722.つまり原因は
「婚約者候補に正式にお断りの返事をするために会ってた!?」
「そうです……一日中かかってしまいました」
ミスティの大胆な宣言によって図らずも城内の噂は落ち着きを取り戻し……アルム達五人は今日起きた誤解と本人の知らぬ所で噂の中心にいたミスティの口から説明して貰える事となった。
五人が囲むテーブルの上にはいつものように紅茶の入った五つのカップ。
疲労から来るため息をするミスティの前で、誤解が解けたエルミラは目をパチパチさせる。
「本来、当主継承式後には選考された名家の誰かと結婚する予定でしたから婚約者が数人いらっしゃいまして、グレイシャ御姉様の一件もあって撤回のお返事も多くあったのですが……残った方々はそのまま話だけが残って後回しになってしまっていたのです」
「じゃあ私達が見たのは……」
「はい、そのお一人だと思います。カエシウス家の婚約者に選ばれるだけあって紳士的な御方ばかりでしたから……」
ミスティの説明にエルミラの全身から力が抜け、椅子に寄り掛かる。
路地裏で怒り狂っていた自分が途端に恥ずかしくなってきたようだ。
「ほらー……だから誤解だって言ったでしょー?」
「うぐ……」
「エルミラはこういう時冷静じゃなくなるからね」
「ぐ……すいませんでした……」
自分の突っ走り具合に反省したのか大人しくなるエルミラ。
先程まで廊下に響き渡っていた声量はいまや無い。謝罪しながら気まずそうにカップに手を伸ばすエルミラを見てミスティは微笑む。
「それにしても……婚約者候補の方々を事前に呼んでおいたってことかい?」
「お母様が手配してくれていたらしく、私も今日知らされたんです。卒業前にしっかり話をつけておけるようにと……アルムとの関係を報告しに来るのも薄々わかっていたようで」
話を聞いてアルムはセルレアがミスティを叱っていた光景を思い出す。
「じゃあ執務室でミスティがセルレアさんに言われてたのは……」
「はい、婚約者候補の方々に何も話をしないまま交際の報告は順序が違うという事で……婚約者候補としての話を放置したままの私にお母様はひどくお怒りだったんです。とはいっても、私があまり望んでいなかったのも知っているのでその点は理解してくださっていましたけどね。
ですが、婚約者候補の方々に正式に話をつけぬままというのは貴族としても次期当主としても褒められる行為ではないので、事前にお母様が正式にお断りの場を設けてくださったそうです。……アルムとの報告に緊張していてそこまで頭が回っておらず、今回ばかりは反省しました」
「あの時言ってくれればよかったのに」
「私のこ、恋人の前でする話ではないと仰ってました。恋人の前で婚約者のお話をするのは少し……結局こういう形でお話しする事になってしまいましたが」
「ごめん……私のせいね……」
改めてエルミラは顔を俯きながら謝罪する。自分が暴走しなければその配慮も無駄にならずに今日は終わっただろうにと。
しかしミスティはふるふると顔を小さく横を振った。
「エルミラのおかげでアルムの素敵なお言葉も聞けましたし……むしろありがとうございます。誤解ではありましたが、私が間違った事をした時に怒ってくれて、周りの人達のためにも怒ってくれるエルミラはやはり私の自慢のお友達ですよ」
「ミスティ……!」
「まぁ、今回はちょっと……騒ぎが大きくなってしまったので気を付けてはくださいましね?」
「ほんとそれは悪かったわ……ごめん……」
「ですが、この件に関しては説明しなかった私も悪かったと思いますし……おあいこかもしれません」
「いや、考えてみれば私が首突っ込むのもおかしな話だし私が悪いけど……そう言って貰えるとありがたいかな……。反省はしてるのよ?」
「ふふ、わかっていますよ」
そこで、ミスティはとある事を思い出した。
先程アルムとエルミラが話していたのを聞けば、そもそも今回の噂が広がったのはアルムが跡継ぎを他に作るという話が最初のようだ。
跡継ぎを他に作るという話が発端となって、エルミラの誤解や買い出しに出ていた使用人が町でミスティを見かけた事で信憑性を持ってしまったのだった。
そもそも何故そんな話がアルムから?
