713.三度スノラへ
「北部のほうに来るとやっぱり冷えるわね」
帰郷期間に入り、スノラに向かう馬車の中……エルミラが上着を羽織る。
馬車が走るのはスノラ行きの街道。
季節は夏。窓から見える景色は広大な大地が広がっており、少し視線を上げれば山々が青々しく誇っている。
遠くを見れば自生するルピナスの花畑、街道沿いに流れる澄んだ川。馬車の轍が続くにつれて北部の長い冬も難なく乗り切った大自然が彩られており、その全てが夏を満喫するように輝いていた。
アルム達五人はそんな風景を眺めながらスノラを目指していた。
スノラはマナリル有数の観光地であり休暇にはぴったりの場所……というわけではなく、当然アルムとミスティの関係をカエシウス家へと報告する為である。
「今更だけどボク達本当にいらないよねー」
「そ、そんな事言わないでくださいませ!」
ベネッタの言葉にうんうんと頷くルクスとエルミラ。
ミスティは今からすでに緊張しているのか両隣に座っているアルムとベネッタの手をぎゅうと握っている。
ベネッタの言う通り、報告する際にいるべきなのはアルムとミスティの二人だけだが……ミスティに懇願されてルクス達もスノラに同行する事となった。
ベラルタ魔法学院のトップに立つ少女でありカエシウス家の最高傑作と名高いミスティだが、今の様子はただ不安なだけの女の子といったところだろうか。
「まぁ、私達が報告の時に一緒にいられるわけじゃないから完全に気休めよね」
「え、エルミラまで……そういう事ではないではありませんか!」
「わかったわかった……涙目になるんじゃないわよ……」
スノラが近付くにつれて不安が膨れ上がるのかミスティの瞳は潤んでいる。
家族関係で色々あったからなのか、それとも戸惑いからなのかはわからない。
隣に座るアルムはそんなミスティの不安を受け止めるかのように、されるがままに手を握られ続けている。
「ミスティ殿が不安になる気持ちもわかるよ。ご両親に反対されたらと思うとどうしても不安が拭えないだろうから」
「ルクスさん……! そうなんです。お父様とお母様ならそんなはずはと思いつつもやはり……」
理解者であるルクスの言葉にミスティは表情を輝かせる。
しかし、ルクスの言う通り両親に反対されるという不安が強いのかすぐに俯いてしまった。
「自分が当主になった後なら何事も無くすませられるのに、ご家族からの理解を得ようと今報告しに行くミスティ殿は立派だと僕は思うよ」
「そんなん私達だってそう思ってるわよ。だから着いてきたんじゃない」
「うんうんー」
「皆さんのお時間をとらせてしまって……ありがとうございます」
帰郷期間は本来、寮生活のベラルタ魔法学院の生徒が実家に帰って領主となる未来に備えて領地の状況を確認したり、休養したりする休暇期間だ。
それにも関わらずミスティのためにスノラに赴くというのは中々できることではない。ミスティもその事はよくわかっているのか深々と頭を下げた。
「大丈夫じゃない? カエシウス家の人達ってアルムの事結構気に入ってるだろうし」
「そう……なのか?」
聞きながら、アルムは同乗しているラナのほうを見た。
ミスティ付きの使用人なので今回の帰省にも同行するのは当然だが、あまりにも静かなので妙な不気味さを醸し出している。
ミスティとの関係を知った時には大暴れ寸前だったのでそのギャップもあってアルムですら警戒していた。
「あー……まぁ、ラナさんは置いといて」
「置いとくのか……」
「去年普通に招待されて滞在が許されてるんだし……少なくとも嫌われてはいないでしょ。その去年だってトラブルになったのを解決したんだし」
「友達として滞在を許すのと恋人かどうかはあまりに差が無いか?」
「差はあるけど、嫌われてない証拠にはなるでしょ」
「だがなぁ……俺の事を嫌うメイドさんとかはいたしなあ……」
アルムは去年スノラに滞在した時の事を思い出す。
カエシウス家の客人という事で表向きは歓迎はされたが、ミスティに近付かないでほしいと言われたり単純に嫌っている様子のメイドも少数だがいた。
そんな自分が果たして今回も歓迎されるのかと。分不相応な今回の報告をよく思わない者もいるだろう。
「もしご両親が反対だとしたら、表向きはミスティ殿の頼みだからにこやかにしていても……メイドにハニートラップを仕掛けさせて反対のきっかけを作って破綻させる、なんて手段はとってもおかしくないから気を付けたほうがいいよ」
「えー!? そんな事あるのー?」
「ミスティの御両親が本当にやるかどうかはともかくとして、ハニートラップはよくある事ではあるね。魔法の才能は血筋が重要だから子供を残すっていうのは一番の手段ではあるし、男の貴族にはメイドを違和感無く接近させやすいのもあって男の貴族はやられやすいんだ」
「わわわ……! えっちだぁ……!」
ルクスの説明を聞いてベネッタは赤らめた顔を片手で覆う。
