731.最悪の芽
「アルム!」
「ああ」
風に乗って聞こえてきた悲鳴と破壊音でアルムとミスティは強化を唱えて屋根の上へと跳ぶ。
地響きのような振動が屋根を通じて二人に伝わり、南のほうに視線を向けてその轟音を引き起こす元凶を発見した。
「大蛇――!」
「やっぱり……」
今日見た夢がただの夢でない事をアルムは確信する。
あの警告が無ければ事態に備えて急いで町に繰り出す事も無かっただろう。
――だとすればあの夢は一体何なのか?
確信するとともに、新たな疑問が浮かぶ。
だが、今はそんな事を考えている場合ではない。
ベラルタで出現した時よりも大蛇は巨大だ。魔法生命として力を取り戻し、成長しているのが目に見えてわかる。
住人の避難はもう始まっているようだが、あの巨体が動けばいくら迅速に避難しても被害が大きくなるのは間違いない。
「狙いは俺か……? 霊脈か……?」
ラーニャの情報によればスノラは鬼胎属性の魔力が活性化している霊脈の一つ。
そう考えれば狙いは霊脈と考えるのが普通だが、魔法生命との戦闘経験がある自分やミスティがいる時に現れたのが引っかかる。
霊脈を狙うのならば帰郷期間を終えて自分達が出立した時を狙えば、捕食できる人の量も多くなるだろうし霊脈の接続も今よりは楽になるだろう。
自分とミスティがいるタイミングで現れなければいけない理由は何か。
「ミスティ」
「観光シーズンから少し外れているとはいえ……! あのままでは……」
自分の先を行くミスティは故郷に現れた大蛇を前に動揺している。
当然の反応だ。冷静にと言って冷静になれるわけがない。
それに、今は急いで大蛇の対処をするのが優先である事は間違いない。
ミスティの意見を仰ぎたかったが、今のミスティに冷静になって少し知恵を貸してくれというのは少し冷たい相談かもしれない。
(どっちが狙いかわかった所で今の状況に意味はないが……)
あの大蛇は恐らく、ベラルタの時と同じように本体ではない。
アルムにはその確信があった。ならばこの出現には何か狙いがあるはず。
大蛇という存在の恐怖を植え付けて魔法生命としての力を取り戻すため? 霊脈を喰らう為?
スノラに現れた以上、そのような目的もあるにはあるだろうが本命とは思いにくい。
魔法生命の力は強大ではあるが、決して無尽蔵ではない。霊脈との接続を求めている事からそれは明らかだ。
この分身も恐らくは使用できる回数か魔力の回復を待たなければ使えない、などといった制約があるだろう。でなければマナリル中にこの分身を解き放つだけで人間の世界はとっくの昔に終わっている。
そうしてアルムが思考する間に通信用魔石で報告を終えたミスティがこちらに振り向いた。
「アルム! お父様が合流してくださるそうです!!」
「助かるな。俺達は魔法生命の相手は出来るが……パニックの住人をどうにかするには説得力が足りないだろうしな。領主のノルドさんなら現れるだけでも住人を安心させられる」
「ですが魔法生命相手の経験は私達……アルムのほうが適任でしょう」
鬼胎属性は人の恐怖によって"現実への影響力"を増幅させる特性を持つ。そして魔法生命は元々人間を呪い、恐怖を与える伝承の住人だ。
何も知らない者は対峙するだけでその存在に恐怖せざるを得ない。恐怖は精神を蝕み、無意識に目の前の怪物の養分を提供しながら死ぬ直前まで魔法生命の糧となる。人間にとっては勿論、精神が生み出すイメージによって魔法を行使する魔法使いにとって魔法生命は天敵と言える。
だからこそ、魔法生命との戦闘経験は対魔法生命にとって重要だ。
怪物を前にする心構えと慣れは勿論、打倒した経験は魔法生命が与える恐怖を半減させる。
魔法生命の持つ特性や実績も含め、アルム達以上の適任はいない。
「ああ、ノルドさんには住人の避難を優先して貰って、ミスティは俺の援護を頼む」
「はい!」
「……ルクス達がいてくれたらもっと楽だったんだがな」
「仕方ありません……私が無理に連れてきてしまっていただけですから……」
数日前に出立してしまった友人達の姿がつい思い浮かんでしまう。
三人がいたらどれだけ心強いか。少なくともこれから自分達が戦うよりも被害ははるかに小さくなるだろう。
そんな事を思いながら屋根の上を跳んで南門を目指していると、ミスティの通信用魔石が再び光る。
「どうされましたお父様……? はい……え?」
「なんだ?」
ノルドから何を聞いたのか、ミスティの足が止まる。
釣られて、アルムも跳んだ先の屋根に着地して一旦止まった。
止まる余裕は無いはずだが、ミスティは大蛇が見える南門の方角ではなくトランス城のほうへと振り向いた。
「どうした?」
