735.山の中の攻防
「偽隊長なんて茶番に付き合ってくれたルイーズちゃんにゃあ申し訳ない事した……せめてお前の首くらいは獲らないと顔向けできないって話だ。それに、お前とは少し因縁もあるんでな」
「因縁……?」
「ああ、ただの逆恨みとも言う。ださいだろ?」
自分を卑下しながらグライオスは笑う。
「『薄氷の雌犬』」
パキパキと音を立て、グライオスの脚部に氷が這う。
唱えたのは水属性の強化魔法。強化された身体魔法でグライオスはそのまま上へと跳ぶ。
「水属性……『抵抗』『防護』」
アルムはすでに唱えていた『強化』以外の補助魔法を唱える。
氷結を防ぐ抵抗力と冷気から自身を守る補助魔法。
その展開速度にグライオスは目を細める。
(早いな……)
グライオスは氷を纏った足で空を蹴るように動かす。
青の魔力光が輝き、動きに合わせて刃のような魔力の塊がアルムへと放たれた。
「『魔剣』」
青い魔力の刃に対して、アルムは魔力の剣を投げるように放つ。
二つの斬撃は互いの斬撃を阻み、金属音を鳴らしながら逸れた軌道の先で枝を切り裂く。
「『準備』『魔弾』」
まだ空中にいるグライオス目掛けてアルムは右腕に展開された五つの魔力を放つ。補助魔法によって"現実への影響力"を上げながら。
放たれた魔弾は一直線にグライオスを狙うのではなく、周囲の木々を削りながら跳ね、四方からグライオスへと向かっていった。
「うおう!?」
グライオスは咄嗟に足を伸ばし、伸びる針葉樹の幹を蹴り上げて空中で動く。
驚愕は空中を狙われた事に対してではない。むしろ狙われなかったらアルムという敵に対しての評価は一段落ちる。
これは模擬戦ではなく殺し合い。わざとだろうとわざとじゃなかろうと見せた隙を突いてこない甘ちゃんではない事をグライオスは認識する。
表情にも現れた驚愕はそちらではなく、木々を削る『魔弾』の威力に対してだった。
「どこが『魔弾』だこらあ! 鉄球みたいな跡ついてるじゃねえか!」
「……。攻撃魔法の威力が高くて怒られるのは初めてだな……」
『魔弾』の跳弾に利用した木の幹はえぐれたように陥没しており、グライオスが同じ魔法を使っても決してこんな風にはならない。
いや、恐らくは誰が使ってもこうはならないだろう。先程の『魔剣』で氷の斬撃を弾かれた時といい……アルムの無属性魔法の"現実への影響力"は普通ではない。
特に……『魔弾』は本来、強化を唱えていない人間に当たってようやく悶絶させられるかどうかという魔法なのだ。
「これがヴァルトラエルの遺産……"星の魔力運用"ってやつかい……」
木と木の間を跳ねながらグライオスは昔を思い出す。
子供の頃、弟と一緒に読んだ魔法書『ヴァルトラエルの基礎魔法論』。
光属性創始者が遺した魔法の三工程についてが書かれた魔法の指南書であり……"現実への影響力"や"存在証明"についても解説している一冊だ。二百年前までは名著に数えられていた一冊だが、現代では戦争や工作によって限られた場所にしかない。
グライオスのマーグート家はその数少ない一つであり、幼少期はその本から基礎を学んだ。
魔法を開拓した一人としての知見と知識、そして現実に即した技法のみが書かれている一冊だが……最後のほうに一つだけ机上の空論が書かれているのをグライオスは覚えている。
……それは子供でもわかる与太話。名著と呼ばれた時代ですら嘲笑われた空想の領域。
"魔法の三工程全てを同時にかつ連続で行い続ける事で、魔法に満たない未完成の魔法は曖昧なまま"現実への影響力"を永久に上げ続ける事が可能となる"
一見、素晴らしい理論に見えて重要な問題を完全に無視している一文だ。魔法を構成するためのエネルギーであり使い手のイメージを反映させるための土台そのものである魔力が有限である事を完全に無視している。
魔法の三工程を同時にやるという事は、魔力全開の垂れ流し状態のままイメージを魔法に"変換"し続け、そして唱え続けるという事……そんな事をすれば一度の魔法で魔力が枯渇するに決まっている。
水の入ったバケツをひっくり返してずっと水を撒き続けろと言われているようなものだ。当たり前の話だが、魔力が無くなれば魔法は使えないのである。
理論上は可能かもしれないが、本当に理論上なだけのロマン。何より、未完成である無属性魔法を魔法として完成させた創始者がこの理論を提唱しているのがいつの時代も笑い話になるのは想像に難くない。
著者であるイルミナ・ヴァルトラエルはこれを"星の魔力運用"と名付けた。星のように人間の手には届かない理論という事だろうか、真相はわからない。
「ったく……もう笑えないなぁこりゃ」
その机上の空論の使い手が、今になって目の前に現れているのだから人生はわからない。
グライオスは未知に高揚を覚えながら斜面の上からアルムを見下す。
敵がどれだけ未知の技術を使ったとしても、魔法使いとして下回る気はない。
「おいおいいいのか"魔力の怪物"? ここは山だぜ?」
(位置がまずい……!)
