711.残る敵は
「大人しく負けろという意味ですか?」
「だとしたら……同盟も糞も無いけどね」
ミスティとエルミラは冷淡な視線を向ける。
敵の情報提供という名目で勝てないなどと言われれば怒りを抱いてもおかしくない。ましてや敵と同じ魔法生命であるモルドレットから言われたのだからなおさらだろう。
「落ち着け。正確には、完全体になったら斃せないという意味だ」
「完全体……魔法生命は度々口にしているな」
「そうだ。魔法生命の"現実の影響力"は異界の伝承が元となっているのは知っているな?」
魔法生命が振るう力は無法のように見えて独自のルールがある。
単独では異界で活動した力を逸脱できないこと、そして【異界伝承】という文言を楔にして魔法名を唱えなければ"現実への影響力"を上手く発揮できないこと。
魔法生命の名の通り、魔法のようなルールに縛られているのだ。
このルールを超えるには霊脈に接続して"完全体"と呼ばれる状態にならなければいけない。
魔法という枠組みを超え、異界において伝承という形で封じられた自分達の生前の力を手に入れる必要がある。
「魔法生命の伝承には例外なく敗北した記録がある。当然だ、元の世界で死んでるからこっちの世界に来ているわけだからな。基本は人間に殺されたものが多いが……他にも人間に信仰されなくなったり、より強力な怪物に淘汰されたりと様々だ。
だが大蛇は厄介な事に、人間が討伐を諦めてしまった存在でな。生贄を捧げて人間を滅ぼさないように機嫌を取り続ける……異界における神に等しい怪物。神と等しくありながら信仰を糧にしない厄介な存在だ。他の奴等は完全体になっても万が一の奇跡があるが……大蛇だけはそんな可能性すらなくなる」
「異界の伝承通り、人間が勝つのを諦めなければいけない存在になると?」
「その通りだ。かえしうすの娘。ようは完全な詰みだな。全人類が力を合わせて、とかそういうお伽話すら意味をなさない。人間に敗北しない理を持った存在としてこの星に君臨される。
魔法生命の伝承はこの世界における"現実への影響力"であり"存在証明"そのもの。どうやっても覆せなくなる」
それはすなわち人類の敗北。異界の怪物にこの世界を明け渡し、人間という種はただ一個体のために生きる家畜以下に成り代わる。
大蛇は言った。永劫の繁栄を約束する。
なるほど、今の話を聞けば確かにその言葉は嘘ではないのだろう。大蛇が永劫この星に君臨するという事は、人間もまた永遠に恐怖を搾取され続けるという事なのだから。
「本題は大蛇が絶望的な存在だ、という事じゃないはず。この話をしたという事は……止める為にやるべき事がわかっている。違いますか?」
アルムがそう言うとモルドレットは口元で笑う。
「話が早くて助かるな。その通りだが……まずはカンパトーレで何が起きているかを説明しなければいけない。"蛇神信仰"というのを知っているか?」
「俺の所に来た報告書によれば……ベラルタを襲ったカンパトーレの魔法使いがそのような事を口走っていたとある」
「そうだ。この世界には神を信仰する習慣が無い……だが、カンパトーレは去年辺りから急速にこの考えが広まっている」
この世界では神を信仰した過去こそあるものの、現在その習慣は途絶えている。
役目を失った教会や修道服などがあるだけで実際に神に仕える集団は存在しない。
アルム達はかつてスピンクスが語っていた話を思い出す。
この世界は千五百年前に現れた神の名を持つ魔法生命達の再出現を防ぐために……そういった文化を途絶えさせたのだと。
「言うまでもなくこの考えを広めているのは大蛇とその一派だ。さっきも言ったが大蛇は神に等しい怪物……信仰を得る事でこの世界唯一の神になろうとしている。その足掛かりがカンパトーレというわけだ」
「この地で神様って言われる事で自分が神様だって"現実への影響力"を手に入れようとしているってことですかー?」
「そういう事だ。君達からすると馬鹿みたいな考えかもしれないが……問おう、このやり方、心当たりがないかね諸君?」
モルドレットの問いにルクスが目を見開く。
「鬼胎属性の魔法生命は人間から向けられた恐怖で"現実への影響力"を底上げする……!」
「流石は魔法生命と戦ってきた者達だ。そう……アプローチは同じなのだ。魔法生命として恐怖を、神として信仰を集める。大蛇は二方向から自分の力を底上げし……"完全体"へと向かっている。
だが信仰のほうは直に打ち止めになるだろう。魔法生命の脅威を知っているマナリルにガザス、そして特にアポピスによって民が生贄にされかけたダブラマでは蛇神信仰など流行るはずもない。カンパトーレという国が敵である以上脅威である事に変わりないがな」
言いながらモルドレットは指を二本立てて、片方を倒す。
一本は信仰、一本は恐怖を指しているのだろう。
「となれば、大蛇と敵対する我々が対処すべきは恐怖のほうだ……先日ベラルタで起きた襲撃を君達が対処したように、魔法生命の被害を最小限に食い止める。
つまり、君達が今までやってきた事と変わらない。変わるのは規模だ」
「規模……?」
エルミラが怪訝な表情で問い返す。
今までも国全体を巻き込んだガザスやダブラマの一件はあった。それを差し置いて、規模が変わるとはどういう意味か。
「ここからの話はガザスのラーニャ殿からの情報も必要になってくる……よろしいか?」
「鬼胎属性の魔力が活性化している霊脈の情報ですか? 私達の情報とは」
ラーニャが問うとモルドレットは頷いた。
顎に手を当ててラーニャは少し思考する。
今ガザスが持っている情報は少ない。ガザスが有利をとれる有力な情報は現在これだけといってもいい。
――果たしてここで開示していいものか? それとももう一つの情報について試されている?
