724.似ている者
「じゃ……私達明日帰るから」
「ボクもー」
「ご、ご迷惑をお掛け致しまして……」
結局の所、ミスティの不安は杞憂に終わったわけで。
トランス城での騒動から三日後……エルミラとベネッタは、もういても邪魔なだけじゃない? という意見の一致によって各々残りの帰郷期間を過ごすべく帰る事となった。
あれだけ報告が不安と言っていたものの、蓋を開けてみれば唯一の障害は婚約者候補に正式な断りを告げていなかった事だけだった。城内を騒がす噂を助長したのはご愛敬だったが……そもアルムに跡継ぎがどーたらを吹き込んだノルドが原因だ。
そのせいもあってかエルミラは反省もそこそこにミスティのベッドに我が物顔で好き勝手に寝転がっている。今日はもうここで寝る気なのだろう。
用意された客室とは一体何だったのか。結局エルミラは滞在中のほとんどをミスティの部屋で過ごしていた。
「てか……私達来る意味あった……?」
「うーん……微妙ー……?」
「ありましたわ! 私が皆さんがいてくださることにどれだけ勇気を貰ったか!」
「冗談冗談。でもいるだけでいいって……いるだけ側にしたら自分いる? ってなるわよ」
「結局ノルド様もセルレア様もアルムくんに反対する気はなかったわけでー……問題はミスティが婚約者候補を忘れてた事だけだったんだもんねー」
ミスティが跡継ぎのために他に相手を作る、という噂はミスティが大胆にも言い放った発言によって一気に鎮火し……むしろ使用人からアルムを見る目が完全に変わる一件となった。
ミスティのお友達その三辺りの認識から、一気に次期旦那様候補になったのだから当然と言えるだろう。
いくらカエシウス家の使用人といえど人間……ここ三日アルムに気に入られようと接触が増えた使用人もいるが、アルムには媚びやら賄賂やらが通じないので果たして意味があるのかどうか。間違いないのは上級使用人であるラナとイヴェットがその使用人達の評価を下げた事くらいである。
「てか……あんたくらいの天才なら確定で当主なんだし……婚約者の話とかどう忘れんのよ?」
エルミラの呆れはもっともだった。
貴族の家には才能がある中でも時折、傑物と呼ぶべき者が誕生する。
家の未来を照らす圧倒的な才能。そして成長と共に血統魔法に愛される人格。
当主争いすら起きないほどの存在であり、次期当主という事が確定しているのなら当然幼い頃から婚約者は決められるか、候補がいるのは常識だ。
たとえ傑物が一人いたとしても家の未来を一生照らせるわけではない。その光を次に繋がなくてはならず、そのためにも婚約者というのは忘れようと思っても忘れられない存在のはずなのだ。
特に上級貴族や四大貴族ともなれば家の進退を決める重要な要因でもあるのだから頭の片隅にはあって当然である。
「も、申し訳ありません……。言い訳になりますが、当主継承式の際にも具体的な話があがらず、グレイシャ御姉様の一件によって色々あったのもあって……それに……その……あの後からアルムに、好意を抱いたと自覚したので……」
によによと口元を緩ませながら、もじもじと小指の指輪をいじるミスティを見て、エルミラとベネッタは続きの言葉がどうつづられるかを悟る。
ミスティの小指の指輪はアルムからのプレゼントだと耳に穴が空くまで聞かされた話だ。
「完全に忘れてたー?」
「はい……」
「初恋の衝撃で婚約者候補を忘れるとか頭お花畑か……」
「返す言葉も……」
反省で縮こまるミスティに何度呆れればいいのかわからない。
このお嬢様は普段しっかり者の癖にアルムが絡むとどこか放っておけないか弱さを発揮するのである。
「それに幼い頃はグレイシャ御姉様が当主になると思っていたので……」
「あー、そっか……ミスティくらいやばかったんだもんね」
「魔法の才だけならむしろ私以上だったと思います。血統魔法に愛されていれば当主はグレイシャ御姉様でしたでしょう」
