702.一月前のどたばた
一月前――ミスティの家での事。
発端はアルムの言葉に衝撃が走った後の事だった。
「さっきから気になっていたんだが……俺とミスティって恋人同士なのか?」
「え」
「え?」
「え」
「え……?」
どん底に叩きつけられたかのような表情のミスティ。
ルクスにエルミラ、ベネッタの三人も信じられないと言いたげな表情だ。
時間を止めるかのごとき衝撃が四人に走る。
舞台の上で行ったミスティの決死の告白がまさか不発で終わってしまったのかと。
告白だけでなく、接吻までしたというのに……これではミスティが浮かばれない。
流石にそれはとエルミラが口を開きかけた瞬間、アルムは続けた。
「ほら、ミスティは貴族だろう? しかも四大貴族だ。エルミラがルクスと恋人になる時でさえ帰郷期間にルクスのオルリック家に挨拶に行っていたのに……俺みたいな平民がさらっと恋人って事になっていいのか?」
アルムは困った様子で四人に問う。
舞台の上での告白をとぼけているわけでもなく、意味を理解していないわけでもなく……この上無く理解しているからこその現実的な段階を確認するための疑問だった。
「な、なんだー……そういう……」
「あー……びっくりした……」
緊張でひりついた空気が、死に際から生還したような安堵で和らいでいく。
ベネッタとエルミラは力が抜けたのか大きく息を吐き、ミスティもまた安心したのか顔に血の気が戻っていく。
「なるほど確かに。貴族の交際は自分達でおいそれと決められる事ではないね。当主ならともかく……ミスティ殿はまだ当主じゃないから現当主に話を通すのが筋だ。
これはアルムの疑問ももっともだ。マナリルは比較的恋愛結婚が認められているけれど、それでも家柄が高ければ交際相手や婚姻相手を厳しく選ばなくてはならない。いくらミスティ殿でもカエシウス家である以上、当主の了解を得るのは避けて通れない道だと僕も思うよ」
「やっぱりそうだよな」
女性陣三人より一足早く平静を取り戻したルクスがアルムの疑問について答えると、アルムは確認しておいてよかったと言わんばかりに頷く。
アルムが意外に考えているという事よりも、去年オルリック家の領地にエルミラを連れて行った事がどういう事かをアルムが理解している事のほうにルクスは内心驚いていた。
普段、貴族社会のあれこれと関わりがないアルムにしては察しがいい。
いや、元から状況はしっかり把握するほうだったか。
ルクスは若干失礼な感心をしつつも思い直す。
「ルクスとエルミラの時はどうだったんだ?」
「父上は僕には甘いから、特に問題無く許しを貰えたよ。何よりエルミラは実績もあったから反対する理由も特にないだろうから」
「そうか……俺は平民だからな……」
「アルムの場合も、むしろ問題はそこだけじゃないかな。マナリルは比較的自由とはいえ婚姻自体は才能主義な所は否めないから……その点をカエシウス家現当主のノルド様が嫌悪すれば許しは出ないかもしれない」
「うーん……ノルドさんには去年特別扱いできないって釘刺されてるしな……」
去年の帰郷期間でスノラに行った際、ノルドに言われた言葉を気にするアルム。
カエシウス家の恩人として歓迎はするが、それはそれとして節度は守れという意味だと解釈しているが、果たして今回のはどうだろうか?
