747.常世ノ国の巫女
「北西に二キロ……そこからまた移動して……」
ミスティ達カエシウス家の人々の無事を確認したアルムはイヴェットの治癒魔法を受けてすぐにグライオスに貰った地図の場所を目指す事にした。
ほとんど時間が経っていないため治癒されても痛みは残ったままだが、グライオスから貰った情報をすぐに確保するためにアルムは動く。モルドレットからの情報提供によって敵の数や輪郭こそはっきりし始めたものの、依然としてマナリルは情報不足……そしてアルムがグライオスから受け取った地図は他ならない敵勢力からリークされた情報だ。早急に確認する判断は間違いないと言えよう。
「ここら辺はまだ雪が残ってるんだな……」
アルムは残雪を眺めながら、強化された足で山を駆ける。
王都やベラルタで迷子になるアルムも山では優秀な案内人だ。
本人曰く、山より都会のほうが遥かに複雑怪奇と語っているがルクスには微妙な表情をされていた。
グライオスから受け取った地図と周囲の地形を見比べて、迷いなく走っていく。
罠である可能性は考慮しない。する理由も無い。
強化された足に任せてかなりの速度で向かっているが、撤退したルイーズ達カンパトーレの部隊に遭遇もしない。恐らくは別ルートで撤退したのだろう。
「『魔弾』」
「ぎゃうっ!!」
こちらを狙う魔獣に手慣れた様子で威嚇の魔法を撃つ。
襲われたら足を止めて対応しなくてはいけない。時間のロスを防ぐためだ。
知能が発達している種か狂暴化しているかのどちらかでもない限り魔獣は大抵、攻撃魔法を何発か威嚇で放てば戦いを避けようとするものだ。
だからこそ、そんな事を構わずに襲ってくる狂暴化した魔獣は魔法使いにとっても難しい事態になったりする。
「廃村……か?」
一時間と少し走って、アルムは地図の目的地が見える場所に辿り着く。
念のため一直線で目的地に行く事はしない。
山の上からしばらく眺めて、人の動きが見えないのを確認すると身を潜めながら村に近付いた。
予想通り、放棄された村のようで戦闘の跡があるわけでもない。
小さい村だ。家の数は百くらいだろうか。
カエシウス領周辺はスノラに人や流通が集中しているせいか、北部はこういった小さな村が点々と残っている事もあるらしい。スノラより北はカンパトーレにより近くなってしまうので危険ではあるが、スノラのような都会が合わない人々が故郷から離れ難いと言って暮らしているんだとか。
そんなミスティから聞いた北部の豆知識を思い出しながら、アルムは一つ一つの家を確認する。
魔力を完全に閉じ、割れた鏡の破片を使って慎重に家一つ一つの中を見ていく。
グライオスとの戦闘の影響で体が万全ではないためいつも以上に慎重な様子だった。
グライオスやその部隊の事は疑っていないが、カンパトーレの事は疑っている。グライオスの敗走の報告を受けてカンパトーレがここに別の部隊を送っている可能性は十分にあると考えての警戒だった。
「人の気配はほとんどないが……放棄されてる家の中が妙に綺麗なのはグライオス達が拠点にしていたからか……」
一時間近くかけて村の家や井戸の中まで確認し終わると、アルムは最後に残していた一番大きな建物に目を向ける。一番大きいと言っても他の家の二倍程度で、貴族の屋敷というわけではないが村の規模からすると屋敷のようなものだ。
アルムは塀を飛び越えて、その屋敷の中へと入る。
門もあったが閉まっていた。錆びついた門を開けようとすれば音が響くだろう。
「……! 人の気配……?」
屋敷の中から音が聞こえる。
そっと玄関の扉を開けて、中へと入った。
予想通り中は他の家と同じようにそこまで広くない。
人の気配がする……というよりも音がする部屋まで忍び足で近付いて、アルムは壁に耳を当てた。
「――――」
壁越しにほんの少し声が届く。
アルムは目をつぶってその声や中から聞こえる音に集中した。
(獣じゃない。人の声。生活音ではない。わざと音を出している? 声は弱ってる。口を塞がれている。捕虜か? 捕虜だとしたら見張りがいる……? 一人の音しか聞こえないな……)
まだずきずきと体に痛みが響く。
それでも入らない理由はない。一瞬、応援を呼ぶべきかと思いはしたが、その間にカンパトーレの応援がここを訪れたらグライオスの善意が無駄になる。
「――"放出領域固定"」
決断すればアルムの行動は早かった。
グライオスとの戦闘を経てもなお尋常を超えた魔力を練り上げ、奇襲をかける。
「【一振りの鏡】!」
アルムは自分の手に降ってきた割れた鏡のような剣で扉の横の壁を切り裂き、そのまま中へと突っ込む。
中に人がいるのはわかったが、人数まで把握できない。
であれば速攻。扉以外からの突入による奇襲と制圧。
中に何人いようと迎撃の準備を整えられる前に全員斬り伏せる――!
