717.貴族として
「なりません」
トランス城・カエシウス家領主執務室。
アルム達がスノラに到着した翌日……夏の日差しが差し込む朗らかな陽気を氷のように冷たい声が凍らせる。
その声の持ち主と対面するミスティは青ざめた顔で自分の母親……セルレア・トランス・カエシウスが紅茶を飲む姿を見ていた。
普段はミスティをより和やかにした印象を受けるセルレアだが、今のセルレアは声色から佇まいまで鋭く……柔らかさとは正反対の印象を受ける。
勿論最初からそうだったわけではない。ミスティが今回帰ってきた最大の目的であるアルムとの交際を報告した瞬間、雰囲気が一変したのだ。
拒絶とすら思えるセルレアの一言に、隣に座るミスティの父親ノルドがフォローに入る。
「せ、セルレア……アルムくんは平民だがカエシウス家を救ってくれた恩人だ。それに前回の訪問の時に使用人達に探りを入れさせたが人格面も問題ない。そして何より娘が選んだ男だ。あのミスティがだ……あれだけ婚約者を用意しても当主になるまで待って欲しいと言うほどその手の話題が苦手だったミスティがだよ。少しは考えてもいいのではないかな」
セルレアとは違い、ノルドはアルムとミスティの交際を後押ししてくれているようだった。
前回アルムが滞在した時に使用人を総動員してアルムを調べていたからだろうか。グレイシャの一件によってすでに信用を得ていたのもあってどうやら反対する気はないようである。
父親が心強い味方である事にミスティの表情も明るくなった。
父親であるノルドはカエシウス家の当主……ノルドに認められるという事は実質認められたも同じだ。
「黙っていてくださいあなた……そういう問題ではありません」
「はい……」
セルレアの口から出た言葉の一閃でノルドの後押しは一瞬でなくなった。
四大貴族カエシウス家の当主も愛する妻には敵わないようだ。
ミスティは心強かった父の姿が途端に小さくなっていくのを幻視する。座るソファの空いているスペースがやけに広く見え始めた。
全国の貴族にとっては必見だろう。これがカエシウス家のパワーバランスである。
「……」
アルムはそんなカエシウス家のパワーバランスを見ながらただ黙っていた。
事前にミスティに「私がしっかり報告するのでアルムは見守っていてください」と言われたからだった。
母の否定の言葉に青褪めるミスティ、娘に鋭い視線を向けるセルレア、妻に頭が上がらないノルド……家族の形をじっと観察するようにアルムは姿勢を正してただ見守っていた。
「ミスティ……私はあなたが血統魔法を継いで数年眠っていただけの至らない母です。そんな母に男女関係について言われる筋合いはないと内心思っているかもしれません」
「そ、そんな事はありません! お母様は――!」
「ですが! それでも幼いあなたに教えるべき事を教えたはずです」
ミスティの声も遮って、セルレアはミスティに言葉を突きつける。
母親に認めてもらえない悲しさや場の緊張でミスティの内心はぐちゃぐちゃとかき混ぜられているみたいだろう。
なにより、幼少の記憶が蘇って少し委縮しているようだった。
普段優しい母親が厳しい言葉をかける時がどんな時かを体は覚えている。
「カエシウス家は貴族の頂点……ですが、それは何をやってもいいというわけではありません。貴族として在るべき姿を示し、礼節をもって振舞わなくてはこの名を掲げる資格は無いのです」
「はい、仰る通りですお母様……」
「あなたに教えた事はあなたにとって重圧になってしまっていたかもしれません……ですが、貴族としてやるべき事に関して私は間違った事を教えてはいないつもりです」
「はい……」
ミスティはうなだれていて母親の説教を受け入れる姿勢となっていた。
部屋の空気は重い。
執務室にしては明るめなくらいのトランス城の執務室がまるで周囲を石で囲まれた無機質の牢獄のようだ。
「貴族としての責務は、もう忘れてしまいましたか?」
「いいえ! そんな事はありません! ですが、私は本気です!」
「本気という言葉を使うには思慮が浅い。魔法使いとしては母などより一人前のようですが……貴族としてはまだまだ母の教えが必要なようねミスティ」
「お母様……ですが、私はアルムと一緒になりたいのです……!」
「そのためなら貴族としての在り方を損なってもいいと?」
呆れたようなため息をついて、セルレアは立ち上がる。
「ごめんなさいねアルムくん、見苦しいものを見せてしまって……ミスティと二人で少し話をさせてもらえないかしら?」
「はい、自分は構いません」
ミスティに向けている厳しい態度とは裏腹にアルムに対しては空気が一変する。
娘に見せる母としての姿ではなく、娘の友人相手の姿に切り替えているかのようだった。
「来なさいミスティ」
「で、ですが……」
「いいから来なさい」
「……わかりました」
ミスティは少し渋るが、有無を言わせぬセルレアの物言いに頷く。
そして立ち上がる前に隣のアルムに耳打ちした。
「アルム、きっと説得してみせますからね……!」
「ああ、頑張ってな」
「はい……!」
ミスティはやる気を露わにしながら立ち上がり、セルレアと共に執務室から出て行った。
ミスティとセルレアが出て行ったのを確認して、ノルドはそれはそれは大きく息を吐いた。
「ふう……セルレアが怒ると肝が冷える……」
ノルドはカップの紅茶をまるでランニング後の水のようにごくごくと飲んでしまう。
夫だけあって隣に座るセルレアがどれほど怒っていたかも人一倍感じていたのだろう。
のどを潤して少し落ち着いたのか、咳払いをして改めてアルムと向き合った。
