727.ターゲット
「さてさて、朗報だ親愛なる仲間達」
十人の部下と部隊長が集まった部屋に、芝居がかった言動でカンパトーレの魔法使いグライオスが現れる。
放ったらかしだった無精髭は綺麗に剃られており、髪をオールバックに整えており、彫りの深い顔立ちも相まってモデルと見間違えそうな外見だ。待機中目立っていただらしなさは完全に鳴りを潜めており、意識を切り替えている事がわかる。
「見張りから予定外だった危険指定の三人がスノラを出発したという報告が来た。『灰姫』も『雷獣の血』も『聖女』ももう東部行きの馬車ん中……ようやく運がこちらに向いてきたみたいだな?」
グライオスの言葉に部下達から小さな歓声が上がる。
「助かった……何日ここにいればいいのかと思ってたとこだ」
「最初はどうなる事かと思ったぜ」
「これも蛇神様のお導きってな!」
「ハハハ! 違いない! ようやく運が回ってきやがったな!」
グライオスは後半聞こえてきた声に不快そうに眉を顰める。
すぐにわざとらしい咳払いで部下達の声を止ませた。
「とはいえ、今すぐに作戦開始というわけにゃあいかない。今見張りがそのまま三人が乗ってる馬車を追ってる……数日後、スノラにすぐ帰ってこれるような距離じゃなくなるまでの辛抱だ」
「何で後を追わせてるんです?」
「ばーか! フェイクでこっち帰ってきたらどうすんだよ!」
「なるほどな!」
若干粗暴だがしっかりと疑問を自己解決したことに感心しながらグライオスはうんうんと頷く。
「そゆこと。なにせあの三人がスノラに来るのは想定外だったからなぁ。
特にあのベネッタとかいう聖女様はあの若さで宮廷魔法使いにスカウトされてるくらいの感知魔法の使い手……ファニア・アルキュロスの最年少宮廷魔法使いの記録を普通に塗り替えるかもしれないっちゅうばけもんだ。出来る限り油断はしたくない」
「俺達の存在ばれたら作戦パーですからね!」
「ああ、これで俺達がスノラに出向いた瞬間、三人が乗った馬車が急に方向転換して帰ってきました! なーんて事になったら最悪だからな」
軽く笑いながらグライオスは手に持つ危険指定のリストから一枚をピックアップして部下達に向けて見せつけた。
「わかっていると思うが、目標の危険指定はこいつだ。他は一先ず放置でいいが……まぁ、わからなかったらとりあえず殺しとけ」
「ですがグライオス隊長……」
「俺は隊長じゃありません。隊長はそこ」
グライオスが指差す先には他の部下と同じ格好をしている女性がいた。
白を基調としたカンパトーレの雪上用の迷彩服であり、グライオスもその服を着ている。
階級を示すような何かがあるわけでもなく、これでは誰が指揮官かどうかは外部からはわからない。
「あ、そうでしたグライオス副隊長」
「あのグライオス様の上に立てる経験なんてこの先無いでしょうから光栄です」
「お褒めに預かり光栄です隊長!」
「はははは!」
グライオスがわざとらしいカンパトーレ式の敬礼をすると、部下達から笑いがあがる。
部隊の空気を適度に緩ませているのも、作戦についてを話して締めているのも全てグライオスという男。
勿論というべきか、本当の部隊長はこのグライオスという男だった。
他に隊長を作り、自分が副隊長に甘んじているのは勿論作戦のため……敵戦力の誘導をするためだった。
外部からはわからないであろう同じ隊服とこれみよがしに用意された狙いやすい指揮官の存在を前に相手がどういう行動をとりやすいかは言うまでもない。隊に混ぜた小さな欺瞞を浸透させるため、グライオスは常にこの間違いについては指摘する。
「そんで? なにかなフリット君?」
「はい、蛇神様より出来るだけターゲットとその周囲以外は殺すなとのご命令ですので……手当たり次第殺すわけにはいかないかと……」
