733.立ちはだかるは
「め、迷彩を切り替えます」
残雪が残る部分を抜けて、トランス城裏の山に入るとカンパトーレの魔法使いグライオスの部隊は一斉に着ていた白の迷彩服を裏返し、茶と緑を基調とした迷彩に切り替える。
トランス城の裏にある山は針葉樹が並び立つ鬱蒼とした林のような山だ。白の迷彩では逆に目立つ。
訓練されているのか素早く着替えたら分散する予定だ。
カエシウス家の感知魔法範囲にはとっくに入っているからこそ、部隊一斉にとはいかない。警戒させる方向をばらばらにすることで感知魔法の使用者の意識をちらせて、作戦の本命を押し通す。
「それでは作戦通りに別れます。ご武運を」
南門で大蛇が暴れているからといって時間があるわけではない。偽隊長である女性はカンパトーレ式の敬礼をすると、部隊員は全員分散してトランス城へと向かっていく。
偽隊長の女性にだけ二人の支援部隊員がつき、本格的に指揮官を装う。つまりは本命に見せかける。
本命であるグライオス・マーグートの配置は後方。
その配置は後方の連絡要員。或いはカンパトーレに情報を持ち帰るための伝令兵。
他の部隊員が前のめりに進む中、一人躊躇いを演出しながら歩を遅くする。
「びびってると思われればそれに越したことはないからねぇ」
トランス城の襲撃は基本的に常軌を逸していると評される。
去年送り込んだジグジーとリィツィーレという二人の魔法使いはどちらも若いながら世界改変を扱える天才であり、町一つを幻覚と影に落とせるくらいの使い手だったが……トランス城で出せた被害は使用人一人だけだった。
二人の魔法使いと一人の使用人……グライオスはあまりこういう考え方は好まないが、明らかに割に合っていない交換だ。当時カンパトーレを裏から牛耳っていた水属性創始者ネレイア・スティクラツの命令でなければ暴動が起きただろう。
しかし、それだけカエシウスは難攻不落なのだと改める機会でもあった。
びびっている人間が一人くらいいたほうが真実味が増すだろうと、グライオスはたまに止まったりして演技する。
もしかすればこんな事した所で無駄かもしれないが、もしかしたら無駄じゃないかもしれない。それで作戦の成功率がほんの少し上がる事があれば儲けだ。
『トランス城に接近。侵入まで非常時以外の通信用魔石の使用を制限する』
耳に着けた通信用魔石から聞こえてくる偽隊長の女性の声。
その声色は存外怯えがなくて悪くない。この通信が傍受されていたとして、隊長だと誤認してくれるだけの威はあったような気もする。
グライオスは安心しながら歩を進める。ターゲットであるミスティ・トランス・カエシウスを捕捉する前に隊長じゃない事がばれればトランス城で待ち受けているであろう戦力も違和感を持つはずだ。
「カエシウスの血統魔法を唱えられるのは二人……」
カエシウス家現当主であるノルドは恐らく大蛇のほうに対処に回っているはずだ。当主無しでスノラの住民の混乱を抑えられるはずがない。
であれば、トランス城にいるカエシウス家の人間は次期当主ミスティ、ノルドの妻セルレア、そしてミスティの弟のアスタの三人。
アスタはまだカエシウス家の血統魔法は継承していないのは調査済み。
当然だ、とグライオスは心の中で悪態をつく。あんなもの今年十二歳になる子供がほいほい継承していいはずがない。十歳で継承したミスティが異常なだけなのだ。
ノルドの妻であるセルレアも問題はない。
あれはカエシウスの家名を持つが、嫁いできただけの人間だ。正確にはカエシウスの血筋ではない。
家名という鍵を貰っただけで血統魔法の本当の力を扱える才が無い普通の魔法使いだ。ミスティの血統魔法に比べれば真似事のようなものだろう
「なんにせよ狙いは一人っていう話だわな」
グライオスは去年の戦いを知っている。マナリルマットラト領で起きたミスティとネレイアの戦いを。
カンパトーレとしては十年近くバックにいた黒幕がついにマナリルに出張るというのだから記録するのは当たり前だろう。
水属性創始者の力とマナリルの頂点カエシウス家の衝突。軍配はカエシウス家だった。
凍り付く大津波。大自然を大自然で上塗りする完成された世界改変の景色。
