721.盗み聞き
本日二回目の更新です。
前話を見逃している方はそちらを先にどうぞ。
「ふぅ……疲れました……」
「お疲れ様です、ミスティ様」
「うん、ありがとうラナ……ごめんね、隠れて近くにいてもらうなんてこそこそした事させてしまって……」
「いいえ、お傍で控えるよりもスリリングな気がして楽しめました」
「もう……私はこんなに疲れたのに……。私の自業自得だから文句も言えないですけど……」
疲れ切った様子のミスティを見てラナは小さく笑う。
一日中、貴族として振舞っていた自分の主人が歳相応に戻った事に対する喜びだ。
「すぐに湯浴みを致しますか?」
「ありがとうラナ……でも、まずはアルム達に軽く報告しないと……早くみんなとお話したいから……」
「わかりました。では後程ご用意……」
言いかけるとラナは立ち止まり、目の前から歩いてきた人物に一礼する。
歩いてきたのはミスティの弟のアスタだった。姉弟だからかミスティに似ている少年であり、最近は身長も伸び始めてきている。
「ミスティ御姉様……」
「あらアスタ。ただいま、今日はランチもディナーも一緒にできなくて……久しぶりなのにごめんなさい」
「いえ……そんな事はいいんです……それより……」
「どうしたの……?」
ミスティを見るアスタの目はどこか悲しそうに見えた。
一瞬自分が何かしてしまったのかと思うが身に覚えもない。強いて言うなら今言ったように今日のランチもディナーも一緒にできなかった事だ。
だが、それだけでこんな縋るような目をするだろうか?
言うのを躊躇っている事といい、深刻な相談かとミスティはアスタに視線を合わせてアスタの言葉を待つ。
普段、姉として振舞えないからこそこうして会えている間くらいは姉らしく振舞わねばとどんな相談にも答える覚悟だった。
「ミスティ御姉様……アルムさん以外の方と跡継ぎを作られるというのは本当ですか……?」
「……へ?」
「……え?」
そんなミスティの覚悟など知る由もなく……アスタは泣きそうになりながら問う。
予想外の質問にミスティどころか、控えているだけのラナでさえ訝しむ声が出た。
「今回の帰省は……アルムさんと恋人になった報告に、来たんですよね……? なのに……これじゃあ……アルムさんがあまりに……っ……不憫で……! 僕達がカエシウス家だから……僕が不甲斐無い弟で当主になれない、がら……! ミスティ御姉様はそのような決断をするしか、なかったのですか……!?
いくらカエシウス家の今後の……ひぐっ……ためとはいえ……! そのような……!」
「ま、待ってアスタ……! 一体どういう……?」
最近カエシウス家の一員としての自覚が芽生えたのか大人びてきた弟が人目をはばからず泣き始めた事と、意味が分からない話にミスティは困惑する。
ラナに助けを求めるが、ラナもどういう事かよくわかっておらず、首を横に振りながらハンカチを差し出す事しかできなかった。
「あ、ミスティ様帰ってきてる! ポピー!」
「ほんとだ! ナイスよラーティア!」
ミスティがラナのハンカチでアスタの涙を拭っていると……玄関ホールにこれでもかととある二人の声が響く。
トランス城ランドリーメイドのポピーとラーティアはミスティを見つけたかと思うと絨毯を滑り込むように目の前まで走っていき、即座に跪いた。
ミスティのお茶仲間でもある二人だが……一緒に紅茶を飲む時とは違って慌ただしい。
「お話中失礼致します! お疲れの所申し訳ございませんがミスティ様……どうかご一緒に来て頂けないでしょうか!? 不躾なお願いをしているのは重々承知なのですが緊急事態でして……!」
「ど、どうしたのポピーもラーティアも……今日は非番だったはずじゃ……? 一緒に行くのは構わないけど……何かあったの?」
「それが……」
ポピーと-ラーティアは顔を見合わせて互いに頷く。
「現在トランス城で……その、恋人候補を物色しているという噂で……少し騒がしくなっていまして……」
「な、何故そんな噂が!?」
「跡継ぎ候補を他に求めるという噂が始まりで……色々ねじ曲がってしまったみたいで……。それと、町でミスティ様が貴族の男性と会っていたという目撃情報も相まってこんな形で……」
ミスティ様は額に手をあててふらつく。
即座にアスタとラナが体を支えるが、ミスティは疲弊した体に受けたショックで少し青くなっていた。