「すまないねアルムくん……セルレアは貴族としてとなると途端に厳しいのだ。私とは恋愛結婚でね……後悔は無いがそのせいで色々苦労もした。ミスティに同じ思いをさせたくないという一心だろう」
「いえ、大丈夫です。子供の心配をするのは普通だと思うので」
「ああ……」
ノルドはアルムが落ち着いている事に少し驚く。
この落ち着きは幾度の修羅場をくぐった度胸から来るものだろうか。
それにしては強気というよりも穏やかな印象を受ける。交際を反対されているこの状況でさえ愛おしく思っているかのようだ。
「ミスティと恋人になったのだな」
「いえ、認められていないので正式にはまだでしょう」
「だが、想い合ってはいる……と」
「はい、それは間違いなくそうです」
言葉を詰まらせる事なく答えるアルムにノルドは頼もしさすら感じた。
元よりカエシウス家を救った恩人。しかも当時よりも少し大人びている。
ただ日々を過ごしただけではここまでにならないだろう。
親の心境としては複雑だが、そもノルドはアルムがミスティの相手である事に文句は無かった。
元より娘であるミスティがこうして報告するくらいには本気なのだろうからなおさらだ。
「うむ……」
だからこそ――ノルドはこれから伝える事を躊躇った。
セルレアがミスティに教えているであろう貴族の責務がどういう事なのかを話すべきかどうか。
しかし、黙っているほうが失礼だと考えたノルドは重い口を開いた。
「アルムくん、話しておかなければならない事がある。セルレアがミスティにしているであろう話についてだ」
「はい、なんでしょう……?」
こんな事を話さなければいけない自分が嫌になってノルドは顔を俯かせた。
「貴族は守るべきもののため……家の存続と発展を常に考えている。才能と才能をかけ合わせて次代により良い才能を授けるべく……上級貴族は婚姻相手を選ぶのが常だ。歴史の積み重ねと血統魔法の覚醒の可能性を高めるべく家のためにと婚姻する相手もまだ多い。才能主義という考え方だな」
「はい、聞いた事があります」
「君とミスティが交際を私達に報告しに来たという事はゆくゆくは婚姻関係を結ぶだろう。そういう覚悟だからこそ今回報告に来た。そうだね?」
「はい、その通りです」
ノルドは少し黙って、アルムに申し訳そうにしながら続ける。
「……君は平民だ。カエシウス家の才能にとって全く利益にはならない」
「はい、そうだと思います」
「先程も言ったが貴族の責務は家の存続と発展……セルレアが言っていた貴族の責務とはまず間違いなく子供の事だろう。
君と結ばれて生まれるカエシウス家の次期後継者の才能がほどほどではカエシウス家は存続できない……万が一才能が無いなんて事になれば大ごとだ。ミスティの次の代で他の家がこぞってカエシウス家を蹴落としに来るなんて事もあり得るだろう。
恋愛結婚が是とされる今でも婚姻に才能主義という考え方が持ち込まれるのはそういった事態を防ぐ為だ……位が高い家ほど力を失うのを恐れる傾向がある」
アルムは変わらぬ表情でノルドの話を聞き続ける。
貴族の話。家の存続の話。
才能の話は嫌というほどわかっているが、貴族の話になるとまた別だ。今まで向き合う必要の無かった話も真剣に耳に入れなければならない。
しかし、これから聞く話は向き合うには酷な話かもしれない。
「セルレアはそうならないために……ミスティに他の男との子供も作るようにという話をしているはずだ」
「……ミスティが他の貴族の人と子供を作っておけば先程ノルドさんが言っていたようなカエシウス家の弱体化という最悪の事態を防げる、という事ですね」
自分に罪悪感を抱いているのか、ノルドの頷きは先程よりも重かった。
娘と結ばれて幸福の最中の少年にこんな話を理解させなければいけないのがあまりにも心苦しく、ノルドの眉間に皺が寄る。
「ああ……そうだ……。他の貴族もたまにやっている手でね。後継者争いが苛烈になる可能性もあるからやらない家も多いが……今の状況にはうってつけの解決策だ……。
ミスティがそれを受諾すれば、君とミスティの関係をセルレアも認めるだろう……ミスティは貴族としての責務である家の存続を果たすわけだからね……。無論、他の貴族との子が才能豊かとは限らんが、君との子供だけよりも遥かに可能性はあるだろうからセルレアが納得する理由として申し分ない」
ノルドは顔を上げて、アルムと向き合う。
罪悪感や苦悩を隠した真剣な表情で。
「ミスティには貴族として、カエシウス家として出来得る限り優秀な血筋を残す責務がある……君はその責務を全うするミスティを知って耐えられるか?
耐えてミスティの隣に寄り添う覚悟があるか? アルムくん?」
「……俺は――」
トランス城・セルレア私室。
清涼感漂う部屋の雰囲気にそぐわない重苦しい空気が漂う中、セルレアは立ち上がる。
ミスティは顔を俯かせていて、視線を自分の膝に落としていた。
話は終わっているようでほんの少し沈黙が流れている。
セルレアは立ち上がるとミスティ傍に寄り……ミスティの肩に手を置いて、念を押すように語り掛けた。
「いいですねミスティ……あなたはあなたがすべき責任を果たしなさい」
「はい……お母様……」
「責任も果たさぬ内に許すことは出来ません。ですが、果たせたのなら、私も快く受け入れますよミスティ」
「わかりました……ありがとうございますお母様……」
ミスティは顔を上げてセルレアと目を合わせると、小さく頷いた。
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