カエシウス家に生まれた二人の天才の明暗を分けたのは血統魔法だった。
長女のグレイシャと次女のミスティ……カエシウス家に生まれた天才姉妹の名前は瞬く間にマナリル全土に広がった。
しかし、その名前はミスティが血統魔法を継いだ瞬間に片方が突出する事となる。
姉と並ぶ魔法の才と十歳にして血統魔法を継ぎ、そして愛されたカエシウス家の最高傑作――ミスティ・トランス・カエシウスの名が。
血統魔法に愛されなかったグレイシャはその瞬間ミスティの姉として認識される事となり……後のクーデターに繋がる事となる。
「……死んだ人を悪く言うわけじゃないけどさ、自分の妹を存在ごと消そうなんて思う人が血統魔法に愛されなくてよかったと私は思うよ」
――正直ぞっとする。
エルミラはそう言いかけて口を閉じた。
自分の妹を殺すだけでは飽き足らず、その名前が後世に残らぬように領地を簒奪して自分の国として歴史ごと塗り替える……それがグレイシャ・トランス・カエシウスがクーデターを起こした目的だった。
自分が誰かを恨んだとして、果たしてそんな発想になるだろうか。
仲違いしているわけでもないたった一人の妹をそこまで恨めるのだろうか。
もし、そんな人間が血統魔法に愛されていたら。
頭に浮かんだ結末にエルミラの背筋に寒気が走る。
「良い悪いはともかく、色んな意味で凄い人ではあったっぽいよねー……アルムくんとか魔法上手い人の例でたまに名前出すからびくっとする」
「うふふ、そうですね……アルムはグレイシャ御姉様の事を凄く大事に覚えてくださっていますから」
「そこがわっかんないわね……殺し合った相手のことを大事にするってどんな感覚?」
エルミラは理解できないと言いたげだが、ミスティはそうでもないようだった。
「……似ているからですよ、きっと」
「似てる? アルムと?」
「はい」
思い出すには苦い記憶で、同時に嬉しい記憶。
とても寒い世界で、助けに来てくれた人の温もり。
大好きだった姉に身も心も殺されかけて、大好きになる人に救って貰った日。
忘れるはずもない。ミスティはあの日ぶつかり合った二人を覚えている。
「グレイシャ御姉様はアルムと同じ……他の人が不可能だと笑うような理想を、本気で現実にしようとした人ですから」
ミスティは苦しそうな、そして嬉しそうな笑顔でそう言った。
二人は似ていたのだ。どうしようもなく。
互いに似ていて、似ているからこそ互いの世界が相容れずにあの結末に至った。
今ならミスティにもそれがよくわかる。
「殺されかけたってのにそう言えるあんたが偉いわ」
「ミスティはずっと偉いよー……だからって婚約者候補がいたことを忘れちゃ駄目だけどー」
「面目ありません……」
二つの感情が入り混じるミスティの複雑そうな笑顔を見たからか、エルミラもベネッタもこれ以上話を広げないように切り上げる。
何はともあれ今のミスティは幸せそうなのだからよしとするべきだろう。
「話は変わりますが、お二人はスノラを離れた後ご一緒するのですか?」
「いやー、流石にボクもルクスくんとエルミラの邪魔をするような事しないよー……一足先にベラルタに帰ってるー」
「あれ? あんた家に帰んないの? 北部だから私らより近いでしょ」
「そうなんだけどー……今お父様がいらっしゃるからめんどくさいなーって」
「あんたほんとに父親苦手よねー」
エルミラがそう言うと、ベネッタはふるふると首を横に振る。
「苦手じゃなくて嫌いなの」
きっぱり言い切るベネッタに、ミスティもエルミラも苦笑いを浮かべるしかない。
ベネッタの表情が真顔だったのが恐くて、何かあったの? と聞く事も出来なかった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
娘に嫌われないように縁談を迫る手紙を週に一回送るのはよしましょう。後当主になりなさいと強制するのもやめましょう。少なくとも真顔で嫌いとは言われなくなるはずです。




