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【書籍化】白の平民魔法使い【完結】   作者: らむなべ
第十部前編:星生のトロイメライ

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712.マナリル事件記録から抜粋

「ねえママ……クジラさんがいるよ?」

(くじら)?」


 母親と手を繋いで歩いていた子供が空を見上げてそう言った。

 母親は何の事か、と子供と同じように空を見上げる。

 無論、空に鯨などいるわけがない。母親も鯨の本物は見た事はないが、海の生き物ということくらいは知っているし、絵本などに描かれた絵からどんな生き物かくらいはわかっている。

 空にそんなものがいないとわかっていながら同じように空を見上げたのは、愛する息子と同じ視線に立ち、愛する息子の見ている世界を理解するためだ。

 子供は無知で純粋なだけで、決して馬鹿でも愚かでもない。

 常識という枷の無い視点で、現実に空想を見ることができる達人だ。

 愛する息子と同じ視点になるべく、母親は同じように空を見上げて鯨を探す。


「ああ、あの雲ね」

「うん、雲にいる……!」


 微笑ましき息子の空想を見つけて母親は微笑む。

 空に浮かぶ白い雲も息子にかかれば海の動物に変わる。

 広がる青空はさしずめ空想を描くキャンバスか。

 春も終わりという陽気の中、二人の親子は青空を見つめている。

 ……お互いの認識に致命的な齟齬があるとも知らずに。


「泳いでるね!」

「ええ、そうね。気持ちよさそうに泳いでいるわ」

「でっかいね!」

「大きいわね。あれだけ大きいと乗れちゃいそうだわ」

「乗りたいけど、クジラさん乗せてくれるかなー?」

「うふふ、仲良くなったら乗せてくれるわよきっと」


 空を見上げて交わされる親子の微笑ましい会話。

 しかし、そこに

 母親は幻想を見つめて、子供は現実を見つめている。

 子供とは常識という枷の無い空想の達人。しかし、それは現実を正しく見ることが出来ないという意味ではない。

 純粋ゆえに空想のような現実でも疑わず、無知なゆえに幻と処理しない。

 自分の見つけた不可思議を正しく捉えるその瞳は母親が思う幻想ではなく、確かな現実を見つめていた。



「クジラが……雲を泳いでるね!」



 南部ダンロード家管轄地区ルコッタ村にて痕跡確認。

 正体不明。存在未確認。

 手掛かりは目撃者である五歳の少年の視認情報のみ。

 感知魔法破壊により追跡不可。


 死傷者0名。重傷者0名。行方不明者1名。

 周辺の居住区域及び生活圏に被害無し。

 観測魔力――鬼胎属性。










「おや……地震とは恐い恐い」


 とある山の湖畔、居住区からかけ離れたこの場所には小さな家が建っている。

 そこに住む老人がパイプを吹かしていると地鳴りがした。

 こじんまりとしていながら湖畔に建てた別荘は老人の自慢の隠れ家だった。

 山の上に建っている西部一美しいとされるクリーシャ城が観光地として有名にになるさらに前……窓から見れば山の間に見えるクリーシャ城が昼は陽光を、夜は月光に照らされる姿を観光客の喧騒を聞かずに絶景を独り占めできる場所に老人は別荘を建てた。


