700.素朴なような大事なような疑問
「何故そんな事をラーニャ様……? 特にガザスに得があるとは思えないというよりも……ほぼ間違いなく招待すると思いますが?」
「ガザス……いえ、私が欲しいのは確約です。勿論カルセシス殿を信頼していないわけではありませんが……二国だけの場にされる可能性を少しでも減らしませんと」
学院長室にて、オウグスはラーニャの要求に疑問を呈する。
ソファに座るのはガザス女王ラーニャ・シャファク・リヴェルペラ。
傍らには護衛のエリンとガザスの魔法使い達が立っている。
しかし、あくまでそこにいるだけ。ここで聞いた事を彼らが外へ漏らす事は無い。ここでの会話はあくまで非公式のもの。予想外の魔法生命の襲撃から、ガザス側が恩を着せる形――実際にはラーニャが恩を返そうと思っている――でマナリル側に情報を漏らしている構図なのだから。
「魔法生命は魔力残滓という形でその存在が消えてもその力を残すケースがある……それはオウグス殿も理解して頂けていると思います。先程ベラルタで討伐されたはずの魔法生命が出現したのをこちらでも確認しました。ミノタウロスという」
「ええ、私にとっても唯一接触した事がある魔法生命でした」
「そして先日ダブラマで起きた一件……アブデラ王によるアポピス復活の儀式はそもアポピスという古代の魔法生命の魔力残滓がアブデラ王と契約を結んだ事によって始まった事件でした」
「……」
「そして、魔法生命は霊脈に接続する事で"現実への影響力"を完全なものにする……私が確認しようと考えた情報はそんなにおかしい事でしょうかオウグス殿?」
ラーニャは聞きながら、止まり木のように手を空に差し出す。
その手の上には小人に淡い羽根が生えたような姿をした妖精と呼ぶ生き物がいる。
「私の使う妖精達は魔法生命と同じように霊脈に接触できる力があります……勿論、妖精達を通じて流れ込んでくる魔力や記憶によって長時間の接続は死に至ります。あくまで私は人間なので。
そんな短時間の接続でもわかった事があります。属性の無いはずの霊脈で活性化する鬼胎属性の魔力……私の妖精はその魔力に触れて何匹か絶命しました。悪意そのものに触れたように」
「それはつまり……マナリルの霊脈に?」
「……最近、魔獣が霊脈地から外れた場所に出没するのがマナリルでも確認されているのでは?」
ラーニャは肯定はしないが否定もしない。
女王自ら行われる友好国の霊脈の独断調査……本来なら問題にする所だが、マナリルはとにかく魔法生命に対する情報が少なすぎる。
簡単な話だ。問題にすれば全ての情報について白を切るし、問題にしないなら全面的な協力は約束できる。
魔法生命に襲われたばかりのベラルタの総責任者として……後者以外の選択はない。
オウグスは当然、ラーニャからの情報を全面的に受け入れる姿勢に決める。
「間違いなく何かが起き始めているのです。カンパトーレの魔法使い達が語った蛇神信仰と蛇のような魔法生命の襲撃、そして霊脈における鬼胎属性の魔力残滓の活性化……私だけではないしょう? 今までとは違う変化が起きていると思うのは」
「それは勿論……傭兵国家の暴走で済ませられる問題ならよかったんですがねぇ……」
「改めて申し出ます。こちらが出せるのはマナリルで鬼胎属性の魔力が活性化している霊脈地の情報。要求はいずれ行われるであろう常世ノ国の残党を纏め上げている王と呼ばれる者との会談に同席する事です。
蚊帳の外に置かれては……できなくなってしまいますから。彼への恩返しが」
太陽の光を編み込んだようなダークブラウンの髪を揺らして……蠱惑的な笑みを浮かべるラーニャに、オウグスは頷く以外の選択肢は無かった。
「お、おおう……」
アルムは割れた皿とクッキーを片付けながら目の前の光景に若干引いてしまう。
そこには雷属性と火属性の拘束魔法によって縛られながら宙ぶらりんになっているラナがいたからだった。
ラナはそんな状態でもアルムのほうを向いていて……拘束魔法を受けているとは思えない。
「中位の拘束魔法でやっとか……!」
「抑え込めたわね……!」
いくらカエシウス家の使用人といえどラナは平民。
そんなラナ相手に戦闘で実用される拘束魔法を使ったルクスとエルミラは安堵している。
そんな様子にアルムが苦言を零さざるを得ない。
「やりすぎじゃないか……?」
「こちとらあんたのためにやってあげてんのよ!」
「そのままアルムの事を歩き殺すんじゃないかと思ったよ……」
