719.三人は見た
「なーにがパスよあいつ!!」
スノラは北部有数の観光地である。
冬に訪れると輝くような白銀の雪景色が見られ、町中では色彩豊かな町並みと運河に降る雪が町のどこにいても一枚の絵画のような風景を観光客を魅了してやまない。
そんな幻想的な町並みを背景に、憤慨しながらクレープを頬張るのはエルミラ。
何か不満なようだが、ばくばくとクレープを口に入れている所を見るとどうやら味に不満はないらしい。
「観光しようってのはあんたを連れ出そうって話だってのに……少し考えたいから三人で行ってきてくれ、じゃないのよあの無表情男!! 気分転換のためでしょうが!!」
「まぁまぁエルミラ……」
「アルムくんだって悪気があったわけじゃないしー……」
そんなエルミラを宥めるルクスとベネッタ。
スノラを観光するという話ではあったが、今一緒にいるのはルクスとエルミラ、そしてベネッタの三人だけだった。
もっとも、それがエルミラが怒っている原因であるのだが。
「アルムは部屋で考え事するって言うわミスティはもう出かけたで私達何のために着いてきたのよこれ! あんたらのために来たのにこれじゃ意味無いでしょうが!!
どっちも勝手に一人で……ふざけた奴等めぇええ……!!」
「ベネッタ……何とかこのハンカチでエルミラの口元のクリームを拭いてあげてくれ。このままだとスノラに怒りとクリームを振りまく怪獣の伝承が生まれそうな勢いだ」
「ルクスくんの恋人でしょー。早く何とかしてよー」
クレープを両手に持ってスノラを練り歩く怪獣……もといエルミラの怒りを前にルクスもベネッタも落ち着くのを見守る選択を選ぶ。
エルミラの怒りはスノラまで着いてきた友人思いの性格ゆえに、どちらにも協力できない歯痒さも混ざっているのかもしれない。
そう思うと、ルクスとベネッタからすればただ止めるのも憚れる。
しかし、エルミラを諭すのは自分の役目か、とルクスは覚悟を決めて……エルミラの隣につく。
「エルミラ……君が怒る気持ちは十分わかるけどアルムには考える時間が必要だし、ミスティ殿も心の整理が……」
「うっさい……そんな事わかってんのよ……! がるるるる……!」
「はい……ごめんなさい……」
「弱いなー……恋人……」
エルミラに威嚇されてあっさり引き下がるルクスの背中が小さくなるのをベネッタは見た気がした。
「エルミラも二人に心の整理が必要なのはわかってるんだよー……でもそれだけじゃ納得できないからこうやってクレープと愚痴で誤魔化してるんじゃんー……」
「はい……そうですよね……」
「エルミラの性格なら本当に二人に文句言いたいなら直接言うでしょー? だけどそうしないって事は二人の気持ちもしっかり考えた上でボク達とストレス発散してるんだってばー」
「それは……うん、確かにそうだね……」
ベネッタにも至極真っ当な意見を言われて更に気落ちするルクス。
四大貴族オルリック家の次期当主も友人達の前では形無しである。
「つまり専門家のベネッタさん……僕達はどうすれば?」
「決まってるでしょうルクスくん……エルミラの怒りが落ち着くのを待つんだよ」
「さっき何とかしろって……あれ……?」
「細かい事は気にしちゃ駄目だぞルクスくんー」
釈然としないルクスの心情はさておき、エルミラはスノラを通る川の橋の上で一旦落ち着くように立ち止まり、ため息をつくと一休みするように欄干に寄り掛かった。
エルミラの両隣にルクスとベネッタも同じように寄り掛かって、ベネッタはようやくルクスのハンカチでエルミラの口元のクリームを拭う事ができた。
「……ありがと」
「いいえー……しっかり見えてるわけじゃないから拭き残しがあったらごめんねー」
途中でベネッタからハンカチをバトンタッチして自分の口元を拭うエルミラ。
一緒にいてあまりに自然だからかベネッタの目が特別なものだという事を忘れそうになる。ベネッタはほとんどを目を閉じて過ごしているというのに、いまやその事すら違和感が無かった。
改めてそんな事を考えていると、アルムとミスティへの怒りも少しは収まったらしく……エルミラは小さく笑った。
「二人共ありがと、悪かったわね」
「ううんー、エルミラの気持ちもわかるよー」
「落ち着いてくれたのならよかったよ……僕こそ悪かったね、観光しようって言ったのは僕なのに」
「ううん、ルクスこそ気分転換のために提案したんでしょ……私が勝手に怒ってただけだから」
怒りが冷えたエルミラは橋の上からスノラの景色を眺めてぼーっとする。
夏のスノラはまだ雪も降っていないが、それでも観光客が多くいた。
楽し気にスノラを歩く観光客……あの二人もあんな風に遊べればよかったのにと。
「こう……かっーとなっちゃってさ。一人で考えて私達を頼ろうとしないアルムも私達に何も説明しないままどっか行っちゃったミスティも……いや頼りなさいよ! って思ったらちょっとね……」
