728.空を泳ぐ使徒
「御者さんはどこから……あ、お名前聞いてもいいですかー?」
「ははは、変わったお客様だ。自分はガスパーって言って西部の出身ですよ。四大貴族のパルセトマ家って知ってますか?」
「はい、知ってます知ってますー!」
ルクスとエルミラから別れ、ベラルタ行きの馬車に乗ったベネッタは話し相手がいなくなって暇になったのか、客車の小窓を開けっぱなしにして御者と雑談しながらベラルタへ向かっていた。
景色を見る普通の窓とは違い、客車の前のほうに空いている小窓は本来御者と客の伝達用として設置されているのだが、ベネッタにとっては違うようだ。
「いい所ですよ西部は。パルセトマ家の方々の趣味なのか、どの町も色とりどりの花が咲いていて華やかで……そんな環境なんで住んでる連中も自然と好きになる。
かく言う自分もこんなガタイで花なんて似合わないですが……妻や娘の記念日にはプレゼントと花を添えるような男になっちまいました」
「えー! 素敵じゃないですかー! それに体の大きさとか見た目は好きなものに関係無いですよー!」
基本、馬車の御者と客は移動中に頻繁に会話したりはしない。客車の中はある意味金で買ったプライベートな空間であり、その空間にいながら御者と雑談しようという客は少数派だ。
車輪の音が大きい時もあって会話になりにくかったり、平民と貴族では対等に楽しい雑談にもなりにくかったり、そもそも一人で乗るのが珍しいなどと理由はいくらでも挙がる。
なので本来は連絡事項やトラブルの報告などでしか会話はしないのだが、二人の雑談は馬車は車輪の音に負けないほどずっと続く。馬車の轍の中に花が咲いてしまいそうだ。
「お客様は貴族の方ですよね」
「え? えへへ、わかりますかー?」
「そりゃあ商人以外で行き先がベラルタとくればあそこの学生さんでしょうから」
「あ……ボクにオーラがあったとかじゃないんですね……」
「オーラ? ってのはちょっとわかりませんが、持ってる杖も高価そうですから」
ベネッタの杖はダブラマ王家から贈られた一点もの。高価どころではない品だ。
貴族を乗せる事もある仕事柄、この御者の目は比較的肥えているのかもしれない。もっとも、御者が想像するよりも遥かに高値ではあるのだが。
「それより行き先は本当にベラルタでいいんですか? 今は帰郷期間では?」
「ガスパーさんよく知ってますねー。そうなんですけど、友達の所に行ってたので、今年はそれでいいかなってー」
「ありゃ、家に帰らなくていいんですか? 貴族の方なら帰ったら色々豪遊できるでしょうに」
「豪遊なんて全然できませんよー、うちは貧乏貴族なんで、家でごろごろしてるくらいです。借金してないだけうちはましなほうではあるんですけど」
「ならその杖は?」
「これは頂いたものなので、ノーカウントです」
夏の北部は雪景色とは一変して緑に満ち溢れている。
ごろごろと鳴る車輪は平野を抜けて、とある湖畔に作られた道に出た。
空に近い遠くを見れば残雪の山々がそびえ立ち、近くを見れば田園風景が広がっている。
草原は黄色い花で彩られており、時折見かける小さな家が風景に溶けこんでいてどこか微笑ましい。
そんな夏景色と窓から吹き込む空気が帰っているはずのベネッタを旅行気分に陥らせ、その口を饒舌にさせていた。
「そんで……パパも似合うよって花冠作ってくれたのはいいんだが自分が欲しくなっちまったみたいで……。すぐに娘のものになっちゃいましたわ」
「うああ……娘さん可愛いですねー!」
「ははは、すいませんね自分の話なんてつまらないでしょう」
「何言ってるんですか! すっごい素敵ですよー!」
御者のガスパーの愛娘の話をうっとりとした表情で聞くベネッタ。
話しても聞いても楽しそうなベネッタ相手についガスパーの口も饒舌になっている。
出発から三時間ほど経っても話が尽きない中――
「――――え」
――ベネッタの目が感じ取る。
人間でも魔獣でもなく、元を辿ればこの世界の生き物でもない生命の存在を。
ここから遠くない。そして何より、こちらに近付いてきている。
「……ガスパーさん」
「どうしました?」
「止まって下さい」
「え?」
御者のガスパーは手綱を一層強く握りながら周囲を見る。
いい景色と言えば聞こえはいいが、周囲には目的地になるような場所はない。
ガスパーが知っているここから一番近い牧場でさえまだ結構な距離がある。
近くに見える湖は確かに綺麗かもしれないが、わざわざ観光するような場所ではない。馬車から見える景色として楽しみながら通り過ぎるのが無難だろう。
「その、失礼を承知でお伺いしますが……何故ここに?」
「少し、ボクに用がある方が来るみたいなので、ここでいいんです」
「よ、用って……」
御者のガスパーはごくりと生唾を飲み込んだ。
先程まで可愛らしい話し相手だったはずの少女の声がひどく真剣なものになっている。
ベネッタに言われた通り、手綱で馬を操って馬車を止める。当然、馬車の待合所なんかも近くには存在しない。
