720.メイド達の奔走
「アルム様は何と?」
「やはり一人にしてくれと……少しでもお腹に何か入れるようにと紅茶とフルーツを持っていったのですが……」
「そう……ミスティ様お気に入りの配合の紅茶でも無駄でしたか……。カエシウス家の客人で奉仕も何もさせてくれない方は初めてね……」
トランス城の使用人用休憩室で頭を悩ませるはトランス城上級使用人イヴェット。
そして紅茶とお茶請けのいちごが載ったトレイをテーブルに置いて、心配そうにため息をついたのは今回アルムの世話を任されているトランス城下級使用人のジュリアである。
トレイを置くと、ジュリアはぷるぷると震え……その目はじわりと涙ぐんだ。
「わ、私が何か粗相をしてしまったのでしょうか……! うっ……私が至らないメイドで何か失礼を……して……ひくっ……しまって……!」
「いいえ、昨日から私が見ている限りあなたにミスはないのよ……去年アルム様がいらした時から目に見えて変わったあなたを私は評価しているわ。それにアルム様はメイドのミスで腹を立てる方ではないでしょう」
イヴェットの知的な佇まいにそぐわぬ冷静な慰めでジュリアも滲んだ涙を拭う。
二人は去年の帰郷期間に訪れたアルムと最も多く接していた使用人であり……勘違いや人間関係でトラブルになりかけさせてしまった二人である。
他の使用人よりもアルムに対しては思い入れが強く、今回の来訪でとある確信を抱いている二人でもあり、アルムが部屋に閉じこもっている今の状況に少し不安を感じてもいた。
「セルレア様のご命令通り、今日のためにトランス城全体を使用人総出で掃除して料理のメニューも完璧……客室の整備も私自ら行った……。巡回している子達からも特に報告はないし、トラブルが起きたという話も無い……使用人としてメイドとして出来得る限りの事をしたはず。私達に出来得る限りの事はしたと思うわ」
「では何故アルム様は……成長した私も見せられると思っていたのですが……」
「わかっているわ。ジュリアは特に張り切っていたからね」
イヴェットの目から見て使用人達に不備があるとは思えない。
決して身内の擁護などではない。今回の帰郷期間にまたアルムが来ると聞いて、いつも以上にチェックは完璧だった。去年、次期当主のミスティと二人で訪れた少年が今年もと……そう聞けば今回の帰郷は何が目的か想像に難くない。
使用人達は当主の妻であるセルレアからも普段以上に引き締めるようにという言葉も貰っており、今回の滞在中は特別手当まで約束されているのだ。自分やジュリアのようにアルムに特別執心していない使用人でも気合いが入るというもの。
他の下衆な貴族のように、使用人に夜伽をさせる、などという特殊な事を除けばやれる事は全てやれている状態と言えよう。
それでもアルムが一人閉じこもっている……イヴェットは最悪の想像を思い浮かべた。
「今回でミスティ様のお相手としてアルム様が紹介されるのだと思っていたけど……まさか、ノルド様かセルレア様が反対なされたのかしら……?」
「ええ!? 私アルム様にお仕えしたいです!」
「……ジュリア、まだそういう発言はしないように。次期当主の想い人を狙っているような発言に聞こえるから」
「い、いえ! そういうわけではなくてですね……」
手をぶんぶんと振って否定するジュリア。
照れでそばかすのある頬がほんのり赤くなっているものの、本当にそういう気が無いことはこの一年ジュリアを見ていたイヴェットはわかっている。だからこそ忠告程度にとどめているのだ。
ジュリアの中にあるのは野心ではなく忠心だ。
没落した家から救ってもらった自分がカエシウス家に仕えるように、同じ上級使用人であるラナがミスティ個人を心酔しているように。
何があったかはイヴェットにもわからないが、去年のアルムの来訪からジュリアはメキメキと成長した。仕えたい誰かを見つけた使用人の成長は早いのだ。
「ともかく、ミスティ様と恋仲になったのを反対されていれば……部屋に閉じこもる理由としては十分でしょう?」
「そんなぁ……」
ジュリアの落胆はまるで自分の事のよう。
休憩室とはいえ、そんな自分の欲望丸出しの使用人を上級使用人として叱るべきなのだが……今日の所は不問にしようとイヴェットは見過ごす。
今はアルムが何故閉じこもっているか。そしてどうにか今回の来訪に満足してもらうかのほうが大切だ。
今回滞在しているルクス、エルミラ、ベネッタの三人は意気揚々と観光に出かけて行った事から、やはり使用人に問題があるようには思えない。となれば、自分の予想通りだろうか。
だが、そうなると少し疑問が残る。
「けれど、ノルド様がご反対されるとは思えないのよね……去年徹底的に調べて問題ないという結論になっていたはずだし、あの時のカンパトーレの魔法使いや内通者もアルム様の協力で捕まえたから印象が悪くなる事はないはず……」