意地の悪い笑みを浮かべるグライオス。
その言葉の意味をアルムは瞬時に理解して魔力を足に集める。
「『水流の渦』」
「『強化』」
足元向けて放たれた水の渦をアルムは木の上に跳んでかわす。
グライオスが唱えたのはただの中位の攻撃魔法だが、その"現実への影響力"は凄まじくアルムの後ろにあった木はその威力になぎ倒される。
鬱蒼とした草木もその水の流れに負け、攻撃魔法の軌道だけ少し開けた。
グライオスは木の上に跳んだアルムを見上げる。
「あれで意味が分かるのはすごいねぇ……なるほど、ベラルタ魔法学院の生き残りは伊達じゃないってことか」
「山の下り坂向けて使う水属性魔法は"現実への影響力"が増す……川の在り方そのままだからな」
魔法の"現実への影響力"は使い手がつぎ込んだ魔力量と"変換"の精度だけで決まるわけではない。環境やその場の状況、そして使い方によって上下する。
水属性魔法は海や川の近くで使えばイメージしやすく"変換"は楽になり、今のように山の坂上で使えば"川"の概念を取り込んで"現実への影響力"は増す。
"現実への影響力"を上手く反映させられるのであれば、本来なら大した魔法とは言えない今のような魔法でも威力はぐんと跳ね上がる。
「そっちが言わなければくらってたかもしれないぞ?」
「嘘つけ、撃った瞬間にはもう避けてたじゃねえか。言っても言ってなくても同じだ同じ」
グライオスはアルムへの警戒度を更に引き上げる。
避けたかどうかは重要ではない。自分の言葉の真意に気付いた事に対してだ。
わざと忠告するような言葉をかけたのは無属性魔法しか使えない平民という情報に踊らされ、無意識にアルムを甘く見ている自分を完全に消し去るためのもの。
気付かなければ魔法使いとしての知識や応用力はたかが知れている。この男は魔法生命に対してだけ強いのではないか、という推測を裏付ける証拠になるからグライオスにとって損はない。むしろ戦いを組み立てやすくなって万々歳だ。
……だが、アルムは意図に気付いた。しかも木の上という高い場所に逃げて同じ形での追撃を避けている。
(危険指定だから当たり前といえば当たり前だが……三等魔法使いは超えてるか。どう少なく見積もっても一等魔法使いの下位くらいの知識と対応力はあるなこりゃ。無属性魔法しか使えない事を考慮しても部下に欲しいくらいだなぁおい)
カンパトーレの魔法使いの階級に変えて、グライオスはアルムを値踏みする。
一等魔法使いはグライオスのような二つ名持ちの一つ下の階級。つまり標準的な魔法使いの中では上澄みの人材。実力を備えていると判断されるレベルだ。
グライオスは今の一手で、魔法生命にだけ強いかも、という推測を頭から投げ捨てる。木の上にいるあの少年は魔法使いと戦える少年だ。
「『永久魔鏡』」
「!?」
木の上のアルムを視界に入れ続けていたはずが、突如消える。
グライオスは瞬きすらしていない。見上げた場所には、何故か地面に立っている自分が映っていた。
「っ――! 鏡か――!」
鏡の魔法を展開され、アルムが鏡の後ろに隠れた事に気付く。
普通なら、鏡の魔法を展開された所で特に問題はない。魔法で作られた鏡の性質など大体が想像通りになりやすい。
だが、ここは山だ。
グライオスは瞬時に周囲を見回すが、アルムが出した魔法の存在すら特定できない。
周囲は変わらず山の風景。鬱蒼とした草木と針葉樹が生えていて異常無し。
そう認識しまっている事が、グライオスにとっての危機に他ならない。
グライオスにとってこの山は初めて来た場所。並ぶ針葉樹の林は同じような光景をグライオスに見せ続けており、町のように一目見て周囲の違いや地理を把握できるわけではない。
ゆえにアルムの出した魔法が鏡の類という推測は立てられても……鏡に映る景色なのか、それともただの景色なのか判別がつかない――!
「意趣返しかよ――っ!」
目の端に映るアルムの走る影と音を頼りにグライオスはアルムの位置だけ把握し続ける。
こちらがやったように山という環境を即座に利用する発想。鏡の魔法をあえて立てるだけで状況的優位を取る判断力。
何より戦い慣れしているのがよくわかる動きにグライオスは舌打ちする。
「『波打つ羊群』!」
グライオスを中心にして全方位に放たれる波が周囲を押し流す。
目的は勿論鏡の位置に特定。今は動かない事のほうが厄介。全方位に向けられる攻撃魔法で場を動かす。
「『魔剣』」
「っ――!」
左斜め後ろから首目掛けて飛んでくる攻撃魔法。
魔法を唱えた息継ぎを狙った瞬間の攻撃をグライオスはかわす。
波の反射で鏡の位置を、今の攻撃魔法でアルムの位置も把握した。状況はイーブン。
「『氷牛の湖面行進』!」
グライオスの周囲に現れる五つの巨大な氷の牛が特定した鏡に向けて突進する。
一枚。二枚。三、四、五枚。まだ魔力が"変換"し切れていないアルムの鏡を割っていく。
鏡を割ったのも束の間。グライオスは自分を狙うアルムを目で捉える
「『光芒魔砲』!」
「っと!」
氷を纏った足で横に跳び、魔力の砲撃をかわす。
そして――
「んで、またこっちに来るんだろ?」
「!!」
横に跳んだグライオスはすぐさま後ろに跳び、残った魔鏡に反射して再度グライオスに向かっていく『光芒魔砲』をかわす。
グライオスはかわした足でそのまま魔鏡へと近づくと、氷を纏った足で残った魔鏡を蹴り砕いた。最後の魔鏡が割れる音が山に響き渡る。
「あっぶねぇ……やっぱ一枚残してたか……。絶対全部割れてないって思ってたわ……六枚だな六枚。もう覚えたぞ」
「……なるほど、手強いな」
「そりゃこっちの台詞だっつの。こんなの相手して勝っても平民一人やっただけ扱いって……割に合わねえにも程があるぜ……」
牽制と言うには殺意の籠った攻防を経てアルムとグライオスは改めて……互いに互いを厄介な相手だと再認識した。




