704.上陸
「こ……れは……」
「本当に……ここが目的地っすか?」
宮廷魔法使いファニア・アルキュロスは任務によってとある国へと上陸した。
潮風に揺れる金髪と鋭い瞳の美しさはこの国では少し浮いているようにさえ見える。
ファニアに続いて、ファニアの弟子であるタリク・アプラや今回の任務に選ばれた魔法使いの部隊十数人も上陸していく。
その魔法使い達の中には先日ベラルタの侵入者として捕獲されたチヅル・モチヅキの姿もあった。
部隊の一員というよりは、囲まれていて見張られているという印象が強い。
「ここが常世ノ国……かよ……」
最後に船から出てきたのはベラルタ魔法学院三年生ヴァルフト・ランドレイト。
今回の任務でベラルタ魔法学院から急遽招集されたからか表情には緊張が走っている。
いや……浮かばない表情は緊張だけが理由ではない。
目の前に広がる港の惨状を見てだった。
「ようこそ私の故郷、常世ノ国へ……ここからは私が先導させて頂きます」
ファニア含めた部隊員が目の前の光景に絶句している中、チヅルは平然と先に進む。
ファニア達が上陸したのは港とは名ばかりの場所だった。
船着き場などとっくの昔に破壊されたといわんばかりの朽ちた木材。
岸壁らしき場所は所々が破壊されていてただの岩場と変わらず、港から見える家屋は全て瓦礫へと変わっている。
マナリルから来たファニア達を迎えたのは一目でわかる戦禍の跡だった。
歩き進めば何の破壊跡かもわからない道らしき通りに、何らかの施設があったであろう焦げた組み木が目に入る。
かろうじて元が町だったとはわかるが、最近まで機能していたなどとは思えない。
無論、人はいない。
これだけの破壊の痕跡の中に人の遺体すらないのは町の人々は避難したのかそれとも……。
「チヅル殿。ここは……」
「数年前、魔法生命によって破壊された港町だね。元々常世ノ国でも名のある貴族が統治していたけれど……勝てずにそのまま滅ぼされたって聞いたね。
完全に滅ぼされて、霊脈も完全に食われたから万が一にも魔法生命達に狙われる心配も無い」
「そういう意味では無かったのだが……」
名目上チヅルを拘束し、どんな事でも問いただせる立場にあるファニアでさえそれ以上は聞けなかった。
常世ノ国という国全てがこのような状態なのだろうか?
魔法生命は元々常世ノ国の魔法使い達の組織が研究して力にしようとしていた産物……ある意味自業自得ではあるのだが、ここまで徹底的に破壊されるいわれはないだろう。それこそただ生活していた民にとってはなおさらだ。
まさか、自国の研究の末に国を食い殺す怪物に滅ぼされるなんて未来は想像していなかったはずだ。
「魔法生命は元々、平民の魔法使い化の研究の副産物と聞いたが」
「コクナ家のシラツユ様からの情報だよね?」
「……そうだ」
「その通りだね。平民に血統魔法に相当する魔法の核を与えて……国の力とするのが魔法組織コノエの本来の研究だったんだけどね」
チヅルは憂いを帯びた表情を浮かべて、滅んだ港町を見回す。
「実際は失敗して、乗っ取られて、貴族も平民も魔法使いも、大人も……子供も関係なく殺されて、国中こんな風になってしまったね」
「魔法生命の復活は水属性創始者であるネレイア・スティクラツの計略もあったはずだ。我々はスピンクスという魔法生命からその情報を得ている」
「それでも、その口車に乗ったのはこの国の貴族なんだよね。常世ノ国は主王様と常世ノ国の巫女は象徴の意味合いが強くて政治の決定権は無いからね……だからこの国の偉い貴族が全員、手を出しちゃったんだよね。
人間や魔法使い達の力を諦めて……どこからか来たかもわからない別の力に」
「……教訓にしよう」
滅んだ常世ノ国を象徴するかのような光景を目の前にして、チヅルを慰められるわけもない。ましてや最盛の国であるマナリルから来たファニアでは。
ファニアはせめてこの光景と国の末路をいましめとして受け止める。
感傷に浸ってもいい場面かもしれないが、部隊長としての役目は果たさねばとファニアの顔つきが変わる。
「ヴァルフト・ランドレイト。船を沈められた場合は君の血統魔法が頼りだ。万が一戦闘になっても君は参加するなよ」
「わあってますよ! てか、それ目的で連れてこられたんだろ俺!」