「うんうん、わかるよー……アルムくんはそんな感じだから意外に思わなかったけど、まさかミスティまで何も言わないままとは思わなかったもんねー」
「そう……いや、わかるわよ? 私達に言っても私達がどうにもできないって事はさ……。今回はカエシウス家の問題であって、私達が口を出すのもおかしな話だもの」
「そうだね……こればかりは友人とはいえ部外者の僕達にはどうにもならない」
「わかってる……わかってるんだけど……」
寂しさのこもった視線が運河に落ちる。
先程までの怒りは鳴りを潜めて、代わりの感情がエルミラの表情に現れていた。
「話くらいして……元気づけるくらいしてやりたいじゃない……」
「エルミラ……うん、そうだね」
「ちょっと寂しいわ……」
そんなエルミラをルクスはほんの少しだけ抱き寄せる。
ようやく自分の役目が回ってきたタイミングをルクスは見逃さなかった。
ベネッタもうんうんと頷ぎながらエルミラの頭を慰めるように撫でていた。
「…………あれ?」
「どしたのよ」
しばらくエルミラを慰める会をしていると、ベネッタの目に見慣れた大きさの魔力が映る。
ベネッタの両目は常時放出型の血統魔法……本来魔力で人を判別する事はできないが、普段一緒にいる人間やアルムやミスティのような他より魔力が多い人間はそのサイズ自体が特徴となる。
「近くにミスティいるよー? 何やってるんだろー?」
「嘘? どっち?」
「こっちこっちー」
歩き出すベネッタについていくエルミラ。
即座にミスティの所に行こうとする二人をルクスも追う。
「あ、おいおい……行くのかい?」
「別に邪魔する気はないけど、私達ほっぽって何してるかは気になるでしょ」
「そりゃそうだけど……ミスティ殿も忙しいのかもしれないし……」
「ルクスは待っててもいいわよ」
「いや、行くけど……ミスティ殿を見つけても邪魔するのは無しだからね?」
「わかってるわよ」
ベネッタの案内でエルミラとルクスは付いていく。
目をつむったままするすると人混みを避けるベネッタは他から見ると異様に映るかもしれない。
橋を渡って少し歩くと、観光地の中でも貴族向けの店が立ち並ぶ区画へと出た。
ベネッタはキョロキョロと周りを見渡すような仕草を見せながら路地を抜けて……目的の場所へと着く。
「あっちにいないかなー? 誰かと一緒にいそうなんだけどー……」
ベネッタがそう言って指差した方向にはレストランがあった。
貴族向けの個室がある高級店であり、ミスティがいてもおかしくない。
エルミラは路地の陰からミスティを探すと……ベネッタの言う通りすぐに見つかった。
「あ、いたいた……何……やって……」
見つかったのだが――
「どうしたんだいエルミ……ラ」
ルクスもエルミラが見ているほうを見て一瞬固まる。
何故なら、そこにはミスティとフォーマルな格好をした二十代の貴族らしき男性がミスティの手の甲に口づけしていたからだった。
ミスティはそれを嫌がるでもなく受け入れて、そのまま男性のエスコートを受けてレストランへと入っていく。
三人はそれを見届けて、ばれないように路地へと引っ込んだ。
「ふーん……へぇ……」
エルミラの声が恐くてエルミラのほうを見れないルクス。
状況から何となく何があったのか察したベネッタもエルミラのその声に固まっていた。
「アルムとフレンが会ってたのを見たフロリアもこんな気持ちだったのかしらね……」
「エルミラ……落ち着こう。手の甲にキスするくらい挨拶なのはわかってるだろう?」
「そ、そうそうー! 挨拶挨拶! お仕事だよ多分ー!」
ルクスとベネッタが何とか宥めようとするが、エルミラの耳に届いているのかも怪しい。
「ふ……ふふふ……ふふ……!」
エルミラは不気味な笑いを零したかと思うと、それがエルミラの最後の我慢だと察したのか、ルクスとベネッタは先手をとってエルミラを二人掛かりで抑え込む。
「離せこらああ!! あの女ぁぁ!! 私達置いてどころか何アルム以外の男とレストランいってんだふざけやがってええええ!!」
「落ち着け! 落ち着いてエルミラ!」
「力強い……! 強化使ってるー!?」
路地から聞こえてくる咆哮に通りを歩いていたスノラの観光客もびくつき、即座にそこから離れていく。
貴族の喧嘩か痴情のもつれか。何にせよ観光中に巻き込まれるのはごめんだろう。
「本気でその気ならぶん殴るからなあああ!!」
「まずい……スノラに怪獣の伝承が生まれてしまう!!」
「もうクレープ持ってないからただの恐い怪獣だー! 多分誤解だから落ち着いてエルミラー!」
後日、恐る恐る路地裏を覗いた住人の話を通じて……三つ首の怪物が怒り狂っていたという噂が広まり、この路地を通る者は少なくなったという。
いつも読んでくださってありがとうございます。
怒ったり寂しがったりで忙しそうなエルミラさん。




