744.ミュトロギアとフォークロア
『聖女と呼ばれし者よ……魔法生命の目的は知っているかな?』
「聖女じゃなくてベネッタですよー」
『そうか、ではベネッタ……此方の事はくじらさんと呼ぶといい』
「……さん付けしてほしいんです? 意外に俗っぽいんですねー」
『意味は重要ではない。私はくじらさんと呼ばれていた。そしてその呼ばれ方を気に入っている』
ベネッタは空にいた。
怪物――魔法生命ケトゥスの背中に乗っていた。
地上を離れ、星の海には届かない雲海。
ベネッタは冷静を保とうとするものの、目の前に広がる幻想のような光景に口は開きっぱなしになっている。
雲と空、そして降り注ぐ光だけの世界。
そんな世界の中を飛行する自分達が夢の中と言わずしてなんだというのか。
ベネッタとケトゥスの邂逅後に始まったのは血に塗れた戦闘では無かった。
殺し合いでも一方的な虐殺でもなく、食事でもなく……ケトゥスが望むのは対話だった。
ベネッタは警戒しながらもケトゥスの望みを承諾し、こうして空を飛行している。
飛んでいるなどと言えばケトゥスには泳いでいるのだ、と訂正されるだろうが、ベネッタからすれば飛んでいると言う他無い。
それよりもベネッタが不思議に思ったのは、鬼胎属性の魔法生命に触れているはずなのに魔力が流れ込んでこないことだった。
罠を覚悟してたので精神を蝕む呪いに身構えていたかと思えば、待っていたのは空の旅……一体どういう事なのかと思いながらもケトゥスに付き合い続けている。
「魔法生命の目的……この世界の神様になる事って言ってますよねー? そうじゃないんですか?」
『半分正解と言った所だろう。では神になるとはどういう事か具体的にわかっているかな?』
「えっと……それは……」
わからなかった。
魔法生命達の口ぶりからすると人間が脅かされるのは間違いないのだが……具体的に神になるとは一体どういう事なのか改めて考えると答えは出ない。
天上の空席。ただ一柱の存在。神の座。
魔法生命達が語る目的の中に自分達が理解できるワードが存在しないのだ。
『この世界には神がいない。君達が答えに至れないのは当然だろう』
「というよりも、目的って魔法生命それぞれ違うんじゃないんですかー……? 生前の未練とか同じじゃないですよね?」
『ああ、厳密には違う。だが魔法生命達が行きつく先は魔法生命自身が拒絶しない限りは一つに収束する』
ケトゥスは一つ間を置いて語る。
『ベネッタよ……"ミュトロギア"、というのを知っているか?』
「ミュトロギア……?」
『そうだ。此方の世界では神話を指す言葉であり……それこそが魔法生命全般の目的と言ってもいい。この世界に自身の伝承を刻みつけ、神話を築く事こそが魔法生命の到達点だ』
この世界には神話はあるが認知度があまりにも低い。資料として王都に残っている程度であろう。
それどころか魔法の存在にも建国にも、はては民間伝承に至るまで神は関わらない。
伝説の魔法使いや幻想の中に生きる魔獣、生物そして王族の伝承などは数多くあるが、神についてはほとんど存在しないのである。
だからこそベネッタにはそれが重要な事に思えなかった。
『神はただ一柱そこにいても意味が無い。人間を遥かに超える力を持つが……他が語り継ぎ、信仰する何者かがいなくてはならない。だからこそ魔法生命は恐怖を植え付ける。力を見せつける。呪詛によって心を支配する。魔法生命はその全てが伝承に刻まれた存在……恐怖こそが神であり信仰や伝承のきっかけになるという事を、一番よく知っているのだ』
「だから……ボク達を食べる?」
『そうだ。食された者の魂は魔法生命を恐れ、血肉は現実の証となって魔法生命の体を魔力に変えて巡る。それを見た誰かが更に恐れる。自分はああなりたくないと心から望む』
魔法生命が人間を食べるのは生前の力を取り戻す為。
しかしそれは人間のように生きるために食べなければいけないわけではない。
あくまで伝承の補強、呪詛の向上、生命を脅かす恐怖の象徴たる存在としての行動だ。
『汝が契約したメドゥーサは異界とこの世界を繋げる事で三姉妹の女神としてこの世界を支配するつもりだった。
ミノタウロスはベラルタに迷宮の神話を再現しようとした。ここより遠き異界において彼より迷宮と根強い怪物は存在しないからこそこの世界でもその神話を築こうと画策した。
常世ノ国で死んだファフニールという魔法生命は財という人間にとってわかりやすい価値を支配する事で伝承を作り上げようとしていた。
大嶽丸はただ一体の個体の圧倒的な力によってガザスを陥落させ、自身の暴虐そのものを伝承とし、国を支配する工程そのものを神話にする手段をとった。