もう片方はミスティに握られているので覆いきれていないが。
「ルクス、やけに詳しいのね?」
「うん、僕も十三歳の時にやられかけたからね」
さらっと言うルクスにエルミラは驚きを隠せないのか目を丸くする。
「え? まじ? ど、どうなったの?」
「うん、勿論抵抗したから未遂だよ。夜這いに来たメイドは父上が拷問して殺して以降はなかったね」
「よ、容赦ないわね……まぁ、何もなくてよかったけど……」
「オルリック家は四大貴族だし、その血を盗もうとしたわけだからね。王都に連れてかれても普通に死刑だと思うよ。夜這いが重罪というより、魔法大国マナリルの才能の流出が特に重いからね。でもアルムの場合は……」
ルクスが言い掛けて、ベネッタが何かに気付いたように顔を上げる。
「あ、そっかー! アルムくんは平民だからハニートラップしてもメイドさんとか全然犠牲にならないんだー!」
「正解だよベネッタ。ハニートラップを仕掛ける側も仕掛けられた側も平民となれば平民同士の色恋沙汰で片付けられる可能性が高い……ノーリスクで二人の仲を破綻させるきっかけが作れるってわけさ。カエシウス家の使用人なら一言添えれば無罪放免になってもおかしくない。
だから今のうちに気を付けたほうがいいってアルムに忠告しておいたんだ。アルムに限って引っ掛かる事はないだろうけどね」
「そうですよ。それにカエシウス家の使用人がハニートラップだなんて……有り得ません。去年滞在した時も何事も無く終わりましたよね? アルム?」
ルクスの忠告とミスティの問いにアルムへと視線が集まる。
「そう……だな……」
しかし、アルムは言葉を詰まらせながらあまりにわかりやすく目を背けた。
その反応にミスティ達は息が止まったのかと思うほど驚いた様子で、一瞬馬車の中が無人になったかのような静寂が流れる。
「えー!? あったのー!?」
「え? そうなんですか!? あったんですか!? アルム!?」
「いや……ないよ……ない……」
「相変わらず嘘下手! ほんとにあったの!?」
「そうか……去年の時点でミスティ殿が招待してるわけだからただならぬ関係だと解釈されてそんな事が起きてもおかしくないね……」
冷静に分析するルクスを他所にミスティ達女性陣に問い詰められるアルム。
アルムは口を閉ざしているが、ミスティ達の勢いに今にも押し切られそうだった。
「だ、誰ですか!? アルム! 誰にやられたんですか!?」
「いや、やられてない……やられてないから……」
「そっか、何もないのね……ってなるわけないでしょ! あんた嘘だけは死ぬほど下手なんだから!」
ミスティに横から体を揺すられ、エルミラには胸倉を掴まれながらアルムは口を閉ざす。
アルムは去年スノラで滞在した時の事をしっかりと覚えている。それはミスティと過ごした帰郷期間が楽しかったのもあるが、カエシウス家の居城であるトランス城でアルムと接してくれた使用人達にも恩義も感じているからだ。
そしてハニートラップを仕掛けた使用人とも話しており、カエシウス家を思っての行動だったという事も知ってしまっている。
なので、アルムはカエシウス家の上級使用人であるイヴェットに夜這いされたとは口が裂けてもばらすことはない。
「アルム……! 何も無かったと言ってくださいまし……!」
「いや、それは本当に何も無かったから」
「それは、ってことは……やっぱりハニートラップ仕掛けられた話は本当ってわけ?」
「…………」
「こいつ……喋るとボロが出るからって黙ったわね……!」
エルミラに胸倉を掴まれて詰め寄られるアルムだったが、これ以上はとその間をルクスが割って入った。
「ほらほら別に浮気したわけでもないんだし、アルムが可哀想だからやめてあげなよ……」
「だって……いや、そうか……アルムが悪いわけじゃないもんね……悪かったわ」
ルクスの言う通り、たとえアルムがハニートラップを仕掛けられたとしてもアルムが悪いわけではない。
エルミラは理屈では納得したものの感情面がまだ整理がついていないのは複雑な表情でアルムから手を離し、謝罪しながら席に着く。
「まあ確かに……アルムくんから他の女性の気配なんてしないしねー」
「そうだよ。たとえ仕掛けられてても失敗してるって事だろう。どうだいミスティ殿?」
「それは、確かにそうですね……」
ルクスに宥められてミスティも少し落ち着く。
しかしアルムの手を握る力は強くなっていた。ミスティはラナをちらっと見るが、ラナは黙ったまま目を閉じているだけだった。
「アルムもやましいから隠してるって感じじゃないのはわかるさ。そうだろアルム?」
仲裁の着地点を改めてルクスが問うと、アルムは力強く頷いた。
「ああ、そもそも俺の周りにいる女性のほとんどが学院周りの人で他に親し気な女性なんていないだろ? そこに関しては心配しないでくれ」
いつも読んでくださってありがとうございます。
アルムが夜這い(?)されてるシーンは第七部にて。