「あー……そうだった……」
カンパトーレに住む貴族の大多数が今崇めている蛇神様……つまり魔法生命の存在は絶大だ。
常世ノ国から伝わった疑似的な神の崇拝。最初はマナリルやダブラマという大国に敵わず、このまま衰退していくカンパトーレが受け入れたお遊びのようなものだったが、魔法生命の存在は次々に周囲の大国に大打撃を与えた事を証明した。
マナリルやダブラマに現れる魔法生命の存在は瞬く間にカンパトーレ中に信じられ、蛇神様として崇められる魔法生命本体がカンパトーレの貴族達の前に現れた事でカンパトーレの蛇神信仰は本当の意味で浸透する事となる。
今やマナリルへの侵攻作戦にも蛇神様の存在が絡む。
その蛇神様からの命令を思い出し、グライオスは困ったように頭の後ろを掻いた。
「民間人を狙うわけじゃないしなぁ……ターゲットを確実に殺す為には数人は致し方ない。割り切ろうじゃないの」
「了解しました」
「ターゲットを殺せないほうが問題だっちゅう話よ。異存ある人ー?」
部下達は誰も挙手しない。
当然だ。ターゲットを考えれば、ターゲット以外を殺さないなどという敵への配慮になりかねない行動などとれるはずもない。
「よし……ないな。作戦はわかってるな? 蛇神様が町を襲う。それに合わせて突入した俺がすぱっと全部殺す。それで全部終わりで祝杯だ」
「おいおい、それじゃ俺達ただの囮じゃないすか!」
「だはははは!」
無論、厳密な内容は部下達も把握している。
グライオスの人柄か、わざと軽くアバウトな説明をしてくれていると部下達は自分達を纏める隊長の配慮に笑顔を見せた。
(その通りなんだよなぁ……)
打って変わって、グライオスの心中は気が重い。
部下が自分で言っている通り……自分以外はただの囮だという事をグライオスは知っている。
下手すれば指揮系統が混乱しそうな同じ迷彩服を全員が着ているのも、別の人間を隊長にしているのも全てはグライオス一人がターゲットに辿り着く為の保険だった。小さな欺瞞は外に向けても内に向けてもというわけだ。
なにせこれから作戦を始める場所はカエシウス領スノラ。あのカエシウス家が統治する場所なのだから。
だからこそ、失敗はできない。呪法によって話せない部下達への少しの裏切りを胸に秘めてグライオスは作戦の遂行を誓う。
「結構我慢したよなぁ……」
部下達に語り掛けるようにグライオスは呟く。
自分達が廃村に滞在している事か、と部下達は一瞬思う。
「なあ? 俺達のご先祖様はずっと阻まれてたんだ……信じられるか? 何百年も前からだ。カンパトーレって国はまーじで運が悪かった。あんな化け物があんなとこに居座っちまったのに、それをどうする事もできなかったわけだからな」
だがその続きで違う話だという事はすぐにわかった。
自分達の隊長はターゲットについての話をしているのだと気付き、部下達の表情が引き締まる。
「まぁ、でもご先祖様には悪いけどそれも仕方ない……なにせ、この天才がいなかったんだからな?」
グライオスは部下達に向けてにっと笑った。
部下達の士気は上がり、残り数日で歴史が変わると確信する。
自分達の目の前に現れた蛇神様と自分達の信頼する隊長……二つが揃った今こそが時代の転換点だと。
「不遇の千年ももう終わりだ。氷も雪も見飽きただろ?
カエシウス家の最高傑作――ミスティ・トランス・カエシウスの首はこの『氷狼』グライオスが殺る」
ミスティの情報が載る危険指定のリストにグライオスはナイフを突き立てる。
ターゲットはカエシウス家次期当主ミスティ・トランス・カエシウス。
カンパトーレを氷と雪山に囲まれた小国のままにし続けた……マナリルの頂点に今、数百年をかけて研ぎ澄ました牙が向けられる。
「成功したら教科書載るぞこれ。身だしなみはしっかりしとけよ?」