「こ、こちらに向かう途中でお父様が展開した感知魔法に反応があったそうで……トランス城の北側から複数の反応が……恐らくはカンパトーレの魔法使いかと……」
「なに……? ミスティ、代われるか?」
「は、はい」
ミスティは言われるままアルムに通信用魔石を手渡す。
「ノルドさん、アルムです」
『アルムくんか。ミスティと一緒にいるのは聞いているよ。協力感謝する』
「当然です。それより……ノルドさんは山のほうの対処へ行かれるんですか?」
『いや、厄介なのは魔法使いよりも魔法生命のほうだ。被害を減らすためにも領主である私がそちらに行くのがいいだろう。トランス城にはミスティを向かわせる。
私が感知した反応は十人程度……前回と違って内通者や世界改変による搦め手は無いのは確認済みだ。相手が魔法使いであれば、ミスティとセルレアで十分対処が可能だろう。セルレアはミスティには劣るが、カエシウス家の血統魔法を操れるからね。
万が一、他の魔法生命の宿主が混じっていた場合はミスティの誘導で避難を優先してもらう。メイドの中にはイヴェットのように魔法を使える者もいる、ミスティと一緒なら逃亡も容易だろう』
「それは心強いですね……」
『君と魔法生命との戦闘は私がサポートする。君がいなければ守れるのは家族と民のどちらか、君がいればどちらも守れる可能性はぐんと上がる。どうか力を貸してくれ。
勿論、私は君の指示に従う。魔法生命相手であれば君の判断の方が適切なのは間違いない。領民の誘導をしながらではあるが……存分にこき使ってくれ』
そこでノルドからの通信は途切れた。
ミスティは通信用魔石を返してもらうよう手を伸ばすが、アルムは動かない。
「アル……ム?」
「なん……だ……? この違和感は……?」
ノルドの方針は現状を考えれば最善の判断だった。
町の南に出現した魔法生命、北の山から来るカンパトーレの魔法使い……カエシウス家の絶対的な血統魔法とアルムの魔法生命への戦闘経験を加味してどちらも対応できる可能性が高い方針だ。
四大貴族カエシウス家の当主でありながらプライドを捨て、アルムの指示に従ったほうがいいという判断している点を含めれば……どちらも守るという結果を望むなら最善に近いかもしれない。
そのはずなのに、何か悪寒がする。何かがアルムの頭に引っ掛かる。
「状況はベラルタと同じ……」
魔法生命の出現とカンパトーレの魔法使いの部隊による拠点襲撃。
魔法生命との戦闘に長けている自分達が魔法生命側に向かい、他の人間をカンパトーレの魔法使いにあてる。
ノルドの方針はベラルタの時と人数こそ違うが、同じものだ。
魔法生命との戦闘経験が多いアルムは大蛇を、対魔法使いにおいて創始者ネレイアすら打倒した絶対的な血統魔法を持つミスティをカンパトーレの魔法使いにあてる。
ミスティが奇襲以外で対魔法使いに負けるはずはない。カエシウス家の血統魔法の絶大さは歴史が証明している。
だからこそ、グレイシャのクーデターも防げなかった。当主継承式で百人以上の貴族が招待されていたにも関わらず、関係ないと言わんばかりにグレイシャは全てを凍らせたのだ。
(だが……それは、敵もわかっている事じゃないのか?)
カンパトーレは数百年以上カエシウス家に侵攻を阻まれている国。カエシウス家がどれだけの力を持つかはアルム以上にわかっているはず。
敵はわかっていて、この状況を作っている。
ならば……敵にとってこれは無謀な作戦ではないはずなのだ。
「いや……だがどうやって……?」
大蛇の狙いは……カンパトーレの魔法使いの狙いは――!
「アルム……?」
心配そうに声をかけるミスティを、アルムは見る。
ノルドの方針は最善だと思う。ただ自分が考え過ぎなのかもしれない。
その上で、アルムは……小さな最悪の芽を摘む事を決めた。
自分にとっても、それだけはあってはならない可能性だった。
「ミスティ」
「はい! 私は急いで――」
「ミスティ」
「は、はい?」
通信用魔石を受け取り、トランス城のほうに向かおうとするミスティの手をアルムは掴む。
不安は消えない。結局、ミスティに戦ってもらう事には変わりないのだ。普通に考えれば、ミスティにとって危険かもしれないほうに。
それでも、敵の策略に馬鹿正直に飛び込むよりはというもっともらしい言い訳と勘を元にアルムは口を開いた。
「ミスティ……俺は今からこの状況で何の確証も無い事を言うんだが、それでも俺を信じてくれるか?」
手を強く握り、アルムがそう言うとミスティは目をぱちぱちさせる。
真剣な表情でミスティの答えを待つアルムに、ミスティは小さく笑った。
「私があなたを信じるかどうかなんて……言わなくてもわかりますでしょう?」
いつも読んでくださってありがとうございます。
頑張ります。




