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【書籍化】白の平民魔法使い【完結】   作者: らむなべ
第十部前編:星生のトロイメライ
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723.真意はどこに

「うわああああ! 凄い凄い!!」


 目を輝かせて、大声で喜ぶ少年がいた。

 少年の視線は限りなく広がる白と水色を映す。

 人の手が及ばぬ雲海の上。地上と星の海の間に位置する境界。

 人々は見上げたその色と場所を(そら)と呼ぶ。


 少年は飛んでいた。

 雲海を泳ぐ巨大な生き物の背に乗って。

 何でも叶うと思っている純粋な心のまま思い描いた光景が現実となって目の前に広がっている。

 凍えるほど寒いはずの場所で生命を維持したまま。

 呼吸も難しい空気の薄さを実感しないまま。

 人間の子供という生命の性能(スペック)を無視して、少年は幻想を泳ぎ続ける。

 これから先、遥か未来にこれ以上の体験があるかどうかもわからぬ旅を。


「すごいね! くじら(・・・)さん!」

『気に入ったようでなによりだ。此方(こなた)からすれば見飽きた光景だが……人間にとってはそうではないらしい』

「だってお空を飛ぶなんてできないもん! いいなぁ、くじらさん……こんな風に飛べるんだもん」

『此方は君達のほうが羨ましい。小さな村や大きな町で人間同士すれ違いながら、変わらぬ毎日を過ごす君達が』

「えー!? 絶対くじらさんのほうがいいよー!」

『君からすればそうなのかもしれないな。互いに互いが持てぬものを求めるものだ……それと一応言っておく。此方は飛んでいるのではなく、泳いでいるのだ』

「何か違うの?」

『ああ、違わないかもしれないな。ようはどう思っているかだろう』

「ふーん?」


 少年が乗っているのは巨大な怪物だった。

 空を飛ぶ荘厳な竜。あるいは空を駆ける雲喰いの獣。あるいは雲の合間を泳ぐ巨大な鯨。

 どう見られるか様々なこの怪物のことを、少年は鯨と呼んだ。

 乗っている背中があまりに大きく、雲から背を出すその姿が鯨そのものに見えたゆえに。

 鯨と呼ばれた怪物は喜々として受け入れて、少年と空の旅をする。


「くじらさんは何で空を泳いでいるの? くじらさんって海の生き物なんでしょ? 絵本に書いてあったよ?」

『この世界の海には気に食わぬ者がいたからだ……此方は海を泳ぐのを諦めたのだよ』

「くじらさんを襲う人がいたの……?」

『ふむ……理解が早いな人間の少年』

「あ、僕の名前は――」

『いいや、名前を聞くのは遠慮しよう』


 鯨と呼ばれる怪物は少年の自己紹介を遮る。

 少年は何故そんな事を言うのかわからずきょとんとしている。


『人間の少年の名を聞いても、此方が名乗る事はできない。君の名前だけ聞いて此方の名前を教えないのは不公平だろう? だから、このままでいいのだ。

此方にとって君は人間の少年で、君にとって此方はくじらさんなままなのが、何事も無くこの出会いを終わらせるには一番よいのだ』

「くじらさんが何言ってるかわからないけど……じゃあ僕はずっと人間の少年って呼ばれるの?」

『そういう事になるな』

「何か……嫌だなあ」

『嫌かどうかではない。必要かどうかだ』


 少年には鯨の言っている事がよくわからなかったが、自分が名前を呼んでもらえない事と自分がくじらさんの本当の名前を知ることが出来ないという事は何となく理解した。

 不満そうに頬を膨らませながらも、広がる空の光景に胸は躍り続けている。

 しかし、空の上という壮大な旅に連れて行ってくれた相手の名前も知らぬままというのは子供ながら納得はできない。


『人間の少年よ。君にこんな問いをするのは酷かもしれないが……此方の問いに答えてほしい』

「え? えー? 僕子供だよ? あんまり難しいことはわからないよ?」

『答える事が大事なのだ』

「うーん、わかったけど……なに?」


 少年は緊張した面持ちで承諾すると怪物の声を待つ。


『人々が英雄に求めるのは退屈とも思えるような平和か? それとも聞いて憧れるような苦難に満ちた伝承か? どちらが正解か?』

「え? ええ……?」


 少年が悩むように唸る間も、怪物は続ける。


『平和か? ならば伝承は完全に風化するだろう。忘却はもっともわかりやすい救いだろう』

「えっと……えっと……」

『伝承か? ならば平和を願う忘却は偽りか? 苦難を乗り越える英雄へ向ける憧れの目は平和を乱す罪か』

「くじらさん難しいよぅ……」

『さて、どちらが正解か? 答えを求めるのはまるでスピンクスの真似事のようだが……生憎、此方には奴のように答えを見れる力はないものでな』

「うーん……英雄が悪い人を倒すお話の本はいっぱいあるから……やっぱりお話なのかなぁ……?」

『君がそう思うのか?』

「うーん……でもお母さんやお父さんと……それとね、僕には妹がいたから……やっぱり平和なのが一番だって思うし……」

『そうか』

「ごめんねくじらさん……難しくてわからないや……」


 少年は怪物の背中に向けて頭を下げる。

 空を泳ぐ怪物は答えた。


『いいや、いいとも』


 怪物は下を見る。

 空から見る地上……即ち、人間が暮らす世界を。


『平和か伝承か。それはきっと、身を置く場所によって変わるのだろう』


