734.互いの敵に迷いなく
「俺の名前はグライオス・マーグート。カンパトーレ所属の魔法使いで年齢は二十八歳の独身だ。好きなものはワイン。最近のマイブームつまみは白子。禁酒は無理だが禁煙なら三回成功させているカンパトーレでも我慢強い男だ」
「ご、ご丁寧にどうも……?」
「おい、二十八歳で独身は貴族にしては遅すぎじゃないかとか思わなかったか?」
「いや思ってないです」
邂逅して早々、長ったらしい自己紹介をしてくるグライオスにアルムはつい会釈する。
自分の情報を開示する意味はわからないが、自己紹介された勢いでつい事務的な対応をしてしまった。
侵攻してきたカンパトーレの魔法使いと対峙しているとは思えない空気が漂う。
「急に自己紹介を始めて……何のつもりだ?」
「何のつもりも決まってるじゃないか。こちとらお前が危険指定なのはわかってる。俺は今回の部隊の連絡兵……万が一に備えて本国に情報を持ち帰るために生き残らなきゃいけない立場なんだけど……先に行ってる隊長や仲間のためにはお前をここに釘付けにするくらいの仕事はやらなきゃいけないってわけさ。
だからお前が真面目ちゃんなのを祈って長ったらしい自己紹介で時間稼いでるんだよ。俺の動向を回りくどく解説してるこの瞬間含めてな!」
何故か偉そうに腕を組むグライオス。
開き直って情報を開示しているように見えるが、話の節々に嘘を混ぜている。
アルムと出会ってしまったものの、まだ自分が作戦の肝とはばれていない。
アルムの視点からは遅れてトランス城に向かう兵を一人見つけただけで、グライオスがどんな立場の人間かを判別できるはずがないのだ。
堂々と自分が部隊の連絡兵だと嘘をつき、時間稼ぎのために色々話していると嘘をつく。
狙いはアルムの迷い。自分がいるべき場所は本当にここなのかと自問させるそのきっかけ。
アルムと会ってしまった時点で作戦は想定外。ならば少しでもいい方向に修正できるようにグライオスは働きかける。
ここにアルムがいるという事はターゲットであるミスティはまず間違いなく大蛇と戦っている。
ならば自分がアルムから逃れられれば、その戦闘の場に駆け付けて大蛇と自分対ミスティという最良の構図が作れる。
「嘘だな。本当はあんたが行かなきゃいけないはずだ」
「―――-」
だがアルムはそんなグライオスの思惑を嘘と断じて踏み付ける。
あまりに迷いのない目で言われて、グライオスは虚を突かれたように声が詰まる。
「この山にいた人間でミスティに対抗できるような気配はあんただけ……実際に会っても口調を軽くしているが、剣呑な雰囲気を纏ったままだ。どちらかといえば狂暴化した魔獣に近い。
それに魔力が不自然だ。魔力を"閉じる"んじゃなくて、わざと小さく抑えている。意図はわからないが、感知魔法にわざと引っ掛かって油断を誘ってるのか? なんにせよそんな繊細な魔力操作ができる人間がただの連絡役とは思えない」
「お、おいおい、ちょっと待ってくれって話……買い被りすぎだ。確かに作戦中で気は立ってるのは認めるが……不自然とはいうけど、自然な魔力ってのは一体なんなんだい? 魔力は属性魔力にするか濃度が濃くないと観測すらできないんだぜ?」
アルムに言い当てられてもグライオスはとぼけ続ける。
アルムの言葉は野生動物のような直観的な推測であって明確な確証は無い。
ならば、まだ芽はある。
自分の判断に確固たる自信を持ち続けられる人間などいない。
間違いや不自然を指摘すれば、人間は必ず揺れる。
「自然の魔力……か」
「そうそう何が違うのか俺みたいなやつにはよくわからねぇよ」
「なるほど、じゃあ例を出そう」
グライオスの言葉を受けてアルムの空気が変わる。
「たとえば……こんな感じだ」
声は静かに。しかし魔力は荒々しく。
アルムは自分の意思で閉じていた魔力を一気に開放する。
生物の魔力は一定の領域に達するとその魔力が外に漏れだす。霊脈や狂暴化した魔獣のように、それは人間でも変わらない。
技術という蓋によってそれを防いでいた魔力のコントロールをアルムはやめ、抑えていた魔力が氾濫した川の如く荒れ狂う。
(魔力が一気に噴き出して――!!)
脳内で起きる原始的な警告にグライオスは顔色を変えざるを得なかった。
理性では押さえつけられない本能の発する危険信号。
同じように魔力が一定の領域に達している人間だからこそわかる、アルムが垂れ流す魔力の異常性。
たとえば、鎖に繋がれて芸をするサーカスの獅子が突然鎖を引きちぎったとしたら身の危険を感じないだろうか?