ミスティはアルムに聞こうと横を見るも……アルムの言葉と自分が先程言い放ってしまった大胆な発言を思い出して顔から火が出るかのように沸騰する。
口元が色々と言葉を紡ごうと動こうとするが、その横顔に見惚れてうまく動かなくなっていた。
「あれー……? じゃあアルムくんが言ってた跡継ぎを他の人と作る事になるかもって話はそもそも一体どこからー……?」
「確かに……あの話が無ければここまで噂が尾ひれつくこともなかったんじゃないかな」
「アスタとかもそれで泣いちゃってたわけだしね……あの子アルムの事好きだから……噂を助長した私が言うのもなんだけど、そもそも何でアルムはそんな話をしようと思ったわけ? それも噂みたいにふわふわした感じじゃなくて結構まじな相談だったわよね?」
「そ、それは私も気になっていて……報告の時もそんな話はしていなかったはずなんですが……」
四人の視線がいつもの落ち着いた様子のアルムに集まる。
アルムは飲んでいたカップをテーブルに置いて、
「ああ、それが……ミスティとセルレアさんが出て行った後に――」
報告の際、執務室でノルドと二人きりになった時の事を話した。
トランス城の執務室。
カエシウス家の領主であるノルドが仕事をひと段落させて休んでいると、音を立てて勢いよく扉が開く。
「あなた……少しお話があります……」
「せ、セルレア……? ど、どうかしたのかな?」
自分の愛しい妻セルレアの姿を見たノルドは恐れからか声が上擦る。
何故愛しい妻を見て?
決まっている。セルレアは目を大きく見開き、静かな怒りをその視線に乗せていたからだった。普段の柔らかな印象はなく、心当たりはないが自分に対して怒りを抱いているのは明白だった。
銀色の髪を揺らして、セルレアはゆっくりとノルドが座る机まで歩いていく。
「アルムさんに妙な事を吹き込みましたね……? ミスティに他の男と跡継ぎを作らせると私が考えているとか……」
「な、何故それを!?」
「城内に妙な噂が流れていたのでラナが調べてくれました……噂の発端はアルムさんである事を……。ですが、アルムさんがそんな話をするメリットがありません……あなた以外に誰が吹き込むと?」
「い、いや……違うんだ。君はカエシウス家の事を第一に考える自慢の妻だ……だからこそ、アルムくんにとっては最悪のケースになってしまう可能性を教えただけであってだな……」
ノルドが言い訳をする間にセルレアはノルドの座る机まで近付き……怒りのまま拳を作り、その机を叩いた。
「この! 私が! 愛する娘に! 好きな男以外と寝ろと言うと本気で思っていたのですか!? 私が言いたかった貴族の責務とは家としての責任を背負うという事! そのために婚約者候補として今まで待ってくださった他の家の方々との関係を有耶無耶にしてはいけないという事です!!
跡継ぎに才能が無い可能性……? 未来に来るかどうかもわからない事態を想像して、ミスティの幸せに私が水を差すわけがないでしょう! 私はあの子の母ですよ!?」
このまま机を叩き壊されそうなほどのセルレアの剣幕にノルドはただ聞くしかできない。
結婚して二十何年、共に過ごした記憶の中でも最大級の怒りだった。
何か下手なことを言えば髭を全部抜かれそうなほどであり、普段の妻の姿はすでにない。
ノルドは自分を落ち着かせるために咳払いをすると、極めて冷静を装って答える。
「いや、勿論……勿論だセルレア。君がミスティを愛しているのはわかっているとも……しかし君は貴族としても常に厳しく在ろうとする……そんな姿もまた魅力だ。
だからこそ、アルムくんにもそういった姿勢を求めるのではないかと……その……思ってしまってだな……」
「貴族の責務とは強者としての立場と強者として生まれたゆえにやるべき事を自覚すること……才能を持つ跡継ぎを作る事ではありません。
それとも、私達の結婚は……あなたに囁かれた愛は才能ある跡継ぎを生むためだったと? グレイシャやミスティに向けた愛は才能がある打算からで、才能が開花していないアスタに対して向ける愛はこれから花開くかもしれない才能を期待してのものだと?」
「それはない! それは……うむ……いや、私がした最悪の想像をアルムくんに伝える必要はなかった……確かにそうだ……すまなかった……」
セルレアに自分の子供達の話を持ち出され、ノルドは自分がアルムとミスティにとってどれだけ残酷な話をしていたかを自覚する。
才能ある跡継ぎの話はカエシウス家の事を考えれば正しくとも、親として考えればあまりに無粋。あの場で伝える必要はなかったと思い直す。
もしかすれば、アルムを認めていると自分では思っていても、いざ娘を奪われると思うと無意識に嫌な感情を抱いていたのかもしれない。
あまりにも未熟だ、と内心で呟き反省する。
ノルドの様子で反省したのかわかったのか、セルレアの怒りもほんの少しだけ落ち着いたようだった。
「わかればよいのです。まったく……城中を混乱させるきっかけを領主自ら作るなんて……覚悟はできていますね? あなた?」
「ああ……」
「あらあら。返事が小さいようですよ? あなた?」
「はい!!」
反省したからといって、お咎めなしとはならない。
ノルドは明日から始まるであろうしばらくの罰を想像しながら、後日アルムとミスティに謝罪することを固く誓うのだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。




