75.間にいる
三日後。
シラツユと出会ってから今日までに特筆すべき出来事は起きなかった。
ベラルタにいる間はヴァンが常に近くにいる為、護衛としての仕事があるわけでもない。
アルム達のしたことと言えばいつも通りの学院生活と護衛依頼の正式な許可証を確認したくらい。
強いて言うならば一つ。
霊脈の説明を受け、ヴァンとの話が残るシラツユと学院で別れた後の事だった。
「詮索は厳禁ですわ」
とミスティは全員に釘を刺した。
主に何でも口にしてしまう一人の友人に向けて。
わからない事をわからないまま終わらせようとしない精神は美徳ではあるが、人の事情に踏み込むとあらば話は別だ。
人には他人では踏み込んではいけない事情がある。
そこに踏み込んでいいのは相手から扉を開けた時とその事情に自分も巻き込まれた時だけだ。
「いいですわね、アルム」
「ああ」
「意外にあっさりだね」
「聞く気ならもうあの時聞いてる。確かに俺は不可解な事をすぐ聞いたり余計な事を口にしてしまうが、他人の事情に無闇に首を突っ込んだことは……」
そこまで言ってアルムはリニスの事を思い出す。
思えばダブラマの密偵に襲われたのは魔法の属性を偽装していたリニスの嘘を追及したからであった。
「あった……あったな。すまない、気を付ける」
「何なのよあんた……」
「自覚があるようで何よりですわ」
言い返すのをやめてアルムはミスティの忠告をありがたく受け止める。
あの時、不自然を理由に気付けばリニスの下に足が動いていた。
こうして言われてあれが詮索にあたるのだとアルムは自覚する。
「だけど、あの様子は尋常じゃなかったわよ?」
「普段行動を共にしている私達ですら互いに話していない事があるでしょう。あえて冷たい言い方を致しますが、シラツユさんは偶然依頼で一緒になるだけの方……それも他国のお客様です。こちらから事情を詮索しては逆に信頼を失いますわ」
力強い、有無を言わせない眼光が四人に向けられる。
余りに普段と違うミスティの雰囲気にベネッタは身震いすらした。エルミラでさえ耐えられず生唾を飲み込む。
黙って聞くアルム達にミスティは続けた。
「シラツユさんのあの姿を見れば何か事情がある事は私にだってわかります。あれほど取り乱していたところを見れば心配になるのも皆さんなら仕方ありません。
ですが、それと今回の私達の依頼は分けて考えるべきです。
人が心配だからと言って、無闇に手を差し伸べるのは時に毒にもなります。
私達の役目はあくまで彼女の護衛。彼女の問題を解決する事でも、相談役になることでもありません。
彼女の問題に手を差し伸べようとするのなら、それは私達が魔法使いの卵としての立場を放棄する事になるかもしれない事を重々承知してくださいまし」
自身で冷たい言い方をするとミスティは言っているが、その言葉にアルムは冷たさを感じない。
むしろ何かを守ろうとするからこその言葉に思えた。
その言葉にあるのは魔法使いとしての責任とミスティという人間が線引きする明確な人と人との境界。
普段の女性らしい穏やかさを捨て、険しい表情を浮かべながらも友人達に忠告するその姿は人の抱えるものの重さを知っているからだと――
「……」
「アルム」
「……」
「アルム?」
「あ……何だ、ミスティ?」
ミスティの声でアルムは記憶から現実に戻る。
隣に座っているのはいつもと変わらない少し小柄な女の子だった。
記憶に新しい威圧を感じる姿の影は全くといっていいほど無い。
「何だではございません……どうされたのですか? ずっと難しい顔をされていましたが……」
心配そうな面持ちで聞くミスティ。
その声は妙に小さいが、聞き取れないほどではない。
「いや、なんでもない。少しぼーっとしてたみたいだ」
答えながらアルムは馬車の窓から外の風景に目をやる。
アルム達はシラツユの目的地である霊脈近くまで運ぶ馬車で移動していた。
ベラルタを出て何時間経ったのだろう。
今は山道でも通っているのか、少しだけ視線が高い。
通ってきたであろう平野には小さな川が見えており、葉や土の温かい匂いに混じって涼し気な水の匂いも届いている。
自然豊かな風景と匂いはアルムに故郷を感じさせる。混じって、薄っすらと届く清々しい香りもあって妙に安心してしまった。
「気が抜けてるな……」