「歩き殺すって何?」
ラナにターゲットにされていたアルムには危険の実感はない。
しかし、宙ぶらりんになっているラナの表情は犬の威嚇のようにアルムに向けられている。
「ラナさんは平民だからベネッタの【魔握の銀瞳】も効き目が薄いからね。こうするしかなかった」
「え? ボクの血統魔法こんな事に使われるかもしれなかったの?」
アルムと一緒に割れた皿とクッキーを片付けているベネッタがつい突っ込む。
だがルクスの表情は決して冗談を口にしているわけではないようだった。
片付けている組とラナを拘束している組の温度差は凄まじい。
「今更だけどベラルタ魔法学院の三年生二人がかりで平民の人を中位の拘束魔法で縛り上げるって……これ何らかの犯罪になったりしないかなー?」
「うーん……? 絵面がアウトなんだよな……」
「怪我させてるわけじゃないしセーフって事にしとこうかー」
アルムとベネッタは一旦台所に破片とクッキーが混ざった袋を片付けると、リビングのほうへと戻ってくる。ミスティの家ではあるが、何度も通っているのもあって二人の私室以外はすでに勝手知ったる家だ。
「ラナはカエシウス家の使用人になるべく幼少の頃から訓練されていますから。流石に魔法使い相手は無理ですが、ただの盗人や強盗なら一人で勝ててしまうくらいには鍛えられているんですよ」
リビングに戻ってくると宙ぶらりんになっているラナの隣でミスティが誇らしげにラナを自慢していた。
平和なリビングで使用人が一人宙ぶらりんになっていて、その周りを少年少女が囲んでいるという、他人から見ると強盗被害にでもあっているのかと思う状況だ。窓から家の様子を覗かれでもすれば一発で衛兵を呼ばれるだろう。
「得意気に話してる所悪いけど、自慢する前にあんたが止めてくれる?」
「面目ありません……ちょっと、少し、いえ……物凄い舞い上がってしまいまして……」
「いや、気持ちはわかる。わかるけどね?」
ミスティは顔を赤らめていて感情が忙しい。
ラナはそんなミスティの様子と自分の状況を見てようやく落ち着いたのか、アルムを睨むような事は無くなっていた。
「取り乱してしまい申し訳ありません。そして私の不始末をお客様にやらせてしまうとは一生の不覚……改めてお詫び申し上げます」
「その体勢で……いや、落ち着いたのなら降ろすけどさ……」
エルミラがそう言うと、宣言通りラナの体は解放される。
ラナは音も無く床に着地するとスカートを払い、アルムを見てぐぬぬと悔しそうにしながらも深呼吸をして自分を落ち着かせた。
「元より……ミスティ様は婚姻の話が山のように来る御方……。ミスティ様が納得された上での恋人関係なら私は喜……よろこ……よろこん……で……! ぐふっ……! よろごんでお祝いさせでいだだぎまずども……!」
「その割には血反吐はきそうなんだけど?」
「揺れてるなあ……」
言葉とは裏腹に認めたくないのが見え見えのラナに心配するエルミラとルクス。
これほどまでにわかりやすく心の中で葛藤と戦っている人間がいるだろうか。
「ちなみにミスティのほうから好きって言いましたよー」
「かはっ……!」
「ベネッタ!?」
追い討ちをかけるような事実にラナは耐え切れなくなったのかその場に崩れ落ちる。
先程までアルムを殺すような勢いはどこにもなく、まるで娘が嫁に行く事実を受け止められない親のよう。
「わかっていました……わかっていましたけど……。ミスティ様がアルム様をお慕いしていたのはそりゃばればれのばれっばれでしたけれど……ついにですか……! 私のミスティお嬢様がついに……」
「そ、そんなにばればれだったでしょうか……?」
「うん、それはもう」
「まさかとは思うけど隠せてると思ったの?」
「学院で知らない人のが少ないんじゃないー?」
「そ、そうなんですか!?」
ミスティは恥ずかしそうに手をもじもじさせながらアルムのほうをちらっと見る。
感情を剥き出しにし、ついに涙まで流したラナや頬を赤らめるミスティとは違い……アルムはどこか浮かない表情だった。
「なあ、ちょっと聞きたいんだが……」
「ん? どしたの? アルムくんー?」
アルムは困ったように頬をかく。
「さっきから気になっていたんだが……俺とミスティって恋人同士なのか?」
「え」
「え?」
「え」
「え……?」
アルムの口から出た疑問に空気は一変する。
特に……ミスティはまるでこの世の終わりかのように、先程まで赤らめていた頬から血の気が引いていた。




