740.狼は星に吠えられなかった
「カエシウス家ってのはメイドも強いのかよ……!」
カエシウス家トランス城一階エントランスホール。
トランス城に侵入したグライオスの部隊の一人が舌打ちする。
この場でパーティでも開けてしまえそうなホールでカンパトーレの部隊の内五人が足止めされていた。
「ラナさん、あなた正真正銘の平民なんですから少し下がってください」
「あらイヴェット、貴族出身だから私の心配をしてくれるのですか?」
「あなたにもしもの事があったらミスティ様が悲しみますよ」
魔法使い相手に両手に短剣を握り構えるのはミスティ付き使用人のラナ。
信仰属性の強化であろう魔力の甲冑を被り、その横に立つのはセルレア付き使用人のイヴェット。
この城で最も位の高い使用人二人は迷彩服を着たグライオスの部隊をこの場に留め続けている。
カエシウス家はマナリルで最も高名な貴族……いくらその血統魔法が脅威だからといっていつ他国から狙われてもおかしくない。そのため、使用人のほとんどが戦闘訓練を施されており、使用人のトップであるラナや元貴族であるイヴェットも例外ではない。
無論、グレイシャが率いていたファルバスやフィチーノ、そして今スノラに来ているグライオスのような一流に数えられる魔法使い相手ではどうしようもなくなるのだが……それでも、元貴族の使用人であればただの部隊員を足止めするくらいの実力は持っている。
「私がいてもどうにもならない相手なら勿論全力で逃げますけど……現状そんな相手はいないですから。それに……奥様もいらっしゃいますから」
加えて、二人の後ろにはカエシウスの名前を持つ主人の一人がいる。
「油断しないでちょうだいね二人共……私には才能が足りないから」
ミスティの母親――セルレア・トランス・カエシウスは自身を卑下しながら、背後に浮かぶ物体の"現実への影響力"をもってこの場を完全に制圧する。
セルレアの背後に浮かぶのは自分を抱きかかえるように浮かぶ女性の氷像。
力の象徴のようにセルレアの背後に浮かび、エントランスホールから本館への道を氷によって塞いでいる。
「何度も聞くようだけど、あなた達の隊長はどこかしら? いい加減、部下を使った時間稼ぎはやめさないな。お互い才能が足りていない者同士……傷つけあうのは忍びないわ」
「た、隊長は私……ルイーズ・イングラシュだ……!」
「あらあら……さっきからそんな冗談ばかりではぐらされて……悲しいわ」
「っ! 来るぞ!」
隊長を名乗るルイーズという女魔法使いの合図で部隊員全員がその場から飛び退く。
パキパキという音と共に部隊員五人がいた場所に、勢いよく巨大な氷柱が生える。
床から、壁から、空間から。
ラナとイヴェット相手に二の足を踏んでいた最大の要因はこの氷柱によって部隊員五人が満足に動けないからだった。
どこから来るかわからない氷柱の槍を警戒しているせいで、満足な戦いもさせてもらえていない。
必死にかわす部隊員を見て、セルレアは大きなため息をつく。
「私ごときの【白姫降臨】相手に反撃の一つもできないあなたが……カエシウス家を狙う部隊の隊長なわけないでしょう?」
「くっ……!」
反論も出来ないルイーズは顔をしかめる。
本人の言う通り……セルレアの血統魔法はカエシウス家の中でも最弱に位置する。
圧倒的な"現実への影響力"によって世界改変がほぼ当たり前になるカエシウス家の血統魔法において、セルレアの血統魔法は世界改変に届いていない。
【白姫降臨】の世界改変を扱えるのなら、床や空間から氷柱を生やすだけという無駄な工程など必要ない。
氷柱の出現に際して音が出るなどという欠陥は有り得ない。
歴代のカエシウス家と比べれば才が劣るとされる現当主のノルドですら、世界改変による生命の凍結は容易に行える。
血統魔法に愛されていなかったグレイシャはその圧倒的な才によって、比較的愛されているノルドを踏みにじる規模の世界改変を行使できた。
無論、ミスティとは比較になるはずもない。
恐らくはアスタが継承してもセルレア以下になる事は有り得ないだろう。
世界ではなく空間だけの掌握。改変に届かない干渉。
世界改変というよりも、転移魔法のような空間干渉に近い"現実への影響力"。
それがカエシウスという家名しか持たないセルレアの限界だった。
「ミスティがいない時ならともかくミスティがいるのがわかってこれではお話になりません。ミスティは私の千倍……いえ、もっと強いですよ?」