まだモルドレットに懐疑的なラーニャはガザスだけが持っている二枚の手札について改めて考える。
ガザスが持っているのは霊脈における鬼胎属性の魔力の活性化の情報ともう一つ。
前者はともかく後者はここで話すと反逆を疑われそうな情報だ。常世ノ国の残党を名乗るモルドレットとチヅルがいるのが特によくない。
ラーニャはアルムのほうをちらりと見る。ガザスと恩人について有益な選択をとろうと考えた末に、前者だけを伝える事にした。
「……鬼胎属性の活性化を確認したのはマナリルではベラルタ、カエシウス領のスノラ、トラペル領のミレル、マットラト領のパルダム、マナリル王都アンブロシア、ガザスの王都シャファク、ダブラマ王都セルダールです」
「すでに出現したベラルタを除き、常世ノ国で活性化が確認されている元首都カンザシを加えて後七つ。断言しよう。最低でもこの七つの場所に魔法生命もしくは大蛇が出現する。蛇神信仰に陶酔したカンパトーレの連中を加えてな。
その襲撃を最小限の被害で抑えるのが現段階で俺様達が大蛇相手にとれる対抗手段だ。そしてこれからの戦闘の影響力は今までの比ではない。どこかで人間が負けて霊脈が陥落するような事があれば主導している大蛇に対しての恐怖は増大する。そうなれば、"蛇神信仰"もカンパトーレだけに留まらなくなる可能性だって出てくる」
モルドレットの言う規模とは魔法生命の出現範囲と回数。
ダブラマでアブデラ王が引き起こした一件でさえ敵側にいた魔法生命は三体。その内の一体であるスピンクスは中立であり、アルムを生還させるために動いていたので実質は二体だった。
モルドレットの言う通り、確かに今までとは規模が違うのをアルム達は実感する。
「ちょっと待ってくれ……魔法生命はまだそこまで多くいるのか……!?」
血の気の引いた表情で失った片腕の部分を押さえながら、ラーニャの護衛であるエリンが思わず口を開く。
当然だが、エリンはこの場で発言する権利が無い。彼女の立場は今ただの護衛に過ぎず……カルセシスの血統魔法含めこの場での話は聞かない事にして振る舞うのが真っ当な護衛のやるべき事だろう。
しかし……エリンもまたラーニャと共に酒呑童子という魔法生命と長年関わり、大嶽丸という災厄に故郷を滅茶苦茶にされた一人。
魔法生命が最低七回出現すると聞いて内心穏やかではいられなくなったらしい。
「エリン」
「あ……し、失礼致しました。出過ぎた行いでした」
ラーニャが窘めると、エリンは青白い顔で口を紡ぐ。
無理もない、とミスティ達は同情する。
「どちらにせよ魔法生命の数は具体的に知っておいたほうがいい。エリン殿の質問に答えてもらってもいいかな?」
「当然だカルセシス殿。勿論その話もしなければいけないと思っていた。本来は大蛇の能力も伝えたいが、呪法で話せないからな……どちらにせよ後言えるのはそのくらいなもんだ」
カルセシスの黒い瞳がモルドレットを見据える。
一切の虚偽も許さないという鋭い血統魔法の視線の中、モルドレットは指を四本立てた。
「今確認できてる魔法生命は俺と大蛇を除けば後四体だ。中立が一体、大蛇側についているのが二体、いかれてんのが一体」
「中立の魔法生命がまだいるのか……?」
「今の所はという感じだな。スピンクスのように人間にも魔法生命にも情報を教えるというわけではなく、本当にどちらにも与していない。こちらに引き込めるなら引き込みたいが、大蛇側もそれは同じだろう。どっちに傾くかはわからん」
そう言ってモルドレットは立てた四本の指を順番に折っていく。
「詳細に言うと呪法に引っ掛かるから曖昧にしか言えんが……大百足や大嶽丸と同郷のわけわからん化け物が一体、図体でかいのが二体、後は俺様と同じ元人間が一体だな。どこにいるかまでは掴めてない」
「元人間の魔法生命がもう一人いるのー……!?」
「それなら、早めに味方に引き込むように働きかけたほうがいいんじゃない? あなたみたいに人間側についてくれるかもしれないし」
元人間の魔法生命がもう一人いるという情報にベネッタとエルミラが協力者が増えるかもしれないという希望を抱くが、モルドレットの反応は芳しくない。
それどころか、それ以上期待するなと言わんばかりに二人を制止していた。
「早まるな。その元人間が中立とは一言も言ってない」
「え……?」
エルミラとベネッタが抱いた新たな協力者の幻想が砕かれる中、モルドレットはアルムを指差す。
「そこのアルムも言っていたはずだ。魔法生命でも味方になる時はあるし、人間でも敵になる。元人間だからといって俺様みたいに敵じゃないなんてことはないんだ。元人間であっても魔法生命である以上、理想に飢えた怪物だ。俺様だって一歩間違えば敵だったんだからな」
「それじゃあ……」
「ああ、はっきり言おう。その元人間の魔法生命は中立じゃなく……いかれてる奴だ」
いつも読んでくださってありがとうございます。
明日の更新で一区切りとなります。
一区切り後は恒例の閑話を終えたら報告編となります。