「そうだ。君の能力に期待している」
「ま、任せとけ……!」
ヴァルフトが急遽招集されたのは逃走手段の確保だ。
目的地は海に囲まれた島国常世ノ国。チヅルの話が万が一嘘であった場合やトラブルによって船が破壊された時に備えて、"飛行"の血統魔法を持っているヴァルフトが学院長オウグスより推薦された。
ルクスと一緒にとはいえ魔法生命との戦闘を経験しているのも推薦理由としては大きい。
通常の魔法技術がまだ拙く、三年生の中では見劣りしてしまうヴァルフトだが……血統魔法の有用性は随一。予想外の抜擢されたのもあって到着してしばらく歩いても硬さが抜けていなかった。
「タリク……どうだ?」
ファニアの隣を歩く赤髪の青年――タリクは首を振る。
タリクは宮廷魔法使い候補を育成する王都の教育機関デュカスに所属するファニアの弟子であり、ファニアの幼馴染だ。
部隊の副隊長を務める事も多く、宮廷魔法使いを育成する機関に所属しているだけあって感知魔法が得意な魔法使い。上陸してからすぐさま感知魔法を展開しているが……反応は全くない。
「感知魔法に敵らしき者は……というか、そもそも生き物が少なくて逆に難しいっす」
「だろうな」
「常世ノ国は滅んだって話は聞いてましたけど……滅んだにもほどがありませんか……?」
「ああ、魔獣の一匹や二匹いるものかと思っていたが……」
周りを見れば家屋などの人工物だけでなく、木々も枯れて風化している。
魔獣や野犬どころか雑草や虫すらほとんど見かけない。
人間の生活の跡を踏み越えて再生する自然の気配すらしないのだ。
これも魔法生命が霊脈を食した影響なのかとファニアは周囲を警戒する。確かにこの場所に魔法生命は来ないだろうが、なんとなく不気味さは消えない。
「そんなのがいたら……まだ大丈夫なんじゃないかって思えるけどね」
先導するチヅルが物悲しい声で言う。
もう常世ノ国が国として蘇る事は諦めているのだろう。
確かに、他でもこの惨状ならば難しいかもしれない。
ベラルタで敵対と思われても仕方ない過激な行動に出ていた理由も納得する。今常世ノ国に残っている住人に……なりふり構っている余裕がないのだ。時間をかけて交渉などと言えるような状況ではない。
先導しているチヅルの歩く速さもこころなしか速く見える。
「さあ、こっちだよ。私達の拠点には案内できないけど……待ち合わせの場所は決まって――」
「ちっ……馬鹿が」
もう少しで町を抜けようと言う時、右のほうからファニア達の耳に舌打ちの音が届く。
ファニアはすぐさま剣に手をかけ、他の部隊員も臨戦態勢に移行した。
ヴァルフトは予定通り、離脱のために魔力を"変換"し、血統魔法を唱える用意をする。
右のほうを見れば、一人の男が半壊した家屋の中……光の届かない屋根の下の暗がりに立っていた。
「タリク!! どういう事だ!!」
ファニアは暗がりの中に立つ人物に目を向けながら、感知魔法を展開していたはずのタリクに怒鳴る。
タリクは生唾を飲み込んで、包み隠さず答えた。
「反応してない……! 俺の感知魔法は反応してないっすよ!!」
「くっ……!」
それ以上はファニアは何も言えなかった。
当然だ。ファニアとて感知魔法を使っていなかったわけではない。宮廷魔法使いと宮廷魔法使い候補という二人がいて、一人の感知魔法に任せっきりという状態のほうがおかしいだろう。
ファニアがタリクにそれ以上何も言えなかったのは、タリクの言う通り自分の感知魔法にも目の前の人物の反応が無かったからだった。
ファニア達のいざこざを気にする様子も無く、半壊した家屋の中にいる人物はチヅルに声をかける。
チヅルはその人物の正体がわかっているのかその場にすぐさま跪いた。
「おいチヅル……俺の言う事は聞いてたよな?」
「は、はい……! 言われた通り交渉相手を……」
「俺は信用できる交渉相手を連れてこいって言ったんだ。なんだよこいつら……どいつもこいつも童貞ばっかじゃねえか」
「い、いえ……ですが……!」
「そこの童貞共がお前が望む結果を持ってる奴なのか? 違うだろ?」
「ご、ごめんなさい王様……」
こいつが王様と呼ばれる者か、とファニアはさらに警戒を強めた。