ベネッタの要望通り馬車が止まると、ベネッタは杖をこつこつと突きながら客車を降りて……御者のガズパーが座る御者台の近くまで歩いて行った。
「ここまでありがとうございました。ベラルタまでの料金はお支払い致しますのでどうぞ」
ベネッタは代金の入った小袋を渡そうとするが、ガスパーは遠慮するように身を引く。
「い、いや、貰えないよ……ベラルタまで送り届けられてない」
「いいんです。我が儘言って降ろしてもらうんですから」
「ですけど……」
「もし気が引けるようならこのままベラルタまで走って……早くここから離れてください」
「え? ここ……何か出るのかい?」
魔獣でもいるのか? そう思った御者のガスパーは周囲を見渡すが何も見えない。
視界も開けていて、何かが隠れている様子もなかった。
「多分これから出ます。場合によってはボクの力じゃガスパーさんやお馬さんを庇いきれません。だから……早く」
「い、いや、それならおじさんと一緒に逃げたほうがいいんじゃないか!?」
ベネッタに早く行くように促されるが御者のガスパーは引き下がる。
それはガスパーが良識のある善人だからであった。
魔法の才がある貴族が平民よりも強いのは勿論ガスパーだってわかっている。
だが貴族であると自己紹介されたとはいえ、ベネッタは盲目だ。
これからここに何かが出るとして、盲目の少女一人残して立ち去るなど誰が出来ようか。
それも、一介の御者でしかない自分に分け隔てなく接してくれた少女を放り出すとなれば良心の一つ痛むのは仕方ない。
「それだと駄目みたいなんです。お願いします逃げてください。お願いします」
御者のガスパーはベネッタのとった行動に驚きを隠せない。
貴族であるはずの少女が頭を下げているのだ。しかも逃げてくれと。
ガスパーはようやく、自分がこれから足手纏いになるのだという結論に至る。
「……後で、ここで死亡事件なんて事があったら恨みますよ」
「えへへ、大丈夫ですよー」
「それでは……ご利用ありがとうございました」
「はい、こちらこそお話に付き合ってくれてありがとうございました」
「―-っ!」
手綱を操り、御者のガスパーは馬を走らせる。
後ろ髪が引かれる気持ちを押し殺し、無心で馬車を走らせた。
一度振り返ってみると、こちらに向けて手を振るベネッタの姿。
一瞬引き返そうという考えが頭をよぎるが、振り払って馬車を走らせ続ける。
車輪の音は変わらぬはずなのに、いつもより五月蠅く感じた。
「よかった……大丈夫そうだー」
ベネッタは馬車が無事遠ざかっていくのを感じながら安堵する。
周りには御者のガスパーが確認した通り素晴らしい自然だけ。これからここに来るであろう怪物がどんな目的であれ人的被害は出ることはない。
ベネッタが一人になったその瞬間、ベネッタがその瞳で感じ取った怪物の存在がどんどんと近くなる。
『どうやら……気を遣わせたようだ』
声と共に影が落ちる。ベネッタがいる場所が光を遮られて暗く。
巨大な雲? 否。雲ならば地上に降り立ったりはしない。
ベネッタが感じ取った
ゆっくりと降りてくるその影をベネッタは静観する。
血統魔法によって作られた目が捉えた命のカタチは当然、人間のものではなかった。
『ベネッタ・ニードロス、だな?』
「そうですけど……あなたは?」
空から降りてきたのは一目見てこの世のものとは思えない怪物だった。
鋭利な歯の並ぶ横に裂けた口を持つ竜のような頭部、鯨のように膨れた上半身に尾鰭のついた蛇のような下半身……全長は四十メートルを超えるだろうか。
なによりその巨体が空から飛来したという事実が魔法の常識を狂わせる。翼もなければ風を纏っているでもなく、魔法における"飛行"の性質を有する特徴がどこにも感じられない。むしろ背中や尾に鰭がある事から海の生き物なのではとさえ思う。
だが、そんな魔法使いらしい疑問でさえベネッタは瞬時に頭の隅に追いやる。
今この場で一番重要なのは、この怪物の目的だけだ。
『汝には、名乗らぬ理由はないな。此方の名はケトゥス。ギリシャを故郷とする星が結びし大海の使徒なり。
時空と死生を超えた異郷にて懐かしき故郷の香りを漂わせる者……どうやら聖女の名は伊達ではないらしい。まさか天恵まで纏っているとは、ずいぶん気に入られたようだ』
大地を揺らし、体の芯にまで響くような重い声。
しかしベネッタが怯むことはない。
「目的はボクの抹殺? それとも捕縛? それとも、食べに?」
問いながら、ベネッタはその目をゆっくりと開く。
瞬間、周囲に存在する生命の権利その一部をベネッタは掌握する。
銀色に輝く瞳は寸分の狂いなく、ケトゥスの命と核の場所を正確に捉えた。
自分の何十倍もある怪物相手に一歩も譲らぬ臨戦態勢……だが、ケトゥスと名乗る魔法生命には一欠片の戦意も無い。
『そのどれでもない。聖女と呼ばれし者よ……汝は此方の疑問に"答え"を出す者か?』
空を泳ぐ怪物は言う。答えを求めてここに来た、と。
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