739.ほんの少しだけ
俺の故郷は糞だった。
傭兵国家とは名ばかりの二流、三流の魔法使いの集団。
"本物"に数えられる魔法使いは本当に少ない。
カンパトーレ出身となると俺達マーグート家以外ではクエンティ、ラドレイシア、フィチーノ……後はジグジー辺りしかいないと言っていいかもしれない。
それも当然で……カンパトーレが傭兵国家と呼ばれるほど他国に魔法使いを派遣できるのは他国で脱落した魔法使いが祖国では手に入らない地位を求めてここに来るからだ。
そんな理由でこの国に来ているものだから、当然数だけの集団になって。
そんな負け犬の精神が……カンパトーレで生まれた貴族にも伝播する。
"いいよなー、グライオスは才能があって!"
"俺達にも才能があればもうちょい頑張れるんだけどな"
"無理無理。俺はお前と違うから"
"偉いなー、お前は"
昔友人だった奴等の声が今でも夢の中で聞こえてくる。
未熟。子供。貴族に相応しくない子供。
子供の頃友人だと思っていた奴等は成長したら……毎日ギャンブルと酒で遊び歩くのが貴族だと思い込んでる、未熟以下の糞だった。
……だがもっと糞なのは。
"ははは……だよなー。"
そいつらの言葉に同調して薄ら笑いを浮かべていた俺だと思う。
周りがこう言っているから。
常識的に無理だろう。
そんなもっともな言い訳をしながら、俺はいつだって大事な時に覚悟を決めて一歩前に踏み出す事ができなかったってわけだ。
子供の頃から、おっさんになった今でも……俺はずっと後悔ばかりしている。
もし……もしどこかで一度でも自分を貫く事が出来たのなら、俺の理想は少しくらい叶ったのかね?
「はああああああああああ!!」
『うおあああああああああ!!』
二匹の獣が山を跳ねる。
地を、岩肌を、木を駆ける。
駆ける度にその場を破壊して進む肉食獣。狩れるのは互いという狩人だけ。
爪がぶつかり合う。
鬱蒼としていた林は、二匹が争う場所だけが開けている。
『魔法使い同士の戦いとは思えないっちゅう話だ! ええ!? 魔法使い!』
「魔法の"現実への影響力"をぶつけ合うなんて充分魔法使いらしい!」
ぶつかり合う二人は笑みを浮かべながら必殺を繰り出し続ける。
喉を狙う手刀、目を潰す爪先、肋骨ごと心臓を潰すような腕力。
霧散する魔力と同時に鮮血が散る。
それでも、戦っている本人達は笑っていた。まるで自分を鼓舞するように。
『こちとら小綺麗な魔法戦なんてできねえ! 必死なだけだぁ! 雑種のように荒れ狂う! 体裁なんていらねえ! お前に勝ちたい!!』
「あんたが雑種なら俺は野良犬か!? 死に物狂いで振り絞る!」
誰も介入できない。
できたとしても、誰にもさせない。
互いの一手一手が必殺でありながら、拮抗する戦況。
爪と爪がぶつかり合う鈍い金属音のようなものが響き渡る。
『怪物に喧嘩売る野良犬がどこにいるってんだよ!?』
「雑種でも野良犬でも月に吠えるくらいはできる!!」
『そうやって勝ってきたのか!? ええ!?』
「まだ勝ってなんかいない! 自分の生き方を決めてるだけだ!!」
今の二人は自分の体の痛みなど感じていない。
アルムはグライオスの怪力で体中どころか体内までボロボロで、グライオスはアルムの攻撃が当たり始め、先程抉られた足も合わせて出血が多い。
そんな状態であっても、二人が見ているのは勝ち筋だけ。
目の前に立ちはだかる敵にどう勝つか。
何度目かの衝突の後、先に勝機を見たのはグライオスだった。
(間違いない……アルムが使ってるあの魔法はコントロールができてない……!)
獣人と化した自分の血統魔法を僅かに上回るアルムの速度の正体にグライオスは気付く。
『幻獣刻印』は狂暴化した魔獣を模した魔法……グライオスの言う通り細かいコントロールが利くはずもない。"現実への影響力"を求めて魔力を注ぎ込んだ結果、メリットがデメリットを上回っているだけの魔法だ。
そこらの敵であればそのデメリットに気付く前に相手を制圧できるが……グライオスはそこらの魔法使いとは一線を画す。ゆえに、互角に撃ち合い続けた結果、『幻獣刻印』のデメリットに気付いた。
(向こうのほうがスピードは上……だがパワーは俺のほうが上! ならば攻撃の瞬間、攻撃の要である爪を抑えて……獣化したこの顎であいつを噛み砕く――!)
グライオスが選んだのはアルムと戦ってから一度も見せていない攻撃。
腕力と爪での攻撃と迎撃をイメージさせての牙の一撃。
パワーが上ならば攻撃を受け止めてそのまま拘束する事も可能になる。
少々捨て身の覚悟はいるが、目の前を駆ける獣相手を五体満足で倒せるはずもない。
最高速で突進してくるアルムを見て、グライオスは完全に覚悟を決めた。
最悪、両腕を犠牲にしてでもアルムの首を殺る――!
『はあああああああああ!!』
跳ねるようにアルムは駆ける。
パワーで負けている事はアルムも理解していた。
だからこそ上回っているスピードを活かしてグライオスに突進する。
両の手に装備されている魔力の爪を振るい、空気ごとグライオスを斬りさく。
『グウウウウウウ!!』
右の一撃がグライオスの腕の肉を削ぐも腕力に任せて弾き、左の一撃は魔力の爪の間にグライオスが自分の爪を入れて動かぬよう固定する。
スピードによって威力が増した二撃をグライオスは完全にとはいかないが受け止める。
爪を絡めて逃げられないようにした左腕が、魔力の爪ごとアルムを離さない。
足で攻撃しようものならば好都合。バランスを崩した瞬間に獣化した顎がアルムを首を確実を噛み砕く――!