「ふふ、大丈夫ですよ。今はルクスさんが見てくださってますから」
言われて確認すると向かいの席の端に座っていたルクスの姿が無い。
山に入ったからか、魔獣を警戒する為に御者席のほうで周囲を警戒しているのだろう。
馬車を操る御者は【原初の巨神】の一件でアルム達も世話になったドレンが指名されていた。
「……後でルクスに礼を言わないとな」
「是非そうしてあげてください。率先して警戒にあたってくださいましたから」
「流石だな、俺も気を張らないと」
「常に気を張っていても疲れてしまいますよ。それに……ふふ、見てください」
そう言ってミスティが隣に目をやると、護衛対象であるシラツユが人形のように眠っている。
シラツユだけではない。
よく見れば向かいに座るベネッタもエルミラの肩に体を預けて小さく寝息を立てていた。
エルミラは起きているが。ベネッタを起こさないようにか喋らずにじっとこちらを見ている。アルムがこちらを見た事を確認すると、人差し指を唇に縦に当て、静かにしろの意を示した。
ミスティが小声だったのはどうやら二人を起こさない為らしい。
「休める時には休むことも大事ですよ」
「そうだな……そういうミスティは?」
アルムも少し声量を落とし、ミスティのほうに顔を傾けて尋ねる。
ミスティのほうに目をやると太ももの上に開いた本があった。
馬車内の半数が寝ている間、それで暇を潰していたのかもしれない。
アルムが話しかけるとミスティは静かに本を閉じる。
「私は大丈夫です。長時間の移動は慣れてますから」
「そうなのか?」
「はい、子供の頃から領地を転々と。数時間なんて当たり前でした」
「大変だな、子供の頃からか……その本は?」
「今回の依頼には関係ない本ですよ。魔法使いが悪い魔獣を倒す、実際の魔法使いが創作を混ぜた自伝です。
途中に自分の魔法について事細かに書かれているのが何だか面白くなってしまって……このように創作を絡めた本を読む機会はあまりありませんでしたのでつい読む手が進んでしまいました」
アルムの視線はミスティの太ももに置かれた本に落ちる。
アルムが漠然と魔法使いになりたいと願ったのはまさにこういった虚構で誇張された魔法使いの勇姿を読んでからだった。
時折シスターが他の町から買ってきてくれた少し埃臭い本の数々。
アルムにとってその埃臭さは新しい本の匂いだったが、それが売れない本だと気付いたのは師匠に出会ってからだった。
その本に出てくる魔法使いは困ってる人々を助けて悪を挫く。悪い魔法使いを下し、屈強な化け物を対峙する常にかっこいい姿だった。
師匠にそれは虚構だと教わるまで、アルムは魔法使いとは物語の主役のように常にかっこいいものだと信じていた。
「アルムもお読みになります?」
「ああ――」
"それは虚構だよ。真実があるとすれば私のように悪い魔法使いがいるって事だけだ"
風に乗って念を押す師匠の声が聞こえた気がした。
「じゃあ読んでみようか」
だからといって、アルムはそれを捨てはしない。
ミスティからのありがたい申し出を快く受け入れた。
「ふふ、では……あ……」
ようやく、アルムが話す為に顔を近付けている事に気付いて本を持つミスティの左手が止まる。
「……どうした?」
「い、いえ、何でもありませんわ。どうぞ」
ミスティは改めて本をアルムの視界に入るように差し出した。
「いや、今はミスティが読んでるだろう」
「私は一度読んでいますから。お返しはいつでも構いません」
「だが……」
「今読まなくても構いませんわ、私が貸したいから貸しただけですので」
「そうか……それなら、遠慮なく」
アルムは■■を受け取る。
受け取ったそれは薄く小さい本だった。
「ドレンさんが言うには夜明けには目的地に着くそうですよ」
言いながらミスティは少しだけ体を動かし、クッションに座りなおす。
「……遠いんだな」
そう言って、アルムは受け取った本を懐にしまった。
いつも『白の平民魔法使い』を読んでくださってありがとうございます。
何とブックマークが1000件を超えました。非常に驚いていますが、同時に嬉しさもこみ上げてきて、心の中がてんやわんやです。
今の所書き溜めが無いので一気にというわけにはいきませんが、こつこつと更新していきたいと思いますのでこれからも是非よろしくお願いします。