「御姉様……! 本当では、ありませんよね……?」
「当たり前です……確かに町で数人の貴族と会ってはいましたが……」
そんな弁解をするよりもミスティには一番気になる事があった。
「その噂を、その……アルムも?」
「それが今……その噂を聞いたエルミラ様達もアルム様の部屋に行ってるようでして……」
「……っ! アルムの部屋に行きますよ!」
ミスティは駆け足でアルムの部屋へと向かう。
その後ろをラナ達も着いていった。
「はぁ……はぁ……!」
「あんたこれ聞いて何も思わないわけ!?」
「ああ……エルミラが怒ってます……」
アルム達が泊まる客室がある階に到着すると、エルミラの怒号が廊下にまで届いていた。
廊下にはただ巡回しているにしては使用人が多かったが……ミスティの登場とラナの一睨みでそそくさと持ち場へと戻っていった。
「彼女は友人想いですからね……しかし噂に振り回されるような御方ではないはずなので、彼女もミスティ様が貴族の男性と会っていたのを見かけていたのでは?」
「やはり話しておくべきだったのかもしれませんね……今日一日で終わると思っていたので問題ないと黙っていた私のせいです……」
「仕方ありません。ミスティ様にとっても急遽でしたから……」
何の話かと後ろを着いてきているポピーとラーティアは顔を見合わせる。
心配そうにミスティにひっついているアスタもどういう事かと聞こうとしたが、その前にアルムの部屋の前に到着した。
部屋からはエルミラの怒号に加えてエルミラを宥めるルクスとベネッタの声も聞こえてくる。
「落ち着けエルミラ……」
「そうだよー……ミスティが帰ってきてから……」
「これが落ち着いていられるわけないでしょ! あんたらも見たでしょ、ミスティが色んな男と会ってるところ!」
「そりゃ見たけどー……」
話から察するに今日自分が目撃されていたのをミスティは悟る。
部屋に入る前にどう説明したものかと考えていると、さらにエルミラの声が廊下に響いてきた。
「アルムから聞いたミスティが他の男と次期跡継ぎを作るかもって話と今日のミスティの行動……この二つ合わせて取り乱すなって言うほうがどうかしてるわ!! いくらカエシウス家が重要な家だったとしてもそれを受け入れるようなやつじゃないと思ってたからこそね!!」
「え……?」
「アルム様が……?」
ドアノブに手をかけようとしたミスティの手がつい止まる。
一緒に聞いていたラナすら状況が把握できていない。
何故アルムが跡継ぎ候補を他に作る可能性があるなどという話をするのか。アルムは今回ミスティとの交際相手として連れてこられた相手……そんな話があればむしろ誰かに話される側なのでは? と疑問が浮かぶ。
「……ミスティ様、セルレア様に確認を取ってきます」
「うん……お願いしていい?」
「はい、少々お待ちを。妙な誤解が起こっているようですので」
許可を貰ったラナは急ぎ足でセルレアの私室のほうへと歩いていく。
何が原因で話が拗れているのかがわかりかけてきたらしい。
「ど、どういう事なんでしょうミスティ御姉様?」
「多分――」
「何か言ったらどうなのよ!?」
残ったアスタ達にミスティが答えようとすると、エルミラの怒号が聞こえてくる。
どうやらアルムの反応が薄い事がエルミラの怒りを逆撫でしたらしい。
「今日一日考えてみたんだが……あまり問題がないように思えるんだよな」
「はぁ!?」
「え……?」
部屋の中から聞こえるエルミラのリアクションと扉の前にいるミスティの声がシンクロする。
聞こえてくるアルムの声への疑問は同じだった。
「ミスティはカエシウス家の当主になるんだ。カエシウス家はグレイシャを俺に殺されているし、アスタの才能はまだ未知数……そこに相手が俺とくれば次善の策として複数の男と関係を持つというのは当然じゃないのか?」
「あ、あんた……ミスティがそんな事受け入れる女でも……いいわけ……?」
ミスティの聞きたい事を代わりに聞いてくれるエルミラの声に頷きながら、ミスティは扉の前で耳をすます。
着いてきていたアスタやメイドのポピーとラーティアも話の続きが気になるのか同じように聞き入っていた。
何故入らないのか、とツッコミを入れられるラナはセルレアを呼びに行っていていない。
「貴族の責務に真面目なのはミスティのいいところだろ?」
