715.人と人との関係
「アルムはあまり緊張していないんだね」
「ん?」
ミスティ達女性陣より早く風呂から戻ったアルムとルクスの二人は部屋でゆったりとした時間を過ごしていた。アルム達に用意された客室は高級ホテルと遜色ない広さであり、木製のテーブルや椅子が並び、装飾も程々で白を基調とした落ち着く色合いだ。
用意された服はどこの高級店のものかもわからないほど肌触りがよく、カーペットはほどよく沈んで足の裏まで気持ちがいい。温まった体は旅の疲れもあいまって眠気を誘う。
そんな中、ルクスは窓の外を眺めながらジュリアの持ってきたオレンジジュースを飲んでいるアルムに問いかけた。
「緊張……? するのか?」
「僕はしたよ。なんせ恋人がいる報告なんて初めてだったからね」
「ルクスのかっこよさならいくらでも相手がいたんじゃないのか?」
「ははは、ありがとう。やっぱりアルムの褒め言葉は気分がいいね」
「そうか?」
「嘘も誤魔化しも……オルリック家の権力に媚びているわけでもないのがわかりやすいからね。表情を読むまでもなく君は本心で言ってくれている。それが嬉しい」
ルクスは振り返って窓から離れ、アルムの対面に座る。
アルムはまだ空だったグラスにオレンジジュースを注いでルクスに渡す。
「ありがとう」
「ん」
ルクスはオレンジジュースを一口飲むと話に戻った。
「オルリック家は四大貴族だからね。言い寄ってくる女性はみんなオルリック家の権力や財産目的さ。それと未来の魔法使いの伴侶としての栄誉、生まれてくるであろう偉大な子供の母親というポジション……そして自分の家とオルリック家を繋ぐ架け橋になるため。
ミスティ殿もそうだと思うけど、上級貴族ってのは基本そんな感じで子供の頃から言い寄られる」
「そういうものか」
「そうさ」
「……それはよくない事なのか?」
アルムが首を傾げて、ルクスは一瞬固まった。
改めて権力や財産を求めることを是とするかどうかを問われた気がして。
アルムに限って嫌味なわけはない。ルクスは少し考える。
オレンジジュースを一口飲んで、窓のほうを眺める。アルムはその間ずっとルクスの返答を待ってじっと見つめていた。
「いや、正しいのかもしれないね……でも僕はああいうのが嫌いだった。ルクス・オルリックという人間ではなく、権力や財産を一番の理由に僕と懇意になろうとする人達も僕を見てもいないのに褒めちぎって媚びる誰かの姿も受け入れられなかった。
……まるで最初から自分の力で立とうとしない人間を見ているようでね」
「なるほど、だったら気分よくないな」
ルクスの熟考とは裏腹にアルムの納得はあっさりとしたものだった。
誰かの権力や財産に頼る。アルムからすればそれは生存戦略の一種に聞こえたのだろう。
アルムの疑問は弱者の立場からの疑問であり、ルクスはその疑問をきっかけに忌避する理由を思い直した。
正しいかどうかよりも、好き嫌いのほうがしっくりくる。あのアプローチのされ方がルクス・オルリックという人間は嫌いだったのだ。
「だから、本当に初めて好きになった人を両親に紹介するってなった時は僕はすごく緊張したんだよ。人生の決断を報告するわけだからね」
「そこは俺が報告するわけじゃないってのもあるのかもしれないな」
「そうかい? アルムは認められなかったらって思って不安になったりはしない?」
「不安……?」
「ミスティ殿の御両親……ノルド殿とセルレア殿が二人の交際を認められなかったら今回の件は難しくなるよ? 不安になったりしないのかい?」
今度はアルムが考え込み始める番だった。
グラスを置いて腕を組み、うーん、と唸りながら自分の中を探す。
ルクスも先程のアルムのようにアルムがどんな答えを出すのかを待った。
「うーん、よく考えてみたんだが……正直言うとそうでもないな……」
「……意外だね」
アルムから帰ってきた答えにルクスは少し表情が険しくなる。
認められないという事は二人は交際関係にはならないという事……不安がないという事はそうならなくてもいいという事だろうか。
互いに気持ちを確認し合う前ならともかく、今そう思ってるのだとすればルクスからすると納得しにくい答えだった。
アルムはいつものような無表情のまま続ける。
「認められたらそれは確かに円満で嬉しい事だけど……認められなくても俺は恋人同士だと思う事にしたから」
「……え?」
「ん?」
返ってきた答えにルクスの険しい表情は十秒ももたなかった。
むしろ今は驚きのほうが圧勝していてルクスは困惑している。