海に待機していた観測班が映した記録用魔石からの映像は、その映像を流すだけで見た者に白い息を吐かせそうな"現実への影響力"を持っていた。
その映像を見たグライオスは確かに、こう思えた。
――勝てる。
決して強がりではない。
血統魔法の総合力なら敵うわけもないだろうが、自分とミスティの一対一ならば勝てるという絶対的な確信があった。
ミスティの血統魔法はカンパトーレが歴代記録し続けた規模の中でも最高のものだったが……世界改変魔法である事は変わらず、"現実への影響力"がいかに強くなったとしてもその効果は今までと同じ延長線上にある。
後に記録されるベネッタの血統魔法のような予測不能の覚醒には至っていない事が、グライオスに勝利を確信させた。
彼が生まれたマーグート家はカエシウス家の血統魔法を打倒するべく数百年の研鑽を続けたカンパトーレの貴族……その血統魔法を覚醒させた自分ならばと。
数百年に渡って示し続けたマーグート家の"存在証明"。
自分自身の手で覚醒させた血統魔法の"現実への影響力"。
なにより、ミスティの血統魔法を目にして立ち向かう事を決めた精神力。
この三つがグライオスという男を対ミスティの魔法使いへと変える。
そして、彼はようやく大蛇という存在を利用しての今回の作戦に至った。
「感知魔法を使えば俺がばれる……戦局はあいつら次第か……歯痒いねぇ」
今頃トランス城に襲撃をかけ始める前であろう部下の奮闘を期待しながら進む。
カエシウス家の最高傑作ミスティの首を掲げた時……そこがグライオスにとってのスタート地点。
人生の転換点を想像してトランス城に向かう足が少し逸りかけたが、グライオスは自分を抑える。
柄にもなく心が鳴っている。夢を叶える人間というのはこうも心を少年に戻すのか。
間違いなく、今の自分は魔法使いとしての全盛期。
確信はさらに超え、グライオスにとって一足早い現実に。
髭を剃った自分の顎を撫でて、すぐそこにある未来を掴むべくトランス城へまた一歩踏み出す。
「見つけたぞ」
「!!」
その一歩を踏む直前、こちらに歩いてくる影がある。
グライオスは声が出掛けた自分の口を塞ぐ。
それは自分の居場所がばれないための行動ではあったが、無駄だった。
こちらに歩いてくる影は一直線にこちらのほうに向かっている。
――何故!?
そう叫びたくなる声を心の中だけで発散する。
「確証は無かったよ。だが最初に大蛇に襲撃されたベラルタの一件が引っ掛かった。確認と宣戦布告と言っていた大蛇の退場、あっさり対処されるカンパトーレの魔法使い部隊……狙いは一体何だったのか」
白を基調とした制服。
葉や枝を踏むことなく、音も無く山を歩く少年。
黒髪の黒い瞳は林の中にあっても存在感を増していく。
「魔法生命との戦闘経験のある者を大蛇に、経験の少ない者を魔法使いの対処に。ベラルタは特に経験が重視される……ベラルタの大蛇襲撃はそれを逆手に取った布石だった」
「はぁあ……人生ってのはこう……上手くいかないなぁおい」
潜んでも無駄だとわかったグライオスはその少年の前に姿を見せる。
今日まで何度読んだかわからない危険指定のリストにある特徴と同じ少年の前に。
「ベラルタの襲撃は俺達に成功体験を植え付けて、今回の襲撃時に俺達の動きを誘導するための作戦だった。
魔法生命の戦闘経験が豊富な俺を大蛇に……魔法使いの対処をミスティに行かせるようにするための。傍から見ればそれが最善だから。
けど、それが誘導かもしれないと思えば……自ずとお前らの目的は見えてくる」
グライオスは髪を整えながら、ここにいるはずではなかったイレギュラーに声をかける。
南門のほうで大蛇から人々を守っているはずの少年に。
「お前らカンパトーレの狙いは――ミスティだな?」
「おいおい……資料に書いといてほしかったぜ。結構勘がいいってよ」
深いため息をつくグライオスの前に現れたのは魔力の怪物。
黒い髪に黒い瞳……穴が空くほど見た資料通りの外見が、別人という淡い期待すら抱かせない。
自分よりも小さいアルムの姿が、グライオスには巨大な壁にしか見えなかった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ようやく邂逅です。




