698.後ろにいます
「私の名前はチヅル・モチヅキ。常世ノ国の魔法使いで年齢は二十。血統魔法は自分と同じ身体能力を持った分身を作り出す事。分身の最大人数は六人で実体があるから感知魔法も反応する魔法だね。分身が保持する記憶の共有条件は本体と接触する事で、分身の私は無属性魔法しか使えない。
ベラルタに潜入した目的はベラルタ魔法学院の内部情報を握って、こちらと協力体制を結ばせる事とマナリルで魔法生命を倒した何者かの正体を探って協力を仰ぐことだね……先日ベラルタの一年生を襲ったのも貴族三人の人質をとって交渉の席につかせようとしたから。失敗してしまったけどね」
ベラルタでの騒ぎも落ち着き、衛兵や教師陣が西門の戦闘跡を復旧させる手配をしている中……学院長室ではアルム達に囲まれながら自分の情報を吐く侵入者のチヅルがいた。
学院の生徒達はロベリアとライラックの対処によって怪我人もおらず、ネロエラの護衛によってラーニャという最優先の国賓も無事であり魔法生命とカンパトーレの魔法使いの襲撃を受けたにしては被害は最小限だ。
でなければ、教師陣全員が出張らなければいけないほど慌ただしい事態になったいるため学院長室に十人近い人間が集まってチヅル一人に詰め寄る事などできなかっただろう。
「私にはさっき魔法生命と敵対していると言っていたけれど?」
オウグスが問うと、チヅルは頷く。
「その通りだよ。私達常世ノ国の残党はネレイア・スティクラツに支配されながら機会を窺っていた。最近ネレイアが作る水の壁がなくなったから動きを察知される事なくこちらに来れるようになったんだよね」
「……状況を考えるとネレイアの仇討ちにしか思えないが」
アルムは無意識に隣にいるミスティをチヅルから遠ざけようと自分の後ろに下がらせる。
ミスティがそんな気遣いが必要無いほど強いというのはわかっているが、それでもわざわざ狙っているかもしれない人間から狙われやすい場所にいさせる必要はない。
「ち、違う! 本当なんだよね! 常世ノ国の残党というのは魔法生命に荒らされた常世ノ国の住人の事を指していて……断じてネレイアの部下なんかになっていない! あいつのせいで常世ノ国は滅んだも同然なんだから!!」
「魔法生命も知らない一年生を襲うような手荒い真似をした奴の言う事を信じろと?」
「そ、それは……私達、常世ノ国の残党はマナリルと対等のテーブルにつけるような力は無いんだよね。ネレイアの情報もネレイアが死んだ事によって意味を為さなくなってしまったし、私達だけであの蛇や他の魔法生命をどうこうできるような戦力はない……だから無理矢理にでもと……思ってね……」
自分の言葉に説得力が無いことがわかっているのか、話すにつれてチヅルの言葉から力が消えていく。
チヅルが項垂れると真っ白な髪が垂れ、髪の隙間から不安そうな橙色の瞳が見える。
弱弱しいその様子はまるっきり嘘を言っているようにも見えなかった。
その様子を見たオウグスはため息をつきながら口を開く。
「本来なら君はこのまま首を落とされても仕方ないが……あの蛇のような魔法生命の襲撃時、避難を手伝っている事は衛兵達から報告されている。その温情で君は私達に話を聞いて貰えているだけだという事を自覚しているかなぁ?」
「それは……勿論わかっているね……」
「では他の有益な情報を出さなければいけない事くらいはわかっているはずだ。まずはその常世ノ国の残党について……もう少し聞かせてもらおう」
不安そうにしながらもチヅルは頷く。
その不安は自分の命に対するものか。それとも常世ノ国の残党と呼ぶ仲間の情報を喋ってしまう後ろめたさからか。
オウグスとヴァン、そしてアルム達の目が光る中チヅルは小さく語り始める。
「私が常世ノ国の残党と呼ぶ同胞達は十年ほど前に、魔法組織コノエ……そして常世ノ国を壊滅させた魔法生命達から逃げ切った者達で集まって構成された集団だね。
現在は私達を魔法生命の追撃から守ってくれた王様と呼ぶ指導者の下で生活していて、数か月前にネレイアの部下達との戦闘を行っていたのもあって今は千人ほどしかいない……戦闘が出来る者はさらに少ないから国と呼ぶにはあまりに非力なんだよね……今はほとんど王様の戦闘能力に頼っていると言っていいね」
「……一応壊滅させられた時期はシラツユ殿の話と一致はしますね」
「シラツユ……? まさかコノエ家のシラツユ殿……? マナリルにいるんだね……?」
ルクスがシラツユの名前を出すと、チヅルの表情が少し明るくなる。
知っている名前なのと、シラツユがマナリルで生き延びているという事実が希望になったのだろうか。