そしてベネッタ……汝が復活を阻止したアポピスは自身の再誕そのものが才有る者だけの新しい世界を生む創世神話であり、その世界を創ったアポピスはその時点で神へと辿り着く予定だった』
「え……あれってそういう意味でもピンチだったんです……?」
その時の事を思い出しながらベネッタは聞き返す。
思えばアブデラ王が色々言っていた気もするが、ベネッタからするとアルムを死なせたくないという一心で食らいついていたのでそこまで頭が回っていなかったようだ。
ケトゥスはそこで初めて、心底から呆れたようなため息をこぼした。
『自覚無しとは恐れ入るな。少なくともアポピスが復活すればダブラマという国はアポピスを主神とする神話の国に変わっていた。グリフォンと土蜘蛛はその計画に乗る形で協力していたのだ。グリフォンは同郷……異界の故郷である古代王国の名を復活させるために、土蜘蛛は自身の欲望のまま女を嬲れる土地を築くためにだ』
「うひゃー……」
『そしてもう一人……魔法生命ではないが水属性創始者ネレイア・スティクラツも同じように自身の神話を築き、この世界の神になろうとしていた。この話は魔法生命のスピンクスから話を聞いたかもしれないが』
「スピンクスさん……?」
ベネッタは口を開けっぱなしにしながらスピンクスと初めて会った時の事を思い出す。
ケトゥスの言う通りアルム達や王城の人間達にネレイア・スティクラツの存在を警告してくれたのはスピンクスだった。
しばらくの間彼女が何を言っていたかを一つ一つ思い出して……ベネッタの表情が変わった。
「あ……あー! 言ってた! 洪水神話とかなんとか! 神の座につくために洪水を起こすって……!」
『その通りだ。創始者としての伝承が元々根強いネレイアには血統魔法によって引き起こされる災害一つで十分だった。魔法生命達と同じように神の座を目指していたが……それは汝が知る通りかえしうすに止められている。
この世界における神の座を手に入れるための存在、そして力の証明……それが"神が為の神話"だ』
空の上で行われる情報提供はまるで答え合わせのようだった。
ベネッタは驚愕を隠せぬまま、続けざまに語るケトゥスの言葉を聞き続ける。
『無論、全ての魔法生命の目的がそうではない。此方やスピンクスもそうだ。これは善悪や種の問題ではなく個の欲望ゆえの隔たりと言えよう。
竜神の一族である白龍は人間を儚み、知識無き者は食い殺すスピンクスは生前出会った人間にした誓いを守るために、悪鬼として名高き酒呑童子は人間を理解するために人間を守ろうとした。
大百足は自分を殺した人間に出会うために神ではなく怪物である事を望み、忘却の悪魔サルガタナスはたった一人の弟子のために自分の存在を忘却しようとした』
改めて消えていった魔法生命達がやりたい事を聞いて、ベネッタはまるで自分達みたいだと思った。
魔法生命として目指す場所よりも優先される個の欲望。彼等がそれに殉じて消えていったのだと思うと急に別世界の存在とは思えなくなる。
それに近い感覚をベネッタはアポピスとの戦いでも感じていた。
血統魔法でアポピスに触れた時、ベネッタは呪詛で焼かれながらもアポピスの蘇りたいという思いだけを否定できなかったのだ。やり方だけは許せなかったが、その思いだけは生命としてあまりに真っ当だったから。
……もしかすれば、欲望というのはそういう事なのかもしれない。
『一番珍しいのは鬼女紅葉だろう。鬼女紅葉は自分ではなく宿主のための"フォークロア"を望んだ。自身ではなく宿主が歩むラフマーヌの復活……それによる伝承の誕生を望んでいた。自分が神になるわけでもなく、宿主を神にするわけでもなくあくまで人間として宿主をこの星の頂点に立たせようとした。
結局は宿主であるグレイシャではなく、あの二人の"フォークロア"になってしまったが』
「フォークロア……?」
その問いを最後に空の旅に沈黙が流れる。
ケトゥスは答えることなく、ベネッタも繰り返さない。
風の音が大きくなって、ベネッタは代わりに別の問いを投げかけた。
「じゃあ……くじらさんの目的はー? 情報でボクをどこかに連れてって殺すためー?」
『……連れていく先を考えれば、ある意味そうとも言うかもしれぬ』
否定しないケトゥスからは戦意も敵意もない。
この空の旅にはちゃんと目的地があるらしい。
『"分岐点に立つ者"……此方らの天敵であるアルムでは救えぬ欲望を忘れし者がいる。
聖女と呼ばれた汝ならばと、汝を探していたのだベネッタ・ニードロス。世界の成り行きを見守る魔法生命ではなく、人を手助けするくじらさんとして』
いつも読んでくださってありがとうございます。
もう少しで前編終わります。