「ふん……そ、その私達ごときを仕留められずに何を言う!」
「あらあら、確かに……痛いところを突くのね。去年まで昏睡状態だったから本調子が出ないのよ」
「ふん……言い訳を……ん?」
耳につけている通信用魔石が光り、ルイーズはすぐさま魔力を通す。
イヤリング型の通信用魔石は戦闘中でも魔力さえ使えれば通信を行える便利な一品だ。
「ルイーズだ。こちらはエントランスで足止めを……え?」
「どうした隊長!」
ルイーズは聞こえてきた通信に目を剥き、瞬く間に顔が真っ青になる。
「撤退……? ま、負けた……? あなたが……? グライオス、様が……負けた……?」
「なに!?」
「なんだって!?」
曲がりなりにも部隊を任されていたルイーズの動揺が声によって伝播する。
呆然とするルイーズからは先程までの戦意は消えていて、ただそこに立っているだけになりはてた。
「……っ! 撤退だ! 撤退するぞ!!」
「そんな……ことって……」
「撤退するんだルイーズ! グライオス様の命令なんだろ!!」
ルイーズの手を引っ張り、部隊員達は撤退し始める。
ルイーズを偽隊長として扱う意味はもはやない。元々、今回のカンパトーレの作戦はグライオスがミスティに勝てる魔法使いである前提で行われていた作戦……グライオスが敗北したのなら部隊員達がどこで誰と戦って足止めをしていたとしてもその意味は消え失せる。
ラナとイヴェットは扉から出て行く部隊員を追跡しようとするが、セルレアは軽く手を挙げて二人を制止する。
「追わなくて結構です。罠の可能性もありますし……他の使用人達をポピーとラーティアに任せてしまっていますからそちらの無事の確認に行かなくてはいけません。
それに、彼等はグライオスという名前を口にしていました……あの『氷狼』グライオスだとすればあなた達では手に余ります」
「かしこまりました奥様」
ラナは短剣をスカートの中にしまい、イヴェットは思い出すように頭に手を当てる。
「グライオス……確か……カンパトーレの君主直属の魔法使いの一人のはずですよね……まさか、本国を留守にしてまでカエシウス家を狙いに?」
「なりふり構わず、といったところかしら。あんな怪物をスノラに放つくらいだから驚かないけれど」
セルレアはカンパトーレの部隊員達が本当にトランス城から離れていくのを確認すると、スノラのほうに視線を向けた。
(町のほうから【白姫降臨】の気配を感じるという事は黒い蛇の相手をしているのはミスティとあの人のはず……という事はアルムさんが……? 恐らくは対カエシウスを想定して投入された魔法使いを……?)
セルレアは今度はトランス城裏にある山のほうを見る。
先程までは木々が倒れるような音が何度も聞こえてきたが、確かに今は静かだった。
「お前、たばこの煙とかは?」
「たまに母が吸っていたので得意ではないですが、大丈夫です」
「そんじゃあ失礼っと」
アルムに許可を取ったグライオスは慣れた手つきでタバコに火を付ける。
深く吸い込み、ゆっくりと煙を吐く。
ただそれだけでグライオスの表情が和らいだように見えた。傷の痛みも少しは誤魔化せただろうか。
夏の林で立ち昇るたばこの煙。座っているアルムとグライオスは敵ではなく……焚火を囲って休む行き先が同じの旅人のようだった。
「なあ……何で俺達の作戦がわかったんだ? 何か誘導されてる気がするってなっても普通魔法使いの相手をカエシウスにさせると思ったんだよこっちは……カエシウスは魔法使いの頂点なんてのは常識だろ?」
戦闘に負け、作戦が失敗した今だからこそ自分達の誘導のどこに穴があったのか……グライオスはアルムに答えを求めながら改めて自分達の作戦の反省点を探る。
しかし、グライオスにはいくら考えてもわからなかった。自分がマナリル側の指揮官であればたとえ誘導されている事に気付いてもミスティをこちらに送り込む自信がある。
対魔法生命において揺るぎない実績を重ねるアルムが、わざわざこちらの対応に回ってきた理由とは? グライオスはそれをアルムの口から聞きたいのだろう。
「カエシウス家は確かにマナリルの貴族のトップで魔法戦も最強の家だという事は俺でも今ならわかります……あの血統魔法を見れば魔法を少し齧った人なら誰にだってわかると思う。
……だけど、カエシウス家がそうだとしても……ミスティは俺にとって守りたい人に変わりはないから」
「あっちゃー……しまった……。はっはっは! あいででで……!
