746.戦いの帰郷
「ベネッタと連絡がつかない!?」
時間はほんの少し遡り、大蛇とグライオスの襲撃が始まった頃の事。
オルリック領へと走る馬車の中からエルミラの大声が響き渡った。
蹄が駆ける音やがたがたとうるさい車輪の音よりもさらに大きい。
ベネッタと別れたのは二日前ほどの事。馬車に乗ってベラルタに向かっていたはずだ。
という事は別れた直後を狙われたという事だろうか。エルミラの顔が青褪める。
「……っ! 一人にすべきじゃ、なかった……!」
『落ち着きなさい、まだ連絡がつかないだけです。それにベネッタがそんな簡単にやられるとは思えません』
通信相手は宮廷魔法使いであるファニア。諭すようなファニアの言葉にエルミラは唇を噛む。
ベネッタの事を信じていないわけではないが、動揺はすぐに落ち着かない。
そんなエルミラを見かねたのか、正面に座っていたルクスはエルミラの隣に移動してその背中を擦った。
エルミラは通信の邪魔にならないよう、視線でルクスに礼を言うと自身を落ち着かせるように息を吐く。
『ベネッタは感知に秀でた使い手だ。君達の中でも特に奇襲に強く、逃亡や時間稼ぎも容易のはず……比較的近い位置に君達がいるという事を把握していながら連絡をしていないという事は何らかの事情があるのだろう。
どれだけ最悪な事態だったとしても通信用魔石を紛失した程度のもののはずだ。そうだろう? あの子は今やダブラマの聖女とも呼ばれるほどの使い手だ……易々とやられるとは思えない。無論、付近の調査はさせるから安心しろ』
「そう……そうね。確かにあんたの言う通りだわ」
『安心しろというのは気休めだけで言っているのではない。生半可な相手はベネッタに返り討ちにあうだろうし……魔法生命だとしたら騒ぎになっているはずだ。カルセシス様に確認した所、北部で騒ぎになっているのは現在スノラだけ。通信用魔石を紛失したか、独自の交渉を行っているかのどちらかというのが現時点での私の推測だ』
「ちょっと待って!? スノラ!? アルムとミスティに何かあったの!?」
さらっと流れそうになった情報にエルミラは飛びつく。
ベネッタに関してはファニアの言う通りだと納得する事にする。心配なのは変わりないが、心配した所で状況は変わらない。それよりも明確に状況が変化しているスノラの情報を仕入れるのが先だろう。
『スノラに大蛇が出現した。同時にカンパトーレの魔法使いによるトランス城襲撃が始まっている。恐らくスノラの霊脈を狙っての攻撃だろうが……アルムとミスティの二人が揃っているところの襲撃、加えてノルド殿もいらっしゃる状況でトランス城が落ちるわけがない。周囲の魔法使いに救援要請もすんでいるから一時間もあれば報告が来るはずだ。スノラには密かに王都から派遣した魔法使いも滞在しているから安心したまえ』
「そう……まぁ、確かにあの二人が揃ってたら大体は大丈夫か……」
『そして、ここまでの報告は現状の情報共有だが……君達に最優先で伝えねばならない情報は別にある。エルミラ、ルクス殿に変わってくれ』
ファニアの声色が少し変わり、エルミラは心配を隠せない表情のまま通信用魔石をルクスに手渡す。
「ん」
「ん?」
ルクスはそのまま通信用魔石に魔力を通しながら耳に当てた。
「代わりました。ルクスです」
『ルクス、東部を調査していた感知魔法部隊から連絡があった。鬼胎属性の魔力反応がオルリック領の方向に向かっているのをキャッチした』
「!!」
『アルム達が心配なのはもっともだが、反応の大きさと速度からして恐らく本命はこちらだ。感知魔法の部隊員の内三人は鬼胎属性の影響で泡を吹いて倒れた。
彼等によると到達予想時間は四日後の昼頃……すぐにオルリック領に戻れ! クオルカ殿にはすでに報告をして住民の避難を開始している!』
ルクスは自身の故郷が狙われているという情報に生唾を飲み込み、エルミラのほうを見る。
そんな中、心配そうにこちらの様子を窺うエルミラを見てすぐに動揺を収めた。
自分達は現在マナリルにおいて対魔法生命の重要な戦力……互いを心配し合って普段通りの力を発揮できないなど情けないにも程がある。
心配な気持ちはそのままに、だからこそ自分達が今やるべき事を見失うなとルクスは自分自身を律した。
「情報感謝します。オルリック領へは丁度向かっているところですので僕が対応します」
『私も常世ノ国の大使達を丁度見送っていた所でマットラト領にいてな。微力ながら私もオルリック領へ向かう』
「わかりました。それではオルリック領で落ち合いましょう……」
『ああ、君にとってはとんだ帰郷になったかもしれないが……私にとっては頼もしい味方だ。待っているぞルクス、エルミラ』
