが……お前の父は料理においても隙の無い男だ。簡単なものなら作ってやれるぞ。どうせ人がいないせいで食材は有り余っているのだ」
「クオルカ殿の料理は確かに絶品です。貴族は料理などと手を付けない者も多いですが、これだけの腕前であればそこらの料亭に並んでいてもおかしくありません」
「はっはっは! ファニア殿にそう言って頂けると自信もつくというものだ……これは隠居後の趣味は決まったかな?」
「ご冗談を。あのクオルカ殿が料理をきっかけに隠居したとあっては私の首が危ういでしょう」
談笑する二人を見て目をぱちぱちさせるルクス。
まだ状況がよくわかっていないようだった。
ファニアからの連絡で急いで帰ってきたというのに流れる空気はあまりにも和やかだ。
クオルカがルクスをハグから解放すると、何かを探すようにきょろきょろとルクスの後ろを見る。
「む? 恋人は……エルミラくんはどうした? 一緒に来る予定では……」
「あ……えっと……。諸事情で途中で別れたんです……別行動になって……」
「な、なんだと!?」
クオルカの驚愕に何かまずい事があったのかと呆けていた思考を取り戻す。
まさかエルミラをオルリック領防衛の戦力として数えていたという事だろうか。
ルクスは自分の父親が魔法使いとして優秀かを誰よりも知っている。その父親の計算を狂わせたのかもしれないと焦りを表情に浮かべた。
「せっかく……エルミラくんに食べてもらいたい高価なマスカットを取り寄せたというのに……! いないのか……! そうか……!」
「あ……え?」
「前に来た時に食べたことがないというから今回の帰郷期間に備えて用意していたのだ……いや、別件であれば仕方あるまい……。次の機会に馳走するとしよう……」
クオルカは残念そうにため息をつく。
ルクスはそんなクオルカの様子を見て、ようやくいつもの調子を取り戻した。
「お二人共、魔法生命が攻めてくるかもしれないというのに……何をのんきなことを!?」
「……」
「オルリック領に鬼胎属性の魔力が接近しているというのファニア殿の情報だったはず……それで何故こんなにも落ち着いていられるのですか!?」
ルクスは心配と困惑を混ぜた疑問を二人にぶつける。
ぶつけられたクオルカは落ち着いた様子でルクスの両肩に手を置いた。
「ふむ、まだ若いなルクス。では逆に問おう。落ち着かずにいて……何か利があるのか?」
クオルカの問いに言葉が詰まる。
ルクスの中にその問いに対する答えは用意されていない。ただ心配と焦りから出た言葉だったのだから。
「お前の気持ちもわかる。故郷が脅かされるというのなら尚更だ。その思いを責めることはしない……だが魔法使いたるもの、どんな事態であれ平静でいることだ。冷めた心を持てというわけではない。心に感情を灯したまま平静であれ」
「……っ」
「住民の避難は済んでいる。我等オルリック家の補佐貴族に引き継ぎもすんでおり、護衛の増援としてファニア殿の部隊をつけてもらった。異変があればすぐにファニア殿に連絡が来る。この町にはすでに私の感知魔法を敷いているから安心しろ。
もし賊が攻め込んできた際には私とファニア殿、そして当然ルクスの三人で賊を迎え撃つことになるであろう。私からすれば戦力が少ないと言いたいところだが、魔法生命は人の恐怖を糧に強くなるという情報から一定のレベルを持った魔法使い以外はいるべきではないと判断した。この中で私だけが魔法生命と戦った事がないためファニア殿の意見を優先させての判断である。
魔法使い相手ならば私はお前やファニア殿よりも上だろうが、魔法生命は私にとっては未知の相手……コンディションは万全にする必要があると考え、私はここでリラックスして過ごすと決めた。現状は以上だ。意見はあるかねルクス・オルリック?」
そこでルクスは父が今だけ一人の魔法使いとして自分を扱っていると理解した。
これは一種の教育と言えるだろう。魔法使いとしてどう在るべきかを見定められている声色だった。
「い、いえ、ありません」
「結構」
ルクスが一先ず落ち着くとクオルカの表情が魔法使いの顔から父親のものに戻った。笑顔で髭を撫でる姿はどこからどう見ても優しい父だ。
そんな父の姿を見て、ルクスは心の中で自省する。
故郷を狙われていると聞いた上に、エルミラと途中で別れたのもあって冷静でいられなくなっていたようだ。
「エルミラくんと一緒ではないのは残念だが……よく帰ってきてくれた。相手が相手だ。お前は私の息子だが、危険から遠ざけるわけにもいかん。なにせこの中で唯一魔法生命との戦いを勝ち抜いた魔法使いだ。頼りにしているぞ」
「はい、父上」
「よし……落ち着きが戻ったな。スープでよければすぐに用意してやろう」
「ありがとうございます」
ルクスは勧められるがままテーブルにつく。クオルカはスープをよそいに行ったのか食堂の隣の部屋へと移動していく。
ルクスとクオルカのやり取りを横で見ていたファニアはただ感心していた。
「流石はクオルカ・オルリック……噂に違わぬ人格者だな。まさかあれほどの御方が息子のためとはいえ料理をよそいに行くなど聞いたことがない。
毎晩訪れる異様な事態に気付きながらもこうして私やルクス殿を気遣う余裕を持ち合わせている……歴戦の魔法使いに相応しい精神力だ。ルクス殿にとっては自慢の父だろうな」
「はい、自分がどうにかしなければと気負っていたのも見抜かれていたようで……冷静に諭されてしまいました……」
父を褒められた誇らしさと情けない姿を見せてしまった気恥ずかしさでルクスは複雑な表情をしながら口元で小さく笑う。
だがすぐに、ファニアの言葉に妙な情報が入っている事に気付いて聞き返した。
「ファニアさん、異様な事態とは……? もう何か起きているんですか?」
ファニアは腕を組みながら窓の外を見た。
「私は二日前から滞在させてもらっているのだが……実害はないものの毎晩、おかしな事態はすでに起きている。クオルカ殿がそれを毎夜聞いていながらあのように振舞っていられるのは正直尊敬に値する」
「聞く……ですか?」
「雷鳴だ。雲もなく、荒れた様子もない空だというのに、夜になると決まって遠くから雷鳴が聞こえてくるのだ……不気味だろう? こちらに向かってくる魔法生命の予兆の可能性が高いと思わないか?」
いつも読んでくださってありがとうございます。
クオルカさんはイケおじ。