(勝った――!)
絶対に逃がさない覚悟で左腕に力を込め、アルムの魔力の爪が肉を裂いてもグライオスは離さない。
動き回りながら撃ち合っていた今までの戦いの中で、不意を突いた拘束にアルムも一瞬驚愕を浮かべて隙を見せた。
勝利への確信と共にグライオスは裂けたように大きい肉食獣の口を開く。
並んでいる牙はその全てが獲物を食い殺す武器。
右の爪は弾かれ、左の爪は拘束されており、アルムには頭部への攻撃をかわす手段も、受け止める手段もない。
グライオスは勝ちを確信し、アルムの頭にその牙を――
「【幻魔降臨】ぁ!!」
グライオスの顎が開いたその瞬間、アルムは魔法を唱える。
アルムの体に起きた変化と共に絡まった爪はなくなり、グライオスの爪はそのままアルムの左腕を裂く。
左腕からアルムを裂いた感触と同時に……グライオスは腰に何かが巻き付いた感触を感じ取る。
瞬間――グライオスの体に突然横に引っ張られるような力が加わった。
アルムを噛み殺そうとした顎は空を切り、グライオスはアルムの変化した姿と自分の体を横に引っ張った力の正体を見る。
(尻尾――だと――!?)
アルムは獣を模した姿から、白い翼と尻尾を生やした悪魔の姿へと。
アルムの背面からグライオスの体に伸びるのは先程まで無かった一本の尻尾。それは警戒などできるはずがない思考外の一手。
その尻尾がグライオスの体勢を僅かに崩し、勝利を確信したグライオスの一撃を逸らさせていた。
グライオスはその瞳で、自分の体に振り下ろされる一閃を見る。
アルムの手には、白い剣が握られていた。
「ぜぇ……! ぇ……!」
『あ……?』
グライオスの右肩から腰にかけての袈裟斬り。
噴き出す血を他人事のように眺めながら、グライオスは膝から崩れ落ちる。
アルムもまた魔力の消耗から肩で息をしながら、後ろに下がった。
『く……そ……」
グライオスは獣人状態から人間の姿に戻り、纏っていた冷気も消えていく。
敗因は勝利を確信してしまった一瞬。
両手による二撃を封じ、アルムは自分の攻撃を防ぐ手立てがないと思い込んでしまった刹那の油断だった。
「足の動きは……警戒してたのによ……まさか、尻尾とはな……」
アルムの姿を見て、グライオスは笑う。
白い翼に白い尻尾、手に持っているのは白い剣。
山中の戦闘のせいか、互いに今使っている魔法が最善なのだと勝手に思い込んでしまった自分を恥じる。
これはあくまで、"魔法使い"の戦いなのだ。状況によって魔法を切り替えるのは当たり前のはずが……そう、張り合いたくなってしまったのだろう。
「『幻獣刻印』のままだと……」
「あ……?」
苦しそうに肩で息をしたまま、アルムは口を開く。
「『幻獣刻印』のままだと……負ける……最後の一瞬そう思った……。あそこからあんたの不意を突く為には……あれしかなかった……」
アルムの姿も元の人間の姿に戻る。
そう……決着はもうついた。
「『幻獣刻印』は……自分で解除できないんだ……。魔力の供給をやめて完全に消えるまで待つか……より強い"現実への影響力"を持った魔法で上書きするしか……。俺の魔法でそれが出来るのは【一振りの鏡】と【幻魔降臨】の二つだけで……あの瞬間を打開できるのは後者だけだった……」
何故アルムがそんな説明をしているのかわからなかったグライオスはアルムの真剣な表情を見て気付く。
気付いてしまった、というほうが正しいだろうか。
勝利したアルムの表情があまりに真摯で……今の今まで敵として相対してたグライオスには嫌というほどアルムの思いが伝わってきたのだ。
「ああ……お前は……俺を、認めてくれているのか……」
決着が着いたからこそ、自分にとってあれが最善にして最後の一手だったと……勝者として立っているのはアルムだが、この勝負は紙一重のものだったのだとアルムは語ってくれていた。
不覚にも喜んでしまっている自分がいる事にグライオスはつい笑ってしまう。
負けて死ぬほど悔しがらなければいけないはずなのに。
自分が上と認めた少年……男に自分が認められて、後一歩だったという事実がグライオスにとってどうしようもなく嬉しかった。
「馬鹿正直な男だなぁ……おい……。はは……自分の魔法の弱点話す……馬鹿が、どこに……いんだよ……」
グライオスは体をふらつかせながらよろよろと立ち上がる。先程までの覇気は無い。
立ち上がったかと思うと、近くの木までゆっくりと歩いて行ってそのまま座った。
アルムの最後の一撃は完全な致命傷。グライオスの着る迷彩服にはどんどんと血が滲んでいく。
「なぁアルム。頼みが、あるんだが……」
「……はい」
「少し……話さないか。少しだけ、な」
アルムはその望みに応え、グライオスの座る木の近くまで歩いていって座り込む。
二人の目にはもう……山ごと揺るがすような激しい戦意はどこにも無かった。
少し。ほんの少しだけ。
それがグライオスという魔法使いが望む最後の時間だった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
楽し気な日の更新ではありますが、決着となります。
ここで一区切りとなりますので、よろしければ感想など頂けると嬉しいです。