「君がそれを知る権利はまだない。続きを話したまえ」
「わ、わかった……えと……知っての通り常世ノ国内はネレイアに動きを制限されていたから情報収集能力はほぼ無いに等しく……。それで私は一番魔法生命について有力な協力者になる可能性が高いマナリルに来たんだよね」
チヅルは話しながら懐を探る。
一瞬、部屋の中に緊張が走ったが、チヅルが取り出したのはボロボロの新聞記事だった。
「このミレルで起きた事件……大百足を倒した者がいるマナリルに!」
それはマナリルで作られた一昨年の夏の新聞の記事だった。
二年ほど前、トラペル領の町ミレルを怪物から救ったミスティ達の名前が書いてあるが……部屋中の視線はアルムに集まる。
当時、アルムの名前は公表しない方針だったため新聞にアルムの名前は載っていないが……百足のような巨大な魔法だったという事は載っている。チヅルはそれを見て魔法生命だと確信したという事だろう。
「大百足は……私の故郷を滅茶苦茶にした魔法生命なんだよね……! 時折海岸に流れてくるマナリルの漂流物の中からこの新聞を見つけた時……私はネレイアが消えたらここに来ると決めていたんだよね。
故郷の魔法使いが手も足も出なかったあの化け物を倒した人なら私達と協力してくれるかもしれないって……!」
「ほう……」
「私が言えるのは、その……これくらいだね……。そっちにとっては全く有益じゃないかもしれないけどね……。とにかく私は……あいつらが許せない……。だからどんな手を使っても、マナリルに協力させようと……来たんだよね……」
チヅルは取り出した新聞の記事を縋るように抱きかかえる。
漂流物というだけあってボロボロな新聞なのだが、チヅルにとっては希望そのもののようだった。
「他に情報は? あの蛇のような魔法生命については?」
「持っているけど……これを喋ったらもう私に存在価値は無くなってしまうんだよね……。この状況でこれ以上の情報を喋ったら王様の命令を完遂できない……私の目的はマナリルとの交渉なんだよね」
「なるほど、君の目的はマナリルと協力する事……情報の出しすぎは確かに致命的だねえ。私達からすれば君は情報源であり、さらなる情報源かもしれない常世ノ国の残党達を繋ぐパイプでもある……賢明といえば賢明かなぁ」
尋問と拷問を想定しなければね、と心の中で呟くオウグス。
具体的に情報を持っていると真剣な様子で言ってしまうチヅルから微妙な詰めの甘さを感じ取る。魔法使いと名乗っているが、経験は浅いのだろう。
しかし、その正直な態度が逆に話の信憑性を微妙に上げている。
どうしたものかとオウグスは考える。
情報に有用性があるかどうか微妙に判断がしかねるこの状態をどうするべきかと。
「なら、私から条件を出したいんだけどいいかしら?」
そんな中、エルミラが手を挙げた。
「ほう? エルミラくん?」
「マナリルにとって最優先はあの蛇の魔法生命についてだと思っていいわよね? このままだとこのチヅルって人は信用できないでしょうし、私達も情報を得られない。
なら、とりあえず私達はこのチヅルを信用する必要があると思うわ。だから……何か私達が欲しい情報を一つ断ることなく答えるってのは? それで私はこのチヅルの事を信用してもいいと思ってる」
「ん……?」
「そんな事で信用して貰えるなら私は喜んで応じる。私のほうからあなた達の信用を得る手段は思い付かないからね……」
オウグスはつい首を傾げた。
こちらからすればあまりにメリットが薄すぎる。
エルミラが一体何を考えているのかよくわからなかったが、表情を見れば無策というわけでもないようなのでオウグスは任せてみる事にした。
「じゃあ私の質問に答えてくれるのね?」
「勿論だ。信用されるためならば」
「絶対に断らない?」
「一つだけでいいんだろう?」
「ええ、一つだけ何でも答えてくれるなら少なくとも私はあなたを信用する。味方になるわ」
「それなら……問題ない。君達が欲しそうな情報はまだ持っているからね」
エルミラはチヅルの前に立って条件を念押しすると真顔でとある情報を要求した。
「あの蛇の名前は?」
「……え」
「名前は? ほら、答えてくれるんでしょ? あの蛇の……名前は?」
エルミラの問いにチヅルの額に冷や汗が浮かぶ。
チヅルだけでなく、部屋中に緊張が走った。
そう……言えるわけがない。魔法生命の名前を言う事がどれだけの自殺行為かをこの部屋にいる全員は理解している。
魔法生命の名前は全て呪法。口にすれば命に関わる。