うんうん頭を悩ませているアルムが少し珍しいのか、ルクスはさらに続けた。
「アルムは平民で才能主義とは一番遠い場所にあるから……ノルド様次第ではあるけれど、もし強行しようものなら次期当主はミスティ殿ではなく弟のアスタ殿にするなんて言い出す可能性もあるね」
「うーん、ミスティに迷惑がかかるのはちょっとな」
「だから確実なのはミスティ殿がカエシウス家が当主になってから報告する事だと思うよ」
「ん?」
ルクスの提案にアルムが少し食いつく。
「ミスティ殿がカエシウス家当主になれば反対できる人なんているはずないからね」
「おお、なるほど。だが……そうか……うーん……」
「どうかしたのかい?」
ルクスの助言にアルムは一瞬感心したような声を上げるが、すぐに思い直したように悩み始める。
「いや、ルクスの言う通りなんだが……それは少しずるい気がしてな。どうせなら認められた上での関係になりたい。それに、ミスティの家ならなおさら誠実じゃなきゃいけない気がするからな」
「はは、アルムらしいね。少し脅かしたみたいで悪かった、僕が言ったのはあくまで最悪のパターンさ。ノルド様がそんな短慮な方だとは思えないし、実際は悪くても反対される程度だと思うよ。ミスティ殿をカエシウス家の当主にしないのは流石に貴族の家として得が無さすぎるからね」
「それはそうか……悪いなルクス、色々と教えてもらって」
「何言ってるんだ、こんなのただの雑談の範疇だよ」
「あの……仲良く話してるところちょっといい?」
アルムとルクスの話がひと段落したのを見計らってエルミラがおずおずと手を挙げる。
二人が振り向くと、エルミラとベネッタに挟まれているミスティが、頬をほんのり赤らめて瞳を潤ませながらアルムを見ていた。
その後ろで拘束魔法で宙ぶらりんになりながらあわわ、と口をわななかせているラナは気にしないものとする。
「とりあえず……アルムはあの舞台の上でミスティが言った事を理解してるって事でいいのよね?」
「……? ああ、そりゃそうだ」
「よかったねー! ミスティー!」
「は、はぁ……?」
混乱か困惑か。
ミスティはアルムをじっと見つめながら、呆けているかのよう。
しかし、青い瞳は涙と期待を一緒に湛えるように輝いていた。
「ミスティ? 大丈夫か?」
「は、はひ……」
アルムに問い掛けられて、ミスティはぱちぱちと目を瞬く。
何度目を閉じても瞼の下に夢は浮かばず、開けたらベッドの上という事もない。
心配そうにこちらを覗き込むアルムに、ミスティはゆっくりと口を開く。
アルムもまたそんなミスティを急かすことなく、視線を合わせられるようにかがんで待った。
「あ……わ、私の気持ち……伝わって、いましたか……?」
「うん」
「あれが……え、演技ではないと……わかってくれましたか……?」
「うん、わかってるよ」
震える声に応える優しい声。
ミスティの瞳の輝きが先を先をと望むように光っている。
「アルムは……私の事が好きですか……?」
「ああ、ミスティの事が好きだよ」
「っ――!!」
それはミスティにとって最も幸福な答え。
魔法生命の襲撃で有耶無耶になってしまった舞台の上での告白の答えが、今しっかりとした声となって返ってくる。
目の前で見せられたアルムの笑顔も相まって、かつてない多幸感がミスティの体を駆け巡る。
まるで全身が沸騰したようにミスティは耳まで赤くなる。
青い瞳は揺れて……息を吐くのすら勿体ないとでも言うかのようにその口を閉じたかと思うと、ミスティの全身から力が一気に抜けた。
というより気絶した。
「やばい! ミスティ帰ってきなさい!!」
「ミスティしっかり! 息を大きく吸って!!」
「鼻血だけは出さないほうがいいわよ!!」
「アルムくんの前だよ! 頑張って!!」
ミスティの両脇にいたエルミラとベネッタが必死にミスティに呼び掛ける。
二人は満面の笑みで幸せそうに気絶しているミスティの頬をつねり上げるが、えへへ、と寝言のような笑みが返ってくるばかり。
「鼻血……? ミスティは体調が悪いのか?」
「うーん、むしろ良すぎるんじゃないかな」
「ともかく……とりあえず報告は必要だよな」
「そうだね、それがいいと思うよ」
そんな三人の様子を見届けるアルムとルクス。
という事で、アルムとミスティの関係をカエシウス家に報告するべく帰郷期間はカエシウス領のスノラへと赴く事になったのである。
この後目覚めたミスティに心細いから全員ついてきてほしいと懇願されたのもあって五人で行くことになったのである。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ラナさんが宙ぶらりんの状態から降ろされたのはこの一時間後。




