741.狼は星に吠えられなかった2
「アルム、"偶像崇拝"って知ってるか?」
「いえ……?」
グライオスは落ちていた木の枝を少し曲げる。
しなる枝はまるで生き物を表しているようだった。
「簡単に言えば、崇拝の対象を象ったものを崇める事だそうだ……カンパトーレは今"蛇神信仰"が広まっているのは知ってるだろ?」
「はい、それは聞きました……大蛇を、信仰してると」
「最初はな、それこそ半信半疑だったんだ……常世ノ国からカンパトーレに話を持ち掛けてきた奴等が言うんだよ、貴族やその貴族が統治する領民に蛇の像を置いて配ってくれってな。そんで蛇の像に毎日供え物を? ってやつをしろって……それだけでマナリルやダブラマを打倒し得る魔法生命に関する資料や人材、支援金を提供するってな。
蛇の像が最初から何だったのかなんてわからないまま、困窮してるカンパトーレは即その話に乗ったよ……当たり前だよな、わけわからん蛇の像を置いてるだけで国が支援を貰えるんだから」
カンパトーレはマナリルやダブラマのような大国ではない。
貴族の数や質は勿論、国の生産力自体も少なく……傭兵国家と呼ばれるようになった魔法使いの派遣運用も国を潤すため、そして大国であるマナリルとダブラマの矛先が向かないための苦肉の策だ。
定期的に自国から傭兵として戦力を放出していれば、それは自国の人的資源の損耗を把握されているのも同じ……要するに、常に二国から眼中に無い状態を維持できる。
カンパトーレはマナリルの北部以上に寒さが厳しく、険しい雪山に囲まれているため地理的にも産業的にも優先して支配したくなるような国ではない。そこに加えて魔法使いという戦力が傭兵として定期的に派遣され、戦場で減っていくのを確認されていれば当然カンパトーレと全面戦争をする理由はなくなるというわけだ。
その方法は確かにカンパトーレという国の形を今日まで維持する事に成功させてはいた。
しかし、そんな方法を続けて国が潤うわけもない。自分達が魔法使いを消費している間に……他の二国の魔法技術や研究は進み、魔石の加工技術も発展していき、また差が開いていく。
そんなカンパトーレにとって、資金援助と魔法生命という存在はどれだけ魅力的に映っただろうか。
「そんでとある出来事が起きた。貴族の命だからって毎日意味も分からず供え物してたやつがな、一人いたんだ……そいつの所に蛇の像を置けって言ったやつがお礼だって金を置いていった。あなただけがこの町で唯一、毎日蛇神様に供え物を捧げてくれていたってな」
「それは……」
「そんなの見せられたら……他の領民もそりゃやるよな」
国自体が困窮しているカンパトーレ……当然そこに住む平民はさらにだろう。
そこに、不意に降ってくる貴重な金。
蛇の像を置いて、毎日供え物をしたという理由だけで金が貰えるとわかれば当然全員がやるだろう。
特に供え物は、供えたからといって消費するわけではない。
食べ物を供えれば、少ししたらその供え物は自分達で食べても問題ないのだ。
実質何の損も無く金を貰える。こんなうまい話はない。
実際に金を貰った人間がいたとあらば、こぞってやり出すに決まっている。
……その供え物を捧げる先に、何がいるかわからないまま。
「しばらくして……蛇の像を置いていった奴等が来て言うんだ。
あなた達の供え物のおかげで我等が神は力を取り戻しました……その御姿を現してくださるってな」
グライオスは持っていた枝をばきっと折る。
その時の事を思い出して、何を思うのかは明白だった。
蛇の像を置いていった人間にとっての神。蛇神信仰の対象。
その存在が姿を現すという事はつまり……魔法生命との邂逅を意味する。
……耐性の無い人間に、鬼胎属性を魔力を浴びせるという事。
「なあ……ただの偶像だったはずの存在が実際に現れたら、どうなると思う?」
「どうなったんですか?」
「自分はもう逃げられないって、みんなが悟ったんだよ。大蛇が貴族や領民の前にその姿を現して……自分達が何に作物を、食べ物を、大事なものを捧げてたかを不幸にも理解して、恐怖がそのまま思考を支配するんだ。
目の前の怪物を本気で神だって思ってるわけじゃない。でも、そう思わなきゃ殺される……そう思ってしまうほどやばい存在が目の前にいるってな。そんで供え物を突然やめた時の事を考えちまうんだ。今まで供え物を捧げて金を貰っていたんだから、今やめてしまったら今度は何かを奪われるんじゃないかってな。
そんな恐怖に突き動かされて、蛇の像の前に今日も供え物を置くんだよ。別に生活が苦しくなるわけじゃない。実際に大蛇に供え物が食われるわけじゃないからな。けど、自分が怪物を成長させてるって薄々は思っちまう。でも、やめた時に何をされるかわからないからやめられない。
生活を豊かにするための行動は一気に、恐怖に支配された習慣にされちまうんだ……あの蛇に睨まれるくらいならってな」
何も奪われていない。
何も消費していない。
供え物という一見何の損もないような行為で、目の前に姿を現した蛇の怪物はお前達のおかげで力が戻ったという。
控えめに言って、悪夢という他無い。
その場にいた全員がこう思っただろう。
――自分達は一体、何をさせられていたんだ?