「そ、それはそうかもだけど……でも納得、できるの? あんたは……私は嫌よ? 例えばルクスが他の女と寝るのとか嫌で仕方ないわ」
扉の前で話を聞いているミスティの頷きが加速していく。
ミスティも逆ならば絶対に嫌だという気持ちがわかるからだった。
「俺が平民である事や他にも単純に子供を作れない可能性とか色々なリスクを考えたら一人や二人別に男を作るのは理に適っているし、大きい家ならそれぐらい当然なのかもと思える」
「それで――!」
「それに」
エルミラの声を遮って、アルムは続けた。
「ミスティの一番が俺で、俺もミスティを一番に好きだと思えて結ばれているのなら……貴族の責務とやらも跡継ぎがどうこうは些細な問題だ。後は互いが一番だと信じあえるかの問題だろう。少なくとも今日一日考えて俺はそう思った」
「アルム……!」
アルムの言葉にミスティは喜びに震える。
聞こえてきたのは状況に対する諦めではなく、むしろ逆。
自分がアルムを一番に思っている事を理解され、その答えのように好きだという気持ちを表してくれるアルムの言葉にミスティはにやけて仕方なかった。
「すんごい惚気ですね……ミスティ様……」
「聞いてるこっちが恥ずかしいです……」
「流石アルムさん……!」
ポピーとラーティアは扉越しに聞かされた惚気に頬を染め、アスタは扉の向こうにいるであろうアルムに尊敬の眼差しを向けていた。
部屋の中からはそんな風に惚気るアルムに対してのエルミラの声が聞こえてくる。
「じゃあミスティが一番ならあんたも他の奴と浮気してもいいって事?」
「……? 俺が他の女性とそういう関係になる理由はないだろう?」
「何でよ。一番って思えてるならいいんでしょ?」
「それとこれとは話が別だ。ミスティっていう最高の女の子が恋人なのに、何故ミスティ以外とそういう関係になる必要がある……? ミスティが家の問題で他の男と関係を持っても、俺が他の女性と関係を持つ理由にはならん」
「~~~~~~~~~~!!!!」
聞こえてくるアルムの言葉に興奮したのか、それとも自分のいない場所で惚気続けるアルムの言葉をもっと聞きたかったのか、ミスティは自分の口を押さえて声が漏れるのを防ぐ。
喜びの表れか、口を押さえていない手のほうを嬉しそうにぶんぶんと振っていた。
聞いていたポピーやラーティアも赤くなった自分の顔をぱたぱたと手で扇いで冷ましている。
「ミスティ様いい男捕まえたなぁ……!」
「でしょう? そうでしょう!?」
「ミスティ様ずるいです! 平民のほうからいい男盗らないでくださいよ! ただでさえ私達彼氏募集中なのに!」
「嫌です! アルムだけは渡しませんからね!」
「アルムさん……いや、アルムお兄様……! いい響きです……」
噂や誤解を解くという話はどこへやら。いつの間にか本来の目的は失われていた。
貴族も使用人も関係ない嬉しい盗み聞きに、部屋の前で聞き耳を立てる四人のテンションは興奮でよくわからない事になっている。
「ですが……それはさておき聞き捨てなりません!!」
部屋の向こうの会話が落ち着いたからか、ミスティはようやくアルムの部屋の扉を開ける。
部屋にいたアルムにルクス、エルミラとベネッタの四人は急なミスティの登場に驚く。
「黙って聞いていれば何ですか! 私がアルム以外の男性に操を捧げるわけないでしょう!! アルムとの子供なら何人でもとの覚悟ですが……他の男性の子を産む気などありません!!」
勢いよく扉を開けて、ミスティは大声でそう言い放つ。
無論、そんな事をすれば廊下にもその言葉は丸聞こえであり……後ろのアスタやポピーとラーティアは勿論、仕事がひと段落して遠くでこそこそと話を聞いていた他の使用人達にもその声は届いていた。
「あ……う……」
「おかえりミスティ」
「た、た、だいま……です……」
自分が人前で何を言っているかに気付いたミスティの顔は真っ赤に染まり、顔を隠すように俯く。今更俯いたところで遅く、髪の合間から見える耳まで真っ赤でどんな顔をしているのかを隠しきれるわけもない。
そんなミスティにアルムは変わらぬ様子で声をかけるのであった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
大胆だなあ……。
『ちょっとした小ネタ』
実はメイドさん達は第七部にもちょろっといます。
覚えていた方はいらっしゃったでしょうか? いたらすごいです。