「ではセルレア様でしょうか……?」
「でも今回の滞在をいつも以上に気合を入れて臨むようにとセルレア様は仰られていた……特別手当まで出してくださっているのよ? 反対する気ならそんな事を仰るかしら……。最後にいい思いをさせてあげようとして、なんて事をする御方ではないはず……」
「じゃあ……アルム様は何で……?」
ジュリアの目にまた涙が滲むと……休憩室の外が少し騒がしくなる。
ばたばたと足音が近付いて、イヴェットの額に青筋が浮かび上がった。ここはトランス城の使用人だけが使う区画……間違いなく使用人の誰かが騒いでいるのだから。
「大変大変!」
「やばいもの見ちゃった! 見ちゃった!」
騒がしい足音が近づいたかと思うと、トランス城ランドリーメイドの二人ポピーとラーティアが買い物袋をいくつもぶら下げながら休憩室に飛び込んできた。
左右逆なだけのお揃いのサイドテールの髪型をさせた二人は、シンプルだが見る者が見ればいい生地を使っているのがわかるワンピースのスカートを走る勢いでなびかせながら肩で息をしていた。よほど急いで走ってきたのだろうか。
淑女らしからぬ慌てようと足の出方にイヴェットの怒りのボルテージがさらに上がる。今日は休みのはずの二人の勢い余った登場にイヴェットは引きつった笑みを浮かべるしかない。
「ポピー……ラーティア……! せっかくの非番に私に怒られに来たの……? ずいぶん趣味の悪い休日の過ごし方をするのね……?」
「いやー! イヴェットさんのお説教は勘弁!」
「許してくださいよぅ! 緊急事態! 緊急事態なんで!」
「一応聞いてあげましょう。大した事が無かったらあなた達の頭に休日らしからぬたんこぶが出来ると思いなさい」
「単純に嫌な体罰すぎて逆に嫌! でも緊急事態なのは本当なんですよ!」
「そうそう! ポピーの言う通り! 私達見ちったんですよぅ!」
「……何を?」
イヴェットが腕を組んで聞く態勢になると、ポピーとラーティアは息を整えて一息で自分の見たものを説明し始めた。
「ミスティ様が楽し気に男とレストラン出てくるとこ!」
「男はそこそこイケメン! ミスティ様に比べたらそりゃ普通ですけど!」
「そんでもって男が手の甲にキスしたと思ったら馬車のほうへ!」
「きざすぎて私はちょっと無理ぃ! でもイケメンだから羨ましい!」
「ラーティアと一緒にそれ見て急いでトランス城に帰ってきたんです! 緊急事態でしょ!?」
「ポピーと晩御飯にピザ食べる予定だったんですけどそれどこじゃないですよね!」
「……っ!」
ポピーとラーティアからの報告にイヴェットは険しい表情を浮かべ、二人の説明に青褪めるジュリアと顔を見合わせる。
少なくともポピーとラーティア二人へのげんこつは無くなったようだ。
「何が起こっているのかと思って帰ってきたらミスティ様が婚約者候補の人達と会ってるとか言ってる人達もいるし! 跡継ぎは夫以外とか言ってる人もいるし!」
「私達なにがなんだか! ミスティ様が何で急にっ!?」
「なんですって!?」
アルムが部屋に閉じこもった遠因はまさか、と嫌な想像が脳裏に浮かぶ。
客人のアルム達やトランス城の状態を注視し過ぎたせいか、それとも特別手当が出るこの期間にそんな迂闊なことをする使用人がいるはずがないという油断か、アルム以外の三人が観光に出ている気の緩みか。
イヴェットは自分の失態を恥じる。この二人を怒るような悠長な状況ではない。
「ポピー、ラーティア。噂の出処を調べなさい。そんな根も葉もない噂を流す愉快犯がいたら使用人として許すわけにはいきません」
「了解です!」
「私達ただのランドリーメイドですけど……イヴェットさんのお名前を出しても大丈夫ですか?」
「ええ、私が責任とるわ。ジュリアはアルム様がこの噂を耳に入れないように客室周辺を張っていて。こんな事言うのもなんだけど……部屋にこもってくださってるのは今は好都合だわ」
「わかりました!」
「私もトランス城全体を見回って噂がどこまで広まっているか調べます……何とかアルム様達の耳に入らないように根回ししなくては……!」
イヴェットはエプロンのリボンを絞めて休憩室から飛び出す。
その姿は背筋が伸びていてい急いでいる事を感じさせない優雅さではあるが、焦りからか歩みが早い。
噂の出処がアルム達の会話そのものである事など知る由もなく……イヴェット達含めた四人の使用人はミスティが帰宅するまでトランス城を奔走する事となった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
昨日更新できなかったので今日はもう一回更新します。