 煙が上がり、家屋は破壊され、人の生活を支えた場所がまた一つ壊された。

 自分と同じ存在に蹂躙された人間の世界の一部を見ながら、怪物は目を細める。

 村だった場所で倒れている人間達はみんな首から上が無い。

 大人も老人も幼子も、全てが同じ殺され方で倒れていて火に巻かれるのを待っている。

 少し前まで村だった場所――それはくじらさんと呼ばれる怪物が背に乗せた少年と出会った場所だった。


「うん……でも、本当にお話みたいな英雄や魔法使いがいてくれたら……よかったのになあ……」

『……そう願うか、人間の少年』

「うん……それで、僕の村を襲ったような怪物をぜーんぶ倒しちゃうんだ! どんなに大きくても、どんなに恐くてもばーん! って!」


 少年は引き裂かれたようなボロボロの服で、額まで流れてきた血を拭う。

 一緒に頬を流れるのは少年の両目から零れる涙だった。

 少年は拭いながら、どこまでも広がる澄み切った空に目を向けた。


「そんな人が……いてくれたらよかったのに……!」


 少年にとってこの光景は死に際に見る幻想。

 自分が乗る怪物は死んだ魂を運ぶ案内人。

 自分が死んだと思い込む少年は精一杯の笑顔を浮かべて、次の瞬間にはしわくちゃに泣き崩れる。

 たった一人生き残った少年の涙は小さな雨に変わって、怪物の背中に落ちる。

 自分達を助けてくれる誰かがいてくれたら。

 そんな普遍的な願いを、少年は祈るように泣き声に込めた。

 どうか、当たり前を過ごせますようにと。


『英雄と呼べる者はいる。だが彼らは都合のいい救世主などではなく……同じように足掻く人間だ。救世主はこの世界にいない。もう……いないのだ』


 怪物は少年が泣き止むまで空を泳ぎ続ける。

 自分の村を襲った怪物と同じ怪物である自分を、少年はくじらさんと呼んでくれたのだから。













「何故このスノラに五人で滞在してる……?」


 放棄された廃屋のベッドに座りながらカンパトーレの魔法使い――グライオスはワインを口にする。

 見た目や香り、舌触りや味わいを楽しもうなどという上等な飲み方ではない。グライオスはボトルに直接口をつけ、まるでワインをそのまま流し込むように飲んでいる。

 そうさせるのは塵のように徐々に積もる苛立ちだ。

 同じように待機を命じている部下達も同じように苛立っているだろう。本来ならすでに作戦を決行していてもおかしくない。

 しかしグライオスは決して荒れ放題の廃屋に待機している事に苛立っているのではない。


「こっちの動きが読まれてんのかねぇ……? もう聖女様に捕捉されてんのか……?」


 グライオスの苛立ちはアルム達の動きが読めない自分に対するものだった。

 予測ではスノラに来るのはアルムとミスティの二人だけ。常識では信じられない話だが、アルムという平民とカエシウス家次期当主がただならぬ関係である事は調べがついている。であれば、帰郷期間になれば二人でスノラに来るのは想像に難くない。

 だが、実際にスノラに来たのはアルムとミスティを含めた五人。

 今回グライオスの部隊が行う作戦はアルムとミスティ二人前提の作戦であり……特にベネッタが(・・・・・)いると(・・・)成立しない(・・・・・)


「いや……漏れる要素はないよねぇ……。ベラルタ襲った蛇神(じゃしん)信仰者は呪法かかってたはず……。

じゃあオルリック家の雷獣がいるのをどう説明するんだグライオス……あれは灰姫と一緒に自分の領地に帰っていちゃいちゃするか、あの化け物とぶつかる予定だったんじゃないのか……?」


 グライオスは自問する。

 霊脈の活性化を推測できる人間がいるのか? グライオスは首を横に振る。

 活性化しているのはスノラだけではない。危険指定(ネームド)が五人も滞在する理由にはならない。

 東部で暴れてる魔法生命の目を掻い潜るため?

 それこそ意味が無い。討伐するためにはむしろ現地にいなければいけない。


大蛇(おろち)様が一度ベラルタを襲った意図を読んだやつがいる……?」


 口にして、それこそ有り得ないとグライオスは自嘲する。

 あの襲撃が布石だと気付くなど有り得ない。実際大蛇(おろち)は首一つでベラルタの人間をあらかた喰らって力にする予定だったのだから。

 これはただ自分達にとっての不運な偶然だ。

 この作戦はベラルタ魔法学院の学生が相手であること、そしてカエシウス家の絶対のネームバリューがあってこその作戦なのだから。


「気付くとしたら野生の勘か……逆にカエシウス家を知らない馬鹿かのどっちか……」


 グライオスは部下から預かっている危険指定(ネームド)のリストに視線をやる。

 何かを振り払うようにグライオスは目を逸らして、ボトルに残るワインを飲み切った。

いつも読んでくださってありがとうございます。

第十部も半分を切りました。どうぞこれからも応援よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
クソッ、間違いなくマナリル側に恐ろしく頭の切れる奴がいる! こちら側の動きが読まれている…!
[一言] Twitterで更新頻度について気にされていたようですが、1話あたりのボリューム、内容の濃さを鑑みれば十分早いと思います。作者様のペースでよろしいかと。。
[一言] 野生の勘+カエシウス家を知らない馬鹿=アルムだな
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