そりゃあそうだよなぁ……男なら好きな女は守りたくなるわなぁ……。あー……恋人同士って情報は入ってたってのに……そりゃ誘導に乗らねえわけだ。お前にとっては自分の女が俺達にナンパされてんのと一緒だもんな……そりゃ止めるのが最優先で合理的な判断になるわけだ」
あまりの認識の違いにグライオスは傷を痛がりながら笑うしかない。
カンパトーレにとってカエシウス家は千年の間侵攻を阻み続けた憎き障害。
アルムにとってミスティは大事な恋人。
彼我の差が大きいなんてものじゃない。あまりにも認識が違い過ぎてまるっきり別物だ。
カエシウスを庇う魔法使いなんていない、という前提は間違いないのだがミスティを庇う恋人は有り得るわけで……この作戦は最初から失敗していたのだった。
「ふー……いやぁ、少年少女の色恋……甘酸っぱいねぇ……あの子美少女だもんなぁ……どこに惚れてんだい? 好きなとことか聞かせてくれよ」
からかうようにグライオスはにやにやとアルムに視線をやる。
するとアルムは戦闘の時のように真剣な様子で考え込み始めて、それがまたグライオスにはおかしかった。
自分を負かすほどの使い手でありながら、あまりに青い姿に。
「……匂い?」
「ぶっは! あっはっはっは! いっでええ! ひー! あっはっは! お前、俺を笑わせてそのままとどめ刺そうとしてんだろ……!」
考えた末の結論が少し変態じみていてグライオスは笑う。
明らかに傷に響いているが、その表情から笑みは消えないままだった。
「いや、冗談ではなく……一緒にいて落ち着くといいますか、それでいて欲を掻き立てられる香りといいますか。勿論、性格や外見も好みではあるんですけど」
「真顔で馬鹿正直に答えてくれっから面白いなお前……くくく……! 匂いって……! 変態みたいだなおい!」
「え、やばい……ですかね?」
「どうだろなぁ。好きな女相手なら当然だと俺は思うが……女に直接言うのは賭けだなぁ。ひかれる可能性のが高いぜ」
「なるほど、気を付けます」
敵だったとは思えないような会話だった。
見る者が見れば人生相談に乗る兄と相談する弟のように見えるかもしれない。
なんにせよ、先程まで命の奪い合いをしていたとは思えない。
「無害そうに見えてちゃんと男だねぇアルムくん……気が合いそうだ。性格も外見も、そんで匂いまで好きとなりゃあ二人きりになると我慢も多いだろ?」
「そうですね……ミスティ相手に性欲を抱かないのはちょっと難しいというか……」
「あっはっは! 好きな女相手にはそういうもんだ! しっかり我慢しろよ! 婚前交渉は高名な貴族には外聞が悪いからな!」
「そこは勿論、頑張ります」
「あー……おもしれえ……。どんな怪物かと思ったらちょっと変わってるだけのガキでちょっと安心したわ……」
グライオスは笑いながらたばこを吹かして、アルムも小さく笑って。
ほんの少しの静寂が訪れる。
それはグライオスの傷の痛みが治まるまでの時間であり、グライオスが話したかった事をどう切り出すか悩んだ時間であり、アルムがただグライオスからの言葉を待った時間だった。
「……俺はな」
「はい」
やがて口を開いたグライオスに、アルムは頷く。
右肩から腰まで切り裂いた傷は……刻々とグライオスの残り時間を削り続けていた。
目の前にいるのは自分が奪った命。であれば、アルムにとって向き合う以外の選択肢はない。それはアルムにとって最も自然なこと。山で生きてきたアルムにとって、奪った命に責任を持つというのは当たり前のことだった。
「少なくとも、二回後悔した時があるんだ」
「聞きます。俺はあなたから、全部を奪ったから……貰えるのなら、全部を」
「悪いな、おっさんって生き物は……若い奴に話を聞いてもらえるのが楽しくて仕方ねえんだ。若い奴には迷惑な話だってのはわかっててもな」
いつも読んでくださってありがとうございます。
今回の更新から第十部前編の最終章となります。
『ちょっとした小ネタ』
ミスティは第一部の時にアルムに香水を褒められてから香水にはまり、第四部の時期辺りからアルムに褒められた香水を作った商会や店と手紙のやり取りをかわし、気に入った所とは年間契約をして新作を一早く手に入れています。アルムに褒められたのが嬉しくて集め始めたというのは恥ずかしいから内緒。
現在契約しているのは四件。有名無名にかかわらず契約の話を出しており、西部にある従業員三人の小さな商会の商会長は話を持ち掛けられた時に泡吹いて倒れました。