「信用してほしいんでしょ? だから、答えて。一つだけでいいのよ? あの蛇の名前は?」
再度聞かされるエルミラの問いにチヅルはぶるぶると震える。
答えれば死に、答えなければ目的が果たせないという板挟み。
最初から信用する気など無いではないか、とは怒りがこみあげてくるが……チヅルの前に立っているエルミラはチヅルをおちょくっている様子はない。
チヅルは生唾を飲み込んで、その場に跪く。
「ま、待ってね。いえ、待ってください。な、名前を呼んだら私の体は爆発四散してしまうんです……! 協力して欲しいという言葉は嘘ではなくて、本音なんです。一度何でも答えると言って断るっていうのは確かに胡散臭いかもしれないけどね……でも、信じてほしい。お願いだ。私は子供も構わず殺すあいつらが許せないんだよね。嘘じゃない」
「ふうん……?」
チヅルはびくびくしながらエルミラの反応を待つ。
エルミラはしばらくチヅルを観察すると、
「とりあえず基本はわかってるみたいだから情報源としては期待できそうじゃない?」
「え……?」
さらっと軽い様子でそう言った。
自分を見つめた時の重苦しい空気が消えたエルミラに、チヅルは顔を上げる。
エルミラはチヅルと目が合うと、悪びれることもなくにやっと笑った。
「わ、私を試したのか……なるほど……」
そこでようやくチヅルはエルミラの真意に気付く。
エルミラが手っ取り早く確かめようとしたのはチヅル本人の人間性と知識だ。
そもそも魔法生命について本当に情報を持っているか。情報が正確足り得るかの精査などできるはずがない。
だから、チヅルを追い詰める事で言葉を引き出したのだ。マナリルと対等に振る舞おうとする魔法使いとしてではなく、魔法生命と敵対する人間としての言葉を。
状況はさほど変わっていないが、空気は変わる。
少なくとも同じ情報を出し渋る言葉でも、エルミラが引き出した言葉のほうから感じる必死さには応えてもいいのではないかという空気になっていた。
「魔法生命相手の基本も知らないやつだったら、そもそも情報源として期待するのも時間の無駄でしょ? それで敵対してるって言われても協力するメリット薄そうだし、何よりあんたが」
「確かに……中々策士なんだね……。……ん?」
チヅルは感心しながらもとある可能性に思い至る。
「ま、待ってね? わ、私が本当に名前言って爆発四散したらどうする気だったの……?」
「それはそれで大した情報持ってないってわかるからいいかなって……学院長室が臓物まみれになるだけだから大した被害無いし」
「人でなしか!? あなた人でなしなのね!?」
さらっと臓物まみれになっても問題ないと言ってのけるエルミラに怯えるチヅル。
いいかなって、という気持ちで自分の命が天秤に乗せられたかと思うと背筋に寒気が走った。
「私の部屋の被害は大したことないのかい!? いくら私でも部屋が臓物まみれになるのはくるものがあるよエルミラくぅん!?」
「学院長、話進まないんで一先ず抑えてください」
思わぬところでオウグスとチヅルが意気投合しそうになるも、エルミラはオウグスの抗議を完全に無視。
ヴァンの言う通り、話が進まないのでアルム達も不憫だとは思いつつも気にかける様子は見せずに続ける。
「ともかく……とりあえず交渉のテーブルくらいは用意してみていいんじゃない?」
「納得いかない……」
「学院長」
「わかってる。わかっているよ」
オウグスはわざとらしい咳払いを一つして、チヅルに問う。
「勿論、その交渉のテーブルには君の言う王様が出てきてくれるんだろうね?」
「約束する。監視の人数も常世ノ国から連れてくるための渡航のスケジュールも全て……マナリルに従おう」
「そうか……では私達もそれに報いよう。その王様が出てくるなら君が言う大百足を倒した人物を紹介しようじゃないか」
「ほ、本当か!? い、いや……本当ですか!?」
「んふふふ。ああ、勿論だとも。正式に協力体制をとった暁にはそれぐらいはしなきゃねえ」
チヅルの表情がぱあと明るくなる。
学院長室で一人囲まれている捕虜の表情とは思えないほどに。
「つ、ついに出会えるのか……! どれだけお礼を言っても言い足りない……あの化け物を倒してくれたのは一体どんな御方なんだろう……!」
喜ぶチヅルの後ろでは、余計な事を言わないようにルクスとベネッタに口を押さえられ……訳も分からずされるがままになっているアルムがいた。
さっき話してましたよ、とは言えまい。
いつも読んでくださってありがとうございます。
口を押さえられているけど大人しいアルムくん。