 ここを選んだのは何も城がよく見えるからだけではない。

 穏やかに広がる澄んだ水が美しい湖は釣りをしてもよし、ボードで揺られるもよし。

 聞こえてくる野鳥の囀りに耳を澄まし、山の空気を吸い込みながら焼く肉や魚、そして飲む酒がどれだけうまいか。

 観光地近くだからか魔獣も住んでおらず、この山はいわゆる穴場だった。

 余生を過ごすにはあまりに十分すぎる桃源郷。ここで絵を描くのもいいな、と画家を想像する際に浮かべるありがちなポーズをとりながら窓の外を眺めている。


「やはり最初の一枚は美しきクリーシャ城だな……謎の新人画家現る、なんてな」


 どんな歳になっても夢を見るという行為は自由だ。

 実現する可能性がある夢ならばなお現実にしてしまえと奮起するのもいい。

 もしかしたら才能が花開く可能性だってある。

 自分だけの風景を独り占めするべくこの家を建てた老人はそんな未来を想像しながら笑っていた。

 そんな事あるわけないか、と思いつつも町に下りたら筆を買おうと決心する。


「おっと、またか……珍しい」


 もう一度、揺れたのを確認すると老人はパイプの火を消した。

 揺れでバランスを崩してパイプを落とす、などという事故があっては悔やみきれない。

 何より新しい事を始めようとした直後、そんな事になってはけちがつく。


「少し早いが今日はもう休むとしよう」


 明日を楽しみにしながら老人は窓を閉めようと近付く。


「おや? 明かりが――」


 老人の言葉はそこで途切れた。

 山で大きな音がした。

 誰の耳に届くことはなく、静寂に包まれた山の中に響くだけ。

 湖畔に建てられた家は何かに潰されたように破壊され、そこにいた老人はどこにもいない。

 何が起きたかは誰も見ておらず、誰も知らない。

 空に浮かぶ月と星、そして湖畔から見えるクリーシャ城だけがその惨劇を知っていた。



 西部アルキュロス領マリーセル山。

 痕跡未確認。正体不明。存在未確認。

 目撃者無し。感知魔法不可。


 死亡者不明。行方不明者7名。

 周辺の居住区域及び生活圏に被害無し。

 観測魔力――鬼胎属性。







 




「なあ、最近雷が多くないか?」


 商品を積んだ荷台を二頭の馬に引かせて、手綱を握る商人は山を見つめている。

 隣に座る仕事仲間は欠伸をしながら空を見上げた。

 今日は快晴だ。穏やかな雲の流れもあって雷など有り得ない。


「ああ、どこか遠くの天気が荒れてるんだろうさ」

「そうか……そうだよな」

「何だ? 浮かない顔して?」

「いや……別に」

「お、おい! どうした!?」


 手綱を握って馬車を転がしていた商人は震えていた。

 かちかちと歯を鳴らして、額に脂汗を浮かべて何かに耐えているかのよう。

 同時に、馬の嘶きが響き渡る。

 馬車をゆっくりと引いていたはずの馬は二頭とも狂ったように走り始める。

 地面を蹴る蹄の音は激しさを増して、荷台の車輪は音を立てて道を走る。

 決して平坦とは言えない道を凄まじい速度で馬車が行く。

 仕事仲間の男はわけもわからず荷台にしがみついた。


「おい! 止めろ! 止めろ!!」

「嫌だ……駄目だ……! 逃げなきゃ! 逃げないと……!」


 仕事仲間の男は荷台にしがみつきながら手綱を引く商人に速度を緩めるよう促す。

 荷台の後ろを見ても何も追ってきていない。この速度なら狂暴な魔獣すら襲うのは躊躇するだろう。


「何もいない! 何もいないから落ち着け!! 落ち着けよ!!」

「いる……! いる……! 何かいる!!」

「何かってなんだよ!!」

「あ……! ああ……! やだ……! 助けて……、誰か……。お母さん……お父さん……! 助けて!」

「本当に、どうしちまったんだよ!?」


 瞬間、快晴の空に雷鳴が轟く。

 雷を蓄える雷雲も迸る稲光も空には無い。

 友人が何に怯えたのかはわからぬまま、そこにあった生物は全て息絶えた。

 最後の光景は空高く。()ねられた首だけで見た青空。

 何で雷が鳴ったんだ?

 助けを求めることもなく、何かを理解できたわけでもなく。

 たまたまそこにいたというだけで、その命は消費された。



 東部南部間ドルファーナ街道にて痕跡確認。

 首から上が無い男性二人の死体と同じく首から上が無い馬二頭の死体を発見。

 荷台から荷物が運び出された形跡はなく野盗や山賊の可能性低。

 正体不明。存在未確認。

 目撃者無し。

 感知魔法使用者錯乱により追跡不可。


 死亡者2名。行方不明者9名。

 周辺の居住区域及び生活圏に被害無し。

 観測魔力――鬼胎属性。











「もし。お嬢さん……何を食べているんですか?」

「え? パンだよー?」


 香ばしい匂いを漂わせ、腹の虫を刺激するとある村のパン屋の前。

 買ったパンを早速食べていた村の少女は見知らぬ女性に話しかけられた。

 この村の人間でないことはわかる。どこからか来た旅人だろうか?

 それにしては服装が旅人ぽくはない。真っ白なワンピースのような服を着ていて、まるでどこかのお貴族様のよう。

 少女は村を出た事がない。そのためか外から来た女性に声を掛けられた事に心を躍らせていた。たとえ目の前の女性が貴族だとしても失礼がないように振る舞えば何か話を聞かせてくれるかもと期待して。


「お姉さんも食べるー?」

「そうですね……確かに私もお腹が空いてきた頃です。ご一緒してよろしいですか?」

「うん! いいよー! ここで待っててあげるね!」


 少女が女性がパンを買ってくる間、店の前で待とうとすると女性はその場で目をつむって手を合わせた。


「主よ。今日も私に多くの糧を与えてくださった事を感謝致します」


 少女はその言葉の意味はわからなかったが、いただきます、という食前の挨拶をしているのだろうと思った。

 女性が目をつむって手を合わせている間、少女は改めて女性をまじまじと見た。

 聞こえてくる澄んだ声に相応しい滑らかな肌、赤茶色の髪は夕焼けのよう。整った顔立ちは少女が見惚れるほどだった。


(やっぱりお貴族様なのかな……?)