頭にこびりつくような恐怖を植え付けられて、今日も供え物を捧げるのだ。
「一気に、カンパトーレは支配されたよ。丁度あんたらがダブラマでいざこざやってた時くらいかね。そしてあの蛇は一気に力を取り戻した……国中から供え物をされるっていう信仰とあの蛇に睨まれたくないっていう恐怖は魔法生命にはさぞかしうまかっただろうさ」
「国絡みで……魔法生命の力を……」
「これがおっさんの人生の後悔一つ目……国が怪物に支配されるのを止められなかった。戦力として利用しようと思っていた魔法生命に、国全体が利用されちまった」
苦笑いを浮かべるグライオスの顔色が悪くなっていく。
アルムから受けた傷は凍らせる事で少し出血を抑えているようだが……そんな延命が長く続くはずもない。
それとも、大蛇に関する情報を与えた呪法の影響なのだろうか。
「そんで後悔二つ目が……そんな怪しい奴等にいいようにされるほど困窮してたカンパトーレを、変えようともしなかった事だ……」
「グライオス……」
「ガキの頃はよかったよ……カンパトーレを変えるんだって友人達と誓い合って……誓い合ったはずなのに……少し成長したらそんなもん便所の紙以下の約束だって知るんだ。
俺達はカンパトーレの魔法使いになって、国を立て直すはずだったのに……練習に誘っても才能が足りないからってかつての友人が酒飲んで狩猟して、今日は充実してたなって一日を終えてるんだ。そんな友人を俺は変えようとすることすらできなかった」
グライオスの手にあるたばこから灰が落ちる。
燃えて、落ちていく。
「俺達は才能が足りないから、お前は才能があるからやれるんだ、お前とは違うから、変えるとか無理無理、俺達にも才能があればもうちょい頑張る気が起きるんだけどな……ってよぅ……。そんで俺はそう言われて……ぎこちない笑いを浮かべて、そうだよな、って諦めるんだ……」
口に運ぶことなく、手にあるたばこから地面に灰が落ちていく。
溶けた氷が水となって落ちていく。
「なんで……諦めてんだよ……! おれぁ……!」
静かに涙が、落ちていく。
頬を伝う涙は灰と一緒に、後悔を乗せて落ちていく
アルムはその涙から目を逸らさない。
グライオスは自分が泣いている事に気付き、袖で涙を拭う。
「はは……わりい……。こんなんだから、弟にも愛想を尽かされて出て行かれるんだ……。アルム、ファルバスって知ってるか?」
「ファルバス……?」
名前を言われてもアルムは思い出せない。
「ああ、わかんねえか……グレイシャが連れて行った魔法使いなんだが……」
「あ、ルクスとネロエラと戦ってた魔法使い……魔法が似てますね……」
アルムはグライオスの血統魔法の姿から思い出す。
隠し通路から見ていたルクス達の敵……その姿が狼の姿をしていた事を。
「お、嬉しいねぇ」
「面と向かって会ったわけではありませんが、ルクスが強かったと言っていたので」
「そりゃ強いだろうなぁ……あいつは俺と違って、曲げなかったからな……。
あの女についていった気持ちは正直、わかるよ……カンパトーレにいる連中と違って、あの女は……グレイシャは眩しかった。周りの奴等はあの女のこと笑ってやがったけどな。でも俺には笑う気持ちもわかる。ラフマーヌを復活させて自分の国を作るなんて眉唾な話……出来ると思うほうがおかしいってな」
グライオスはアルムのほうに視線をやる。
「お前は……笑わなそうだな」
「笑うわけがない。笑う気持ちもわからない。グレイシャは自分の理想を信じてた。それが……俺と相容れなかっただけの話です」
「そうだよなぁ……こういう所、なんだろうなぁ……俺と弟、俺とグレイシャ、俺と……お前の差は」
グライオスはしみじみと実感しながら、たばこを口に運ぶ。
ゆらゆらと揺れる煙の先にいるアルムは、真っ直ぐグライオスを見ていた。
そんなアルムの姿の中に、向こう側にいる魔法使いを見る。
理想を持っていながら、行けなかった場所。
自分とアルムの間にある壁の色はきっと灰色に違いない。
「俺は……自分の糞みたいな故郷を、よくしたかったんだ……この国に生まれてよかったって、少しは誇れるような、そんな故郷に……したかっただけなんだけどなぁ……」
グライオスは子供のように夢を語る。
震える声で語ったその夢は血と煙が混ざって濁っていた。
子供の頃はもっと高らかに、誇らしく言えたはずなのに。
いつも読んでくださってありがとうございます。
年末という事でお忙しい中読んで頂きありがとうございます。……と言いながら明日も更新します。読んでやってください。
『ちょっとした小ネタ』
アルムとの戦闘でグライオスが魔法がマナリル式とかガザス式とか言っています。
これは難しい話ではなく、どこで作られたかを指しており使われてる言語で判別できます。
マナリル式→英語
ダブラマ式→イタリア語
ガザス式→アラビア語
カンパトーレ式→ロシア語
常世ノ国式→日本語
ラフマーヌ古式→ギリシャ語
主にこんな感じです。他の言語は大体近代で、造語は本人のオリジナルに当たります。
他にもフラフィネの使う魔法だけはアイヌ語など、その貴族特有の魔法など例外もあったりします。