ファニアの言葉を最後に通信は切れる。
ただの帰郷のはずが魔法生命を迎撃しなければいけないとはとんだ休暇になったと言わざるを得ない。
だが、誰に文句を言ったところで敵が待ってくれるはずもない。
当たり前の事だが、敵にも敵が望む欲望があるのだから。
「うああああああああああああ!!」
「!?」
「どうしました!?」
馬車の外……この馬車を引いているはずの御者の声が馬車の中にまで聞こえてくる。
ルクスとエルミラが慌てて窓を開けると、今日は雲一つ無い空のはずが……馬車には大きな影が落ちていた。
「王様……マナリルに残って彼等を手伝わなくてよかったのですかね……?」
常世ノ国に向かう船の上。
常世ノ国の残党であるチヅル・ヤマシロは船頭で船の進む先を眺める魔法生命モルドレットに問う。
情報と引き換えにマナリルからの恩情によってベラルタでの工作活動を不問にしてもらったチヅルからすれば、このまま常世ノ国に帰るというのは忍びない。
加えて……子供の頃、大百足に故郷を滅ぼされた身としてはアルムに協力したいという願望もあった。同盟を約束して情報交換してはいさよならではあまりにもあんまりだ。
そんな願望が駄々洩れでそわそわしているチヅルをちらりと見て、モルドレットはため息をつく。
「あのな……一番戦力厚いマナリルにこれ以上戦力置いてどうするんだ……。常世ノ国の霊脈だって活性化しているんだぞ? ただでさえ今の常世ノ国はまともな戦力が無いんだ、数少ない常世ノ国の霊脈をむざむざ大蛇に渡す気か? 俺達がマナリルに残ってバカンスしている間に常世ノ国が乗っ取られるぞ」
「そ、そうですよね……申し訳ございません……」
「それに、俺は信用されてない。このままマナリルに残ったら暗殺される」
モルドレットの物騒な質問にチヅルはぎょっとする。
「ま、まさか……アルム様達は信用できますよね……」
「個人と国を一緒くたにするな。アルムとマナリルは違うだろう。マナリルからすれば……いや、ダブラマやガザスにとっても"最初の四柱"の最後の一体なんていつ次の大蛇になるかわからない魔法生命なんて殺したくて仕方ないに決まってるだろ。特にガザスのラーニャ女王なんて色気は人一倍あったが殺意も人一倍あったからな」
「確かに魔法生命である王様をいい目で見てはいないでしょうね……」
「対大蛇として同盟を組んで協力して、その後さくっと俺を殺すのがあちらさんにとって一番安全だから当然だ」
自分が狙われる話だというのに、チヅルの目からはモルドレットが機嫌がよさそうに見えた。
口の端で小さく笑っている。無論、海原の景色に気を良くしたわけではないだろう。
「王様……何だか嬉しそうですね? 自分が殺されるかもしれないんですよね」
「ふふふ。ああ、嬉しいとも。国にとって正しい判断を下す王を見て気分がよくならないわけがないだろうが。まともな頭してたら俺の事なんて殺したほうがいいに決まってるんだからな」
「ちょっと……私にはわかりませんね……? 自分が狙われるとわかれば気を張りますね……」
「だから狙われないような状況に変えるために常世ノ国に逃げ帰るんだよ。常世ノ国に出現するであろう大蛇を追い払って……とりあえず俺の討伐を保留って判断にしてもらうためにな。一緒に頑張ろうじゃないか。明日は我が身だ。最高だね」
「ええ……」
あまりに軽い態度にチヅルが引いている中、モルドレットは高らかに笑いながらマナリルの方向へと振り向いた。
「じゃあなマナリル! 愛しき同盟相手ちゃんよ! 精々滅ばないように頑張ってくれよな! こっちはこっちで勝手にやらせてもらうからよ!」
「お、王様ー……」
「一度滅んだ国に世界を救う余裕なんてあるわけないだろうが。完全に滅ぶ日を遠ざけるために痩せた土地でも採れる作物ほおばって……いつかを期待して滅ぶ道を遠ざけるのが精一杯ってもんだ。
覚えときな。弱者が急に主役の手伝いををできるわけないんだよ。一歩一歩地道に……まずは自分の事をやってから誰かを助けられるようになるのさ」
モルドレットはマナリルに向けて投げキッスをしたかと思うと、再び常世ノ国のほうへと体を向ける。
その視線の先には生前では成し得なかった王の道しかない。
"最初の四柱"モルドレットが人間の味方をした理由……それは彼がすでに生前の欲望を叶えかけているからだった。
彼は最初から王の道を望んでおり、神になりたいなど欠片も思っていなかったのである。たとえ明日自分より強い魔法生命に負けるとしても。
いつも読んでくださってありがとうございます。
兎年ですが兎は出てきません。