「え? あれ? えっと……恋人同士だと認めてもらうために報告に来たんだよね……?」
「いや、貴族は家の問題もあるからそういう関係になるならしなきゃいけないのかなと思ったが……よく考えれば認めてもらうかどうかはあまり関係ないなと」
「ちょっと……待ってくれ……混乱してる。今改めてアルムが僕達とは考え方が違うって思い出した……」
「そうか?」
ルクスは頭に手を当てて自分に落ち着けと言い聞かせているようだった。
美少年の表情がころころ変わるのが眼福だという者もいるかもしれないが、当の本人は友人の言葉に本気で困惑している。
「えっと……つまりミスティ殿の御両親の意見はどうでもいい、のかな?」
「いや、どうでもよくはない。認めてもらったほうが嬉しいし、ミスティにとってもそのほうがいいとは思ってる。だが認められなかったとして、それを理由にミスティと離れる気は俺にはないってだけだ」
「ミスティ殿の御両親に別れろと言われても……?」
「……? 何故当人以外にそんな事を言われて俺がミスティとの関係を諦めなきゃいけない?」
怪訝な表情を浮かべるアルムを前に、ルクスは頭を抱える。
普段ほとんどを一緒に過ごしているからか失念していた。
アルムはこういう人間だ。少し考えればわかる事だった。
平民と貴族の垣根を越えて理想を語る欲望。魔法生命という未曾有の怪物を前にして曲がる事の無い強い意思。
勘違いしていたルクスを誰が責められよう。誰かを救うために命を懸けたり、後輩の魔法の練習に無償で付き合ったり……お人好しな善性も他人を優先しての行動ではなく、アルムがそうしたい、そう在るべきだと強く思っているからこそ。
アルムの行動の根源は突き詰めれば誰かのためではなく、自分のため。
そんな自分の欲望に真っ直ぐなアルムが、たとえミスティの両親とはいえ……誰かに関係を否定されたからと諦めるはずがなかったのだった。
「あー……認識の違いをひしひしと感じるなぁ……。そうだ……アルムってそうだった……」
「どうしたルクス?」
「いや……あの演劇って本当に成功したんだな、って……」
三年生全員でやったあの演劇が無ければアルムが自分の欲望に自分の幸福を含める事はなかっただろう。
アルムは自分の夢のために自分を捧げ、それでいながら平民と貴族という身分を強く意識し、絶対の一線を引いていた。
今のアルムにはその一歩引いた感じは無い。自分が平民であり貴族とは違うという事を理解した上で、友人や恋人といった自分が望む関係を諦めない精神が出来上がっていた。
「ああ、嬉しかったぞ。俺の為に色々やってくれたんだろ?」
「うん……いや、そうなんだけど……"魔法使い"ってみんな意思が強いよね……」
「何だ急に? そんなの当たり前だろ?」
「いや、嬉しいんだけどね……うん……」
ルクスはどうしたものかと思いながら顔を上げる。
「ちなみに、ミスティ殿が認められないと駄目だと言ったら?」
「その時は仕方ないな。ミスティに拒絶されたら俺がどう思おうと意味が無い」
「あ、やっぱりそこはそうなんだ……」
我が儘なわけではないのがまたルクスを困惑させる。
要するに関係を決めるのは当人次第という事をアルムは言いたいのだろう。
「当人以外の誰かに認められないと関係が成立しないなんておかしな話じゃないか?」
「うーん……確かにそう思うけど、やっぱり認められないと……」
「俺がシスターと親子なのも誰かに認められないといけないのか? 師匠とも?」
「あ……」
ルクスの言葉が止まる。
書類上、シスターや師匠はアルムの母親にはならない。
それでもルクスがそれを否定することなど出来るはずもなかった。
「誰かが否定したら、俺はルクスの友人ではいられないのか?」
「……そうだね、確かにこれは僕が普通や常識を語る意味はないみたいだ」
「俺はルクスとずっと友人でいたい」
「僕もだよ」
普通なら常識の一つでも説かなければいけないのかもしれない。
けれど、自分との関係もこうして諦めないでいてくれるんだろうな、とつい嬉しくなってしまう。
アルムの言った通りこれは当人達の問題で……どうするかはアルムとミスティが決める事なのだ。
なにより……今更アルムに常識を語るのが馬鹿らしくなってルクスはそれ以上何か言う事はなかった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
マナリル的にお酒飲める年齢ですが、まだ学生なのでちゃんとオレンジジュース。真面目。