 そう思った矢先、女性は目を開く。食前の挨拶が終わったのだろう。


「それでは一緒に食べましょうか」

「うん!」


 女性がにっこりと笑って、少女も笑い返す。


「お姉さんは――ぱぎゅ」


 少女は次の言葉を紡ぐことなく、頭上から降ってきた真っ白な剣で頭を貫かれる。

 女性は笑顔を崩さぬまま、串刺しとなった少女の腕を一本ひきちぎって口に運ぶ。

 周りに数人いた村人達は目の前で何が起きたのかわからず硬直してしまう。

 村の少女と旅人の女性の和やかなやり取りがあったかと思えば、次の瞬間起こったのは少女の死とその死体を貪る女性の姿。

 あまりに非現実的な光景に、脳が目の前の光景の理解を拒む。

 ぐち。ぐちゅ。がり。ぼり。

 骨までたいらげるような咀嚼音を響かせて、ひきちぎった少女の腕から指が無くなった。


「やはりこの子も……味がしませんね」


 女性は指が無くなった腕に落胆して、それでもなお食べ続ける。

 口から滴らせる赤い血が白い肌を滑り落ちて、真っ白なワンピースを赤く染めると……ようやく目の前で起きた惨劇が現実だという事に村人達は気付いた。


「ば、化け物だあああああ!!」

「に、逃げろ! 逃げるんだあああ!! 領主様に伝え――」


 時はすでに遅く。

 降り注ぐ剣の雨。黒い魔力を纏った純白の剣が村中に降り注ぐ。

 男も女も。老人も大人も子供も関係無く。

 たった数分前まで平和な村は、口から血を滴らせる女性が通った場所から瓦礫と木片に変わっていく。

 通った場所で死んだ人間を食べながら。邪悪な咀嚼音をさせながら。

 村中の人間を殺して、村中の人間を食べ歩く。

 俺達が何をした、という恐怖の声に、


「何も。あなた方は食事する時、食事に何かされたから食べるのですか?」


 と答えて。

 子供だけは許して、という懇願を、


「いいえ。目の前の肉が子牛の肉だとして、あなたは食べるのをやめますか?」


 と無視して。

 何でこんな事をするのだ、という絶望の声に、


「主が与えてくださった糧を得る為です。食事する理由なんて……お腹が空いたからに決まっているでしょう?」


 と理解させる気のない答えを返して喰らい続けた。

 奇跡など起きない蹂躙。

 生きている者は村が破壊し尽くされ、隣人が食われる音を聞きながら逃げ続け……やがて自分が同じ目に合う。

 災厄の形をした女性が満足するまで、ただ続く。

 自分の生まれ育った村が地獄に変わった事に精神が耐え切れず、運良く生き残った者はその意識を手放した。


「化け物だなんて傷付きますね。私はただの、人間だというのに」


 さっきまで人々が生活していた場は怪物が作る惨劇の舞台に。

 血に塗れた舞台の上を、怪物が不満気に闊歩する。



「主よ申し訳ございません。今日の糧でもやはり……満たされませんでした」



 東部マットラト領ペニキス村にて痕跡確認。

 村全てが破壊しつくされ、村人のほとんどが確認できず。血痕だけが多く残されている。

 瓦礫の下で気絶していた生存者は病院にて目覚めるも、看護婦に対して異様な恐怖を抱いており証言は不可能。

 正体不明。存在未確認。

 感知魔法による追跡不可。


 生存者1名(心的外傷により証言不可)。

 死者7名。重傷者0名。行方不明者86名。

 観測魔力――鬼胎属性。

いつも読んでくださってありがとうございます。

ここで一区切りとなります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 鯨はケートス、雷は雷獣鵺、人型はエリザベート・バートリーと予想。あと一つが全く予想が付かない……
[一言] 主よという言葉だったり、剣を使うことから、人の魔法生命はジャンヌダルクと予想してみます。 他の魔法生命は何かわからないので、登場まで楽しみに待っております。
[一言] 最後のソレが元人間のいかれたやつというのはわかったが… >看護婦に対して異様な恐怖を抱いており証言は不可能。 これは看護師というのが関連ワードなのか、それとも物腰がそれを彷彿とさせただけ…
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