突然現れた一見危険指定とは思えない少年が、獅子に相応しい魔力という牙を剥き出しにした事でグライオスの生き物としての本能を刺激する。
後ろに飛び退かないだけ理性は働いていたが、無意識に表情は険しく変わり、自分の脚が一歩後ずさっている事にグライオスは気付く。
「顔色が変わったな。この魔力がわかるって事はヴァン先生やミスティクラスの魔力があるはずだ。まだ自分は無関係な連絡役と言い張るのか?」
間違いや不自然を指摘すれば人間は必ず揺れる。
グライオスは自分が言葉巧みにやろうとした事をアルムは魔力という力業で行い……連絡兵と偽ったグライオスの化けの皮を一気に剥いだ。
「かっー! どこが自然だこのクソガキ! 馬鹿みたいな魔力垂れ流しやがって! ったく、汗かいちまったよ! はめやがったな!?」
「騙そうとしたあんたが言うのか……?」
グライオスは騙そうとしたら逆に一杯食わされた苛立ちを、整えた髪にぶつけるようにぐしゃぐしゃと掻いて乱す。
もはや自分の身を偽る気もないようで、乱れた髪の間から冷酷な視線がアルムに向けられる。
その冷酷さは決して呪いや悪意などではない
プライドなど無いかのような弱者の着ぐるみを捨てた中身は、自分の実力にだけプライドを持つ魔法使いの顔があった。
「カエシウスを庇ってくるような人間がいるとはなぁ……誤算だった……。だがいいのか? こっちにお前がいるってことは大蛇のほうはミスティ様にお任せってわけだろ……? あのお嬢さんは魔法生命を単独で倒した記録はないはずだ。そっちのが危険とは考えなかったのかい?」
「そりゃ思う。だが……あんたらの思惑通りに動くほうが危険だと思っただけだ。ミスティを狙ったという事は……ミスティを倒すための手があんたにはあるんだろう?」
「おいおいおい……おっさんを買い被り過ぎじゃないのか?」
「あんた相手に油断できるほど馬鹿じゃないつもりだ」
「はっはっは! ちくしょう、ガキの癖に一丁前にいい男の面しやがる。俺と違ってもてるだけあるねえ……ガキならガキらしく、未熟ちゃんでいてくれたらいいものを……」
グライオスは懐から二つの指輪を取り出し、両手の中指にはめる。
それがグライオスにとっての補助具なのはアルムにもわかった。
補助具の役目は精神を魔法や戦闘に集中するためのきっかけ。ルーティンの一種と言うべきか。
両手を強く握って、力を抜いた瞬間グライオスの準備が整ったのをアルムは感じ取る。
「予定外だが……お前を殺しても大金星にゃあ変わりない。来いよ"魔力の怪物"……カンパトーレにも本物はいるんだぜ?」
林が立ち並び、鬱蒼とした山の中に静かに声が響く。
どちらが狩人でどちらが獲物なのか……わかる者はどこにもいない。
『会うのは二度目になるか。かえしうす』
大蛇が見つめるは自分の目線と同じ場所にいる少女。
降雪のような純白のドレスとマントを風にはためかせ、その頭には白い王冠を戴く。
カエシウス家の血統魔法【白姫降臨】――その真価を発揮したミスティは翼も使わず大蛇の同じ視線で浮いている。
『異界の伝承とこの世界の伝承そのものとなったかえしうすを混ぜ合わせたこの世界における魔法の頂点……今の貴様の存在はどちらかといえば我等に近い。
資格を持ちながら……何故弱き者に寄与する? 我等さえいなければ天上の空席に手が届く器だろうに。この星を手に入れようとは思わないのか?』
「『思いません。星なんて私にはいりませんから』」
大蛇の疑問を吐いて捨てるように答えるミスティ。
ミスティの血統魔法を発動してから、スノラには被害は出ていない。
守りに徹したミスティは大蛇の攻撃全てをさばき切り、町と民には呪いも悪意も届かない。
(……流石に一つでは歯が立たぬか。我等でも五は必要そうだ)
スノラに現れた大蛇は本体ではない。生贄を捧げ、本体から飛ばした魔力を使っての疑似顕現。"存在証明"も弱ければ"現実への影響力"も本体には遠く及ばない。
まして、相手がマナリルの頂点カエシウス家とくればお遊びはここまでと言った所だろう。
ここでカンパトーレの信者を利用してカエシウス家を落とす魂胆だったが……無駄に終わったな、と大蛇はこれ以上の恐怖をばら撒くのを諦める。
その代わり、人間でありながらこちら側に最も近い者を前にして好奇心を優先させていた。
『この世界で唯一の神になる必要はないと? 星を支配せぬ理由は何か?』
「『単純にいりません。私が欲しいのは星ではなく自分の世界です。愛する人達と一日を終えて、明日を迎える……民もまた同じような幸福を迎えられるような世界を作る道を、貴族として私は歩む』」
『矮小な』
「『誰が為に力を振るえぬ者にはわからないかもしれませんね。理想とは……自分だけで叶えられるものではないと私は知っています。自分ではない誰かから貰ったものもあげたものも全部自分にとって大事なもので、立ち上がるきっかけにも思い出す理由にもなる。そして自分ではない誰かとの繋がりは、理想を歩む力となる』」
大蛇は笑う。嘲るように。
『人間らしい醜い発想だな。短命の生命が見る錯覚を堂々と言い放つ厚顔無恥さには感心する』
「『うふふ。あなたが、そう思うだけでしょう?』」
ミスティが笑う。揺れぬ心で。
「『何とでも言うといい天上を目指す龍よ。私は神を目指さない。人が歩む伝承を継いで、ここを統べる王となる。私が望む未来のために!』」
混じる声は二つの理想を体現した証。
大蛇という呪いの塊を前にして、ミスティの心には一欠片の恐怖も届かない。
その心には一切の迷いもない。自分の背中と家を守ってくれる一番大好きな人が近くにいると知っているから。
いつも読んでくださってありがとうございます。
前編ももう少しなので頑張ります。