「ん!? んんんんん!!?」
「なに!?」
鋭い目をしながら突入したアルムの戦意はすぐに削がれる事となった。
部屋の中にいたのは女性一人。それも……手は縛られていて口には口枷が付けられている。
魔法は口を塞がれると魔法名を唱える事ができず、"放出"が出来ない。つまりこの女性は魔法使いであったとしても無防備だという事だ。
しかし、そんな口枷よりも……アルムの目を引いたのは別の部分だった。
「……」
「……」
アルムも女性も、互いに互いを見たまま少し固まる。
いつの間にか【一振りの剣】の形が割れた鏡のようなものから、刀の形に変わっている事もアルムは気付いていなかった。
アルムは固まったままだったが、数秒固まった女性は突然安堵したかのように涙を流し始めた。
アルムは明らかに武器を持っていて、女性には抵抗する手段が無いというのに……まるでアルムがどういう人間かわかっているかのような。
対して、アルムも普段の冷静さからは程遠い行動をとる。
アルムは無言のまま、女性の口枷を外していた。敵か味方かも定かではなく、魔法使いかもしれない女性だというのに……まるでアルムも女性の事を知っているかのように。
どんな理由かはアルム自身にもわからなかったが、少なくとも二人には共通点があった。
「俺とアブデラ王と同じ……黒髪に……黒い瞳……」
「アオイ様と同じ……黒い髪に、瞳……!」
アルムは呆然と、女性は感極まった表情でボロボロと涙を零す。
アルムはそのまま女性の手足を縛っていた縄を【一振りの鏡】で斬ると、女性は涙を拭って……目に見えて衰弱している体を無理に起こしたかと思うと、わざわざアルムの目の前で正座をし始める。
「ようやくあなた様にお会いできました……今日はわらわにとって最上の日でございます」
掠れた声ながらもその声は夏の薫風のように透き通る。
放棄され、荒れた部屋の中でもその黒髪の美しさは損なわれず。
アルムを見つめる潤んだ瞳は星空のように希望を見る。
こちらの姿勢を正さねばと思うほど綺麗な所作。白く細い指が動けば、揺れる黒髪もまた映える。
女性は伏し目になりながらその頬に熱と朱を滲ませて……恭しく三つ指をつききながらその頭を深々と下げた。
「お会い出来て光栄でございます"分岐点に立つ者"。海の向こうの島国からずっと、あなたをお慕いしておりました」
「……はい?」
困惑から少し後退るアルム。
女性は顔を上げて、にっこりと微笑みかける。
その端麗な顔立ちの微笑みは全てを虜にする魔性のごとく咲く。
「わらわの名前はカヤ・クダラノ。"常世ノ国の巫女"にしてあなた様と同じ"分岐点に立つ者"。そして――あなた様の嫁になる女でございます。どうぞわらわと婚姻を結び、末永く可愛がってくださいませ」
敵だった者から貰った情報を辿ってきたかと思えば初対面の人物からの逆プロポーズ。
理解できない状況にアルムの頭の中は混乱を極め……そのまま無言で立ち尽くす。
あまりの驚きからか、握っていた鏡の剣は音を立てて床に落ちていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
今日は二回更新です。夜に第十部前編最後の更新をします。