呼ばれ方といい、感知魔法に引っ掛からない事といい、ただ者でない事は間違いない。
チヅルを叱責する王様と呼ばれた人物は、ファニア達を見回して……最初のほうは不機嫌そうなため息をついていたが、後ろのほうを見て機嫌がよさそうな声を上げる。
「おっと……なんだ、ましな奴がいるじゃねえか。その一番後ろのガキはよさそうだ」
「え? お、俺か……?」
宮廷魔法使いや他の現役の魔法使いを差し置いて? と自分を指差すヴァルフト。
王様と呼ばれる人物は興味深そうにヴァルフトを観察する。
「及第点ってとこだが、少しはましな奴がいるようだな。いいだろう、交渉相手として認めようじゃないか。そこのガキがいなかったら全員帰ってもらう事になったろうがな」
「……そちらが我が国と交渉したいという話だったはずだが?」
「信用できる交渉相手、とならな。童貞共が首を揃えて来た所で……信用なんかできるはずないだろ? この国の惨状を見ればわかるはずだ。俺様達はもう負けている。負けているからってなんでもかんでも無条件で差し出せるわけがない。
あの化け物を倒せる可能性を持つ奴等に情報を売りたい……そう思うのが当然だ。情報を活用するってのはそういう事だろうよ」
「この御方はマナリルの宮廷魔法使いファニア・アルキュロス様だ! マナリルでもトップクラスの魔法使いであり、護国の任務を預けて遠路はるばるこの国まで交渉に来た! このチヅルという侵入者にも寛大な処置をしてくださってる!!」
反論するようにファニアを語る一人の部隊員。
王様と呼ばれる人物は少し無言になり、
「だからどうした?」
その反論を呆れ気味に切り捨てる。
「そのファニア様に話せば全部解決してくれんのか? そのファニア様が俺達が望む結果を出せるのか? 残ってる魔法生命全部片づけてくれるのか? 常識の中で作り上げた強さを全て踏みにじられたこの国で……その肩書きが何の意味を持つ?」
「……」
「教えてくれファニア殿。その肩書きは、貴殿の望む結果をもたらしたか? であれば非礼を謝罪しよう。この頭を地につけても構わない。貴殿は信用に足る力を持つ者か?」
王様と呼ばれる人物の問いで、ファニアは改めて思い出す。
南部で魔法生命、その魔力残滓を宿したトヨヒメに手も足も出なかった時の事を。
無意識に恐怖し、崩れた精神の中で活路を開いたのは守らなければいけなかったはずの少女……任務の補佐として連れてきたはずのエルミラ・ロードピスだった。
立派な肩書きや常識、命までも無意味のように踏み潰せる力を持つ脅威――それが魔法生命である。
「いや、あなたの言う通りだ。こちらこそ非礼を詫びよう。あなたを迎え入れる一団として……我等は不十分だったようだ」
「ファニアさん!」
何か言いたげなタリクを制止してファニアは続ける。
「そちらの気分を害したのなら我等はこのまま立ち去ろう。だが、恐らくあなたの望む人物達は我が国にとって重要な人物達だ……ここに直接派遣する事はできない。
しかし、その人物達の下への案内は約束する。それ以上は譲れない」
「ほう……意外だな。本来そちらが下手に出る必要はないんだぞ?」
「下手に出ているわけではない。交渉相手の要求を出来得る限り受け入れようと思っているだけだ。そちらの望む相応しい人物とこちらが考える相応しい人間に齟齬があったようだからな」
ファニアがそう言うと、王様と呼ばれた人物は軽く笑う。
「……チヅル」
「は、はい!」
「悪かったな。確かにお前は俺様の言った通り……信用できる交渉相手を連れてきていた。さっきのは俺様の早とちりだったみたいだ」
「ありがとうございます!」
「このまますぐに発つ。集落の連中に伝えてこい」
「はい!」
王様と呼ばれる人物の命令でチヅルは表情を明るくさせながら駆け出す。
話しが纏まったようでファニアはつい安堵のため息をもらした。
「常世ノ国の貴族連中のようなプライドだけのゴミかと思ったが……勘違いだった。非礼を詫びる。貴殿のような貴族もいるとわかって安心した」
「それでは……」
「ああ、連れてってくれ。悪かったな。肩書きと口だけがでかいだけの人間は信用する気にならねえんだ……昔からな」
暗がりから出てきたその人物と握手をして、ファニア達はマナリルに帰還する。




